例会報告
第77回「ノホホンの会」報告

 2018年4月26日(木)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:狸吉、致智望、山勘、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問)


今回は、前回欠席の致智望さんが戻られましたが、いつも会場をお世話いただく恵比寿っさんが緊急の用事で欠席となり、なかなか全員集合とはいかないようです。今回も書感、エッセイ合わせて10本(前回の改訂版1本を含む)も投稿があり、相変わらずの活発さで喜ばしいことです。次回もよろしくお願いします。というわけで、恵比寿っさんの書感「孤独のすすめ」は、次回に発表をお願いします。

(今月の書感)
 「身辺整理、わたしのやり方」(致智望)/「ホワット・イズ・ディス?むずかしいことをシンプルに言ってみた」(ジョンレノ・ホツマ)/「孤独のすすめ」(恵比寿っさん)/「紫文式都々逸のススメ」(本屋学問)/「人は死なない─ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索」(狸吉)/「日本史の内幕」(山勘)


(今月のネットエッセイ)
 「臨機応変」(本屋学問)/「遠近両用メガネ」(ジョンレノ・ホツマ)/「なぞなぞ“憲法9条”」(山勘)/「安倍総理に教わる?“働き方”」(山勘)

 (事務局)

 書 感
ホワット・イズ・ディス?むずかしいことをシンプルに言ってみた/ランドール・マロニー著・吉田三知世訳(早川書房 2016年11月発行 本体3200円)

原題:Thing Explainer Complicated Stuff In Simple Words

 著者は、NASAでロボット開発に従事したことがあるインターネットコミック作家で、以前(2年前)書感に投稿した「What if? ホワット・イフ?野球のボールを光速で投げたらどうなるか」という空想的な質問とそれについて答えを本にまとめた作家です。
 本書は、見て楽しめる図鑑です。

「物事の仕組みやその背後にある“りくつ”について思いめぐらせたことのある5才から105才までの人々のため」の本と紹介されており、オリジナル版(英語版)は、一番よくつかわれる1000語だけで説明しているそうです。

 ノホホンの会に投稿する本でも探そうとしていたら、たまたま翻訳者の吉田三知世氏の名前から本書を見つけたものです。
 図書館で、本書を受け取ったとき、本の大きさが、37cm×26cmという大型本で、更に巻末の見開きは、この4倍の大きさもあり驚きました。
 
 幅広い内容がアトランダムに載っており、目先が変わって、久しぶりに気分転換が得られ、中学時代、「子供の科学」(誠文堂新光社)という月刊誌やこの種の図鑑に夢中になっていたことを思い出しました。

 絵と表示されているイラストと文字は、表紙以外、全てのページが青色か、青地に白だけで非常に見やすく安心できる。
 目次も含め、書かれている言葉が通常の専門用語ではなく、分かり易い言葉(子供でも理解できるという)に置き換えられている。日本語に無理に翻訳すると、逆に難解になっているようなものもあり、一瞬戸惑ってしまう言葉も見受けられる。
 多分、オリジナルは1000語という限られたやさしい英単語だけで書かれているため、原文に忠実には翻訳のしようがなかったのではないでしょうか。 なお、この本が児童書のコーナーに置かれていることに何となく納得しました。

 幾つか気に入った項目を取り上げてみました。
内容の説明が図解されているため、これを書感として文章で表現するには無理がありました。

 物の数え方→(計量単位)
物がどれだけ長いか(長さ)・物がどれだけ暖かいか(温度)・物がどれだけ速いか(速度)・物がどれだけ重いか(目方・重量)
4項目について、対数尺に似ている、1000~100、100~10、10~0の各範囲内は等尺度の物差しで表示。

 1から1000の数が何を意味するか示すとあり、単位の記載は無いが、長さでは「1」は背の高い人の半分くらいとあり、多分1mであろう。1000=金門橋のスパン、800=世界一高いビル、200=金門橋の高さ、80~90=トイレットペーパーの長さ、55=ピザの斜塔、30=くじら、7.5=最長のへび、4=腸の長さ、2=背の高い人、1=背の高い人のズボン

