例会報告
第92回「ノホホンの会」報告

2019930日(月)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:山勘、致智望、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問)

毎年8月は夏休みとしているので、皆さん2か月ぶりの例会でしたが、今回は狸吉さんも参加で、久しぶりに全員集合の賑やかな会になりました。つつがなく元気に集まれるだけでも、喜ばしいことです。次回もいっそうの談論風発を期待しています。なお、山勘さんのネットエッセイ「山本五十六は名将か?」は、次回に発表をお願いします。

(今月の書感)
縮小ニッポンの衝撃」(致智望)/①プラスチック・フリー生活②プラスチックの現実と未来へのアイデア」(ジョンレノ・ホツマ)/チャップリンとヒトラー―メディアとイメージの世界大戦」(狸吉)

(ネットエッセイ)
日本人は「やめる練習」がたりてない」(恵比寿っさん)/「歴史と戦略」(山
勘)


  (事務局)

 書 感

 
チャップリンとヒトラー─メディアとイメージの世界大戦/大野裕之(岩波書店2015年6月 本体2,200円)

 本書は映画史上に残るチャップリンの名作「独裁者」をめぐる、チャップリンとヒトラーの戦いを、著者が集めた膨大な資料を基に、ドキュメンタリー風に記述したものである。「独裁者」の今日の評価から見ると、映画製作中や公開後にチャップリンが浴びた批判や反対運動は嘘のようだ。本書は「独裁者」製作途上のチャップリンの迷いや考え方の変化など、微に入り細に渡って記述しているが、映画そのものを見ていない読者にはいささか退屈かもしれない。よってこの書感では、通読して記憶に残った要点を紹介したい。

 まず驚いたのは、チャップリンとヒトラーは,わずか4日違いで生まれ,同じちょび髭がシンボルとされ、二人共20世紀に発明された「マスメディア」を効果的に利用したことである。ある意味似たもの同士が、同じ舞台で同じ武器を手にして戦ったのだ。ヒトラーは演説と恐怖によって世界征服を目指し、チャップリンはそれを笑い飛ばすことで打ち勝った。ヒトラーはドイツ国民の支持を得ていたのに対し、チャップリンは身内からの批判にもめげず一個人として戦ったのだから、人間としてより大きな存在ではなかろうか。

 チャップリンもヒトラーも当初フランスの英雄ナポレオンを強く意識していたが、後にナポレオンから離れて行った。ヒトラーはナポレオンを崇拝していたが権力を得るに従い、自分がナポレオンを乗り越えることを意識するようになった。そしてフランスに敗れたドイツ国民は、自分たちの英雄ヒトラーを熱狂的に歓迎した。一方チャップリンはナポレオンを題材にした大作の準備を進めていたが、ヒトラーの台頭を見て直ちにその危険性に気付き、ナポレオンをヒトラーに変えた映画製作を考えた。

 そんなある日チャップリン映画の配給会社ユナイテッド・アーティスツから、ヒトラーとチャップリンが二人ともちょび髭で知られていることを利用し、二人の立場がひょんなことから入れ替わるというプロットが提案された。チャップリンは、これは一人二役を演じるよい案だと気付き、そのとき進行していたナポレオンを主役にした撮影済みフィルムを破棄し、ヒトラーを茶化した「独裁者」の製作に着手した。因みに独裁者試写版が完成するまでに費やしたフィルムはその40倍以上に当たる。

 当然のことながら「独裁者」の製作はナチスの猛烈な妨害に会った。ドイツと同盟関係にあったイタリアは無論のこと、映画市場の縮小を恐れる配給会社からも製作中止や内容変更の圧力が掛かった。チャップリンは圧力に屈せず映画製作を進めたが、ラストシーンを如何にするかで悩んだ。その結果いく通りものラストシーンが撮影され、ヒトラーに扮したユダヤ人の床屋の演説が採用された。この演説がヒトラーの激怒を招く恐れから、撮影所のスタッフからも修正要求が出たが、これもチャップリンは敢然として断った。この演説シーンは、何とヒトラーがパリに入城した翌日に撮影されたのだ!

