例会報告

第94回「ノホホンの会」報告

2019年11月19日(火)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:狸吉、致智望、山勘、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問)

 

台風の被害に遭われた狸吉さん、突然の眼の病になられた致智望さん、ご両人とも今回は元気に出席され、久しぶりに全員集合の賑やかな会に戻りました。書感「ロボットからの倫理学入門」をめぐって、これからのAI(人工知能)はどうあるべきか議論が沸騰しました。おそらく結論は出ないでしょうが、熱く語り合うすることは大切です。

 

(今月の書感)

「日本への警告─米中朝鮮半島の激変から人とお金の動きを見抜く」(致智望)/「ロボットからの倫理学入門」(恵比寿っさん)/「ゲノム操作・遺伝子組み換え食品入門─「食卓の安全は守られるのか?」」(ジョンレノ・ホツマ)/「メートル法と日本の近代化」(山勘)/「潜行三千里」(山勘)

 

(今月のネットエッセイ)

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」(本屋学問)/「厚労省「パワハラ規制」の矛盾」(山勘)/

「床上浸水体験記」(狸吉)

 

  (事務局)

 書 感
日本への警告─米中朝鮮半島の激変から人とお金の動きを見抜く/ジム・ロジャーズ(講談社 本体900円)

 著者は、冒険投資家として知られる世界的富豪の一人であり、洗練された日本文化と観光地、そして新幹線、地下鉄、などのインフラ整備が、世界に類を見ない程に発展した日本が大好きと云う。

 その日本は、いま高齢化が進む社会状況を正確に理解しておらず、何らの手を打てていない。勤勉で有能な日本人と言われるが、これに反して、多額の借金を抱え、俊敏な動作が望めない状況にある。赤字公債を発行すれば、やがて高金利化が避けられずに、経済は益々悪循環化する。

 今10才の日本人が、40才になる頃に、この借金にカタが付いているとはとても考えらない、目も当てられない状態になっているはずで、日本の年金を払うなら、そのカネを中国やロシアあるいは韓国に投資すべきと言う。

 今のまま行くと、30年後は犯罪が頻発し、暴動、革命と言う状況は明らかだ。日本は別と考えるのが自然かも知れないが、歴史上から考えても、どこの国でも起きてきた社会現象であったと著者は言う。

 子供や孫に中国語を学ばせろ、自分の娘にはそうしているし、中国に移住することも考えている。中国の将来性は、中国の留学生と日本人の留学性の数が、その人口比以上に大きな差があることからも推察出来る。そのバイタリティーは、中国の歴史的国民性からも理解出来よう。自分はそのことを何年も前から見ているし、先見のある日本人も既に実践している多くの人がいる。
 日本の国力回復を考えるなら、日本は今オリンピック等、やるべきではない。今日本がやるべきことに付いて、著者の提案が具体的に挙げられている。

 日本人個々人が、みずからお金の使い道を考えられるような施策をとるべきで、日本政府は、国の支出を大胆に削減し、減税を実施して活力を高める施策が必要である。

 著者の提案として、農業の可能性に目を向けよと言う。数年ごとに担当者が変わる日本の官僚組織に任せると、やがては利権化がはびこり、行政はお金を使う事を目的化してしまう。この現象は、歴史上、何度も繰り返されている事実を直視すべし。支持率欲しさにいろいろな施策を試みる年老いた政治家、予算と天下とり欲しさに余計な仕事を創る官僚、政治家はみずから主導するのではなく、優れたビジネスマインドを持つ日本人に、その力を遺憾なく発揮できる環境を造ることに向けるべきだ。

 私が、オックスフォードで学んだ歴史学が生かされたのは、ウォール街の投資業界で働き始めてからのことであった。お金の動きが、歴史上でも繰り返されていた事に気が付いたのもそのときであった。以来、数十年に渡りアメリカ、ヨーロッパ、日本、中国などの歴史を学び、アメリカ、ヨーロッパから見た歴史だけでなく、アジアやアフリカから見た歴史などであった。それによって、日本と中国についても「世界」と言う三次元のパズルが完成したと言う。

