例会報告

96回「ノホホンの会」報告

2020年1月24日(金)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:狸吉、山勘、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問)

2020年最初の例会も全員元気に参加で、幸先の良いスタートです。世界情勢はもちろん、日本の今後の方向も明確には定まらず、不安ばかり募るこの頃ですが、しばし明るく健康談議で盛り上がりました。本会は、いつまでも若々しく行きましょう。 

(今月の書感)

「知らなきゃよかった─予測不能時代の新情報術」(致智望)/「インドが変える世界地図 モディの衝撃」(ジョンレノ・ホツマ)/「小津安二郎の反映画」(本屋学問)/「スポーツでのばす健康寿命 科学で解き明かす運動と栄養の効果」(恵比寿っさん)/「氷川清話 勝 海舟」(山勘)/「ジョン・マンと呼ばれた男―漂流民中浜万次郎の生涯」(狸吉)


(今月のネットエッセイ)

「ゴーン被告の『正義』!?」(山勘)


  (事務局)

 書 感

知らなきゃよかった─予測不能時代の新情報術/池上 彰・佐藤 優(文春新書 本体830円)

  世の中、知らずにいれば幸せだったと言うことが良くある。今の国際情勢などはそればかりではないかと思う。国際情勢の裏話を佐藤優さんとしているときに、文芸春秋の編集者が、「知らなきゃよかった」と叫んだのが、本書のタイトルの始まりと言う。

 と言うことで、本書は、池上 彰と佐藤 優の対談形式で書かれており、報道されない部分や状況の結果分析など、情報業界のプロとして活動する人であり、嘗ては諜報に関わった人の感処などから来る、常識論などが述べられている。タイトルから読取る、「知らなきゃ良かった」と思う箇所が多々有って、面白いでは済まされない心境に至った。

 トランプとヒラリーの選挙戦における、トランプのロシア疑惑の話から始まる。この事実の信憑を伺う現象は、選挙選の最中にも有ったと言う、ここから本書の論点が始まる。

 未だに結論に至っていないこの事件は、NATOへのアメリカの持つ多額負担をトランプは気に入らない。ロシアのプーチンとは白人同志と言う、トランプの偏った「強い思い」の特異思想から来ていて、ここから生じる問題が、何ゆえにアメリカは、ヨーロッパの小国連合を守らねばならないのかと言う疑問の解に繋がると言う。

 1929年の世界恐慌から、第二次世界大戦に移行して行った、一連の事実の反省から、GATTそしてWTOへと発展してきたものを根底からひっくりかえそうとしているトランプは、大統領選さなかに民主党を追い落とす事に、手段を択ばない行動をとり、その根源に繋がる原点が、この人種問題に有って、共和党内部からも批判がでていたと言う。

 本書の「はじめに」が、ここから始まっている。

 本書の論点は、多肢に渡るので、全てに付いて述べることは出来ない。本書の趣旨を理解して貰える部分をかいつまんで書感にした。

北朝鮮に付いて、日本政府は、トランプの本心を理解していない。トランプは、北朝鮮に一撃を加える絶好のチャンスを逃してしまった。それは、文が大統領になる前の合同軍事演習のときだった。その時以来、トランプには融和策しか手が無くなった。だから、日本政府が拉致被害者問題をトランプに依頼したのは、大きな間違いであったと言う。

小泉首相時代の北朝鮮帰還者が、北朝鮮の持つ最後の回答であり、これ以上の結果は死亡と言うことしかなく、日本政府の満足する回答は出せない状況が、このとき既に北朝鮮の実態であったから、日本政府が満足しないことが解っていて、トランプに安倍に渡してくれと言われたとしても、それに対して、日本政府はトランプに何と言う積りだったのか、外交とはそう言うものだと佐藤は言う。

 もし、トランプが本気でキム暗殺を謀って、成功したとすれば、その結果は恐ろしいことになる。残った核兵器を米国と中国がとり合っても現状と何も変わらないが、そうは行かないと言う。韓国が先に手を回すことは、現時点でも既に韓国は考えていると言う。もしそうなると、日本にとっては最悪の事態が予想される。韓国は、米国の同盟国であるから、中国への抑えになると考えても不思議でない。当然韓国は、「日本憎し」が優先し、日本への対抗に向かうであろう、その時に韓国の国力が日本を上回っても米国には関係無い。韓国がそれを狙っている事実は、沢山あると言う。韓国から見ると、豚(日本)は、肥やして喰えと言う諺を思い出す。

