例会報告
第88回「ノホホンの会」報告
 

 2019年4月24日(水)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:狸吉、致智望、山勘、恵比寿っさん、本屋学問)


 山勘さんが風邪も直って2か月ぶりに元気に出席でしたが、今回はジョンレノ・ホツマさんが掃除のし過ぎ?で肩を痛めて急遽欠席となりました。でも、皆さん大したことなくて良かったですね。韓国問題、宇宙とビッグホール、日本経済の行く末…と、毎回ホットなディスカッションが本会の真骨頂です。来月も変わらぬ談論風発を期待します。

 なお、ジョンレノ・ホツマさんの書感「女はバカ、男はもっとバカ」は、5月例会で紹介をお願いします。


(今月の書感)

 「この命、義に捧ぐ」(本屋学問)/「宇宙はどこまでわかっているのか」(恵比寿っさん)/「元号問題の本質」(狸吉)/「女はバカ、男はもっとバカ」(ジョンレノ・ホツマ)


(今月のネットエッセイ)

 「国際問題ニュースの深読み」(致智望)/「良い子 悪い子 普通の子」(山勘)/「玉虫色の韓国勝訴に疑義」(山勘)


  
(事務局)

 書 感
この命、義に捧ぐ─台湾を救った陸軍中将 根本博の奇跡/門田隆将(角川文庫 本体680円 2013年)

 根本博陸軍中将は最後の北支那方面軍、駐蒙軍司令官で、1945年8月15日以降も内蒙古の在留日本人4万人をソ連軍から守るため武装解除を拒否、激戦の末に蒋介石率いる国府軍の庇護の下、日本軍将兵や在留民間人約40万人を無事帰国させるのに奔走した。彼はその最後の船で帰国するが、中国での蒋介石と国府軍に限りない恩義を感じ、その後「義には義をもって返す」という崇高な精神を身を以て実践した、日本の将官には珍しい誠実で気骨のある人物である。

 本書は、終戦直後の混乱の時代に命を捨てることを厭わず「義」のために生きた1人の日本人と、国境を越えてそれを支えた人々の知られざる物語である。そして同時に、数多くの日台関係者を丹念に取材し、現地にも赴いて見事な史実に昇華させた著者の渾身の作品であり、最初の出版時にすぐれた人文科学書に与えられる第19回山本七平賞(2010年)に輝いている。

 戦争終結後も中国大陸では、毛沢東の共産党軍と蒋介石の国民党(国府)軍が激しい内戦を繰り広げていたが、1949年になると国府軍は次第に共産軍に押され始め、敗北に敗北を重ねて台湾への撤退を余儀なくされる。このとき、劣勢を挽回するために台湾人らが援助を要請してきたのが、あろうことかかつての敵であった根本博である。

 実は蒋介石や部下たちは日本留学時代はもちろん、中国大陸でも根本とは旧知の間柄で、蒋介石は終戦後すぐに北京で根本と会い、天皇制存続など日本の国体問題を始め、日本軍や在留日本人の帰国方法について話し合ったという。根本は複数の国府軍幹部とも面識があり、1年という短期間に合計100万人以上の日本人が帰国できた背景には、蒋介石始め国民党と根本らとの強い信頼関係そして相互の並々ならぬ苦労があった。多くの日本人をシベリアに連行したスターリンとは違い、蒋介石らの恩義を根本は決して忘れていなかったのである。

 「東亜修好会」は、かつての台湾総督明石元二郎の長男で貴族院議員も務めた元長が、戦後台湾や東南アジアの若者を支援するためにつくった団体であるが、同会を通じて台湾側からの要請を受けた元長始め会員たちは直ちに船や案内人、通訳などを準備し、快諾した根本は元部下ら約10人とともに台湾に渡った。しかし、最初は何の手違いか密航者と間違えられて現地の警察に捕まるが、「台湾を助けに来た日本人がいる」という話が国府軍上層部に伝わり、「根本博」の名を聞いた将軍たち、さらに蒋介石が根本と涙の再会を果たすのである。

 根本らは軍事顧問として国府軍を指導、アメリカ製軽戦車を駆使した的確な判断と作戦によって、国府軍にとって最前線であり生命線ともいえる金門島を死守することに成功する。もしこのとき、大陸との距離わずか2kmというまさに指呼の間にある金門島を奪われていたら、あるいは今日の台湾は存在しなかったかもしれない。根本は、激しい戦闘の最中も現地の住民の生命を第一に考えたといわれ、そのことがさらに彼への崇敬を呼ぶ結果になった。

