例会報告
第63回「ノホホンの会」報告

2017年1月16日(月)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:狸吉、致智望、山勘、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問)


今年最初の例会も、皆さんつつがなく元気に顔を揃えました。健康、世界経済、ネットセキュリティ、そして宗教と、新年早々多彩な書感、エッセイが紹介されています。アメリカのセキュリティナンバーが話題になりましたが、日本のマイナンバーも
個人情報が何から何まで知られてしまうのは問題ですね。イギリスでは居住実績がなることやら。とにかく住みにくい世の中になったものですが、せめてこの会は楽しくいきましょう。


(今月の書感)

「食でつくる長寿力」(致智望)/「これが世界と日本経済の真実だ」(恵比寿っさん)/「思考の整理学」(狸吉)/「超初心者のためのサイバーセキュリティ入門 あなたのスマホは大丈夫!?」(ジョンレノ・ホツマ)/「新版・尖閣列島(釣魚諸島の史的解明)」(本屋学問)/「臨済録」(山勘)


(今月のネットエッセイ)

「視点は“象徴天皇”か“人間天皇”か」(山勘)/「賀春 随所に主となれば立処皆真なり」(山勘)

 (事務局)

 書 感

これが世界と日本経済の真実だ/高橋洋一(悟空出版 2016年10月3日初版一刷発行 本体1,100円)

著者紹介 たかはし・よういち

1955年東京都生まれ

統計分析家、㈱政策工房会長、嘉悦大学教授(政策研究)。

東京大学理学部数学科、経済学部経済学科卒業。博士(政策研究)。

1980年大蔵省(現・財務省)入省。理財局資金企画室長、内閣府参事官などを歴任した。

2008年退官。

著書に『「借金1000兆円」に騙されるな!』(小学館新書)、『中国GDPの大嘘』(講談社)、『日本はこの先どうなるのか』(幻冬舎)、『儲かる五輪』(角川新書)など。


はじめに

世界経済の真相

実は成功しているアベノミクス

マスコミ報道はなぜ嘘八百になるのか

数字を読めない左巻きの罪

おわりに

著者は「左巻き」という言葉を頻繁に使っているが、思想的に見て「革新系」「リベラル」と呼ばれる人たちのことを言っている。民進党や共産党を支持する人たちと定義している。進歩的だが往々にして既得権に塗れ、自ら稼ぐ努力をしていない。データからロジカルに考えるのではなく、自分の主張に適合するようにデータを探し、都合よく読む。だから、左巻きが作るニュースに騙されてはいけない。世間に流れているニュースは嘘八百だ。正しく数字を読めば見えてくる真実を本書で明らかにする(はじめに)。


トランプの本質はdealにあるので、怖いことはない。話す余地があるということ。変に思想的な考えを持っているよりも交渉はやりやすい。日本人は国際社会での交渉作法を身に着けるべきだ。執筆時(2016.8.31)現在52:48でトランプ優勢と見ていた筆者は目利きと言えよう。


英国のEU離脱についても、言いきってはいないものの、その可能性を指摘してきた。R・マンデル(ノーベル経済学賞受賞)の最適通貨圏理論が示すようにEUは単一通貨で経済政策を行うには大きすぎる。また、英国はユーロを使わず、離脱をちらつかせて自国の主張を通そうとしたりしていいとこ取りをするので、EUから苛立ちが募ってきていてもともと不穏な関係だったわけである。イギリスはヨーロッパ(大陸)にあらず。

マスコミは離脱を機に経済危機を煽っているが、本当のところはわからない、というのが正しい答え。

しかし、危機管理として日本の取るべき対応策は

1. 消費増税は凍結すべき

2. 量的緩和30兆円

3. 補正予算で財政支出60兆円(20兆円×3年)。財源は埋蔵金、財投債、国債。インフラ投資、減税、給付金に充当。

4. 事実上の無制限為替介入。介入枠を補正予算で引上げ。

5. 2と3、2と4はセット。財政再建が心配という向きもあるが備えあれば患いなし。中国経済という不安要因もある。

 中国は中進国の罠に陥っている。壁を超えるには構造改革が必要だが経済は自由化されていない。自由化つまり国有企業改革をやらない限り壁は突破できない。それでも中国は成長しているという人もいるが統計は偽造されているとみるべきだ。

その一例が産業別の成長率と製品別の成長率の著しい乖離。輸出入は相手国の統計もあり信用可。統計システムが旧ソ連に学んだので、そのソ連の公表値は実態と3倍の乖離があったので、諸々のデータからみて公式発表の3分の1程度だろうと指摘している。ソ連のGDPは発表の半分だった(崩壊時)。改竄し易いのだそうだ。