 2017年に安倍政権は共謀罪法案を強行採決で成立させた。これは非常に恐ろしい法律で、自分の政権を倒そうとするのは全部テロリストだから。加計学園の問題でも「言論テロ」だと言う書き込みが有れば、安倍総理からは「いいね」発言があるだろうと言われる。と言うことで、社会民主主義者、労働運動家、宗教団体などは要注意で有り、決し良い方向にはならないことは確かと言う。

 テロ対策に何が必要か、その検討もしない、成り行き法律だと言う。テロ防止法、共謀罪が欲しいのは外務省で有って、警察は暴力団対策で充分なのに、このまで、包括する結果を招く。テロ対策に付いては国際約束に関して、国内法の整備が出来ていない。と言うのが外務省の弁なのだから、外務省が前面に出て、国民の理解を得る努力をすべきところ、自分達はリベラルだと良い子ぶって、面倒なことは警察がやれ、これでは、テロ対策法は方向を逸してしまう。「潜在的精神分裂症」等と言う荒唐無稽な診断書が罷り通る事になると大変な事になる。このような内容の流れで、本書の二人の対談が進んで行く。

 全体的には、トランプ政権に対するテーマが多く、世界経済の成り行きが心配される政策、宗教、人種問題などをあおる傾向に注意を発している。本書には、この他にも我々の知らない多くの事実や、考え方が述べられ、知らなきゃ良かったかも知れないと言うのが実感でありました。

                               (致知望 2020114日)

インドが変える世界地図 モディの衝撃/広瀬公巳(文春新書 201910月発行) 

 裏表紙に、「10年後には中国を上回る世界最大の人口となり、日本、ドイツを抜き世界3位の経済大国になると予測されるインド。モディ首相の強いリーダーシップのもと、AI戦略と巨大市場が世界を変える。NHK元ニューデリー支局長によるインド最新情勢」と、あります。

 目次にはモディの衝撃とあり、以下の項目からなっています。

プロローグ

1章 なぜインドとAIなのか

2章 インド人が優秀な本当の理由

3章 日印ビジネスに大切なこと

4章 グジャラート州から生まれた政治家

5章 モディ首相が誕生するまで

6章 モディ政権によるニューウェーブ

7章 宗教という国家リスク

8章 原子力協定の深層

9章 中国とはケンカをしないのか

10章 象の進む道

 プロローグには、ほとんどすべての項目にまたがっており、ポイントを抜粋してみました。

 2019年現在、情報通信と貿易の分野で、アメリカと中国が激しいツバ競り合いをしているのは、世界の覇者が、アメリカであり続けるのか、中国が取って代わるのかという、分水嶺の時を迎えているからだ。

 ロシアは国力の衰退と国際社会での存在感の縮小傾向が続き、ヨーロッパはドイツのメルケル首相が主導する時代が終わり、地域としての核を失い迷走の中にある。

 アメリカと中国2Gの時代の行方を左右するのはインドしかない。インドがアメリカと中国のどちらに就くかで、世界の覇権の趨勢は大きく動くだろう。

 経済規模という点では、「米中印3Gの時代」はもう十年後に迫っている。GDP(Gross Domestic Product)の額で現在世界五位にあるインドは、2028年までに日本とドイツを追い抜き、世界三位の経済大国になると予測されている。政治さえ安定すればインドの今後の経済発展はほぼ確実という見方が強い。そして現在13億のインドの人口は、2027年前後には中国を抜き、世界最大になる見込みだ。中国は一人っ子政策をとったため、日本と同じように社会の高齢化が始まっているが、インドでは若者の数が多く、労働と消費の市場が拡大する人ロボーナスの期間が2040年まで続くと予測される。

 経済力や軍事力で強大なパワーとなり、アメリカ、中国に次ぐ、第三の大国への道を突き進むインドは、これまでにない方法で「世界地図」を塗りかえている。

 化石資源に乏しい国が頭脳立国として生きる術。そしてインド訛りの英語をものともせず果敢に外国に移り住み、グローバル時代を生きるインド人のたくましさ。宗教対立、格差社会、貧困対策から、代替エネルギーへの転換や、データーネット社会の展開まで、インドは世界が抱える様々な課題に独自の方法で解決策を見出そうとしている。