 金門戦争を戦っていた根本らの行動を最初に報じたのは、アメリカのシカゴ・トリビューン紙の東京特派員である。GHQ(連合軍総司令部)のコメントを紹介しながら、アメリカはすでに日本人が国民政府軍に参加していることを認めていた。しかし、軍人への反感が強かった戦後の世相を反映して、日本のマスコミや政府は決して好意的ではなかった。

 1952年6月、根本は羽田空港に降り立ち、3年ぶりに故国の土を踏んだ。本書にそのときの写真があるが、グレーのパナマ帽に白い麻の上着、ヨレヨレのネクタイを結んで手には釣竿を持っている。記者たちの質問に、根本は飄然としたスタイルそのままにこう答えた。

 「蒋介石さんが窮地に追い込まれて大変なときに、恩だけ受けて何も知らないというわけにはいかない。ご恩返しをするのは今だ。だから、命がけで台湾に行った。具体的な計画があったわけではない。もし蒋総統がいけなかったら、自分も一緒に屍を並べて、日本人として感謝の気持を伝えたかっただけだ」。

 根本が台湾滞在中に起こった朝鮮戦争は、結果的に台湾情勢を安定させた。アメリカ海軍第7艦隊が朝鮮半島と台湾本島の監視と擁護のために派遣され、軍事バランスが大きく変わった。中国も北朝鮮も簡単に手出しができなくなったからである。

 根本らを台湾に送る計画に腐心した明石元長はその心労が祟ったのか、彼らを送り出して九州から帰宅した直後に42歳の若さで急死する。帰国後それを知った根本は、東京・新宿の明石の家を訪れて仏壇に手を合わせた。長男・元紹(もとつぐ)は大学生だったが、母の態度で大事な客であることを感じた。「残念なことでございました」という根本の野太い声と、父の死を心底悔やむような眼鏡の奥の瞳が印象的だったと語っている。
 根本は台湾から帰国した後は好きな酒を飲み、軍人仲間と語らう悠々自適の生活を送っていたが、1966年5月、心臓病が悪化して妻や娘、孫たちに見守られて74年の激動の生涯を閉じた。「戦争に敗けたのだから、三条河原で首を刎ねられてもそれでいい」といっていた根本にとって、望外の幸せな死にかただったかもしれないと著者は書いている。

 根本が帰国するとき、蒋介石は1つの花瓶を贈った。その花瓶は、1947年イギリスのエリザベス王女の成婚に際して祝いの品として焼いた3対の花瓶の1つで、1対はイギリス王室に、1対は日本の皇室に、残った1対は自分の執務室に置いて大切にしていた。蒋介石はその片方を根本に渡すとき、「これはあなたと私がいつも一緒にいるということです。お互いを忘れないために、これを贈ります」といった。命を賭して台湾を救いに来てくれた根本に対する、蒋介石の最高の「真心」と「礼」だった。

 2009年10月、台湾国防部は金門島で「古寧頭戦役60周年記念式典」を開催、著者は明石元二郎の孫でもある元紹、根本と金門戦争に参加した通訳の吉村是二の長男・勝行とともに参列したが、台北から来た日本の特派員たちは、明石らの参列の意味をほとんど理解していなかったという。

 式典の後、場所を移して開催された追悼式で、著者たちは軍の世話役から突然墓石の最前列に並ぶよう指示された。「あなた方の強い決意と犠牲がなければ、その後の台湾の発展はなかった」と追悼の言葉を述べた当時の馬英九台湾総統が、くるりと振り返ると著者らのほうに歩いてきた。そして、周囲が慌てるなか明石元紹の手をしっかりと握り、眼を見据えて「台湾にようこそ」と日本語で語りかけ、吉村勝行にも同じように手を差し伸べて言葉をかけたのである。馬総統の行動は、明石と吉村の存在を知ったうえで彼らの父親への深い感謝の気持が表現されていた。

 初めて本書のタイトルを目にしたとき、何とも大仰な表現にやや違和感を覚えたが、読み進むうちにそれが決して誇張ではなく、真に心を打つ内容になっていることを知った。「壮絶な生と死のドラマが展開された60年前の戦争、それは中国人だけのものではなかった。公式の記録にはないが、日本人の物語も確かに存在した」。本書はこう結んでいるが、日本と台湾が“国交断絶”後も変わらぬ厚い友情で結ばれている理由が少しわかったような気がした。