 著者の言う旅すると言うことは、観光旅行では無く、予約、予定の無い、世界中どこでもバイクで回って歩くことである。
 ロシア人と中国人とは大きく違うと言う。中国人には永い歴史の中に起業家精神があり、多くの時代に商人階級が存在した。そして、華僑がその精神を継いで今に至っている。だが、ロシアには資本主義の伝統は殆ど無い、いまだに共産主義の制約から脱することが出来ないでいる。子供に中国語を学ばせる原点が此処にあると。

 最近は、アメリカ、中国、朝鮮半島に目が離せないと言う。それほど遠く無い時期に北朝鮮と韓国は一緒になるであろう。北朝鮮は、共産主義によって駄目になってしまったが、豊富な資源国であり、勤勉な国民性である。中国同様に共産主義に向かない国民性だと言う。南北朝鮮の統一は、遠く無い未来に必ず起きると言う。 その時のビジネスチャンスは、先ず観光であろう。いま24才の日本人が、日本で成功するのは難しい、南北統一の後を見据えて韓国で起業すれば成功する可能性があるから、韓国語の勉強をすべきと言う。

 著者は、具体的な成功手法に9項目をあげ、その根拠を説いている。ここでは全てを記すわけには行かないので、その9項目を列挙する事に留めたい。

一、 ひとの言うとおりにしてはいけない

二、 故郷にとどまるな

三、 結婚、出産を急ぐな

四、 自分の能力を過信するな

五、 情熱を無視するな

六、 お金のことを気にするな

七、 子供の情熱も尊重せよ

八、 お金に付いて学ぶことを怠るな

九、 何の為に稼ぐのかを忘れるな

 本書の終わり部分には、更に具体的テーマが述べられ、「これからの時代に勝つ」と言う章がある。この項も参考になるが、飛び過ぎる内容に理解が及ばないので、本書感では割愛する事にする。

                      (致智望 2019年10月12日)
 ロボットからの倫理学入門/久木田水生・神崎宣次・佐々木拓 著(名古屋大学出版会2017年 2月28日初版第1刷発行 本体2,200円)

 著者3人はいずれも京都大学大学院修了の博士(京大)。現在は順に名古屋大学大学院情報科学研究科准教授・南山大学外国語学部教授・金沢大学人間社会研究域人間科学系准教授。

はじめに
Ⅰ ロボットから倫理を考える
第1章 機械の中の道徳
第2章 葛藤するロボット
第3章 私のせいではない、ロボットのせいだ
第4章 この映画の撮影で虐待されたロボットはいません
Ⅱ ロボットの倫理を考える
第5章 AIと誠
第6章 壁にマイクあり障子にカメラあり
第7章 良いも悪いもリモコン次第?
第8章 はたらくロボット
あとがき 索引

 本書の狙いは2つあり、①倫理学に初めての人にロボットを通じて人間の倫理・道徳について考えてもらうこと、②ロボットやAIに携わる人々が、関連する倫理的問題について考える土台を提供することだ、と冒頭にあって戸惑いました。即ち、これは純然たる倫理学の本なのだ!

 総括すると、この本は「機械は道徳的存在になりうるか」という問題に取り組んでいるということ。なぜか。AI研究者やロボット工学者は「道徳的に考えふるまう機械」を開発しようとしているからである。こんな機械(ロボット)は鉄腕アトムであって、現実にはあり得ないと思っていたが間もなくそういう時代が来るということから、ここで道徳とは何かなど整理するという意味でも貴重な図書と言えると思う。

 本書では「道徳性とは何か」、「道徳的な機械は如何にして可能か」、或いは「そもそも機械は道徳的になりうるか」を問い、逆にこのようなロボットの開発は人間の道徳性についての理解を大いに前進させることになると著者は説いている。

 各章ごとに「おわりに」と「さらに理解を深めるために」(参考文献)があり、本格的にロボット時代の道徳について学べると言えるが、私には最も苦手な領域に踏み込んでしまった感あり。

初めて知った言葉の意味を羅列して逃げ出します。

 「記述倫理学」:社会でこれまで何が良い行いとされてきたかを探求するアプローチ。精神的な価値ではなく事実を扱う。

「規範倫理学」:何が良いことと考えられているかというよりも何が本当に良いことなのかを考えるアプローチ。

「メタ倫理学」:さらに踏み込んで「道徳的な良さ」や「義務」などの概念の本質は何なのかを論じるアプローチ。

 一般に、新たな技術が生まれると、市民がその技術の恩恵と危害が生じるくらいまで技術が普及すると、従来の倫理規範では対処できない問題が生じる。そのため、「応用倫理学」と俗称される下位分野では、生命倫理学、」医療倫理学、」「ケア倫理学」「技術倫理学」「情報倫理学」

「戦争倫理学」「環境倫理学」など多様な分野が生まれた。

私に言わせれば「ロボット倫理学」が必要な時代なのだ!!