 日本がアジアの二大経済大国のはざまで生きていくことになる日は近い。したがって日本にとってインドとの関係は、今後いっそう重要になるだろう。超高齢社会の日本と、若い労働力と伸び盛りの消費者に溢れるインドは、非常に相性がいいといわれる。JBIC(国際協力銀行)がまとめた調査では、日系の製造業にとって長期的に有望な海外投資先としては、インドが九年連続で首位となっている。インドは、日本経済がグローバルに展開する出口となる、重要な国なのである。そして、インドと日本が中国を挟む形でけん制できるのか、アジア太平洋の安全保障やサイバー分野での協力についても、インドとの連携は日本にとって死活問題だ。 とはいえ、インドがタッグを組もうとしているのは日本だけなのか。手ごわいインド商人との取引は簡単ではない。日印ビジネスの可能性と課題を冷静に見極めなければならない。

 私はNHKのニューデリー支局長、解説委員として二十年以上にわたりインドを取材してきた。その間に、世界経済フォーラムのインド大会でインド企業の代表から直接、経済界の情報を集めることもあれば、テロや地震の現場を取材し生死の境を彷徨ったこともある。インドを理解し伝えることには、専門知識と現地での体験、それにインド好きでありながらも客観的な評価力も求められる。相手は面積が大きく歴史も長い国なので骨が折れる。まだまだ謎に包まれたところも多く、相反する情報やイメージがインドをわからない国にしている。

 しかし、モディ首相の時代にインドは、以前よりわかりやすく、見えやすい国になった。インドの謎を知る入り口に立つために、昔のようにインド寺院を彷徨(さまよ)ったり、バックパッカーになって哲学的な自分探しから始めたりする必要はもうない。普段のニュースからも、インド的な「びっくり」の来し方と向かう先が、日本にいなからにして触れられるようになってきた。いよいよ日本人の誰もがインドを知り、語る時代になってきたのだ。 インドがまだ「遠い国」だと思っている人は、いないだろうか。

 もはや、カレーやヨガだけがインドのイメージという時代ではない。モディ首相という強力なリーダーに率いられることになったインドは、日本の将来を左右し、世界地図を塗り変える政治経済の大国、「巨象」なのだ。それが何を考え、どこに向かおうとしているのか。誤って踏み潰されることになりはしないのか。本書では、日本に近づく巨象の、やさしく鋭い眼光の先を追うことにしたい。

 以上が本書のプロローグからのものです。

本文の最初の第1章の、巨象に例えたインドとITの項を取り上げました。

 インドの産業で、従事する人口が大きい農業や製造業をなかなか動かない象の胴体とすると、素早く動かせる鼻をIT・情報通信産業に例えています。近年のITインフラの普及で世界経済の潮流を感じ取り、大事な情報がどこにあるのかかぎ分ける鼻の力が急速に伸びた。広大な国土でも、通信回線さえ整えば、一瞬にして津々浦々にまで情報が届く。頭脳労働が商品となるため工場はいらない。インド人技術者は貧しさと激しい競争の中で自らの能力を磨いた。これが今のインドの強みだ。日本も、コンピュータを扱うのが得意なインド人と仲良くしておくことが、AIの時代を生き残るのに欠かせない条件になっている。

 モディ首相の三度目の訪日で、日本とインドは、AIなどのデジタル分野で新しい協力関係を推進することで一致した。日印両国は今後、AI技術の共同研究を進めることになる。一例として、日本の産業技術総合研究所とインドエ科大学(IIT:Indian Institutes of Technology)のハイデラバード校が画像認識の研究などで協力する。ベンガルールに企業や人材の支援拠点を設けて、情報産業企業の相互進出を後押しするなど、合意に盛り込まれた。

 この話には、単なる専門家の技術交流という域にとどまらない意味がある。経済産業省とインドIT省との間の「日印デジタルーパートナーシップ」協力は、国と国の間で交わされた合意だ。インドは単なる市場ではなく、世界に打って出るために必要な戦略的開発拠点だと、曰本政府は位置づけた。デジタルビジネスの起業から次世代ネットワークのセキュリティまで、幅広い分野でインドと協力することが、日本の生き残りには欠かせないのだということを明確にしたのである。