(本屋学問 2019年4月9日)
宇宙はどこまでわかっているのか/小谷太郎(幻冬舎新書 2019年1月 800円)
著者は博士(理学)。専門は宇宙物理学と観測装置開発。1976年、東京都生まれ。東京大学理学部物理学科卒業。理化学研究所、NASAゴダード宇宙飛行センター、東京工業大学、早稲田大学などの研究員を経て国際基督教大学ほかで教鞭を執るかたわら、科学のおもしろさを一般に広く伝える著作活動を展開している。
『言ってはいけない宇宙論』『理系あるある』『図解 見れば見るほど面白い「くらべる」雑学』、訳書『ゾンビ対数学』など著書多数。

はじめに
第1章 惑星探査
     お隣の恒星に惑星を発見
     土星探索機カッシーニのグランドフィナーレ
     「地球外生命」発見計画  月の砂漠に水があった
     孤独な人類は火星をあきらめきれない
     小惑星イトカワの塵が伝える太陽系の歴史

第2章 宇宙はどんな姿なのか
     ブラックホールはいずれ、すべての星を飲み込む
     ダークマターのしっぽをつかまえた? 宇宙を記述する「第3の重力革命」
     超新星爆発の瞬間を捉えた100万分の1の偶然 金・銀・プラチナはどこからやってきたのか?
     ホーキング博士は腰が抜けるほどすごかった 30年ぶりにニュートリノ天体が見つかった

第3章 重力波検出
     重力波がLIGOを揺らし、宇宙業界は揺れに揺れた LIGOがノーベル物理学賞を受賞
     重力波観測で原子核がわかってくる

第4章 喜びと悲しみの「ひとみ」
     30年来の期待を乗せた日本のX線天文衛星「ひとみ」に何が起きたのか
     遺されたデータが天文学に与えるインパクト

第5章 科学はどこまでわかっているのか
     初の日本生まれ元素「ニホニウム」 物理学業界が沸き立った「熱機関の限界」
     未解決問題「ABC予想」が証明されたようだ 21世紀は分子生物学の時代だ!

  2月投稿の「僕たちは宇宙のことぜんぜんわからない」よりはまともな書のように感じたので手にした次第。
 前書が分からないことの羅列としたら、本書は分かってきたことの羅列と言えます。

 重力波の観測で2017年ノーベル賞となった重力波(の検出)は、ブラックホール本体から放射された直接証拠。

 ブラックホールの実在が直接証明された。太陽質量の29倍と36倍のブラックホールが合体し62倍のブラックホールになったというもので、消えた3個分の質量は重力波となって地球まで届き、直接観測できた。

 観測(2015年9月14日)からノーベル賞まで2年というのはこれまでの最短で、如何にこの観測が衝撃的だったかを物語っている。因みにこの報告論文には著者が1013人いるそうだ。尤もLIGO(米国のレーザー干渉型重力波検出装置)は建設開始から本格稼働まで21年かかったそうだから、受賞までには長年月を要したことには変わりないかも、ですね。なお、これは原子核理論にも大きな影響を与えるんだそうです。

 もう一つ(宇宙じゃないが)、熱機関のパワーと効率の関係として我々の知るところはカルノー効率が熱機関の理想効率でそれ以上は効率を上げられないと承知しているものの、如何にカルノー効率に近づけるかが熱機関開発者の目標であったが、実はそこまで効率を上げると意図したパワーは出ない(カルノー効率の約半分くらいが最大のパワーを実現できる)ということを日本の学者(慶大・東大・学習院大)が理論的に証明したそうです。

 即ち、熱機関のパワーには限界があり、効率を高めるとパワーが下がってしまうという(パワーと効率を同時に上げることは不可能)新たな法則を発見したというものです。これって騒がれましたか?!

