例会報告
第66回「ノホホンの会」報告

 2017年4月18日(火)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:狸吉、致智望、山勘、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問)
 
 今回は全員が参加でき、いつもながらの熱い議論になりました。今回も経済を論じる本の紹介が目立ちました。突然アメリカに現われた変人指導者、北朝鮮問題、国際テロ…、世界も日本も有効な対策のないまま“茹で蛙”状態になっています。ミサイルが飛んできたときの対処法がマスコミで紹介されるなど、平和ボケの日本にもようやく国際情勢の現実が迫ってきて、呑気にオリンピックなどやっている場合ではないでしょう。
 
(今月の書感)
「日本がやばい」(致智望)/「EU分裂と世界経済危機─イギリス離脱は何をもたらすか」(恵比寿っさん)/「財務省と大新聞が隠す 本当は世界一の日本経済」(山勘)/「鉄道忌避伝説の謎─汽車が来た町。来なかった町」(狸吉)/「音楽の歴史(改訳)」(本屋学問)/「絢爛たる悪運 岸信介伝」(ジョンレノ・ホツマ)
 
(今月のネットエッセイ)
「人間の「賞味期限」と「消費期限」」(山勘)

 (事務局)

 書 感

日本がやばい/クルーグマン教授の緊急提言(プレジデント誌)


本書感は、雑誌「プレジデント」誌の記事からの読書感である、本記事を敢えて取り上げたのは、直近の情勢にミートした時事問題であり、大きな興味をそそられ、敢えて書感として取りあげ諸氏に紹介したかった。

本雑誌記事は、ノーベル賞経済学者のクルーグマン教授へのプレジデント誌の独占取材に答えたものである。

ドナルド・トランプが大統領に選ばれ、米国内メディアからは民主制の病弊が言われていることに付いて。民主制の基盤崩壊は、既に何十年も前から続いており、これから回復できる保証はない。トランプ氏の就任演説の全文を読んで、その恐怖はさらに大きくなった。

「アメリカ ファースト」と言う言葉であるが、彼が歴史事実を知っていたのか意図的に知らないふりをしているのか、このフレーズはナチス擁護者たちのスローガンであった、と言う暗い歴史があるフレーズだ。残念なことに、そんな危険な人物に巨大な権力を我々は与えてしまった。

 トランプは、格差の拡大を問題にしているが、格差はさらにひろがる。トランプの言う大規模減税と言うのは、結果として裕福層にたいする減税となり、多くの人にとっては増税になるはず。さらに彼の言う金融緩和は、金持ちは良いが中間層に恩恵は無い。そして、社会プログラムの多くがカットされるようだが、その内容は貧困層向けのものである。

 レーガン時の税制と比較され、それを良い方向として論じられるが、これには大きな違いがある。レーガンの場合は、政府の債務が低いレベルからスタートしている、トランプははるかに高いレベルからスタートすることになる。レーガンの政策は、結果としてドル高に繋がるのだが、それまで大きな貿易赤字には至ってなかったから結果として問題にならなかった。今の米国の状況は全く逆であり、同じ事をすればさらに貿易赤字が膨らむことになる。

 トランプが動かすアメリカでこれから何が起こるかを考えてみる。トランプは、保護主義をアメリカ経済の中心においている。現代は、効率を増すための特化技術がたくさんあり、世界全体が裕福になっている。保護主義を強めると既存の工場や産業クラスターが機能しなくなる。やがて、世界の終わりがやってきてもおかしくない。

 何の準備も無く地固めもしないで、TPPの離脱は悪いシグナルだ。トランプは「みてくれ」がすべてであるということ、TPPも離脱すると言えばやるしかない、TPPの再開にチャンスは無い。アメリカは信じられない速さで国際社会から信頼を失って行くであろう。

 クルーグマン教授は、最後にこんな事まで言っている。政治家がツイターを使うのは、政治的な宣伝のためで、この男には自制心が無いので、彼の頭の中で何が起きているのかを知る窓になる。トランプのツイターは、重要なメッセージを読み解く重要なツールだ。複数の精神科医を集結させて異常な行動を予測するチームを作る、それくらいしないと彼の行動は予測できない。専門家チームを作ればトランプの行動を予測するのは難しくない。ナルシシズム性人格障害を持ったひとだからだ。自我を増強するためにはどんなことでもするであろう。アメリカの政治システムがどう対応するか、私も予測できない。