 地球はどんなふうにみえるか→(世界地図)
世界地図を、木、雲、人々(人口)、雷、地震、台風発生などの分類別に色の濃淡で表示。

 すべてのものを作っているピース→(周期律表)
原子の性質のみが表示されており、詳細に感心しました。従来の周期律表と照らし合わせると、原子についてよく分かりました。

 光の色→電磁スペクトル
分かり易く波長を実際のものと比較して身近なものにしている。余計なことは考えずにこの表だけを見て興味を持てば、次のステップに進めばよいと思った。

長い波 波の長さ→国・町
電波 波の長さ→ビル・トラック・犬
マイクロ波 波の長さ→指・コンピュータのキー・鼻の穴・髪の毛(太さ)
私たちに見える光 波の長さ→けむりの中にある小さなつぶ・すべてのものを作っているつぶのうち、小さいやつ
ものすごいパワーを持つ光 波の長さ→そうしたつぶの真ん中にある重たいつぶ

 太陽を回っている星たち→太陽系
個々の惑星の特徴は記載されているが、実際の名前は太陽以外の記述はなく、地球のことも「私たちが住む星」とある。今までの既成の名称にとらわれることなく自由な発想につながるのかなと思った。

 オリジナルが英単語1000語限定表記であったため、翻訳の仕様がなく、これだけの力作がもったいないと思うのは小生が70代だからだろうか。


 その他にも、幾つか気になった項目の目次(本文には、「この本にのっているものをページ順に」)のみを取り上げてみました。

 目次「この本にのっているものをページ順に」→本文に( )の記載はない
宇宙シェアハウス→(国際宇宙ステーション)
君の体を作っている小さな水のふくろ→(動物細胞)
重い金属から電気を作るビル→(原子力発電所)
君の体内にあるいろいろなふくろ→(人間の内臓)
地球はどんなふうに見えるのか→(世界地図)
車の前カバーの下にあるもの→(自動車のエンジン)
羽が回る空ボート→(ヘリコプター)
みんながのっかっている大きな平たい岩→(テクニックプレート)
雲の地図→(天気図)
街を焼きはらうマシン→(核爆弾)
空ボートのエンジン→(ジェットエンジン)
空ボートを飛ばすときにいじるもの→(コックピット)
電気箱→(電池)
土の中にある燃やして使えるもの→(油田)
高くなった道→(橋)
たためるコンピュータ→(ラップトップ)
物書き棒→(ボールペンと鉛筆)
手持ちコンピュータ→(スマートフォン)
光の色→(電磁スペクトル)
私たちの星→(太陽)
命の木→(生き物の系統樹)
空に届くビル→(高層ビル)

(ジョンレノ・ホツマ 2018年4月8日)
紫文式都々逸のススメ/柳家紫文(集英社 2007年1刷 2013年5刷 本体1,500円)

 「都々逸」(どどいつ)の語源は人名だそうで、江戸時代末期に都々逸坊扇歌(どどいつぼうせんか)という芸人が、当時の名古屋などを中心に流行った「どどいつ節」と呼ばれたオリジナルに、三味線に合わせて7775文字の節回しで洒落た歌詞を付け、多くは男女の情を歌ったものである。

 ザンギリ頭を 叩いてみれば 文明開化の 音がする
 立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は 百合の花
 信州信濃の 新蕎麦よりも あたしゃあなたの そばがいい

よく聞くこれらの歌が、実は都々逸の文句だったことはあまり知られていない。

 著者の柳家紫文(やなぎやしもん)は、三味線を弾きながら歌って語る音曲師、邦楽演奏家で、とくに寄席の高座で「長谷川平蔵市中見廻り日記」を演じる粋な芸人として人気がある。本書のタイトルも、子供向けの教材「公文式」をもじっているあたりが洒落ている。

「粋な日本語」という表現がピッタリな都々逸の文句は、ひょっとしたら日本人のデリケートな心を知るために、日本語学校で最初に学ぶべきものかもしれない。さらに小学校の国語でも教えたいくらいだが、残念ながら男女の色模様を題材にしているので、教育委員会やPTAが大反対すること必定である。
俳句は575、短歌は57577、そして、都々逸は7775文字で、本書で紹介している歌は120首以上、そのどれもが人情の機微を見事に表現していて素晴らしく、意味深だが日本語としても秀逸である。
7775文字はリズミカルで韻を踏むことも多く、俗っぽいのに妙に格調が高い。著者は自分でつくってみることも勧めていて、俳句よりも難しそうだが挑戦してみたい。