 更に嬉しく読んだのは、未解決問題「ABC予想」が日本人数学者によって証明されたようだ。京大の望月教授によるもので、コツコツと自前のHPに記載してきたもので、論文としては何と600ページで、数学者もこの論文の解読に苦しむくらい高度なもののようだ。なので、学術誌の査読者も難渋したようで、掲載は決まったものの未だ掲載はされていないとのこと。日本人の活躍に何だか嬉しくなりますね。

(恵比寿っさん 2019年4月15日)

元号問題の本質/永原慶二・松島栄一編(白石書店1979年 1,700円)

 昭和初期に生まれた私にとって、昭和という元号は水や空気と同じ自然な存在だった。それが昭和の終わりに天皇が崩御すると、皇太子が即位し平成の世に変わった。このときもまだ「元号は天皇と一体なのだな」と納得しただけで、それ以上深くは考えなかった。ところが今回は天皇の自発的退位、皇太子の即位、それに伴う改元と俄かに慌しくなり、「さて元号って一体何だ?」と考えるようになった。

 まず手始めに近所の図書館の在庫リストを検索してみると、元号を扱った書籍が何と40冊も出てきた! その中から表題を見て選んだのが本書である。編者の一橋大学の永原教授と東京都立大の松島助教授(いずれも当時)で、筆者選定の見識は十分であろう。執筆者は編者を含め13人で、元号について様々な角度から考察を加えている。内容は第1部で9人が主に法的な観点から、第2部で6人が教育的見地から考察している。最後の第3部「資料」では、元号の問題点を集めているのが興味深い。

 本書を紐解くとまず編者の永原教授が「元号問題を考える視点」で、元号法制化の不当性を歴史学者の立場から論じている。教授によれば、「元号は漢の武帝がBC140年に即位の際『建元』元年と定めたことに始まり、日本はこれを真似して『大化』と定めた。その後『法的根拠の無い慣習』となって元号制は続いたが、昭和54年に法制化され今日に至った。元号を使うのは天皇の支配に服することであり、国民はこの重大な事実を説明されることなく、なし崩し的に法制化されてしまった」と批判するのである。教授は「天皇制ファシズムの台頭」を危惧しているようだ。戦中の軍国教育を覚えている我々世代には教授の心配が共感できる。

 元号については新憲法発布直後から、「元号制は単なる慣習であって何ら法的根拠が無い。国民主権の現在、元号制を廃止し西暦に統一すべし」との意見があったとのこと。また「西暦に一本化」の声は講和条約の前に一段と高まった由。元号をめぐる論議はまだまだ続くが、総体的に本書は元号制度反対の色が濃いようだ。しかし、これだけ多くの有識者が元号制の問題点を指摘している今日、一度国会でしっかり論議し、必要ならば国民投票を行なうべきではないか。新しい年号に変わる現在、一読に値する書である。

 なお、本書はすでに絶版となっているが、古書市場では比較的多く流通している。さらに付け加えると、「元号が変わると恐慌と戦争がやってくる?!」という本が出たが、20世紀末に流行った「ノストラダムスの大予言」の感がある。しかし、昨今の政治や社会の右傾化や米中の突っ張りあいを見ると、日本が戦争の真っ只中にいる日が突然来るかも知れぬ。

(狸吉 2019年4月18日

女はバカ、男はもっとバカ  /藤田紘一郎(三五館 2015年5月発行)

 
著者は、1939年、旧満州ハルビン生まれ。東京医科歯科大学名誉教授。
本書では、昆虫や動物の生態を通じて人間の男女間に当てはめて面白おかしく説明してます。

 たとえば、クジャクやオナガドリのオスが、派手な羽根飾りを着けているのは「メスにモテるため」であり、メスを交尾に誘い込むためで、メスも相手を見てじっくり選んでいる。 

 オスのヒツジは同性の仲間と頭突きをして、メスに自分の強さをアピールする。
カエルのオスは大きな声で鳴けば鳴くほど交尾の成功率があがると言われている。

 嫉妬するメス、あきらめるオスの項では、ウズラのメスはラブラブのオスメスを見せられると、メスは攻めるが、オスだとすねてしまう。

 メスは冷酷なまでの合理性を持ち、オスはマヌケなまでの必死さを持っていた。どちらも命をつなぐことに知恵を絞り様々な駆け引きを行っていた。というのが「女がバカ」なら「オトコはもっとバカ」というのが結論のようです。

 著者は、面白おかしいタイトルで引き付けておいて、表題の横には、「われら人類、絶滅の途上にて」とあり、目次の前には、家畜化する現代人はどこへ行く?と著者の本当に言いたい本題に引き込んでいきます。

 その背景には、自分の体内に飼っていたサナダムシが今の日本で消滅したことを身近に感じ取っているからだと思いました。

 著者は、人問の家畜化とは、みんなが同一規格化してしまっており、多様性を失い、絶滅の危機に陥ったとき、あっという間に種が死に絶えることを暗示していると思考しています。