 すでに戦争は始まっていたが、ドイツとその同盟国以外で「独裁者」が公開されると、マスコミは批判的な姿勢であったが、笑いに飢えた一般大衆に大歓迎された。アメリカでのプレミア公開以来連日上映館が満席を続ける状況を見て、それまで批判的であったマスコミの態度も180度変ってきた。ヒトラーはこの映画によって完全に打ちのめされた。映像の力を最大限に利用しただけに、この映画の恐ろしさがよく分かったのであろう。以後人前に出ることも演説をすることも極端に少なくなった。チャップリンはヒトラーの恐怖による支配に、笑いの力で勝利したのである。

 ヒトラーに勝利したチャップリンはまた新たな試練に見舞われた。戦争終結後世界は東西二つに分かれ、両者の間で冷戦が始まった。そしてチャップリンは祖国アメリカ政府から共産党のシンパと疑われたのだ。チャップリンを攻撃するため事件を捏造し、被告人として裁判を起こした。そしてチャップリンが新作映画「ライムライト」の発表会のためロンドンに出発すると、「再入国を認めず」と国外追放にしてしまった。祖国から締め出されたチャップリンはスイスに居を構えた。やがて冷戦は終わりチャップリンは再評価されたが、再びアメリカを訪れたのは出国して20年後、ハリウッドで特別賞を受けるときであった。

 本書を読了してまず感じたのは、チャップリンに対する著者の深い思い入れである。末尾に掲載された膨大な引用文献、映画「独裁者」の配役一覧、映画の中のヒンケルのデタラメドイツ語演説の日本語訳、どれをとっても多大の時間を要した筈である。私もチャップリンが強制収容所や東西冷戦を予言したと知り、彼は単なる喜劇役者ではなく、未来を見通す思想家であったと感じた。本書はいずれチャップリン研究者にとって貴重な文献となるであろう。
                                               (狸吉 2019年9月25日

 エッセイ 
温暖化対策に原発再開

 政治家が政策を構築する時、そこには支えるブレーンが居て、専門分野の意見を具申する組織の構図が出来ていて、その専門家集団の一つに経団連がある。その経団連は、日本経済を立ち上げ、実績を持った立派な人材集団と考えられるが、実際は大企業の経営者として自社の実績、所属業界の実積を積んだ人達から構成されている。

 地球温暖化は、国際的な重大問題であり、国ごとにその目標値を定めている。その実現手法として、経団連は原発再開以外に方法は無いと主張している。

 それに対比する意見を持つ団体に、原発は絶対ダメと言う信念の小泉純一郎率いる「原発ゼロ自然エネルギー推進連盟」と言う団体もある。政府に対してどっちが「力」を発揮するのか。

 原発に良いイメージを持たないのが、一般庶民の感情であろう。だからと言って、原発は永遠に止めるべきと言う意見に対して、それが正しいと言う結論は、誰も出せないと思う。

 対する一方の経団連の会長は、日立製作所の会長でもあり、この実態からみる限り、経団連のご意見は、「臭い」と言わざるを得ないが、これにも一考を要する要素はある。

 再生エネルギーは、今のところ未熟な技術状況であり、実用には遠いい実態で勇足である、これを以て政策化するのは無理がある。原発も未熟であることに違いは無い、ならば、命に差しさわりの無い再生エネルギーの実用化に専念すべしと言うのが一般庶民感情であろう。

 経団連のゴリ押し姿勢は、強者の驕りが見え見え、庶民感覚を解っていない、解ろうとしない。原発もいろいろな経験を積んで安全になっているのかも知れないが、実態以上に悪印象が浮かぶのは、庶民感覚を理解しない関係者の驕りであり、賛同も得にくいであろう。

 原発に必要な濃縮ウランは、核兵器に欠かせない材料であり、技術でもある。原子炉に使用するウランは、即刻、核兵器に転用できると言う。今の為政者には、魅力に満ちた選択肢であろうことは理解に難く無い。

為政者を選ぶのは、我々庶民である。この一件を採っても、庶民の無責任感覚を強く意識するのであるが、投票率が50%に満たない庶民の感覚が為政者を無責任する原点と思うのである。
丸山穂高などと言う議員が生まれるこの世情を総括すると、意外にその責任は親の世代にあるかも知れない。
 