                (恵比寿っさん 2019年11月17日)
ゲノム操作・遺伝子組み換え食品入門─「食卓の安全は守られるのか?」/天笠啓裕(緑風出版 2019年6月発行)

 最近、ゲノムという言葉を耳にするようになってきましたが、どういうものなのか、イマイチ理解できないでいました。

 遺伝子組み換え食品に関連して、新たな展開で、ゲノム編集という言葉も出てきており、詳細は何のことだか分からず、どういう状況なのか気になっていました。

 当初、青野由利著の「ゲノム編集の光と闇」という本に飛びついたものの、この分野をある程度理解していないと前に進めず、今の自分では解読に無理があると、後日改めて読み直すことにしました。今回、入門書とあった「ゲノム操作・遺伝子組み換え食品入門」天笠啓裕著を取り上げました。しかしながら、本書も読み通すのはやはり無理と、前半部分のみの書感となりました。さらに、同著者の類似のものを2016年に書感としていたことに後になって気が付きました。

 本書の表紙に、農水産物の遺伝子を切断して品種改良するゲノム操作食品という新しい遺伝子操作を用いた作物や食品の開発が進んでいる。日本政府は、ゲノム操作食品は組み換えに当たらないとして安全審査も食品表示もしない方針という。これでは、分からないうちに誰もが食べてしまうことになる。

 遺伝子組み換え、ゲノム操作とはどのようなもので、どんな危険性があるのか、現在の状況、対応策などをQ&A形式で解説。入門書、現在進行している状況を把握する本として最適と自賛されています。

1 遺伝子組み換え・ゲノム操作の基礎
2 遺伝子組み換え・ゲノム編集がもたらす環境への影響
3 ゲノム操作作物・食品
4 遺伝子組み換え・クローン・ゲノム編集動物
5 遺伝子組み換え・ゲノム操作食品の安全性
6 遺伝子組み換え・ゲノム操作食品の規制
とあり、小目次、56項目には耳にしたことのあるES細胞を始め、IPS細胞、など多岐に亘っています。

 特に最初に取り上げている内容は、基本の基本というか、倫理的なことは意に介していないように思えました。

Q1 遺伝子って何ですか?ゲノムって何ですか?について

 遺伝子の本体は、一部のウイルスを除いてDNA(デオキシリボ核酸)と呼ばれる。そのDNAはどの生物にも共通で、二本鎖でらせん構造。その鎖の上に4種類の塩基が並び、並び方で特定のアミノ酸に、そのアミノ酸がつながったものがタンパク質。そのタンパク質を作り出す単位を遺伝子という。人間には2億強の遺伝子がある。
 遺伝子は、タンパク質を作り出す役割と自己複製のコピー機能。一つの受精卵から30兆強もの細胞から成り立つ体を成形。
 もう一つの複製は、親から子へ、子から孫へというように世代を超えて受け継がれていくこと。その全てをゲノムという。
 遺伝子はDNAという化学物質だが、単なる物質ではなく「生命のもっとも基本にあって活動している単位」
 研究者は、化学物質であることを強調して、実験・開発を進めてきました。生命を物質として扱ってきた。このような生命の粗雑な扱い方に、遺伝子組み換えやゲノム操作の基本的な問題点があるといえる。

Q4 遺伝子組み換えはどのように行うのかの項目より

 遺伝子を切ったり繋げたりして目的の遺伝子に組み換えること。概念図を見てもよく分からず。これまでは、自然界には無かった生物ができます。生命の基本を操作するという、神の領域に人間が手をつけたことを意味します。このようなことは許されるのか。もし許されるとしたらどこまでの操作か。そのような線引きは、まだありません。安全性や倫理面での議論は、研究者や企業、政府関係者以外の人がかかわったことはほとんどない。一般市民・消費者は蚊帳の外。研究開発を推進したい人達によって、進められてきたし、現在もそのままである。