アベノミクスは74点という。失業率が下がったか(6割)、GDPが成長したか(4割)。構造失業率クリアで満点だが90点。後者は50点、案分すれば74点と単純。

世界的に消費税は地方の一般財源に充てられるが、日本では消費税が社会保障費に充てられている。保険料で賄うべきである。下流老人が増える。若者の格差よりも老人格差がより深刻になる。

メディアは既得権益に塗れている。日刊新聞紙法という世界に例のない法律は株の譲渡制限があり、これがゆえに経営者はやりたい放題が出来ている。放送にしても、放送法を守れというよりも電波オークションで割り当てれば、自由競争が働き良い放送のみが生き残る。

過去20年のまま、日本が2050年になれば日本は先進国から脱落するという。経済成長しなければ、貧しい人はますます取り残される。人口減少しても経済成長はできる。1人当たりのGDP成長率は人口減少国でも高い国は多い。要は生産性の向上なのだ。

鳥越俊太郎は「日本のリベラルはダメだ」と言ったが、彼自身が左巻きのお粗末なのだ。

(恵比寿っさん 2017年1月5日)

食でつくる長寿力/家森幸男(日経プレミアシリーズ  本体850円)


本書の著者、家森幸男は京都大学病理化博士課程修了後、京都大学人間・環境学研究科教授を経て、現在は京都大学名誉教授。1983年からWHOの協力を得て世界52か国61地域を食と長寿に関わる学術調査を行う。

本書は、そこから得られた食と長寿、食と短命の関係を集大成した内容の書であり、得られた結果の集大成の内容で、学術的表現を排した分りやすい内容の書となっている。

世界的な長寿地域のグルジア・コーカサスでは、ヨーグルトを常食としてよく食べると言う。そのヨーグルトのなかには天然の抗生物質の様なものが作られていると考えたが、その様な物質はみつかっていない。しかし、いくつかの疫学研究で毎日とり続けているとその結果として、体の免疫力が付いてくることがわかってきたと言う。

南米にある長寿の里として有名なエクアドル・ビルカバンバと言うところが有り、緑豊かで一年中多彩な野菜と果物がとれ、宿泊したホテルでは毎朝、フレッシュなジュースを飲めると言う。ここでの健康診断の結果、高血圧症などは見つからず、体力測定のための自転車タイプのエルゴメーターで体力測定しても心拍数が上昇することも無かったと言う。しかし、14年後に再び訪れると、あまりの様変わりにあぜんとしたと言う。

道路はすっかり舗装され「ビルカバンバに来れば心臓病にならずに済む」「長生きできる」と米国人が聞きつけ別荘を建てたり、ホテルに長期滞在するようになって、桃源郷を蝕んでいたと言う。米国人たちは自分たちの食生活をここに持ち込み、現地の人達も主食のユッカが多量に市場で売られるようになって、以前の様に働かなくなってしまったと言う。住民の肥満度を調べると男女とも2人に1人が肥満状況で、心筋梗塞発生率が3倍に上がり、平均寿命が14年で10年短命になったと推測したとの事。

そこに住むだけで長生きできるような場所は、世界中どこをさがしてもない。長寿の原点は、賢い先達たちが知恵と工夫で培った食習慣にあると言う、世界各地を調査した結果、長寿に良い食生活の原点が判ってきたと言う。

ところで、先生は、毎日何を食べているのかと言う質問が多く、応えなければならない場面で言うには、現地調査の期間が長く自分の都合で食生活をコントロール出来ない事が多い。現地調査の時は、できるだけ現地の人たちの普段口にしているものを食べる様に心がけている。

長寿地域の調査は良いが、当然のこととして短命地域の調査もあるわけで、その時は僅かの期間に体重が増え、血圧やコレステロール値が上昇することもあって、命がけの調査研究活動であったと言う。そんな中で考えついたのが「一日一膳」で、特に朝食一膳主義を貫いていると言う。朝食以外は、酒でも肉でも好きなように、取りすぎないように食べれば良いと言う、但し、酒は日本酒にして1.5合以上を毎日飲み続けると毒に変質するから気を付けるべきと言う。

まずは、カスピ海ヨーグルト約200グラムを毎日食べる、このヨーグルトにすりゴマ、黄粉、お茶の葉丸ごと粉末、ドライフルーツ、砕いたナッツを加える。これで、セサミン、イソフラボン、カテキン、ポリフェノールと言った健康維持にかかせない栄養成分が摂取できて、高血圧、動脈硬化、骨粗しょう症などの加齢とともにリスクが高まる病気の発症予防が出来ると言う。この部分が本書の中心的情報元である。身体に良いのは何故か、良い実例などを多く述べつつ証明しているのが、本書の内容の大半である。

WHOの協力を得た著者の研究活動の集大成はこの部分に集約され、安直に解を求める私などはここだけコピーして持っている。

(致智望 2017年1月5日)

思考の整理学 外山滋比古著 (ちくま文庫1986年520円+税)