(致智望 2019年7月17日)

 ル・マン24時間を制覇

 ル・マン24時間レースをトヨタ・ハイブリッド車が制したことは、極めて高い偉業を達成したことになる。ここで培った最先端技術は、当然市販車へ反映されるものであり、ものづくり事業にとって、重要な事件と考える。

 ハイブリッド車は、燃費の改善と言うテーマが突出し、その面での貢献度を立派に果たしている。そのトヨタのハイブリッド車は、燃費を求める大衆車向けと高トルクを求める高級に分けた量産車種に商品化されている。

 その最高級車が、レクサスブランドのLSモデルであった。先般、その車種がモデルチェンジされ、更に大型化になったのでこれを機会に、高齢に伴う運転機会の減少と駐車スペースのことから、位下のクラウンに乗り換えた。

 クラウンの車種には、3500CC 6気筒の高級車種があるが、これにはハイブリッドは搭載されていないし、四駆車の設定も無いので、購入を見送らざるをえなかった。

 これには、納得し難いトヨタの販売戦略を感じ取るのである。私の選択した車種が、燃費重視の大衆車種と高トルクを求める高級車の中間に存在するもので、従来からの販売方針で有れば、最高級者車の3500CC車にハイブリットがと四駆が搭載されていたはずなのだ。トヨタは、何故過去に無かった中間品質車に新しい戦略技術車を設定したか。

 今般の購入に際し、止む無くこの実験的車種に乗り換えてしまった。私は乗せられたとの意識を強く感じるのである。結果は、求める動力性能が発揮されず中途半端な性能に後悔している。

 考えてみるとトヨタは、ハイブリッドの搭載車種について、燃費を追う車種とハイトルクを求める車種の市場調査を実験的に行っていると思うのである。ハイブリッドの実力を知り尽くし、経営的効果を市場で実験していると考えるのであるが、トヨタと言う会社は、将来の自動車市場を見抜いて、われわれを実験材料にしている、この余裕は憎いが流石と思うしかない。

 最近ではヨーロッパ車が、ハイブリッドを積極的に取り入れている。トヨタが一部特許を開放したこともあるが、対するヨーロッパメーカーは簡易型と称し、ブレーキによる再生エネルギー装置を省略してコストダウンを図り、簡易型ハイブリッドと称するエンジンを搭載し、低コストを宣伝している。トヨタの戦略の及ばないエリアを狙ったと思われる。

 熾烈な市場戦略競走は理解出来るが、トヨタと言う会社は頼もしいながらも、我々を実験材料にして市場戦略を図り、その結果を海外戦略に用いると考えると、何か割り切れないものを感じてしまう。

(致智望 2019年7月17日)

 日韓関係の改善は不可能か

 とげとげしい時代になってきた。「自国第一」のトランプ米国、覇権主義中国の香港政策、かたくな韓国の対日姿勢などにみるように、欧米でもアジアでも自国第一主義の主張がめだち、利害の相反する国同士の関係が急速に悪化してきた。

 4年前に、「蔓延する“不寛容”」のテーマでエッセイを書いたことがある。そこでは、度を越した不寛容な主張をする韓国は本当に民主主義国家の一員なのか。韓国以外の非民主主義国家、北朝鮮、中国など、もともと不寛容な国家の不寛容な態度もますますその度合いを強めている、と書いた。

 目下の韓国で言えば、これまでの、慰安婦財団の解散、元徴用工への賠償問題、海上自衛隊機への韓国海軍によるレーダー照射事件など、一方的な言い分で日本の発言に耳を貸さなかった韓国が、思いもよらなかった日本による半導体関連材料の対韓輸出規制に驚き、あわてて米国に仲裁を頼み込んでいる。

 思うに、国家の約束を平気で反故にし、驚くべき理屈を言い募る韓国には、他の「自国第一」主義とは違う民族的な特性なのかもしれない。その韓国民族の特性を顕著に具現してみせるのが現・文大統領ではないだろうか。

 常に思うことだが、10人のうち左右両極に立つ2人の意見が対立する場合は、中の8人が協議して結論を出すのが民主主義だ。その両極に立つ2人が3人4人と増えて行く状態が不寛容の蔓延する姿だ。不寛容は両極端の人間が持つ特徴的な属性だが、韓国の場合は、不寛容が民族的な属性かとさえ思えてくる。