 クルーグマン教授はこんな事も言っている、トランプの考えはクレイジーである。アメリカ経済が貿易赤字によって成長が阻害されていると言うが、それは4年以上前の話で現在は違う。今のアメリカ経済は雇用統計から完全雇用のレベルに入っている、新しい雇用を生み出せると言う考え方は通用しない。現代は、効率を増すための技術が進化し、トランプの政策はそれを逆戻りさせることになり、トランプ政策をこのまま推し進めると、やがて世界の終わりがやってきてもおかしくない。

 これが教授の言葉であり、大統領批判の言葉として極めて激烈なものを感じる。


 同じプレジデント誌の記事からで、大前研一の論調である。トランプは「アメリカが弱い」と言う認識に基づいているが、本気でそう思っているとすれば、アメリカにとっても世界にとっても不幸だ。2016年の統計から世界企業の時価総額上位のランキングはアメリカ企業が圧倒的に多く、何と10位までがアメリカ、トヨタ自動車は29位となっている。この抜群の強さを誇る原点はレーガノミックスによる規制緩和と市場開放政策で、競争に勝った会社と負けた会社があって、弱者への同情は一切なし、自国の弱い企業を潰しても、世界の最適地から安くて良い物を取り入れるウォルマートやコストコ体質の企業が高コスト企業を排除した。トランプの頭の中にある経済理解は30年前の発想だ。

 メキシコに対する攻撃も30年前にアイアコッカが振りまいた黄禍論と同じで、日米貿易不均衡の大嘘だらけの日本車バッシングと変わらないと言う。まさしく、トランプ大統領を現代版のアイアコッカと言う。


 と言うことで両者ともに同じようにトランプのクレイジーぶりを言っている。対して日本は如何あるべきか、二国間交渉と言う事を言っているが、日本人が最も苦手とする領域で、過去に個別交渉で勝った戦績は無いと大前研一は言う。

(致知望 2017年3月9日)

EU分裂と世界経済危機─イギリス離脱は何をもたらすか/伊藤さゆり(NHK出版新書 2016年10月10日第一刷発行 本体740円)

いとう・さゆり

ニッセイ基礎研究所経済研究部上席研究員。

専門は欧州経済。

早稲田政治経済学部卒業後、日本勧業銀行(現みずほ銀行)調査部シニアエコノミストなどを経て現職。

その間、早大大学院商学研究科修士課程修了。

経済紙への寄稿のほか、NHKなどでのテレビ解説も多数。

著書に『現代ヨーロッパ経済論』(共著、ミネルバ書房)など。



目次

本書関係地図

はじめに

英EU離脱の深層

世界経済は再び危機を迎えるのか

EU分裂はさらに進むのか

日本には何ができるのか

終章 英国とEUはどこへ向かうのか

あとがき

参考文献

EUと英国の略年表

主な欧文略語一覧


 本書は、英国のEU離脱が国民投票によって決まった直後に緊急出版されたものです。
――英国民が「EU離脱」の道を選択すると、市場はパニックに陥ったが先行き不透明観は変わらず、他方で世界経済は金融緩和と規制強化によるリスクを抱える。EUはこのまま分裂してしまうのか?今後リーマン・ショックのような危機は再来するのか?専門家がEUで顕在化した危機の深層と世界経済のこれからを見通すーーと、ジャケットに有ったので飛びつきました(笑)。


 我々の関心事は終章「英国とEUはどこへ向かうのか」ではないでしょうか。

 終章で、著者は「不確実性の高い局面の始まり」と述べ、英国新政権の課題や英国分裂の可能性を論じるととともに、スコットランドの課題や日本に求められる構造改革と日本の行政府に耳の痛いことまで触れています。


 最後のところでは、経済危機に至るような事態にでもならない限り、日本経済への影響は無いだろうが、現地へ進出している企業にとってはビジネス環境の先行きが見えないので、その影響が大きいと説く。


 そして、英国の離脱はEUに改革の圧力になるという。

 例えばドイツは、経済的に強大化したが、EUの覇権国としての責任を負うことを拒否してきたが、今のままではEU内の亀裂は広がるばかりで、ドイツの嫌うECBの金融緩和は、ユーロ制度の欠陥を補う唯一の選択肢という性格があり(ここ、理解できない)、金融政策に過剰な負荷がかかっている状況を脱するためにも、財政ルールの運用を柔軟にすべきと提言している。