 本書の狙いを知るにはまず「あとがき」を読むとよい。「考える、思う、知るの違いは何か?」、「自分はどういう考え方をしているのか?」などを論じ、それを理解するには他の人の考え方に触れるのが有効」と、著者の手法を薦めている。


  目次は6章からなるが、見出しが33もあるので、まず各章の最初の見出しのみ紹介しよう。


1)グライダー、2)醗酵、3)情報の”メタ”化、4)整理、5)しゃべる、6)第一次的現実 と並んでいるが、何が書いてあるのか見当が付かない。そこで例として4章の見出しを眺めてみよう。ここには「醗酵、忘却のさまざま、時の試練、すてる、とにかく書いてみる、テーマと題名、ホメテヤラネバ」と並んでおり、「あ、これは書き方の手引きだな」と察しが付き、同時に何故これらの節が一つの章にまとめられたか理解できる。


 しかしながら、依然として具体的内容は厚いカーテンの向こう側にあり、読んでみるまで中身は分からぬ。実は各節の題名の付け方は、著者が「テーマと題名」で教えている通り、「題名は内容を純化・抽象化し、なるべく短い名詞にする。同時に読者に読む気を起こさせるよう」工夫されているのだ。中身を読んでから改めて眺めると、いかにもぴったりなので感心した。因みに「グライダー」とは学校の優等生のことで、教師に牽引されなければ、飛行機のように自力で飛び上がることができない。このように「えっ、グライダー? 一体何が書いてあるの?」と、読者の気を引くところがうまい題名の付け方である。


 本書は約220ページの小冊子だが、長年知的活動を続けた先達が、後進のために自己のノウハウを書き記した教科書である。どのページを開いてもためになるが、その中で特に記憶に残った項目を二三紹介しよう。


 アナロジー:著者は「言葉は静止しているのに、文章を読むと、意味に流れが生じる。切れ目のある言葉と言葉が結び合わされているのに、一連なりのものとして理解される。何故だろうか?」と疑問を抱いた。しばらくしてこれは音楽と同じと気が付いた。すなわち、一つ一つの音符は切れているが、楽曲として聴くと、前の音が次の音にかぶさり隙間を塞ぐ。これはまた映画の残像効果にも似ている。言葉も残像効果が発揮されるのは、ある速度で読んでいるときに限られる。分かり難いところを速く読むとかえってよく分かったりする。このようにうまく説明できないとき「例えて言えば○○のようなものだ」とアナロジーを使うのは効果的である。


 とにかく書いてみる:「気軽に書いてみればいい。あまり気負わないことである。書き進めば進むほど頭がすっきりしてくる」、「書き出したら立ち止まらないで、どんどん先を急ぐ。細かいことに拘っていると勢いが失われてしまう。のろのろ走る自転車は倒れやすい。全速力で走ると、車輪のジャイロスコープ効果で、障害をものともせず直進できる」と、まず一瀉千里に書き上げ、後でゆっくり推敲するよう勧めている。推敲の結果不満足な箇所が多ければ、初めから書き直せばよい。出来栄えが一段と向上するのは間違いない。


 著者は「あとがき」の中で、「思考とか、思考の整理について方法を教えるのは困難だから、その技術や方法を提供する気はない。本書はいわゆるハウツウものではない」と断っているが、実は立派な思考訓練の具体的手引書である。情報の集め方と整理法、活用の仕方から、ものの考え方に至るまで、実に懇切丁寧に教えくれる。「忘れることの大切さ」はユニークな教えである。正にこの道の先達から個人指導を受けたようだ。


(狸吉 2017年1月8日)

超初心者のためのサイバーセキュリティ入門 あなたのスマホは大丈夫!?/齋藤ウィリアムス佑幸(文春新書 本体800円)

著者は1971年生まれ、暗号・生体認証技術の専門家総理大臣直属の国家戦略会議の委員を務め、内閣府参与に任命されている。

最近、「サイバー…」とか話題をにぎわしているものの、自分の身の上での実感がなかったために今一つピンと来ないものがありました。

本書により、自分には関係ないと思っていたインターネットでGoogleやアマゾンなど自分のチェックした項目、商品について後日の自分のPC画面にこれらに関した広告を頻繁に見るようになっていたことに改めて気が付きました。

幾つか気になったポイントや言葉を含めて自分なりに拾い出してみました。

インターネットへの接続は身近な生活をあっという間に便利に作り変えてくれた。しかし、それは新たな危険の始まりでもある。例えば、介護ロボットが暴走したら・セキュリティの問題を考慮、おろそかにしてはならない。サイバーセキュリティを制したものが未来を楽しめる。

(IoT=Internet of Things:あらゆる物がインターネットを通じてつながることによって実現する新たなサービス、ビジネスモデル、またはそれを可能とする要素技術の総称。物のインターネット)