 国語辞典によれば、まず「寛容」とは、「心が広く、人を受け入れ、過ちを許すこと」である。したがって、人間関係でも国家間でも寛容に過ぎれば相手に何の“作用”も及ぼすことがないことになり、逆に不寛容は強い“作用”を及ぼすことになる。となると、円満な国際関係を保つためには、常に寛容と不寛容の間で解を求める精神・矜持が求められよう。

 たまたま先月(6月)実施された読売新聞と韓国日報の共同意識調査では、韓国側で自らの政治思想を「進歩(左派)」と答えたのは25%、「保守」は24%、「中道」は42%だった。「進歩」は反日、「保守」は親日と考えてよいだろう。また、明るい材料は、29歳以下の若年層で、相手国に「親しみを感じる」が、日韓ともに4割台に達したということだ。

 となれば、この「中道」42%の韓国国民と「若者」に、日韓関係改善の期待をつなぐしかないのではないか。そこにターゲットを絞り、SNSなどネットを活用して日本の現実と主張を組織的に粘り強く発信する工夫をすべきではないか。

また、韓国の若者には、歴史教育ですり込まれた侵略国家日本のイメージと、現実に見たり聞いたりして知る日本への親しみの意識が「二重構造」になっているのではないか。だとすれば、その意識の混乱を解消する辛抱強い工夫も必要ではないか。

(山勘 2019年7月18日)

 PC不要の時代

 ZAURUSというPDA(携帯情報端末:Personal Digital Assistant)が世の中に出て、しばらくするとこの改良型がパソコン通信に対応できた。

 パソコン通信はINTERNETとは違い、その概念が生まれる前のことである。しかし、電話回線を使って(今でいうメールの)テキスト通信が可能になった。

 ZAURUSはPDAとしては優れもので「目の付け所が違う」(このコマーシャルはずっと後で使われた)という、SHARPの先見性があって何世代にも亘って愛用してきた(最終世代はなんとHDを内蔵!)。

 カレンダー機能、名刺管理(住所録、電話帳)、メモ帳(手書き入力可能)、辞書、電卓など各社が特徴あるアイディアを盛り込んだ形で商品化されたが、私が使ったZAURUSが最終期までPDAの主流だった。

 PDAでも一部にカメラ機能を持っているものもあったが、ZAURUSにはそれがなく、あればいいな、電話もできればいいな!!と思ったが、携帯電話が普及してきていて、1つの端末で、これらの事務機能とカメラ、電話の機能を備えたツールの登場を願ってきたら、iPhoneが希望を満足してくれた。って、私はiPhoneを使ったことないですが。

 そうこうしているうちに、若者にスマホが普及してきて、新卒社員にはPCの取り扱い方から教育が必要と言われる時代になってしまった。

 人間の欲望は限りがないのか、スマホが普及してくると、今度は「PC機能をスマホ」でやりたいと思うようになっていた。

 新しもの好きの恵比寿(えべ)っさんと家族からは揶揄される時があるか、私自身はかなり真剣に考えている。

 先日、事務所PCの自宅からの遠隔操作が効かなくないというピンチ。スマホからそのPCにアクセスしたら繋がった。しかし、PCはPCなので、キーボード操作が必要。画面は出てきても操作ができない!!というピンチが続いた。

1年位前に買ったスマホ用の折り畳み式キーボード(これはスマホを使ってreal timeで議事録が作れないかと試しに買ったもの)があったことを思い出し登場願った。キーボードをスマホにつなげるのに少し手間取ったがつながった!操作はタッチ式(スマホのそれ)でポインターを動かし、キーボードで行うということであれば、スマホでできるということ。市場に出回る小型キーボードにはマウスも一体でスマホとはBluetoothやWiFiでつながるものもある。

スマホのアプリとしてOFFICEが用意されているので、PCがなくてもスマホで仕事ができるという素晴らしい時代が到来している。

 18年10月には中国のROYOLEが世界初のフォルダブルのスマホを発売した。SAMSUNGでもHUAWEIでもないところが面白いですね。折りたためばスマホ、広げればタブレット端末という二刀流だ。