 この家畜化現象を脱出するための前提として、著者は、なぜこの世は生きづらくなったか、自問しています。

 狩猟採集社会から農耕社会に移行した結果、平等はなくなり、貧富の差が出てきて、男女の役割も大きく変化した。文明は、便利さ、快適さを達成した。日本人はその文明のなかにどっぷりと浸り、ひたすら豊かさを享受してきた。しかし、心や身体を少しずつ蝕んでいった。

 環境汚染によって、ダイオキシンのような環境ホルモンが放出され、男性の女性化、ストレスや活性酸素を多くあびる生活で、男性も女性も非常に弱い生き物になった。男女ともども性欲を失い、子供を産もうとする意欲が無くなり、そのストレスのためか異性間のトラブルも増えてきた。

その結果、現代人が作り上げた文明が自らを家畜化してしまった。

生物をメス化させる清潔志向について、
 抗菌社会が進み、若者の清潔志向は汗や尿まで毛嫌いするようになり、やがて老人や病人の体臭等も嫌うようになると考えられる。全ての食品はラップなどの過剰梱包が当たり前になり、ごみを増やす結果になっている。衛生面から考えられたこの過剰梱包が環境を悪化させている。これらの大半はゴミとなり焼却され、ダイオキシンなどの環境ホルモンが発生する。結果、人間のホルモンに異常をきたす結果になっている。

 環境ホルモンは、不必要な女性ホルモン作用を誘発し、本来の女性ホルモンの作用を阻害し、中でもタモキシフェンは抗エストロゲン作用で子宮内膜を肥大させ、性交痛や不妊症の原因にもなっている。男性が女性化している一因でもある。

 さらに、殺虫剤も環境を悪化させる物質であるが、あまりにも不用意に使われている。

 環境ホルモンは急激に人の健康を害するような毒性はないとしても、じわじわと私たちの身体を蝕んでいるのは確かです。

 精子減少の謎について、環境ホルモンの他に、食品添加物も精子の減少に関係していると言われている。今の平均的な日本人は、どんなに注意しても一日10グラムの食品添加物が自然に身体の中に入ってきます。これは一年で約4キログラム近い摂取量となる計算です。著者は、これらの食品添加物が、精子の減少を促していると考えている。ヨーロッパの国と比べて日本ほど多くの食品添加物が許可されている国はないと唖然としたことがあったことを覚えています。

 人類の長い歴史の中で共存してきた生き物が消えているということは、それだけ私たちの身体が住みづらくて生きていけない環境になっているのであり、身体の中でも環境破壊が起こっていることです。共生している腸内細菌や常在菌が住めなくなったら、人間も動物同様に絶滅する可能性が高い。そのなかで人間が作り上げてきた文明が自らを滅ぼしかねないところまで来ていると警告しています。

 過度の清潔志向が、身の廻りの細菌まで、追い出したことから、免疫力低下に導き、これまで人間には害を与えなかった細菌やウイルスにまで襲われるようになった。
 花粉症やアトピー、気管支ぜんそくのようなアレルギー性疾患は、昔の日本人には見られなかった。日本でのスギ花粉症の第一例は1963年栃木県日光市の成人で、それまで日本にスギ花粉症という言葉はなかった。

 小麦を食べて起こる食物アレルギーに多くの人が悩むようになったのも、ここ最近の約10年間のことです。昔の日本人は免疫力が高く、アレルギー性疾患には罹っていなかった。うつ病などの心の病気も最近急激に増えているが、これは腸内細菌の減少が関係していると思う。

 情報過多について、
 私たちが情報を得ることはとても大事なことです。真実を知ること、できごとを知ることによって自身の意識や行動が変わるから。しかし、今必要がない情報まで大量に得られるような、常に情報が更新されている状態では、思考が停止して想像力も麻痺してしまいます。人間が進化の過程の中、苦労して獲得した「想像力」という宝物を自ら捨ててしまうことは人類滅亡の近道になりかねないと著者は感じています。

 外的環境の変化に対応するために、多様性を確保する知恵。これらは、昆虫や動物からバカな行為、バカな存在こそが原初の生命の誕生から今日に至るまで連綿と命をつないできたことがわかった。
大物のバカはバカ正直、釣りバカ、読書バカ、火事場のバカ力といった、一つの物事を追求してのめり込み、損得かえりみず、結果はどうあれまずは行動に移すといった、好奇心、勇気、情熱あふれる人物。
巻末に、「大バカ検定」あなたのバカは人類滅亡を救えるか?