 以上は、本書の記述の一部分の抜粋ですが、最近の海外のニュースの中には、インドに関する情報が少なく、最新のインドについて多くのことを本書によって身近に知ることができました。

                            (ジョンレノ・ホツマ 2020117日)

小津安二郎の反映画/吉田喜重(岩波書店 1998520日第1刷、2005215日第8刷発行 本体3,000円)

 著者の 吉田喜重は、「秋津温泉」や「エロス+虐殺」などで知られる松竹出身の映画監督である。溝口健二、小津安二郎、成瀬己喜男、黒澤明といった名監督たちの薫陶を受けながら、同世代の大島渚や篠田正浩らとともに“松竹ヌーヴェルヴァーグ(新しい波)”を掲げて、戦後の新しい日本映画の表現方法をつくり出した。

本書は、同じメガホンを取る映像作者としての著者が、「東京物語」を始め「晩春」、「秋日和」、「秋刀魚の味」などで知られる世界的巨匠小津安二郎の人物とその映画づくりを分析しながら、同時に小津への限りない敬愛を語った奥深い映画論である。

小津は東京・深川に生まれ、20代前半まで三重県で過ごすが映画への夢を捨て切れず松竹に入り、24歳で最初の作品「懺悔の刃」を発表する。彼が生涯に制作した54作品のうち30本は無声映画で、初期のフィルムは現存せず、ほぼ完全な形で残っているのは36作品である。トーキーの時代になっても無声映画に拘り、初期の頃はアメリカ映画の影響を強く受けていたという。

著者は終始「小津さん」と呼び、「小津さんの映画を知ろうとするには、いささかもためらうことなく『東京物語』を手がかりに始めるのが、もっとも自然な成り行きと思われる」と書いて、小津が50歳のときの1953年に発表したこの作品を全体にわたって紹介することで、小津安二郎を語るうえで重要な役割を与えている。

著者は、19631月に鎌倉の料亭で開かれた松竹大船監督会の新年会で、2人が酒を酌み交わすシーンから書き始める。15人ほど集まったなかで最年長の小津は床の間を背に、最年少の吉田は末席にいた。宴会が始まるとすぐに小津が著者の前に来て座り、黙って酒を注いだ。

その後2人は、宴会が終わるまでほとんど言葉を交わすこともなく酒のやり取りをするが、その小津の振舞いを著者はよくわかっていた。前年の秋、吉田が雑誌で小津の「小早川家の秋」のある場面を、自分と同年代の若者に阿っているように思えると批判したからである。

酔うにつれて小津は、「しょせん映画監督は、橋の下で菰を被り、客を引く女郎だよ」と自虐的にいった。小津は普段から何事も冗談めかして語り、それが真に受けられるのを嫌ったそうで、この比喩の真意はわからないが、著者は商業主義と無縁に映画はつくり得るのかと自分に問い返していたのではないかと思うと書いている。さらにその年の11月、病床の小津を見舞った吉田に「映画はドラマだ、アクシデントではない」と2回繰り返した。

 小津の映画は可能な限りドラマを排除し、俳優も過剰に演技することは許されず、あたかも淡々としたアクシデントとして、偶然の出来事のように描かれていた。こうした思惑を裏切るような「映画はドラマだ」の真意は何か。死を前にした小津が語ったこの明確な肯定と否定著者はそれらの言葉を「アフォリズム」(金言)、「黙示録」、「終わりなき対話」と表現して、言葉の裏側に別の意味があるのではないかと無理に理解することを避けているが、それは読者をも惑わせている。

日本人の生活はおよそ非映画的にできていて、家に入るにしても格子を開けて玄関に腰掛け、靴紐を解くので動きが停滞する、だから日本人もアメリカ人のような生活をすべきだと小津は雑誌に語りながら、彼自身がアメリカ映画を模倣することに限界を感じ、自らが描く日常の何でもない出来事こそが本当のドラマであり、映画に見られる物語は作為的な絵空事のアクシデントに過ぎないといいたかったのではないか。著者はそう断言して、小津がつくり上げた独特の映像の世界は、すべて“小津さんらしい”作品と表現するしかいいようがないと書いている。