 歌にはそれぞれ著者の解説があるが、まずは声に出して読んでみよう。不思議な充実感が得られる。

 恋に焦がれて 鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がす
 あの虫は 粋な虫だよ 蛍じゃないか 忍ぶ恋路の 道照らす
 顔見りゃ苦労を 忘れるような 人がありゃこそ 苦労する
 酒に酔うまで 男と女 トラになる頃 オスとメス
 酒を飲み遂げ 浮気をし遂げ ままに長生き し遂げたい
 惚れた証拠に あなたの癖が みんな私の癖になる
 この膝は あなたに貸す膝 あなたの膝は 私が泣くとき 借りる膝
 寝顔見たいと 口説いたくせに なのに嘘つき 寝かせない
 いやよいやよと いわれてやめる そんなあなたが もっといや
 夢に見るよじゃ 惚れよが薄い 真に惚れれば 眠られぬ
 ガキの頃から イロハを習い ハの字を忘れて イロばかり
 妻といるのは 易しいけれど 妻とするのは 難しい
 何の取柄も ない人だけど 嘘がうまくて 長続き
 人の畑と 知りつつ鍬を 入れて苦労の 種を蒔く
 私の小舟に あなたを乗せて いくもいかぬも 竿次第

(本屋学問 2018年4月15日)
人は死なない─ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索/矢作直樹(バジリコ 2011年 本体1,300円)

 本書の題名を見た瞬間いわゆる「トンデモ本」の類かと思ったが、読み進むにつれ、「なるほどこれは本物だ」と深く信じるようになった。著者の経歴を見ても、東大医学部で救急医療を教え、付属病院の集中治療部長まで勤めた人が、皆を惑わすような本を意図的に書く筈もない。本書の内容を一言で要約すると、この世に起きた不思議な現象を例証し、神(著者は摂理と呼ぶ)の存在を信ぜよと呼びかけるものである。さて本書の構成を見てみよう。

第1章 生と死の交差点で
 まず冒頭に著者は何故医者になったかを語る。医者になる過程で気功を体験し、西洋医学と異なる世界の存在を認識する。気功師と相対した著者は、目に見えない大きな力で瞬時に跳ね飛ばされた!この体験が非日常的な世界に著者の目を開かせたようだ。

第2章 神は在るか
 この宇宙を科学だけで説明することはできない。神は存在しすべての宗教は同根であると著者は説く。現代自然科学の手法である、高次の概念を低次の概念の組み合わせで説明する還元主義は、機械のような対象には再現性がよい。しかしながら、量子力学の世界では電子や光子は波動と粒子が共存する状態をとることができ、どちらの姿を現すかは確率的にしか予想できない。この精神と物質との一元的世界観は紀元前6世紀のギリシャ時代から存在した。

第3章 非日常的な現象
 臨死体験や体外離脱など不思議な体験談を集め、このような現象はいくらでもあると言う。著者自身も登山中滑落事故を起こし、九死に一生を得るが、その直後「もう山へ来るな」との神の声を聞き、長年の趣味を捨てた。これは著者自身の体験談であるから真実であろう。

第4章 「霊」について研究した人々
 欧米の交霊会の記録を紹介し、霊に触れた人々が世界中に存在すると強調している。これら多くの例を読むと、すべてが作り話とはとても思えない。

第5章 人は死なない
 むすびに著者は自身の体験や調査研究から、「死後の世界は存在し、この世で肉体は滅びても霊魂は生き続ける」と説く。また「良心や利他の心も人が無意識に死後の世界の存在を認識しているために生じる」とも。本書を読み終えて著者の説くところを全面的に受け入れる気持ちになった。ちなみに本書は2012年、東日本大震災の翌年に刊行された。著者は震災の犠牲者に対する鎮魂の書として本書を執筆したのではなかろうか。

(狸吉2018年4月17日)
日本史の内幕/磯田道史(中公新書 本体840円)