 そして、日本としては、英国・EUに不確実性解消への努力を求めるだけでなく、自身の人口減少・高齢化に対応した枠組みを作る機構改革のピッチを上げる必要があり、欧州を覆う霧が晴れるのを待っていてもなかなかその時は訪れず、日本の将来のために必要な改革のタイミングを逃すことになりかねないと警告する。


 反EUの高まりの背景は、長期に亘る経済低迷からの脱却の道筋が見えないことにある。とはいえ、英国に続いて離脱する国が直ぐに出てくるとは考えにくい。

あ 独・仏も政治的新興勢力の台頭があるが、主流派を上回るところまでは至っていない。


 私の感想としては、もともと英国はEUに懐疑的なところがあったのに加盟してきた。呉越同舟だったわけですから、元の鞘に納まったという印象です。

帯に「本当の危機はこれからやってくる!」とありますが、これは出版社の売らんがためのキャッチで、ここまで著者は言いきっていません。


 円が安全資産と言われるのは、対外純資産残高が世界一(339兆円、2015年末)だから。独中の≒195兆円を大きく引き離している(25年間世界一)。やっぱり日本は良い国ですね。

(恵比寿っさん 2017年4月14日)

財務省と大新聞が隠す 本当は世界一の日本経済/上念 司(講談社 本体880円)


 先行き不透明で迷いの霧の中にいるような日本経済を、著者独特の視点から分析してみせる。元気の出る経済評論である。日本経済についての33の疑問について一問一答形式で進める話の内容が痛快である。

まえがきで、「なぜ彼らは700兆円の政府資産を隠すのか」と言う。彼らとは、財務省や日銀、それに追随する大新聞である。日本政府は1000兆円の借金を抱えており、国民一人当たりにすると830万円になる、などと言われている。しかし実際には、日本政府は700兆円の資産を持っている。しかもその資産は、換金のむずかしいインフラ資産だけではなく、「現金・預金」「有価証券」特殊法人への「貸付金」「出資金」などの金融資産だけでざっと300兆円以上あると筆者は指摘する。これは経済規模4倍のアメリカの政府資産150兆円に比べれば、その優位性が明らかである。

 具体的なQ&Aをいくつか紹介すると、「政府の膨大な借金」については、「返す必要はない」。命の短い個人と違って国は永遠に借金を繰り返せる。名目成長率を上げれば実質債務も減るという。たぶん安倍総理もそう考えてアベノミクスをやっているのではないか。

 「財務官僚や、新聞記者や、テレビのコメンテーター」などは専門家かという問いには、経済や財務に無関係な東大法学部出身者が中枢を占める財務省高級官僚と、それに癒着して“財務省広報部”的に動き、しかも経済にうとい大新聞の記者、テレビマンを“活写”する。

 データを多用して説得力がある。「少子高齢化で経済成長はできないか」という問いには、出生率とGDPの推移データなどを示して、「できる。現に成長している」という。「日本の経常収支の赤字が続くと財政は破綻するか」との問いに、それは需要が旺盛な結果で、貿易収支の赤字、黒字で財政は破綻しないという。「日本企業が海外で稼いだ所得収支は減っているか」との問いに、日本の対外資産は25年連続で世界一、対外資産残高は945兆円超、「世界最強の金貸し国」だという。

 本書でとりわけ面白かったのは第2章で取り上げている、1957年にイギリスの経済学者ジェフリー・クローサーが提唱したという「経常収支発展段階説」の話である。それによると、すべからく経済の発展は、初期段階である「未成熟な債務国」から始まるが、すでに日本は、2000年ごろから第5段階の「成熟した債権国」になったという。この段階では、貿易収支の黒字幅は減少に向かうが、海外投資による「所得収支」の黒字の伸びがその分を埋めることによって、両者を合わせた「経常収支」の黒字が維持される「成熟した債権国」となる。ただしこの先の第6段階は、「貿易収支」の赤字が拡大して「所得収支」の黒字では埋め合わせできなくなり、両者を合わせた「経常収支」も赤字となり、債権取り崩しが始まり、対外純資産が減少し始める「債権取り崩し国」となる。