著者は、無秩序きわまりない現実の世界を、映画というまやかしの虚構でいかにとらえ、いかに秩序立てて表現するか、それが死の直前に小津の脳裏に浮かんだ真のドラマ、“反映画”だといい、「小津さんは映画を深く愛し、映像の『まやかし』を知り、『戯れる』ことで映画の本質に最も近く立った人だ」と表現している。

 余白のある小津の履歴のなかで唯一際立った出来事は、進学に挫折して山村の小学校で代用教員をしていたことで、それが小津の心のなかに受動の美徳ともいうべきものを持った無心さ、どのような現実をも受け入れる自己放棄にも似た受容性を形成し、それが小津作品の原動力になっているのではないか。映画監督である吉田喜重はこう推理する。

さらに著者は続ける。小津は、自分の作品が決して偶然のアクシデントではなく、反復とずれによって厳しく抑制され、秩序立てられることで、かろうじてドラマであり得たことをいいたかったのではないか。それが映画への反映画に他ならなかったに違いないと。

小津安二郎は19631212日、誕生日と還暦を迎えたその日に60年の生涯を閉じた。2012年にイギリス映画協会が選んだ世界の著名映画監督360人の投票による世界映画ベスト10で、「東京物語」は「2001年宇宙の旅」、「市民ケーン」を抑えて堂々の1位に輝いている。

                    (本屋学問 2020119日)

スポーツでのばす健康寿命 科学で解き明かす運動と栄養の効果/深代千之+安部孝・編(東京大学出版会 20191030日 初版 本体2,800円)

深代は1955年生れ東京大学大学院総合文化研究科教授 教育学博士。安部はミシシッピ大学応用科学部客員教授 医学博士

はじめに

序章 サステナブルな健康のために

1章 セルフチェック-健康・体力の余裕度を診断する方法

2章 さあ実戦へ踏み出そう-健康・体力つくりへの挑戦

3章 教養として知りたい運動の効果-生活習慣病・運動器疾患・認知能力

4章 食事と栄養-健康の保持と増進

おわりに

索引

執筆者一覧

 人間は、人類誕生から20万年来、普通に行ってきた「動くことによって」という前提が、機械化と電気化という文明の発展によって崩壊した。運動不足である。健康日本21には各種指標の目標値が掲げられている。とくに高齢者の加齢による筋肉の減弱減少或いは虚弱化は高齢者の自立生活が困難になる可能性を」高めている。

 「〇〇だけで健康になる」といった啓蒙書が多く出版されていて、そのような情報を信じたいのは人の常だが、高齢者の健康寿命を延ばす試みはそう容易ではない。

 本書は、高齢者のための運動と健康というテーマで、その理論と実践をまとめている。

 運動が健康のためによく、体力が増すとわかっていても、制限ある生活やキツイ運動はなかなか続けられない。日常に組み込むためにはどうしたらよいか。

 1つは運動を処方すること。苦いけれども薬を飲めば風邪が治るのと同じ理屈。つらいけれども続ければ健康になり体力も付くという処方。続けるにはモチベーションが必要だが、それは運動の成果が常に見えることである。もう1つは、運動を「楽しむ」という意識改革である。7キロ歩けと言われたら絶対に拒否する人でも、ボールを追っていたら知らぬ間に7キロ以上歩いてしまうというのがゴルフである。本書は1編ごとに著者が違うが、その道の専門家である。

 私が特に興味を持ったのは1.6からだの硬さ・柔らかさ――柔軟性のところで示されている「ストレッチングによる柔軟性向上が健康を保持増進する」という一節。

 ストレッチングは運動強度も高くなく、ジョギングやレジスタンス運動のような他の様式の運動に比べて、習慣化することが比較的容易であるだけでなく、他の運動様式に劣らず、むしろ優れる効果が明らかになっている。

関節の可動域が向上し、歩行速度をはじめとする各種歩行パラメータが改善するだけでなく、体の柔軟性が血管の硬さと関係することを明らかにした研究もある。即ち、ストレッチが血管を柔らかくすることが出来るか否かの研究もおこなわれていて、習慣的なストレッチの実施によって筋肉や結合組織が伸ばされて共に柔らかくなったのではないかと考えられている。