 本書に言う「古文書の達人」で、近ごろモテモテの磯田道史さんによる歴史探索の一書である。古代から現代にいたる通史の中に埋もれていた秘話を掘り起こして、全7章64本のエピソードにまとめられている。
 副題に、「戦国女性の素顔から幕末・近代の謎まで」とあり、オビには、「秀頼出生の秘密、西郷の書状…古文書の達人だけが知る歴史のウラ側、教えます」とある。

 さらに、カバーのウチ裏とオビ裏には、「小説や教科書では分からない魅力」として、こんな説明がある。「西郷隆盛の性格は、書状から見える。豊臣秀頼の父親は本当に秀吉なのか。著者が原本を発見した竜馬の手紙に中身とは、司馬遼太郎と伝説の儒学者には奇縁があった―日本史にはたくさんの謎が潜んでいる。著者は全国各地で古文書を発見・解読し、真相へと分け入ってゆく。歴史の『本当の姿』は古文書の中からしか見えてこない。小説や教科書では分からない、日本史の面白さ、魅力がここにある!」としている。

 そのあたりを、いくつか紹介する。まずは、豊臣秀頼は、本当に秀吉の子か。秀吉が朝鮮出兵の拠点として突貫工事で築いた肥前名護屋城(佐賀県唐津)は、秀吉好みの「権力の可視化」だという。その本丸から10万人単位の将兵を見下ろす秀吉の快感。そこには家康も陣屋を構えて走り回っていた。文禄2年8月生まれの秀頼が秀吉の子であるためには、前年の11月に秀吉と淀殿がこの名護屋城で閨を共にしなければならないのだが、名古屋城に淀殿が同行したという確かな記録がないのだという。では秀頼の実父は誰か。その探索には「さらに古文書の探索が必要」だと言う。

 徳川家康に関しては、三方ヶ原(浜松市)の戦い(1572年)で武田信玄に大敗した話を取り上げている。通説では、信玄軍2~3万人、家康軍8千人に、織田信長の援軍3千人が別動隊として控えていたとされる。しかし著者が関連資料を読み込んで出した数字は、信玄軍2万8千人、家康軍6千人、織田の援軍2万人と見る。信玄が、浜松城に逃げ帰った家康を包囲して打ち取ろうとしなかったのは、信長の別動隊2万人が怖かったからだとみる。徳川の世になると、信長の援軍を受けながらも大敗した事実が隠蔽され、後世の資料になると、信玄軍の数も4万人、4万3千人などと増えるという。そこで著者は、「権力の都合で情報は操作される。ゆえに国家機密の保護は必ず後日の情報公開とセットでやらないと、検証が不可能になり、国を誤る」と現代風の結論を出す。

 西郷隆盛に関しては、鳥羽伏見の戦いに際して、西郷が作戦内容を大久保利通に書き送った書簡の現物を手に入れた話である。幕府軍兵力1万5千に対して薩長連合はわずか5千。すんなり勝てるとは思っていなかった西郷は、鳥羽伏見の戦いが兵庫県全域の戦いになると思っていたらしい。公家たちも、密に天皇を山陰道に逃がす作戦だったようだ。大久保宛書簡には、「一発直様(すぐさま)、玉(天王)を移しては大いに人心(士気)に関係する」ので、暫時見合わせる方向で岩倉や公家たちを説得してほしい、と書かれているという。

 坂本龍馬に関しては、NHK番組でお笑いタレントが街行く人に「お宝を探している」と声をかけて、「ありますよ」との答えから偶然にも「坂本龍馬の手紙」がでてきた話である。殺される直前の竜馬の頭にあったのは、新政府が独自の経済基盤を持つために、通貨発行権を徳川家から回収することだった。そこでそれに詳しい福井の三岡八郎に会いに行った。その福井で竜馬が徳川慶喜の擁護論をぶった点を強調する向きも多いが、著者は、かねてから「経済基盤の面からの討幕の会談」だったと主張してきたことが、この手紙に「金銭国用=財政問題を論じた」とあり、「ほっとした」と言う。