 かつてのアメリカやイギリスがこの段階をたどり、いま両国の対外純資産が赤字に転換し、新たなステージに入ったようだという。これをエコノミストの安達誠司氏は第7段階の「成熟した債権取り崩し国」と言っているという。さてその先は「振り出し」にもどるのか、と著者は暗示する。

 本書にはないが、その「振り出し」とは、未開の「未成熟な債務国」に戻ることではなく、スパイラル状に上昇する第2ステージにおける「振り出しであり、たとえばギリシャなどのような「財政破綻の債務国」であろう。同時に連想されるのは、今は財政を維持している先進諸国が、今後、「成熟した債権取り崩し国」に移行することと、現下に展開するイギリスのEU離脱やトランプのアメリカ、そしてこれから展開される欧州各国での排外主義の進行が、あながち無縁だとは思えない。さてどうなる。

  本書は、そんなことまで考えさせられる視点のユニークな一書である。

(山勘 2017年4月14日)

鉄道忌避伝説の謎─汽車が来た町。来なかった町/青木栄一(歴史文化ライブラリー 2006年 本体1,700円)

「昔鉄道開業の頃、今までの商売がダメになると言って、鉄道が来るのに反対した。今では鉄道から離れた不便な場所になってしまったが、昔の人たちの先見の無さだ」という話は日本の各地で聞く。


 本書は世間に流布しているこの種の話に、「それは一体本当か?」と正面から向き直ったもの。著者は膨大な原資料を調べ、「これは誤った伝説に過ぎない。それどころか当時の人々は鉄道誘致に熱心だった」と結論付けている。


 著者はまず鉄道反対の話が記載されている資料を年代順に並べ、鉄道開業の時代に反対運動は無く、時代が下るにつれて出現することを発見する。そして、初期の文献には「反対したそうだ」とか「反対したと言われている」というように、あやふやな噂であると記述されていたのに、後になると「反対したと書いてある」、「反対したのだ」と断定的になったと知る。


 つまり、後の時代の著者は、「これだけ多くの人たちが言及しているのだから鉄道忌避運動は存在したに違いない」と思い込み、原資料に当たることなく反対運動があったと断じているのだ。ときには、それがある地域衰退の原因であったと都合よく説明に用いている。


 たしかに旧宿場町など、鉄道路線から外れて衰退した例はあるが、その原因は鉄道忌避ではない。また、鉄道の駅が昔の繁華街から離れているのも、地元の反対の結果ではない。著者はこのような状況が生じた理由を、原資料に当たりながら明快に説明する。


 その一つは、当時鉄道会社は採算性や建設の容易さを考え路線を決めた。地元の要請を最優先にしたのではない。二つ目は、古い町の中心から駅が離れていることであるが、鉄道建設には広い敷地が必要なので、町の外側に作るのは当然である。また「実際にあった反対」の中には、蒸気鉄道と馬車鉄道の混同がある。馬車鉄道は在来の街道筋に乗り入れ、馬の糞尿を撒き散らすのだから、迷惑に思う人々はいたであろう。


 このように「こんなこともあろうか?」との想像が、いつの間にか一人歩きし、確定的な事実として世間に流布してしまうのだ。関東大地震の際の「外国人が井戸に毒を入れている」とのデマもまたしかり。私も含め世間は「さもありなん」と簡単に信じてしまう。とは言え、すべて原典に当たる暇は無いし、このような啓蒙書はまことに有難い。

(狸吉 2017年4月15日)

絢爛たる悪運 岸信介伝/工藤美代子(幻冬舎 2012年9月発行)


 本の表紙の代わりに目次裏の系図を載せました。

現首相の安倍晋三は岸信介の孫に当たり、取り巻きを見ると、今の時点だけでなく、ずぅーと繋がっていたんだと改めて認識した次第です。


本書により、戦時中のことは知る由もなかったことも、また戦後の政治の歴史についても、政治家の関わり合いや動きの展開がまるで舞台を見ているような感じでした。あまりにも何も知らなかったことを認識いたしました。いろいろな人名や地名が登場し興味をもったものの、生には難しい用語が多々あり一遍読んだだけではよく理解できないということが分かりました。