Q7 遺伝子組み換え食品の現状
①日本人が米国などの作付け国の人と並んで、世界で最も食べている。
②食品としての安全性に疑問がある。
③生態系(環境)に悪影響が出ている。
④多国籍企業による種子独占(食料支配)をもたらしている。

 遺伝子組み換え食品の作物として トウモロコシ、大豆、ナタネ、綿の4作物です。
いずれも大半が食用油か家畜の飼料。また、その油を使ったマヨネーズやマーガリンなどが作られ、あるいは醤油やコーンスターチなどの加工度の高い食品へ。またコーンスターチからはブドウ糖果糖液糖(果糖ブドウ糖液糖)といった異性化液糖、デキストリン、醸造用アルコールなど数多くの食材や食品添加物が作られている。食品添加物の中にはカラメル色素やキシリトールのようにトウモロコシを原料にしているものもある。トウモロコシのほとんどが米国からでほとんどが遺伝子組み換えとなる。それらの食品や添加物には表示がないため、遺伝子組み換え作物が使われていても知らずに食べている。食用油や油製品を始め表示義務のない食品があまりにも多いため。

 それに対して、豆腐や納豆、味噌などは食品に遺伝子組み換え大豆を使ったかどうかの表示義務があるため、メーカー積極的に遺伝子組み換えでない大豆を用いている。

表示だけを見ると遺伝子組み換え食品を食べていないように見えるが、多種類で多量の遺伝子組み換え食品を知らずに食べている。
 遺伝子組み換え微生物を用いて作られた食品添加物「調味料(アミノ酸等)」「ビタミンB?」も当たります。

 以前読んだある方の著書で日本酒はやめた方がよいという記述が引っかかっていました。純米酒を除く日本酒には醸造用アルコールが入っており、醸造用アルコールの多くは遺伝子組み換えされたものを警告していたものと分かり、今まで通り純米酒にこだわっていこうと思っています。

 遺伝子組み換え食品を避けるためとして、
1. トウモロコシ、大豆、ナタネ、綿の由来の食材を避ける。
加工食品の表示に、植物油脂、加工でんぷん、醤油、糖類、蛋白加水分解物、植物蛋白、調味料(アミノ酸等)などには遺伝子組み換えと表示されていない。
乳化剤、ショ―トニング、コーンフラワー、マーガリン、トランス脂肪酸なども。
2. 国産の野菜や穀物、魚を食べる
3. 有機であること。有機認証は遺伝子組み換え排除の原則がある。
4. 遺伝子組み換え食品を扱っていない店・生協や産直を利用。有機食材・自然食品を扱っている店を利用。

 加工食品は極力使用しないよう心がけています。例外として納豆、味噌、発酵バターなどは加工食品であっても発酵食品は別。有機のものを優先しています。

本書により、一部ではありますが食生活の在り方を再確認させていただきました。

                       (ジョンレノ。ホツマ 2019年11月18日)
メートル法と日本の近代化/吉田春雄(現代書館 本体1,800円)

 サブタイトルに「田中館愛橘と原敬が描いた未来」とある。オビに、大日本帝国憲法、そしてメートル法の黎明期。世界に追いつこうと日本の背中を押し続けた、二人の偉人がいた、とある。そして原敬の「世界に通じる新しい日本をつくるためには、それにふさわしい体制をもたなければならない。我らはそのための盟友になろう」という言葉がある。

 本書は、共に旧盛岡藩出身の物理学者・田中館愛橘と初の平民宰相・原敬が。日本を近代化すべく熱い友情を軸に奔走して、さまざまな度量衡が使われて混乱していた明治の日本を、メートル法に統一していく過程を感動的に描いている。

 著者は1944年岩手県生まれ、北海道大学卒、タケダ理研工業(現アドバンテスト)、産業技術総合研究所総括研究員等歴任。工学博士。

 メートル法の起源は、フランス革命初期に遡る。フランス革命で成立した国民公会(議会)は、1790年、フランス科学アカデミーによる新たな度量衡単位系の制定を決めた。これにより、それまでの権力者による恣意的な測り方を排し、科学的な根拠を持った普遍性のある「メートル法」と呼ばれる度量衡単位系ができた。
 田中館は明治11年、東京大学理学部物理学科一期生となって地球物理学を学ぶ過程で、即地点を表す単位系としてメートル法を学び、その合理性と普遍性を理解した。しかし当時の日本では、計量の単位系として尺貫法の他に、外国によって指導された軍事技術とともに入ってきた多様な単位系が混在していた。