(山勘 2018年4月23日)
 エッセイ 
 米国首席戦略官の解任

 昨年の暮れ12月に「影の米国大統領」と言われていた首席戦略官のバノン氏が、運営する「ブライトバード・ニュース・ネットワーク」の東京本部が設立された。その設立に向けて、バノン氏の講演会が開かれ、そこではバノン氏の野心だけが述べられたと言われる。その講演会に関わるレポートが、早稲田大学の研究員である渡瀬佑哉氏のプレジント誌への起草記事から転用した。

 この「ブライトバード・ニュース・ネットワーク」は、米国の白人至上主義者や極右思想を持つ「オルト・ライト」または「ナショナリスト」と言ったトランプ大統領を熱狂的に支持する層を読者に持ち、米国の既得権者とされる政府関係者、主要メディア、ハリウッド関係者らのバッシング記事を並べたて、自らの政治的主張に敵対する諸勢力に舌鋒鋭い批判を展開し続けているグループである。その設立講演会でのバノン氏の弁舌は、15~20分程で終わってしまい。内容は、NHKなどの日本のメディアに対し「フェイクニュース」と名指しで批判することで終わってしまい、会見時間の大半を浪費し、得られる内容は皆無であったと言う。

 バノン氏が首席戦略官のポストから更迭されたことからも理解が出来ることだが、氏の政策がトランフ氏との間で絶対的な信頼関係があったとは言えないとのこと。

 もともと共和党は、小さな政府を求め自由貿易、自由市場を肯定する強固な思想信条をもっているもので、それは民主党の政策に近いものであつたとも言える。バノン氏は、共和党の新参外様であり、主流派とは相入れないものが有った事から、トランプ氏がバノン風の保護主義的な政策を述べる姿に共和党員は快く思っておらず、オフレコでの場では不平不満を口にしていたと言う。だからバノン氏は伝統的共和党保守派内の結束を乱す結果となり、更迭されたと言うのが事実のようだ。

 結果として、「オルト・ライト」の政策遂行能力、影響力は皆無となった。バノン氏とトランプ氏の個人的親交が、たとえ継続されても政策に影響を与え何かが決まるとは考えられない状況に至り、政権内には既にオルト・ライトをかばう勢力は皆無と言う。

 今後のトランプ政権は、伝統的共和党のスタイルに回帰して行くであろうと言うのが渡瀬裕哉の論調である。私は、選挙を控えた今の時期であるから、トランプ氏は一次的に変身したと考えるが、それは無いだろうと言うのが渡瀬氏の論調である。

 (致智望 2018年1月13日)
臨機応変

 前にも書いたことがあるが、かつてマニアに大人気だったイギリスBBCテレビのユニークなコメディ番組「モンティ・パイソン」にこんなのがあった。

 血だらけで今にも死にそうな怪我人が、とある病院の玄関にやってくる。すると、中から出てきた医者らしき白衣を着た人物が1枚の紙を渡して、これに診療申込みを書けという。その怪我人がやっとのことで記入すると、それを見た医者は綴りが違っているから書き直せとその紙を突き返す。

 ケンブリッジ大学やオックスフォード大学を出た錚々たる脚本家や構成作家たちが自ら演じることでも有名だったが、いかに当時のイギリス社会を風刺していたとはいえ、こんなことが現実にあるはずがないので大笑いして観ていた。でも最近、関西のある都市でこれに似た笑えないことが起こった。

 それは大相撲の地方巡業での出来事で、開始前に市長が土俵上で挨拶をしていたところ、具合が悪くなって突然倒れた。騒然となった会場内から何人もの人たちが土俵に駆け上がったが、うろたえる男性陣を押しのけて、看護師らしき女性が心臓マッサージをしてすぐに救命活動を始めた。他にも、医療関係者と思われる女性が何人か加わった。

 すると、女性は土俵から降りてほしい旨の場内アナウンスが数回流れ、土俵に上がろうとする女性を制止する協会関係者や、アナウンスを聞いた女性が慌てて降りるというシーンも見られた。その音声はマッサージ中の女性の耳にも届いていて、本人も後になって緊急事態なのにどうしてと思ったと話している。