 大バカ検定協会 大バカ代表 藤田紘一郎 で締めていました。

(ジョンレノ・ホツマ 2019年4月18日)

 エッセイ 
国際問題ニュースの深読み

 
情報の一部は、プレジデント誌の大前研一のコラムから引用しています。

 韓国海軍の自衛隊機へのレーザー照射問題について、最近ではすっかり静かになり、気になっていたところです。先日、プレジデント誌に掲載された大前研一のコラムを見て、なるほど、報道関係者、政府関係者も静かに収束を期待する、その理由はこれかと納得。

 レーザー照射事件が起きた時、韓国軍は脱北者救出の作業中であったと言う。そこに自衛隊機が現れ余計な奴が来たと言うことでレーザーを照射し、事態をすり替えようとしたとのこと、何故か日本では報道されていない。

 その後、自衛隊は通信記録を開示し韓国の非道をただす行動に出た。そして、韓国側の反応の鈍さが報道される。しかし、この通信記録の内容は、日本では開示されていない。その内容が興味深いものとなっている、自衛隊は「ジス・イズ・ジャバニーズ・ネイビー」と呼びかけたと言う。日本にネイビーは無いはず、これが韓国軍に要らぬ刺激を誘発させたと言う。しかし、このことは「要らぬ刺激」で済む問題ではない、日本国憲法に無い筈の軍隊が何故公式発言として、自衛隊はこう叫ぶのか。為政者でなくとも我々庶民も自衛隊員に向かって、君たちは軍隊ではない、等と言えるであろうか、常日ごろの実態が白日に晒され憲法違反等と問題視されてはたまらない、こんな実態が韓国に舐められる原点と考えるのであるが如何だろう。

 吉田茂に始まる自民党は、国民を騙し続けてきたと言う。ロシア領土問題と平和条約につても深読みが必要だ。ロシアがポツダム宣言後に攻めて来たと言う嘘が有って領土問題と平和条約の問題解決を複雑にしていると言う。ロシアとの折衝は2島返還で、手打ちが出来れば最良で、それも難しいだろう、何しろ戦利品と思っているロシアである。沖縄返還時と同じように民政は日本に、軍政はロシアに、等と言われたらどうだろう。そこにロシア軍基地が出来ることなど考えても恐ろしいことだ。

 自民党の隠し事は、沖縄辺野古移転問題も同様で、真実を国民に話して無いことから起こると言う。米国は、沖縄の民政を日本に返還したのであって、軍政は米国に残される事実を国民に知らせていない。自民党の過去歴からくる災いもそろそろ限度で、早く処理したいのが安倍さんの本音なのだろう。元自民党の鳩山などは事実を知った上で、「少なくとも沖縄県外」などとあり得ない事を平気で発言する、それでも動じない自民党には、他にも何かがあるのだろうか。

 我々昭和初期の者も知らずにいる、知らされていない、この事実はこれから益々厄介になるのではないかと心配せざるを得ない。

 日本の正社員の年間実質労働時間は、2000H/年と言われており、この場合の1時間当たりの労働生産性は47.5ドル、これは先進7カ国で最も低いと言われており、働き方改革なるものが、政府主導で色々言われている。

 何故この様な問題が発生するのか、本質を知らない、知らぬ振りするのか、役人や政府関係者が解決できる問題ではないと確信している。なのに、法律を作って解決する等ピント外れと言うもの。政治家は、本質問題を理解し手を打つべきと考えるが、忖度を公式の場で平気で発言する副大臣や失言の限度を超える発言をする大臣など人間性の原点を疑われる様な為政者に何が出来るか、そもそも、「この働き方の文化を作ったのは誰か」を考えるべきである。

 企業会計上の問題で先般生命保険の話をした。それと同じ意味合いの問題が、またも発生する。リース物件について口出しする財務省、安倍総理の働き方、元気な企業育成を唱えても、役人とは足並み揃わず。税金取り立てを加速するのは、考え方がイージー過ぎませんかと言いたい。生産性を上げる原点を潰しにかかっては、頓珍漢な政策は、忖度根性のまる出しと言うもの、安倍総理の本心を理解していないのか、総理発言の裏読みか、役人根性はタックス・イーターの根性、中小企業経営は針のむしろそのものである。