そしてもう一つのメカニズムとして、血管の硬さが血管の筋の緊張度によってコントロールされていて、筋の緊張度を変化させる自律神経系における交感神経の活動が習慣的なストレッチの実施によって適度に刺激され、結果的に交感神経の活動の低下、ひいては血管の筋の緊張度の低下によって血管が柔らかくなったと考えられている。ストレッチが動脈硬化症の予防改善のための運動様式として推奨される日が近いかもしれない、という箇所。血圧高めの私には大きな動機付けになった。

                            (恵比寿っさん 2020120日)

氷川清話 勝 海舟/江藤淳・松浦玲編(講談社学術文庫 本体1,250円)

 本書は、講談社版勝海舟全集21「氷川清話」を基礎にした文庫版として2000年に刊行され、17年までに43刷を重ねる。編者 松浦玲は、流布本「氷川清話」の編者 吉本襄が海舟の真意を「歪曲」するなど「けしからぬふるまい」に及んだ個所や動機を徹底的に究明したとしている。

 内容の、「1 履歴と体験」は、若い頃の貧乏ぶりや安政2年以降の長崎伝習所時代、咸臨丸での渡米、明治元年の江戸開城にかけての冒険談である。その間、「おれは今日までに、都合20回ほど敵の襲撃に遇った。現に足に1ヶ所、頭に1ヶ所、脇腹に1ヶ所の傷が残って居るヨ」と語る。

そんなエピソードの1つが文久33月のある夜、京都寺町の通りで3人の暴漢に襲われた。付いていた岡田以蔵、通称人切り以蔵が海舟の前に出て、斬り込んできた敵の1人を長刀で真っ二つに斬った。後の2人は逃げた。後日、海舟が以蔵に向かって「君は人を殺すことを嗜んではいけない」と説教したら、以蔵が「あの時私がいなかったら先生の首は既に飛んでしまって居ませう」と言った。

 「2.人物評論」は、日本のみならず、中国、フィリピン等の同時代人から故人、歴史上の人物にまでおよぶ人物評である。海舟が「恐ろしい人物二人」として挙げるのは、西郷隆盛と横井小楠。

 西郷についての白眉は明治元年3月の江戸開城談判である。約束の田町・薩摩藩蔵屋敷に出向いた海舟も偉いが、談判の折りの「終始座を正して手を膝の上に置き、少しも戦勝の威光でもって、敗軍の将を軽蔑するというやうな風が見えなかった」。その西郷に海舟は感心する。「西郷はおれのいう事を一々信用してくれ、その間、一点の疑念も挟まなかった」。最後に、「いろいろむつかしい議論もありませうが、私が一身にかけて御引受けします」という西郷の一言で無血開城が決し、「江戸百万の生霊も、その生命と財産とを保つことが出来、また徳川氏もその滅亡を免れたのだ」。

 辛口評論されたのは桂小五郎、後の木戸孝充。「西郷などに比べると、非常に小さい。しかし綿密な男サ。使ひ所によりては、ずいぶん使える奴だった。あまり用心しすぎるので、とても大きな事には向かないがノー」と言っている。

 「3.政治今昔談」は、海舟の生涯76年の前半45年は徳川時代、後半の31年は明治時代である。その海舟が明治の30年を過ごしたところで、この明治よりも徳川時代の方が民衆は幸せだったかもしれないと言いはじめた。たとえば足尾鉱毒事件での民衆弾圧を批判する。

 「4.時事数十言」は、ストレートな時局談である。日清戦争については、「おれは大反対だったよ。なぜかって、兄弟喧嘩だもの犬も食わないじゃないか」と言い、「おれなどは維新前から日清韓三国合縦の策を主唱して、支那朝鮮の海軍は日本が引き受くる事を計画したものサ」と言っている。

 「5.勇気と胆力」は、海舟が数えで74歳、明治29年正月の“新春放談”である。発句の披露、和漢書の勉強、剣と禅の修行で後年の動乱期を乗り切る勇気と胆力を身につけた来し方を一気にしゃべるが、「おれは一体、文字が嫌いだ」と言い、「本当に修業したのは、剣術ばかりだ」と言う。