 明治24年に改正された度量衡法でも、主たる単位系が尺貫法でありながらもヤード・ポンド法やメートル法、斤法なども認められていた。したがって日常生活はもとより、産業、軍事、学術、行政に至るまで煩雑な換算が必要になって混乱していた。
 田中館は、グラスゴー大学に留学する途中で船を降りてパリの公使館にいる藩校以来の友人原敬を訪ねて、国家として単位系をメートル法に統一すべきだとの考えを伝える。二人はその実現を目指す盟友として誓う。

そして田中館は東京帝国大学教授となり、原は外務次官となり、友として飲み明かす時もその話になるが、まだ度量衡法を改正するほどの力がなく、ささやかな運動は四面楚歌だった。やがて原が政友会を率いて内閣総理大臣となり、度量衡法改正のための委員会を設置する。そして大正10年(1921年)の帝国議会で改正審議が始まり、度量衡法単位系がメートル法主体に改正された。やがて田中館は万国度量衡会議常置委員としてメートル法の普及に尽力する。

 著者は戊辰戦争敗残により明治・大正時代は「白川以北一山百文」と揶揄されたこの時代に、メートル法を選択した二人の明晰な考え方と力量に敬意を払わずにはいられないと言っている。二人は、藩校の少年時代から大学に進み、日露戦争や欧州大戦という波乱の明治から大正時代を生きる。その中で陸海軍の度量衡体系を取り上げるなど、度量衡・メートル法という無機質のテーマを巡りながら、"南部弁"で熱く語り合う二人の人間が生き生きと描かれる。

                    (山勘 2019年11月18日
 潜行三千里/辻政信(毎日ワンズ本体 1,100円)

 辻は、明治35年石川県生まれ。昭和6年陸軍大学校卒業後、大本営参謀となる。ノモンハン事件、マレー作戦、ビルマ作戦などを指揮、「作戦の神様」とうたわれた。敗戦直後、連合軍支配下のタイを脱出し、日中連携を企図して数年間、東南アジアや中国大陸を潜行。その後、奇跡的帰国を果たし、昭和27年から連続4回衆議院議員に当選したが、昭和36年参議院議員として再び東南アジアに向かうとラオス付近で行方不明となった。消息を得ないまま現在に至る。

 本書は、敗戦前後の数年間の潜行記である。昭和16年夏、1年弱の激戦地ビルマから負傷した姿で小型機に乗り、今にもビルマの戦火が飛び火しそうな新任地のタイに向かうところから始まる。タイにおいては青年総理アバイオンとの信頼醸成やタイ軍警のアーツ少佐などと親交を結ぶ。ここから辻の本領発揮で敵味方に通じる多彩な人脈を活用し、新たな人間の縁を開拓しながら死線を越えて生き延び、戦後2年を経て帰国、佐世保の港で日本の地を踏むまでが描かれる。

 昭和20年8月15日、タイの軍令部地下室で将兵ともに敗戦の玉音放送を聞く。地に潜ることを決意、司令部の同意を得て、まずは日本人納骨堂の堂守り坊主に変身する。こうして軍服を僧衣に換え、次いで商人に化け、医者に化け、学者に化け、幾度となく虎口を脱し死線を越えてベトナムを経て中国にたどり着く。

 中国には、蒋介石主席率いる国民党の重慶政府があり、辻はそのルートを開拓して、宿願の日華合策プランを献策する。蒋主席の片腕、載笠将軍に謁見することが決まる。ところが、将軍が乗った出張先からの飛行機が墜落、将軍が死去した。これによって雲の上の人となっていた蒋主席と党幹部の連携が失われ蒋主席の運命まで狂わすことになる。辻は本書を通じて私腹を肥やす国民党幹部や軍・官・民の汚職や堕落、中国人の劣悪ぶりを克明に描いているが、それに比べて蒋主席と共に載笠将軍は清廉潔白であり、将軍亡き後、家族は糊口に窮したという。