幾つかのみ抜粋します。


 第2章「カネは濾過して使え」という言葉が後にも何か所かに出てきました。

 カネの流れが分からないようにして政治家に渡せという意味で、まさにカネの流れが分かるようでは政治家ではないと言っているように思える。ここでは、アヘンの収益が満州国や関東軍に流れていたが、流れが表ざたにならないようにしていたことが分かった。アヘン戦争は、遠く自分たちには関係ない世界の話と思っていました。戦後になって、政治資金疑惑、対韓援助のリベートなどの疑惑があっても岸の身辺に迫る証拠は一件も現れず問題にならなかった。


 第3章の「悪運は強いほどいい」この言葉も後半にも出てきました。

 東条と岸の意見衝突から東条内閣への崩壊へと繋がったのが理由の一つ。

 それは、サイパン戦の結末が見えたとき、東条首相は内閣改造で危機を収拾しようとして、当時の岸軍需次官を含め何人かを退任させようと迫ったが、岸が辞任拒否したため、辞表が提出されず、内閣不一致で総辞職に追い込まれ、東条内閣は結局崩壊した。


 拘置所での覚悟は、「開戦に日本側の責任はない。あるとすれば、敗戦したための国民への責任だけという痛恨事・開戦の事情だけははっきりさせる。」

 後に東京裁判の総指揮を執ったマッカーサー元帥が、米議会で「日本の戦争は大部分が自衛のための必要に迫られてのことだった」と証言。

 「日本原産の動植物は、蚕をのぞいてはほとんどないも同然である。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫がない、ゴムがない、ほかにもないものばかりだった。そのすべてがアジアの海域に存在していたのである。もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、1千万人から1千2百万人の失業者が日本で発生するだろうことを彼らは恐れた。したがって、彼らが戦争に駆り立てられた動機は、大部分が安全保障(自衛)の必要に迫られてのことだった」

東条内閣を倒したことからA級戦犯容疑者から不起訴になり無罪釈放される。


 次に、引退後、西日本のどこかの内務省地方管区の長官の依頼があり、広島管区を希望したが、すでに大塚惟精(いせい)に決めたばかりと断わられる。広島赴任を免れたため原爆に遭わずに命拾いした。この後も、悪運が強いという個所が何か所かに出てくる。


 以下に目次と小目次を参考までに


序章 南平台の家-60年安保の渦中で

 1960年6月 高峰三枝子邸

長州の血族-繁茂する佐藤家と岸家 

情けあるなら今宵来い 佐藤家と岸家

国木尋常小学校 寛子をおんぶして 血族の絆 岸家の嗣子 あてがい婚 一高から東京帝大へ 百家争鳴 上杉慎吉 北一輝への傾斜 

第2章 縦横無尽 私服の「経済将校」

なぜ農商務省か 官僚優等生  アメリカに反感 家庭人の顔 満州事変 新国家建設

二・二六事件 満州派遣 満州産業開発5ヶ年計画 東条との蜜月 二キ三スケ(東条英幾・星野直樹・松岡洋右・岸信介・鮎川義介) カネは濾過して使え

第3章 東条英幾との相克-悪運は強いほどいい

怪物・矢沢一夫 企画院事件 松岡洋右の一分 東条内閣 悍馬の商工大臣 東条と岸 戦況悪化 サイパン陥落 東条内閣崩壊 悪運は強いほどいい 

第4章 巣鴨拘置所での覚悟-「踊る宗教」北村サヨの予言

A級戦犯容疑者 「踊る宗教」北村サヨ 寛子の握り飯 娑婆への執着 なぜ、不起訴か 獄の内外 「獄中日記」 冷戦を読み解く 判決と出獄

第5章 CIA秘密工作と保守合同-冷戦を武器に接近したダレス

「うまい寿司でも食いたい」 「お玉さん」の覚悟 岸事務所開設 岸と吉田 GHQの内戦 「ニューズウィーク」とパケナム もっとも険しい道 川部美智雄 パケナム邸の極秘会談 天皇のメッセージ-ダレス文書 阿部晋太郎と洋子の結婚 岸、自由党から出馬 三木武吉の荒技 鳩山、悲願達成 パケナムの英語教師 日米会談の裏と表-ダレス文書Ⅱ CIAの「情報と資金」 保守合同へ

第6章 不退転の決意 安保改定の夜 情けあるなら今宵来い

石橋湛山内閣 岸新首相誕生 アメリカ訪問へ ゴルフ談義 日米首脳会談 アジア各国歴訪 冷戦激化の中での安保論争 警職法反対闘争 大野伴睦「念書」事件 安保条約調印と闘争拡大 「核持ち込み」事前協議 ふたつの悩み 強硬採決 「6.15」とアイク訪日中止 情けあるなら今宵こい

