月刊「計測技術」連載エッセイ(平成13年5月号に掲載)

[ある技術者の独り言]

第15回 自分サイズの便利さ、豊かさの選択    帆進 大河

 日本は戦後から、思想的には民主主義が浸透し、消費は米国フォード自動車に端を発した大量生産方式が入り、経済の発展とあいまって、日常生活の基本活動部分を代替え・サポートする電気釜、電気洗濯機、電気冷蔵庫、ラジオ、テレビ、電話、自動車などが画一的に普及し、その恩恵を享受してきた。民主主義の本質は一般によく理解されていないが、この平等に便利に、物質的に豊かになることが民主主義の効果であると認識されているように思われる。

 このように画一的な物質的豊かさの追求が「消費は美徳」の価値観のもとに、資源・エネルギーの大量消費や地球環境汚染の増大という負の遺産を生み出して、これが人類の生存を脅かすところまで迫ってきており、技術、経済、政治、国家の枠組みを越えて世界的に重要な問題となってきている。

 競争が技術の進歩や生産能力の飛躍的拡大を促して、今や商品の性能やその生産能力は大多数の消費者が必要とするレベルを大きく越えてきている。企業はコマーシャリズムに乗せて、またマスコミの報道さえも、最先端の高性能商品を従来と同じように画一的に普及させようと躍起になっいる。日常生活のほとんどが便利になっている現状において、我々一般消費者はさらに便利で、豊かな商品が本当に必要不可欠であろうか? 身近な例を考えてみよう。サラリーマンがテレビを見る時間は平均約2時間と言われている中で、従来の放送で十分と思うのにディジタル放送、インターネット、メールなどが入り込んできている。画面を見る時間には物理的制限あるので、筆者は画面を見るのはメール、インターネットが主体となり、たまにテレビ放送を見るようになり、情報収集は専らラジオ派となっている。いずれ淘汰されるに違いない。磁気カードやICカードが出てきて便利になっている。その反面、偽造カードや悪用の問題が発生している。とりわけ、ICカードには1枚のカードに多量の個人情報が入るために、これを紛失すると、大げさに言えばその人の人格を失うほどの危険を伴う。つまり、便利さが増せば増すほど、その反面で危険も深くなっていくことになる。

 パソコンは各メーカーから数ケ月ごとに、より高速、より大容量メモリ、より高性能の新製品が出てくる。しかし、一般の人々は現有パソコンの能力の極一部しか使用しておらず、ほとんど買い替える必要はなく、買い替えが必要なのは、パソコンを武器に商売しているプロやセミプロなどの特定の人に限られるはずである。しかし、コマーシャリズムやマスコミ報道に踊らされて、あるいは従来の皆が同じものを使うという画一化の幻想にまどわされて、必要ではないのに買い替えることに陥っているのではないだろうか?

 21世紀における賢い消費はコマーシャルやマスコミに踊らされず、また友人、隣人、仕事仲間と比較することなく「自分に必要な便利さ、豊かさに合ったものを選択する」ことが重要であると考える。自動化、情報化、機械化の対局にある「非科学的、非能率的なものほど人間らしい」とか「非能率的な面倒さを伴った方が全てにわたって穏やかで良い」と言った人間らしさの側面も考慮して選択したいものである。このようにすれば、精神的に自分らしさを確立すると共に、資源・エネルギーのムダ使い防止と環境汚染の歯止めにダイレクトに好影響を及ぼすことになる。

 この自分サイズの便利さ、豊かさに合った選択をして消費するという波紋が広がれば、大きな消費革命につながると考えるが如何なものであろうか?