 辻は、国民党軍統局の部局に席を与えられて、蒋主席への報告書作成を命じられ、一夜で意見書を作成する。要点は、日本の天皇の本質を理解してもらうこと、その上に日華百年の基礎を築き、新しい日本と勝った中国との合作を図り、四億の民と十億のアジアを領導して東洋平和の建設に進むべきだとするもの。「主席は全文を読まれ、感動された」と知らされたが、具体的な進展は見られなかった。それ以前も幾度となく国民党軍に戦略上の献策をしたが効果はなかった。

 汪兆銘率いる親日政権の南京政府が滅んだ後、蒋介石・重慶政府の敵は共産党・北京政府だった。終戦直後に来華した米国のマーシャル元帥が国共両党を妥協させて近代的民主主義の新中国をつくろうとしたが失敗。辻はそれを当然だと見た。そもそも孫文の辛亥革命を近代的民主主義革命だと見たのが誤算。これは満州朝廷に代わる孫文朝廷の建設を狙った政治革命だったとする。その後を受けて蒋介石が古い軍閥を打倒したのも軍権と政権を一手に握るためだったという。共産党が全中国を統一しようとしているのもそれで、マルクス主義の社会革命ではないという。さらに辻は、中国4千年の歴史は、権勢を争う集団・個人の理念なき闘争史だとする。

 そして辻は、腐敗堕落した国民党政権は間もなく共産党政権に敗れると予測した。共産党軍が勝つ要因は、組織力、宣伝力、規律という革命遂行の三大要素を備えているからだといった。また毛沢東の言葉、「人員、兵器、衣食の補充源は前線にあり」を引用する。前線とは支援する農村・農民であり、寝返ったり敗れて武器・食料を捨てて逃げる国民党軍陣地のことであろう。

辻政信は、戦犯容疑のほとぼりが冷めるまで逃げたとも見えるが、信念の東洋平和を願って潜行したとも見える。あるいはその両方の狙いがあったのかもしれない。なによりも時局を分析する慧眼と先見性が光ることは確かである。

           (山勘 2019年11月18日)
 エッセイ 
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
2020年から大学入学共通テストで採用されるはずだった「英語民間試験」が、保護者や高校、大学の反対で当分延期されることになったという。具体的なことはよくわからないが、英語の採点にTOEICなど民間英語教育機関で取得した検定資格を加味するという基準が、そうした機関を利用する余裕のない家庭の子供たちに不利で経済格差や地域格差を広げるといった意見が、文部科学省の方針を変えさせたらしい。日本語という世界に誇る言語があるのに、どうして英語を国民に押し付けるのか。

明治初期、初代文部大臣を務めた森有礼は、あろうことか英語を日本の国語にすることを提案した。欧米に留学経験を持つ彼ならではのひとつの見識だったが、ヨーロッパ留学中だった森鴎外やイギリス留学の経験がある自由民権運動家の馬場辰猪らは、この突拍子もない考えを猛烈に批判した。

鴎外は、日本には言文一致体を提唱した山田美妙がいるではないかと日本語の高度な言語性を訴え、馬場は、当時ロシア帝国では皇帝や貴族はフランス語を、一般庶民はロシア語を話していたことを例に挙げて、国民全体が新たに英語を学ぶことは事実上不可能で、結果として国民の間にロシアのような格差と差別が生まれるという意見が良識層を動かし、結局そうならなかったことは、日本という国家と文化の伝統を守ったという点で本当に幸運だった。

ある大きな国際会議に出た著名企業トップの知人の話である。彼はもちろん、英語でジョークがいえるほど語学に堪能でコンプレックスなどない。会議を終えて夜になり、ビジネスを離れてワイングラスを傾けながら互いの文化の話になった。もうオペラは十分聴いたというヨーロッパ人のエグゼクティブが、パリかどこかで鑑賞したという日本の能楽の話を始めた。

そのエグゼクティブは能楽に相当興味があるとみえ、ギリシャ悲劇との違いや「サロメ」や「エレクトラ」といった深刻なオペラとの対比を語り、日本人であるその知人が当然能も知っているはずとしきりに聞いてくる。しかし、実は彼はまったくの門外漢で、能楽の基礎知識もなく歴史的背景も演目も説明のしようがない。このときほど自分の無教養さと言語の無力さを痛感したことはなかったと述懐していた。たとえ英語が話せても、伝える中身がなければどうしようもないのである。