第7章 憲法改正の執念消えず

暴漢に刺され重傷 政治資金、賠償汚職の疑惑 隠然たる力 溌剌たる最晩年 岸の背中 浜田麻記子「隠し子」騒動 家郷の土に

(ジョンレノ・ホツマ 2017年4月15日)



音楽の歴史(改訳)/ベルナール・シャンピニュール著・吉田秀和訳(白水社 1969年初版 2004年第31刷 本体951円)


原題は“Histoire de la musique”、著者のシャンピニュールはフランス人で、クラシック音楽をより深く理解するために、音楽が開花した各時代と環境のなかで芸術、文学、宗教、経済、政治と関連させ、中世、ルネサンスを経て近代ヨーロッパ音楽が形成されていく過程を詳細に辿ったものである。

 訳書の初版は1953年というから吉田秀和はちょうど40歳で、気鋭の音楽評論家として存在感を見せ始めた頃である。フランス語が巧みな吉田が手掛けた翻訳書で、その後原書の改訂もあって1969年に改訳版としたのが本書で、その時点ですでに15版になっていたというから、その功績の一部は吉田の名訳にあるのかもしない。

 全体として、「起源」、「中世」、「ルネサンス」、「17世紀」、「18世紀」、「ロマンチスムの到来」、「ヴァーグナー以後現代まで」と時系列に音楽の歴史を俯瞰しているが、バッハ、ヘンデル、モーツァルト、ベートーヴェンはもちろん、サン・サーンスやフォーレ、ベルリオーズ、ドビュッシーといったフランス系作曲家の解説が多いのはやはり著者の思いからか。さらに、原書の索引は整理不十分として訳者自らまとめた作曲家名索引は250人以上、原書にはない生没年と原語によるフルネームが付けられ、本書に込めた吉田の意気込みがよくわかる。

 歌舞伎や能・狂言は日本を代表する伝統芸術だが、といって日本人の誰もが理解し、愛好しているわけではない。西洋に起源を持つクラシック音楽も同じで、ヨーロッパでもクラシック音楽は“教養”だとよくいわれるように、彼らの多くはクラシックをあまりよく知らない。原著者は啓蒙書として書いたようだが、クラシックファンの多い日本でこのように版を重ねることを予想できたのだろうか。ただし、日本のクラシックファンも本書を読む上である程度の知的理解が必要である。

 音楽の起源は石器時代の壁画を見るようには簡単に遡れないが、ギリシャ時代の音楽に関しては資料も残っていて、ローマ教皇で音楽に通じていたグレゴリウスが6世紀末に教会音楽として「グレゴリオ聖歌」を編纂し、10世紀にはキリスト教文化圏に広まった。本書によれば、グレゴリオ聖歌はすでに8音階、つまり「オクターブ」に分かれていて、ラテン語の歌詞の音綴りの上に音の高さを正確に示すために固定音を表わす線を引いた。これが11世紀には2本になり、さらに3本になり、現在の5線へと発展するそうで、日本の音楽書には5線の始まりのことはあまり登場せず、さすがにオリジナルの強みである。

 西洋音楽の発展は、このようにキリスト教文化と切り離せないが、オペラの誕生についての記述が興味深い。芸術も文学も哲学も古代ギリシャに関心を向けたルネサンスは音楽も例外ではなく、1600年につくられたアポロンを主人公にした「エウリディーチェ」は、台詞に音楽を付けたオペラの嚆矢とされるが、今日上演される最古のオペラはモンテヴェルディの「オルフェオ」で、モーツァルトやヴェルディのオペラもギリシャ劇を題材にしたものが多いのはルネサンスの影響だろうか。現在演じられる能や狂言のテーマのほとんどが鎌倉時代を背景としているのも、日本のルネサンス的表現かもしれない。

 クラシックに限らず、音楽の聴きかたは自由である。楽器の純粋に美しい音色を、ジャズの軽快なスウィングを、交響曲の豪華な響きを、そして、オペラの華やかさを楽しめばよい。しかし、本書にもあるように、もしメンデルスゾーンやシュ-マンがバッハの楽譜を収集せず復活させなかったら、現代人はバッハを聴くことができなかった。それを考えると、クラシックファンには堪らなくスリリングな音楽の歴史の“if”である。