 広げてタブレットで使えば、ソフトキーボードを使って十分にビジネスの書類を作成できるということです!! 出張先までPCを持ち歩かなくてもスマホ1台で何でもできるという夢のような時代の到来です。

早くフォルダブルの本格的な登場を期待している一人です。しかし、HUAWEIやSAMSUNGは使いたくないね。やはりSONYで早くやってくれないかなと願う毎日です(笑)。

(恵比寿っさん 2019年7月18日)

 ホツマエッセイ 赤いオーロラと檜扇(ヒオウギ)

 ホツマツタヱ勉強会向けの参考資料から抜粋したものです。

 「オーロラの日本史 古典籍・古文書にみる記録 岩崎清美 片岡龍峰 著 平凡社」2019年3月発行より、古代の日本で赤いオーロラが見られていることを知りました。

 私が知っていた北極地で天空に雄大に動くオーロラとは違い、日没後に地平線や山の稜線から立ちのぼる「赤気」(せっき)と呼ばれてきたオーロラの存在を知りました。

 黒みがかった赤色で幾筋にも白い光が現れ、遠くの火事のように見えたと言うことです。

 赤気は強烈な印象を与え、表現としては、「火柱のような気」、「布を引くように立つ」、「鯣(するめ)の鎗の形」、「天の赤色は扇の骨のように筋立ち」、「扇の地紙のごとく赤く、骨のごとく白き筋うち交じり」と言った記述が数多く残っています。

 江戸時代にも各地で赤気というオーロラが見られ、特に明和7年(1770年)7月28日のオーロラは日本各地で見られており、詳細な絵が描かれていました。
 
 秋田県の方で、赤いオーロラを見た方がいるということを聞き、昭和33年(1958年)2月に東北各地で目視されていたことを知りました。
 現在では、この赤く見えるオーロラのことを「低緯度オーロラ」と呼ぶようです。

 本書表紙のオーロラの絵をみて、古代の日本人もこのオーロラを見ていれば、ホツマツタヱの中にもこのオーロラのことをどこかに示しているはずと思ったと同時に、「ひあふぎ」と「千剣(ちつるぎ)」の二つの言葉が、この赤色のオーロラのことを言っているのではないかと直感しました。

最初の一つは「ぬばたま」の花・「ひあふぎ」(檜扇)という言葉についてです。
赤いオーロラのことを言っていると仮定すると意味が明確になるような気がしました。

「ぬばたま」(黒色)の花は、暗闇から太陽が昇るように、「からすば」(からす扇)の花は赤く、日の出が注しこんでいるように見えました。

 夜の暗闇の中に赤く輝く「ぬばたま」の神の力で、稲穂が豊作になり喜びにあふれました。
真っ赤に昇る新年の日の出と共に誕生された若き日の御霊は、澄んだ青空のように、青い珠のようで、日暮れになっても、太陽が「ぬばたま」(檜扇の実)のようにまっ黒になって輝き続けています。

 また、枕詞の説明の中に、「ぬばたま」(檜扇の黒い実)は、「夜」にかかり、「ぬばたまの夜」という歌枕は、「さめてあかるき」という明るい夜明け、暁、日の出を迎えるという前言葉になります。ここで、「さめてあかるき」とは、赤いオーロラが現れたことを言っていたのではないかと思えました。
もう一つは、「千剣(ちつるぎ)」です。
 
 「いそぎね」(「にしきいりひこ」で後の景行天皇のお兄さん)は、宇治の川上(「うちみ」の「み」は、かみの宮の「み」)で、千本(ち)の剣を作りました。

 この千本もの剣のことを「あかはだとも」と名付けたとあり、「あ」は天地の天、「か」は光、善悪の善を表す、「はだか」は、「かまはだとべ」のように天にも届く絶世の美人から、「とも」は剣を携えるいみに取れます。

 天空に浮かんだ赤いオーロラが、剣を千本並べたような壮大さをイメージし、「あかはだかとも」の表現に隠されているような気がしました。
 いずれにせよ、紀元200年頃にこのような大量の剣を作ったことに驚きます。

(ジョンレノ・ホツマ 2019年7月18日)