 確かに土俵上は“女人禁制”とされ、これまでも伝統的に女性が上がることは許されなかった。しかし、体育館につくられた仮土俵、しかも場合が場合である。よくもこんなときにそんな杓子定規的なことがいえるものだと呆れたが、市長はすぐ病院に搬送され、クモ膜下出血だったそうだが何とか命はとりとめた。ひょっとしたら、女性たちが行なった救命措置が功を奏したのかもしれない。

 日本相撲協会の理事長は世間のあまりの批判の大きさにすぐ謝罪したが、アナウンスしたのは観客から「女性が土俵に上がっていいのか」といわれて行司が動転したからだそうで、真相はわからない。しかし、結果的にはこのことが致命的な「差し違え」になり、相撲界が相変わらず浮世離れしていることを改めて世間に知らしめてしまった。暴力事件や不明朗な役員選挙など、以前の八百長騒ぎを含めて相撲協会は、今やすっかり当事者能力を失っている。大相撲の正しい“伝統”は一体どこにいってしまったのか。

 私は相撲もプロ野球もまったく観ないので、両方なくなっても少しもかまわないが、こんなことばかりしていると、本当にファンがいなくなってしまうのではないか。日本のプロ野球はアメリカの大リーグと一緒になるとか、大相撲はいっそのことモンゴルの国技として彼の地で再出発するのもいいかもしれない。

 「80日間世界一周」という映画のラストシーンで、賭けに勝った主人公が女性を連れて紳士クラブに戻ると、女人禁制のクラブの会員の1人が「これですべて終わりだ」と嘆くシーンが印象的だったが、日本のゴルフ場でも伝統的に女性会員を入れないところがある。何でもかんでも男女平等にしなくてもよいとは思うが、今回の?伝統”の解釈は誰からも理解されず、アナウンスさえしなければと悔やんでいることだろう。

 東京都が10歳以上の男女の混浴を禁じたとか、都議会議員が中学校での性教育は早すぎると注文を付けたとか、社会の現実を見ない時代錯誤の東京都関係者の程度の低さを示す話題が多いが、公文書改ざんの財務省や文部科学省しかりで、どうしてこのように悪しき伝統を守ろうとするのか。

 頭の悪い人間の特徴は、「機転が利かない」「気配りができない」「空気を読まない」「客観性がない」「自己中心的」「非論理的」「想像力がない」「話題に乏しい」などだそうだが、思い当たることはないだろうか。今回のアクシデントは、倒れた市長には大変気の毒だが実はとても重要な問題を提起した。日本には「臨機応変」という便利な言葉もある。

(本屋学問 2018年4月7日)
遠近両用メガネ

 先日、図書館の「老人の取扱説明書 平松類著 SBクリエイティブ発行 2017年9月」を読みました。内容紹介には、「高齢者の困った行動は、ほとんどが認知症や頑固な性格よりも、老化による体の変化が原因だった-。老化による体の変化=老化の正体と、周囲と高齢者本人がすべき解決策を、医学的背景に沿って具体的に解説する。」とありました。

 タイトルに興味があり、どんなことが書かれているのか、読み通してみました。ほとんどは、この内容はあの人のことを、ここはあの人のことを言っているのだと、自分には当てはまらないと思っていました。しかし、たった一つですが、遠近両用メガネについての注意に合点しました。

 書感に投稿するには抵抗があったのですが、このメガネのみ取り上げたいと思いました。

 それは、遠近両用メガネを付けた状態で階段を降りるときの注意でした。

遠近両用メガネの下側部分は近距離用で遠く(階段の足元)を見ると、ボケてしまい非常に危険であるという内容でした。知人の中で遠近両用メガネをつけて階段を降りるのが怖く、眼鏡をはずされた方もおられました。私自身も、階段を降りるときも下を見ずに正面を見て、感覚で距離感を測りながら階段を降りることもあり、たまに段数を勘違いして踏み外そうになったことも以前ありました。
 階段の踏み外しで、けがをされる方も多いようです。

 この老人の取扱説明書には、階段を降りるときは「顎を引け」とありました。

顎を引くことにより、視界が、下を見てもメガネの下部ではなく中央部で見るため、ボケずに見られるからであるという内容でした。
 階段を降りるとき、意識して顎を引くようにしてから、安定感が得られたような気がします。