(本屋学問 2017年4月15日)

 エッセイ 

人間の「賞味期限」と「消費期限」


 おさらいすると、「賞味期限」とは、製造者が加工食品の品質の維持を保証する期限であり、「消費期限」は、製造者が品質の低下が速い食品について、概ね5日以内の日数で期限を表示するものである。したがって、賞味期限のほうが消費期限より長いのだが、逆に誤解されることもある。

 もちろんこの期限表示は消費者庁による表示法で、加工食品に貼るものであり間違っても人間に貼るものではない。とはいえ、消費者庁の基準とは関係なく、本当のところを言えば人間にも賞味期限があることは、だれでも?うすうす?知っている。

 畏れ多い引用だが、この3月、天皇陛下が、自らの退位後は、象徴天皇としての国事行為一切を皇太子さまに引き継いで、“二重象徴”にならないようにしたいという意向を示されたと報じられた。ご深慮と真摯なお人柄が思われる。

 天皇陛下は、戦後の“人間天皇”のお立場で、憲法に定められた極めて抽象的な「象徴天皇」像を、かくあるべし、かくありたいと深慮をもって模索しながら造形してこられた。そして今、ご自分の果たすべきお務めの期間と退くべき時をご英断なされた。天皇陛下と下々を比較するのは昔なら“不敬罪”だが、天皇陛下のご決断とお言葉は、名誉や地位や我欲で出処進退を誤るエラい人の少なくない俗界を吹き清め、無辜の民を包む爽やかな涼風にも感じられる。

 話は変わるが、古代インドの仏教哲学を首題とする小説「イモータル」(萩耿介著 中央公論新社)の最後にこんな場面がある。「突然、老人の顔がゆがむ。悔恨の日々が蘇り、肩が震え、胸が張り裂けそうになる。首をうな垂れ、本を持つ手も揺れ、こみ上げてくるものと戦っている。涙ではない。涙ごときで埋め合わされるはずがない。深い屈辱と恥辱と、わずかばかりの栄光が唸りを上げて襲いかかる」。この老人とは、古代インド・ムガル帝国の王子シコーがタイムスリップし、現代の老人に仮託されて書店に立つ場面である。手に取る書物は、おそらく、シコーが学者集団を抱えて翻訳した原始仏典「智慧の書」に違いない。シコーは、この原書の翻訳事業に専念するあまり政務を疎かにして弟達の反逆に会い、激しい内戦の末に敗れて王位を逃し、追い詰められ捕らわれて刑死になる。

 王子シコーの運命ほど過酷ではなく、小説になるほどの波乱に満ちた人生ではなくても、名もなく貧しく生きてきた人も、凡人は凡人なりに悔恨のひとつやふたつ、屈辱と恥辱のひとつやふたつ、ちょっぴり自慢したい話のひとつやふたつは胸の奥底に秘めて生きている。

 そこで人間の「消費期限」と「賞味期限」の話だが、品物と違って人間の場合は、死ぬまでが「消費期限」で、その間の、いろいろな局面ごとに「賞味期限」がある。“人を食う”場合の「賞味期限」ではなく、何かを成すための自分自身の「賞味期限」がある。それを自覚せずにポストや栄誉にしがみついていると、老害と言われたり、老醜をさらしたりして、老残を無残に生きることになる。

 先の小説の最後は、「頭を上げて本を閉じた。微笑んでいる。穏やかに満ち足りた幸せな笑顔。(略)本を戻し、杖を取って歩き出した。少し引きずるように一歩一歩。扉に手をかけて押し開く。光が入る。町の音が聞こえる」、と結ばれる。

 犬も歩けば棒に当たる。“末期高齢者”となっても、まだ残余の人生において屈辱、恥辱、悔恨の危機に身をさらす恐れがないとは言い切れない。結論は月並みなことになるが、成すべきことがあるなら己の「賞味期限」のあるうちにそれをやり、残された「消費期限」は穏やかに生きたいものだ。願わくば、小説のラストのように、「頭を上げて本を閉じ、微笑んで、幸せな笑顔で、杖を取って、扉を押し開いて、光が入る、町の音が聞こえる」ところに出ていけるような人生を生きたいものだ。

(山勘 2017年4月14日)