 事業継承問題に理解を示さず、改善の重要性に気付くのが遅い、その犠牲になった私で有ります。今頃になって改善されても、元には戻れず過ぎてしまった事業継承問題。続く経営者の生命保険、今度はリース物件にメスと称し、外れたことを平気でやる役人。対して、税金の無駄遣いや役人の忖度根性にメスを入れない政治家、と考えると泥沼だ。

元をたださないから、企業経営者は自己防衛に専念せざるを得ない、自己防衛手段として内部留保に走る、設備投資をしない、その結果新興国に日本のお家芸の技術を持って行かれるのである。これでは、日本国沈没も時間の問題と考えるのである。

(致智望 2019年4月14日)

良い子 悪い子 普通の子

 
むかし“欽ちゃん”が言ったか、「良い子 悪い子 普通の子」という言葉が流行ったことがある。良い子を育てる道徳教育がいよいよ本格化する。すでに小学校では昨年から道徳が正式教化になっているが、今春からは中学校でも検定教科書を使うことになった。教員も文科省の学習指導要領に準拠して生徒を“善導”し、“デキ”を評価し、良い子 悪い子 普通の子を判定しなければならない。さぞかし頭の痛いことであろう。

 そもそも道徳とは何であろう。簡単にいえば人が守るべき基本的な習慣・ルールとでも言えようか。難しくなるが、広辞苑によると、道徳とは『「人のふみ行うべき道。ある社会で、その成員の社会に対する、あるいは成員相互間の行為の善悪を判断する基準として、一般に承認されている規範の総体。法律のような外面的強制力を伴うものでなく、個人の内面的な原理。今日では、自然や文化財や技術品など、事物に対する人間の在るべき態度もこれに含まれる。夏目漱石、断片「道徳は習慣だ。強者の都合よきものが道徳の形にあらはれる」ということになる。「強者の都合よきもの―」とは、公正を保つべき権威ある広辞苑としては、漱石を引き合いに出して一歩踏み込んだ“偏見”とも取れるが、マア当たっていないこともない。

 文科省による教科書検定と学習指導要領は、「善悪の判断、自律、自由と責任」「節度、節制」「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」など、20数項目の“徳目”について、すべて教科書に盛り込まなければならないという。おもしろい話が朝日新聞(3・27)にある。日本文教出版の1年教科書は、図書全体が「家族愛・家族生活の充実」の扱いが不適切だとの検定意見がついたという。具体例で、教材の話「おかあさんのつくったぼうし」では、物語の最後につけた子供たちへの発問で、「かぞくについておもっていること」という表現が問題になり、「だいすきなかぞくのためにがんばっていること」と修正し、検定をパスしたという。もう一つ、同社の3年生教科書では、「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」の扱いが不適切とされた。文科省は「一体として満たされていなかった」としながらも、不足部分を明らかに示していなかったので、同社は、「郷土を自慢する」という要素が足りなかったと推測し、「あなたの地いきには、昔からつたわるじまんしたいものがあるかな」などの記述を増やしたという。同じ“徳目”で、パン屋を和菓子屋に替えた例もあるという。

 道徳は、2年前にも教科書検定があったばかりなので変更が少なく、「手品師」「星野君の二塁打」など定番の読み物が多用されたという。「星野君の二塁打」については、以前「偉い人のいうことは聞け」という小文で、前文科次官の前川喜平氏がある講演会で語った「星野君の二塁打」の話を紹介した。つまり、今バッターボックスに立っている星野君の緊張、コーチのバント・サイン、一塁の俊足 岩田君、コースに来た絶好球、とっさの判断による星野君の一打で試合に勝って上の大会への出場権を得たものの、試合の後のミーティングで、勝つことよりもルールを守ることが大事だと諭され、星野君は次の試合への出場停止となる。この話はおかしいと前川氏は憤慨するのである。

 道徳教育の是非については、新聞各紙の“色分け”も例によって鮮明だ。画一化された道徳教科書を強く批判するのが朝日・毎日・東京新聞などである。いわく、道徳の押し付け、価値観の画一化、思想・信条の統制などへの批判だ。一方、読売・産経新聞などは道徳教育の必要性、規範意識や公共心を育む教育、教科書の有効活用を擁護する。