英語民間試験の場合も、150年経っても歴史に学ばない森有礼と同じような馬鹿大臣がいるとは驚きだが、現代には森鴎外や馬場辰猪のような賢者は一向に見当たらず、いってみれば低次元のもっと切実な現実が文科省の愚かな方針を変更させたといえる。しかし、何はともあれ少しはまともな方向に落ち着いた。

IOC(国際オリンピック委員会)が、約8か月後に迫った東京オリンピックのマラソン競技などを、酷暑が予想される東京ではなく少しは涼しそうな札幌で行なうことに決めたというニュースが話題になっている。例年猛暑が続く7、8月の東京でオリンピックを開催すること自体無理な話だが、IOC、JOC始めスポーツ馬鹿の関係者たちは、暑さ対策以外何も考えていなかったらしい。

それを真剣に検討せざるを得なくなったのが、2019年9月に中東カタールのドーハで開催された世界陸上競技選手権大会である。日中は40℃、日没後でも30℃という環境のなかでマラソンなどに棄権者や体調不良者が続出し、ここで初めて関係者たちは、あまり暑いと競技する選手が大変だということを知ったのである。まったく想像力に欠けた「愚者」という外はない。当事者には気の毒だが、心底笑わずにはいられない話である。

スポーツ馬鹿はこのように愚者だから、当然経験にしか学べない。今度の東京オリンピックで不幸にして選手が何人か亡くなって初めて、アジアでは真夏にオリンピックをしてはいけないとその憲章に書き加えるのだろう。いや、金儲けしか頭にない腐り切ったIOC理事会は、暑さに強い選手をつくる強化施設の建設にまたぞろスポンサーを募って資金集めをするかもしれない。

今回の東京オリンピックの開催時期は、アメリカのスポーツ中継スケジュールを避けて決めたものだという。IOCが得る放映権料収入は莫大でアメリカの放送局が支払う分はその40%ともいわれ、今や商業主義第一のオリンピックは過去の時代の徒花である。もうこんな無駄なイベントは即刻止めて、その分のエネルギーを他の健全な競技大会に振り向け、真の「アスリート・ファースト」を実現すべきである。
                   
          (本屋学問 2019年11月2日)
厚労省「パワハラ規制」の矛盾
 やはりお役所の考えることはよく分からない。このところ、続けてお役所仕事に"半畳"を入れてきた。まず、日本人の国語力が落ちてきたという文化庁による「国語調査」、続いて文科省による高校国語教科書の"再編"案、そして今回は、厚労省による"パワハラ・マニュアル"作成の話だ。3つの共通項は「言葉」だ。言葉の解釈や定義だ。お役所は案外ヒマなのかもしれない。

 パワハラ関連では、厚労省はこれまでもいろいろな調査研究を行っているが、今度は、企業や組織においてどういう言動がパワーハラスメントに当たるのかを具体的に例示して、職場でのパワハラ防止策の指針を示そうというものだ。
 まずパワハラの6類型をみると、①暴行・障害、②脅迫・名誉棄損・侮蔑・ひどい暴言、③隔離・仲間はずし・無視、④不要な業務や遂行不可能な業務の強制、⑤程度の低い仕事を命じたり仕事をやらせないこと、⑥私的なことに過度に立ち入ること、となっている。

 一方で、パワハラとは見なさないという例示がある。例えば「誤ってぶつかったり、物をぶつけてケガをさせること」はパワハラではないという。これでは上記①「暴行・障害」とバッティングするのではないか。詳細には引用しないが、②の「ひどい暴言」も、「再三注意してもなおらない時」や「問題行動を起こした時」は許されることになっている。

 余談だが、②のなかの「名誉棄損」で思い出すのは、若いころ賭けに負けて「名誉挽回」と叫んだら、友人に「お前、名誉があったのか」とやられたことがある(正しくは「汚名返上」か「名誉回復」だろう)。それにしても、「名誉棄損」でパワハラを受けるエライ人間が会社の中にいるのだろか。

 話を戻すと、パワハラとは見なさない例では、「新規労働者や処分を受けた労働者を個室で研修させること」はパワハラではないという。この条件に合うヤツで上記③をやってやりたい目障りなヤツがいたら個室でみっちり"研修"させられる。また、「業務上の必要性から多い業務をやらせること」はOKだ。そうなると、④をやってやりたいヤツがいたら、「業務上の必要性」で命じることができる。また「経営上の理由から簡易な仕事をやらせること」もOKだ。そうなると、⑤をやってやりたいヤツには、「経営上の理由」で、会社を辞めたくなるほどイヤになる簡単な仕事をさせられる。