 現役のころ、使い捨ての遠近両用のコンタクトレンズの存在を知ったときに、飛びついて使っていたことを思い出しました

その頃も何となく、遠近両用の眼鏡の使い勝手に抵抗があったのでコンタクトを付けていたような気がします。今思うと、下を見たときの怖さがあったからかも知れません。

 遠近両用のソフトコンタクトは装着すると非常に調子よかったことを覚えています。すぐに慣れましたが、問題はこのコンタクトレンズを装着するときです。手元のピントが合わず、装着するときに眼鏡が必要だった記憶があります。
 仕事を辞めてからは、コンタクトを装着するときの手間や、使い捨てがもったいないと思うようになったので止めた記憶があります。

 遠近両用のコンタクトレンズは、焦点がドーナッツ状になっており、中心部が素通し(遠方用)、外側のリング部分が近距離用になっています。常に遠近の両方が見えており、対象物を近くか遠方かに意識を集中した方だけがくっきりと見える構造です。上下で遠近が分かれているのではありません。

ただ、夜景で月とか星を見ると、ドーナッツ状の環っかに見えたのを思い出しました。今では、懐かしい思い出になっています。

(ジョンレノ・ホツマ 2018年4月15日)
なぞなぞ “憲法9条”

 自民党は、現行の「憲法9条」をそのまま残して、それに続く新しい条項を設けて、自衛隊の存在を明記しようとしている。新設する条項は、「9条の2」である。さてそこで、①現行の憲法「第9条」と、②それに続く9条の2の「自民党執行部案」と、③その執行部案に党内の修正意見を入れた「自民党執行部案の修正案」を比較検討して、なぞなぞを考えてみた。各設問にイエス、ノーで答えてみていただきたい。

1.現行の憲法「第9条」
 まず、現行の「9条1項」は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」となっている。
Q1「国権の発動たる戦争」の「国権」とは、「戦争を始める、国の権利」である         イエス  ノー
Q2「武力の行使」における「武力」とは、自衛隊の保有する戦う能力である          イエス  ノー
Q3「国際紛争を解決する手段」における「手段」とは、自衛隊の運用である         イエス  ノ ー
Q4「これを放棄する」における「これ」とは、自衛隊を運用することである            イエス  ノー
Q5「これを放棄する」における「放棄」とは、自衛隊を用いないことである            イエス  ノー
 次いで、「9条2項」は、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」となっている。
Q6「前項の目的」における「目的」とは、「永久に武力を放棄する」ことである         イエス  ノー
Q7「陸海空軍その他の戦力」における「陸海空軍」とは自衛隊のことである          イエス  ノー
Q8「これを保持しない」における「これ」とは主に自衛隊のことである              イエス  ノー
Q9「国の交戦権は、これを認めない」とは、他国との交戦を認めないことである        イエス  ノー

2.新設「9条2」の「自民党執行部案
 執行部案の「9条2」の「第1項」は、「前条の規定は、わが国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する」とある。
Q10「自衛の措置」は、現行9条の「国の交戦権は、これを認めない」と矛盾する      イエス  ノー
Q11「自衛隊を保持する」は現行9条の「武力」の否定と矛盾する               イエス  ノー

3. 新設「9条2」の「執行部案」の「修正案①」
 まず執行部案の「修正案①」では、「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な処置をとることを目的として(以下略)」となっている。

Q12「必要な措置」とは、自衛隊の実働を意味する                        イエス  ノー
Q13「必要な措置」は、現行9条の「永久にこれを放棄する」に矛盾する           イエス  ノー

次いで「修正案②」は、1項が、「前条の規定は、わが国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置を取ることを妨げず、そのための実力組織として(以下略)」となっている。
Q14「必要な自衛の措置」とは、自衛隊の実力行使の意味である               イエス  ノー
Q15「実力組織」とは自衛隊のことである                              イエス  ノー
Q16「実力」とは「武力」であり、9条の「武力による威嚇・行使」に矛盾する          イエス  ノー