 しかし朝日・毎日・東京新聞も、ようやく本格化する道徳教育に対しては、批判や注文は付けているものの真っ向から反対しているわけではない。戦前の軍国主義に突進した「修身」などによる思想統制の悪夢が尾を引いている。だが、道徳は思想レベルの話ではない。江戸時代の子供の養育方針に「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文(ふみ)、十五理(ことわり)」があったという。理屈をこねる15歳の前に、3歳心、6歳躾の習得が欠けているところに深刻な問題がある。イジメや犯罪を犯す悪い子は論外だが、良い子悪い子普通の子がいて健全な子供社会ではないか。道徳教育の契機ともなったイジメの横行や世の中の乱れの根底に道徳観の喪失があることだけは確かであろう。「三つ心、六つ躾」を疎かにしておいて、小学生どころか中学生にまで“道徳”を教えなければならないところに、病んだ社会の深刻さがある。

(山勘 2019年4月21日)

 玉虫色の韓国勝訴に疑義

 こんなアホらしい判決があるだろうか。世界の自由貿易拡大を旗印に掲げる世界貿易機関(WTO)が、日本の海産物に対して不当な輸入制限を続ける韓国を擁護し、貿易拡大に水を差すような判決を出した。その理由が不可解だ。第一審で敗訴した韓国の上訴による第二審で、韓国の逆転勝訴の判決を出した理由は、どうやら日本の言い分が間違っていたというより、第一審で韓国の言い分を十分に聞かなかったから、だということらしい。

 4月12日のマスコミ各紙は一面トップで一斉に“WTO判決”を報じた。朝日新聞「日本の水産物禁輸容認 WTO上級審 韓国が逆転勝利」、読売新聞「水産物禁輸 日本敗訴 WTO確定へ 韓国、規制を継続」etc. ほかに大きなニュースがなかったせいもあろうが、いささか大げさすぎる扱いではあった。ただし重要なニュースであったことは確かで、日本は逆転敗訴に驚き、韓国は日本に勝った勝ったと大喜びの様子が報道された。

 第一審で敗れた韓国が、第二審で判決を逆転させたのは、東京電力福島第1原子力発電所事故の処理が終わっていない日本の現状を強く訴えたことが功を奏したらしいという。しかしわが国としては、菅義偉官房長官が記者会見で述べたように、第二審で、日本産食品は科学的に安全であり、韓国の安全基準を満たしているとの第一審の認定を維持しているとして、わが国が敗訴したとの指摘は当たらないとの認識を示した。河野太郎外相は「韓国に対して輸入制限措置の撤廃を要求するという立場に変わることはない」と話した。韓国側はこうした日本の態度?を、「強弁」「我田引水」「無礼な態度」と非難した。

 ところがWTO第二審は、(日本は)「現実の数値のみならず、土壌など周辺環境も含め将来にわたって改善すべきだ」との韓国の主張を組み込まずに結論づけた」第一審は、「法律の適用上欠陥があるので、(第一審の判決を)取り消す」とした。日本食品は安全だが将来の安全性に向かって改善すべきだから第一審判決を取り消すということらしい。ここから韓国の輸入制限が妥当だという結論を導き出せるのか。この理屈をすんなり分かる人がいるとは思えない。

 WTOの紛争処理手続きでは、「第一審」に当たるのが紛争処理小委員会(パネル)であり、「第二審」に当たるのが紛争解決機関上級委員会であり、上級委の報告書が最終判断とされ、当事国は更なる申し立てをすることができないとされる。

 WTOの紛争処理は、前身のGATT(ガット、関税貿易一般協定。1995年WTOに改組)より遥かに厳しいとされるが、実態はお寒い限りだ。新聞は報じないのだが、ウイキペディアによると、紛争解決機関上級委員会は定員が7名で、2019年4月1日現在3名しか在籍していないという。これは米国が再任や指名を拒んできたためで、実際の審理は3名(インド、米国、中国)で行っているようだ。そのうえ、3名のうち、法的な理由で審理への関与を控えなければならない委員が1人でも出た場合は、制度が崩壊する懸念があり、さらに、2019年12月には2名が欠員となって審議が不可能になる状況だという。

 それが事実だとすれば、WTOの紛争処理機構は空恐ろしい虚構機関である。河野外相がWTOの紛争処理手続きの改善を訴える根拠もここにあろう。ともあれ、この“事件”でも日本に負けたくない韓国に、日本人が嫌な気分にさせられる構図がまた繰り返されることになった。

(山勘 2019年4月21日)