 「6.文芸と歴史」は、露伴など明治の作家評、馬琴、京伝、種彦などの戯作者評、そして蜀山人などを始め多くの文人が語られる。各人の出自や経歴や仕事を豊富に語る一方で、「理屈を書いたものを読むと肝癪に障るから、ただ人情本や、古書などを読んでいるヨ」と言う。

 「7.世人百態」は、警句の百態だ。明治30年に、栗本鋤雲、向山黄村、陸奥宗光、後藤象二郎らの旧知が立て続けに死んだ直後、「人間の事業など実に浅はかなもので-」などと語る。

 「8.維新後30年」は、「30年の間は目の玉を黒くして政府を監視すべしと約束したが⋯⋯モウ来年が30年だよ」と、東京奠都(てんと)30年祭を前にして、西郷や大久保の功績を、改めて回顧する。

 勝海舟の魅力は、歯に衣着せず語る辛辣な人物評や痛烈な時局批判である。彼は、幕藩体制が瓦解に向かう激動の時代に生きて、数々の難局に手腕を発揮し、江戸城を無血開城に導いて江戸を守った。本書は、勝海舟の人と成り、人間臭さや豪快さに溢れる一書である。

                             (山勘 2020121日)

 ジョン・マンと呼ばれた男漂流民中浜万次郎の生涯/宮永孝(集英社 19941月 本体1,800円)

 Web検索をしたら「動乱の幕末、アメリカ漂流の中で新しい運命を見出したジョン万次郎の軌跡を海外取材と新史料で追体験する本」とのPRに惹かれて読み始めた。読みだすと看板に偽りなく、すぐさま本に引き込まれた。本書は万次郎の遭難から渡米まで、アメリカ滞在中の生活、帰国後の活躍の三部に大別される。

 本書は土佐の漁村で生まれた当時14歳の万次郎が乗り組んだ、7人乗り漁船の遭難から始まる。やっと無人の小島に上陸したものの飢餓に苦しみ、「岩間より雨の落ちるを掬い取りて飲みけれども、一両日にてこの水もなくなり、いよいよ水にうえ、草の葉を揉みてその汁を吸い、折々は小便を飲みしとなり」と古文書に記された惨状であった。一同が死を覚悟したとき偶然通りかかったアメリカの捕鯨船に救助され、万次郎は親切な船長の計らいにより捕鯨船の母港の町で教育を受けることになった。無学文盲の万次郎は教育の第一歩として船長からアルまずファベットの手ほどきを受ける。

 捕鯨船がマサチューセッツ州の母港に戻ると、万次郎は船長の友人や親戚の家に寄宿し、学校に通った。たちまち小学校の過程を終え。た万次郎は中学校に進学させてもらい短い間に首席で卒業した。卒業後は船長の友人の捕鯨船に乗ったり、サンフランシスコで砂金採掘をして帰国費用を貯めた。遭難以来10年を経た万次郎は上海行の船に便乗し、帰国の途に就いた。途中サンフランシスコで遭難した仲間二人と合流し、日本上陸用の小舟を建造する。便乗した船が琉球諸島に近付いたとき、この小舟で三人は無事上陸した。だが故郷に帰る前に長い取り調べがあった。当時日本はまだ鎖国下にあり、帰国者が邪教に染まっていないか心配したのである。

 この頃時代は幕末、幕府や諸藩は外国語のできる人材を探していた。故郷の村に帰り着き休養できたのは僅か三昼夜。すぐに登城せよとの命を受け士分に取り立てられた。役目は外国語と西洋事情の講義である。万次郎の講義を聴いた塾生の中には後藤象二郎、岩崎弥太郎、坂本竜馬など新生日本で活躍した人物が多い。中浜という姓を与えられ侍になった万次郎だが、殿様から拝領した刀が差せず、手にぶら下げて歩いていたとの逸話が残っている。