以上で、イエスが多ければ、憲法学者などの自衛隊違憲論に近く、ノーが多ければ安倍政権の改憲論に近くなる。そこで、①違憲論の立場で平和憲法を遵守するか、②その違憲性を除去する改憲、すなわち「武力」否定の9条2項を削除する改憲を目指すか、③違憲性はなしとして9条2項はそのままで、新設「9条の2」による自衛隊認知の改憲を取るかが問われることになる。

(山勘 2018年4月23日)
安倍総理に教わる?“働き方”

 読売新聞(4月1日)の「編集手帳」に、作家の山口瞳さんが、再就職でサントリーに入社したばかりの頃の話がある。山口さんの母が、大みそかに亡くなった。葬式代の借財に走り回って山口さんが帰宅したら、「常務と課長がドカンと座っていた」。2人の〈目が、おい、山口、大丈夫かと問いかけていた〉。山口さんは〈一生、この会社から離れまい??〉と思ったという。〈義理人情、親分子分、前近代的??〉と人は言うかもしれないが??と、山口さんはサントリーの社史につづっているという。

 それで思い出すのはかれこれ40年前のことだが、当時、住友電工の会長で後に国鉄改革に尽力した亀井正夫さんのことである。先の大戦で、住友の社員だった亀井さんが応召し、法務見習士官として爆心地に近い広島城内につめていた時、ピカドンにあった。一緒にいた9人のうち奇跡的に生き残ったのはたまたま柱の陰にいた亀井さん1人だった。その後、バラックの小屋に伏す亀井さんのもとに住友は看護婦と薬品を送り続けた。この時亀井さんは、「一生住友のために働こう」と心に誓ったという。被爆の体験と住友への謝恩の念について、書いてもいいですかと私が聞いたら、「誰にも話したことはないが、時効だからいいでしょう」というので、日刊工業新聞社の産業誌に書いた。

 いま、安倍内閣における働き方改革が進められている。総理が議長となり、労働界・産業界のトップと有識者による「働き方改革実現会議」において幅広い議論が行われ、昨年報告書が出され、いま国会論議がおこなわれている。しかし具体的な話は長時間労働や残業の規制、休暇の促進、修業と育児の両立などである。企業による働き方改善も進んでいるが、やはり、残業規制や退社時間の設定などが主である。なかには、残業しない人への手当などというよく分からない改善例もある。

 古い話だが、ある大手企業の経営者が、若手社員に「仕事は楽しいか」と聞いて、「ハイ、楽しくやっています」と答えたので、「じゃー給料はいらないナ」と言った。仕事がおもしろければそれでいい。そんな雰囲気がむかしはあった。いまの組織風土は様変わりしたが、それでも働く者の意欲を抜きにして生産性は上がらない。労働者も食うためだけに嫌な労働に携わるという働き方では、長続きしない。ささやかでも労働と報酬に喜びを感じ、仕事の充実感と労働意欲を持続させなければ働き続けられない。冒頭の山口瞳さんや亀井正夫さんほどではないにしても、企業への、昔なら忠誠心や帰属意識、今なら企業との一体感、共感が必要だろう。

 そのためには、企業も、人を生かす経営理念や事業戦略が重要だ。元トヨタ自動車の会長で経団連会長も務めた奥田碩氏は社員をリストラするなら経営者もクビをかけろと言った。現代の多くの経営者はサラリーマン上がりの経営者でありながら、経営者になった途端に、資本家的な非情さでリストラをしたりする。働く者の心情を軽視する経営者は失格である。

 さらに、経営者は、お上に働き方を教わるようでは情けない。そして、いま安倍内閣が進めている働き方改革の欠点を、誤解を恐れずに言えば、働く意欲のある者にブレーキをかけ、怠け者をさらになまけさせることにならないか。また、若手の残業が減った分を中間管理職が補ったり、大手企業の残業規制が取引先や下請けの中堅・中小企業へのしわ寄せになりはしないか。だとすれば、企業の弱体化だけでなく、国力の弱体化につながりかねない。

働き方改革が国の大事であることは間違いないが、主役は企業であり産業界である。企業が独自の経営改革を進め、産業界で競い合い、その改革の方向を、国として法や施策でバックアップする必要があれば手を貸すというのが国の役割ではないか。

(山勘 2018年4月23日)