 最後に、「労働者への配慮を目的として家族の状況などをヒアリングすること」もOKだ。これでは⑥をやりたいヤツには「労働者への配慮」を建前に、「お前のためを思って聞いているんだ」としつこく聞けることになる。ということでせっかくの「パワハラ6類型」すべてに疑義が出てくることになり、パワハラ人間の言いわけに使われる恐れがあろう。

 厚労省による難しいパワハラ定義もあるが、それを"暗唱"したり、パワハラ・マニュアルを睨みながらの言動では情けない。基本は「常識」だ。実際の職場では、上司・部下、先輩・後輩、同僚間、男性・女性、などの間で、強みを発揮したり弱み隠したりしながら多様な人間模様が展開される。

 今どきは、新聞等に幼い「人生相談」を寄せる情けない"大人"が増えているが、「触らぬ神に祟りなし」と決め込むか「人間として」コトに体当たりするか、その両極の間でもがきながら常識の範囲内でやっていくのが人間関係ではないか。今回の厚労省「パワハラ規制」は、労働省 労働政策審議会のエライ先生方が頭をひねっているのだろうが、残念ながら矛盾をはらんでいる。なにより、お役所によるパワハラ指導は、ほどほどに願ったほうがいいのではないか。

    (山勘 2019年11月7日)
床上浸水体験記

 先月の台風19号で床上浸水の被害に遭った。これまでは地震や台風への備えはしてきたが、まさか水害に遭うとは想像していなかった。従って対策はゼロ。重い季節家電や書籍、災害時の備蓄食料などは地下室に入れて安心していた。

 台風襲来の夜避難警報が出たが避難先は急坂を上り1時間も歩く場所。車の無い年寄りには無理な話と、近所の人たちと近くの老人ホームに避難した。幸い老人ホームでは快く受け入れてくれ、3階に仮眠場所まで用意してくれた。10時頃台風が去ってようやく我が家に辿り着くと、水はまだ玄関ドアに達していない。「やれやれよかった」と熱いシャワーを浴びて濡れた体を乾かし、ビールで乾杯していた。

冷たい。いつの間にか音もなく泥水が這い上がってくる。とっさのことなので、手近にあるものを抱え二階に駆け上った。と同時に停電になり周囲は真っ暗。何もできないので朝まで寝た。

 さて翌朝からが忙しい。水は引いていたが床は泥でべったり。下水混じりの汚泥は粘着力が強く、水で洗っても流れ落ちない。プロの掃除業者が清掃し、区役所の職員がその後を消毒した。乾いてからまた床を磨い上げ、数日後やっと裸足で歩けるようになった。
 電話もメールも不通なのでその応対に煩わされることはないが、次々訪れる見舞客の応対に追われる。しかし、高齢夫婦の我が家には見舞客の助けはうれしかった。ある人は食事の用意、別の人は力仕事と、得意な仕事をしてくれる。お陰で水に濡れた物品のゴミ出しが予想外に早く片付いた。それにしてもゴミの多いこと。地下室にあった書籍や電化製品は無論のこと、一階の家具や電化製品も下部が濡れてダメになった。

 災害時に備え備蓄した食料も濡れた包装を開けるのも気分が悪く、結局捨ててしまった。こうして捨てたゴミはトラック3台分にもなった。この家に入居した10年前、引っ越し荷物はトラック3台分もなかったのに...と改めてモノの増え方に驚いた。
 
 何はともあれ今回の水害は、ライフスタイルを見直す良い機会である。これからは余分なモノを持たず簡素な生活を心掛けよう。いずれあの世からお迎えが来た時は、何一つ持って行けないのだから。

              (狸吉 2019年11月17日)

 連日その後始末に追われ、やっと先週末で一段落したところです。来月中旬には新しいベッドも入るので、何とか復旧した状態で正月を迎えられそうです。

     (狸吉 2019年11月19日)

追記:
その後大田区とっ世田谷区の区役所による水害状況報告会が開催されました。両方とも同じy配布資料を読み上げ、見舞金の税金の減免措置の手続きの話に終始し、なぜ浸水騒ぎが起きたかのの説明はありません。