 幕府は伊豆韮山の代官、江川英龍に蒸気船建造を命じたがが、細かいことは誰も知らない。江川代官は早速万次郎に協力を求めたが、土佐藩は貴重な人材の他藩への貸し出しを拒んだ。そこで幕府は万次郎を幕臣に取り立てるという異例の抜擢を行った。万次郎の知識は当時の日本にとってかくも貴重なものであった。ただ惜しむらくは当時の日本には、外国にいた者をスパイと疑ったり、万次郎の昇進を妬む者がいたことである。そのため万次郎の折角の知識が活用されなかったり、外国との交渉の場から遠ざけられることがしばしばあった。残念ながらこのような国民性は今でも残っているのではないか。その後、万次郎は薩摩藩に招聘され開成所教授として活躍したが、晩年は忘れ去られ73歳で没した。

 私は以前からジョン万次郎の名は知ってはいたが、本書に出会うまで、「貧しい漁村で少年が漁に出て遭難し、偶然出会ったアメリカの捕鯨船に拾われ、親切な船長の下で教育を受け、青年となって故郷に帰る話」と理解していた。本書を読み、これは万次郎の非凡な才能によるものと分かった。巻末の膨大な参考文献を見ると、著者は実に膨大な資料を読み、万次郎の生涯を復元したことがわかる。まさに万次郎の少年期から晩年まで一緒に暮らしているような感触を覚える。日本とアメリカの架け橋、ジョン万次郎をこの世に蘇らせた著者にお礼を申し上げたい。

                             (狸吉 2020123日)

 エッセイ 

ゴーン被告の「正義」!?

 やはりこうなった。日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告の海外逃亡が、新年早々の大ニュースとなった。どうやらゴーン被告の保釈は間違いだったようだ。これまでの言動からして、人間的に信のおけないところが多々見られたご仁だった。同被告の海外逃避を察知できなかった“辣腕弁護士”も大恥をかいたが、パスポートの秘匿を見逃していた地検も情けない。

 ニュースの第一報からは、同氏を受け入れたレバノンの現地当局は同氏の入国を「合法的」と見ているようだ。東京地裁が「保釈取り消し」で再逮捕に踏み切って身柄の送還を求めてもレバノン側は応じそうにない。ゴーン被告は、「渡航禁止」を破って、「航空機内の木箱に隠れて出国した」(読売新聞11)らしい。

 ゴーン被告は、卑屈な逃亡劇を演じながら、レバノン入りした途端に声明文を発表し自らの正統性を高言している。同被告は、その声明文の中で、「私は正義からではなく、不正と政治的迫害から逃れたのだ」と言い、「ようやくメディアと自由なコミュニケーションができる。来週からできることを楽しみにしている」と言ったらしい(同上紙)。要するにゴーン被告の言い分は、「正義」から逃げ出したわけではない」、「不正」と「政治的迫害」から逃れたのである、というのだ。

 つまり、ゴーン被告を裁こうとしている、会社法(特別背任罪)などを定めた日本の法律を正義ではない、不正であると言っているのである。国語辞典で、「正義」とは「正しい道理」であり、「不正」は「正しくないこと・さま」である。「正義」は「道理」であり、「不正」は「行為」である。法律的には、会社法は、実定法ないし人定法と呼ばれる人為的に作られた社会や組織などのルールである。これは、自然法と呼ばれる刑法・商法など人間の本性や事物の道理に基づく法と対比される概念である。

 ともあれ、ゴーン被告の言い分では、日本の法律は道理に反し、東京地検の逮捕劇は不正だということになる。ちなみに、ゴーン被告の会社法違反容疑と木箱逃亡には「正義」があり「不正」はないということになる。「政治的迫害」にいたっては、安倍内閣か、特定政党か、どんな政治家が迫害したのか、意味不明である。

 この逃亡劇で思ったのは、古い話を引き合いに出すようだが、哲学の祖 ソクラテスの言葉とされる「悪法もまた法なり」である。この法格言には、ソクラテス発言説への疑義や、ラテン語では「悪法」ではなく「厳しい法」だとかいろいろな解釈があるものの、多くの日本人が肯定?している“日本語の格言”であることは間違いない。

 木箱に隠れて飛行機逃亡を行い、木箱から出た途端に「正義」を振りかざす同被告の言い分に正義や道理を感じる人間はいない。「悪法も法なり」として弟子たちによる脱獄の誘いを拒否し、獄中服毒死したソクラテスとは大違いである。同被告は潔く日本の法廷で裁きを受ける、日本としては無理にでも日本の裁きを受けさせるのが正義であり道理であろう。

                             (山勘 2020121日)