(サイバーセキュリティ:仮想空間における脅威や脆弱性の対策を行うこと)


Googleの検索サービス、Googleマップ、メールはGmail、暇つぶしにはYouTubeで動画鑑賞。これだけ便利に利用していてもGoogleに一円でもお金を払った記憶はない。Googleの収入源の90%は広告収入、ユーザーには無料でサービスを提供する代わりに、サービスや商品をPRしたい企業から報酬を受け取り、広告を出す場所を貸すことで収益を上げている。Googleを見ていて出てくる広告は、貴方の趣味趣向と非常にマッチしており、貴方の個人情報を抜き取り、蓄積し、精度の高い情報を支配している。

無料のサービスには無料で成り立つだけの理由があり、世の中にはタダより高いものはない。

Googleの例で分かるのは「個人情報はお金になる」ということ。「お金をもらうサービスよりも個人情報をもらうサービスの方が結果的にお金が儲かっている」ことがわかる。


インターネット上の情報の多くは、サービス提供者のサーバーに保存され、多かれ少なかれ流出の危機にさらされています。一度でも誰かに預けてしまった個人情報は、物理的なモノと違って取り戻すことが出来ずに、適切な管理を信じて任せるしかなくなってしまう。だからこそ、インターネットの世界にはセキュリティが大切です。サイバーセキュリティとは、無防備な状態で危険にさらされたままの大切な情報を、いかに守るかの試行錯誤に他ならない。最終的に自分自身の大切な情報を守ることに責任を負えるのは自分自身だけ。


アメリカのマイナンバー制度は個人を丸裸にしている。SSN(Social Security Number)とは、社会保障番号、日本で言うマイナンバーです。アメリカ人にとってのSSNは親にさえ知られてはならない程もっとも重要性の高い個人情報。これが無ければまともな就職はできない、銀行口座を作ることもできない、信用調査に使われ、収入がいくらか、ローンがいくつあるか、借金をしているか、全てが筒抜けです。不法移民が仕事を得るため未成年者のSSNを盗みアメリカ人になりすました例や、身に覚えのない高額な請求が突然送られてきたり、確定申告の還付金1万3千人が「なりすまし」で騙し取られたケースもある。


インターネットへの個人を特定できる書き込みは控えよう

インターネットに何か情報を掲載する際に気を付けたいチェックポイント

個人情報を極力書かない(氏名、居住地、家族構成、連絡先など)

写真や書き込みの位置情報を表示しない。

旅行など長期の外出や日常的な不在時間を想像させる書き込みはしない。

反社会的な表現はしない。

読んで不快になる人がいる書き込みはしない。

この5つを押さえておけばほとんどのトラブルを回避できると思う。


パソコンやスマートフォンは監視されていると考えよう

インターネットに繋がるすべての電子機器には、ハッカーに監視されている可能性があります。自分が所有するパソコンやスマートフォンに自分でマルウェア(不正な機能またはプロセスを実行することにより、システムの運用を阻害する悪意あるソフトウェア)をインストールするなんて考えても見ないことでしょう。しかし、あなたの電子機器を監視するためのソフトウェアは予想もつかない方法でいつの間にか外部から侵入を果たしている。代表的な手口は、メールの添付ファイルです。「これは何かな?」とよくわからない添付ファイルをクリックしてしまうのは絶対NG。ウィルスに一瞬で感染したあなたのコンピューターは、あなたを監視するだけでなく、アドレス帳にアクセスして家族や友人や取引先にも同じウィルスをばら撒こうと機能します。」そういった意味では、アドレス帳に記録している知人からのメールでも正体の不明なファイルは開いてしまったら、もうアウトです。「全ての電子端末はハッカーに監視されている」・「自分も狙われている」という前提を意識することです。


もう少し、違ったアプローチもあります。もし、コンピューターのパッチ(プログラムのバグを修正するための修正プログラム)をアップデートしたこともないような方がいたら、代わりにそれをやってあげるのです。SNSに個人情報を書き込む人がいたら「空き巣が見ているよ」と、その都度、声をかけてあげましょう。

便利さは安全安心と結びついてこそ成り立つもの。

サイバーセキュリティはもっと身近な一般常識として日常的な会話の中で語られないといけないことでないだろうか。

(SNS:ソーシャル・ネットワーキング・サービス(social network service)とは、社会的ネットワークをインターネット上で構築するサービスの事である。代表的なソーシャル・ネットワーキング・サービスとして、日本最大の会員数を持つmixi(ミクシィ)、モバイル向けのGREE(グリー)、モバゲータウン、海外では世界最大の会員数を持つFacebook(フェイスブック)、それに次ぐMyspace(マイスペース)などがある)

以下に目次の一部を列記します。一通り目を通すだけでも参考になると思います。


目次

はじめに 

セキュリティ意識調査テスト

サイバー攻撃を仕掛けてくる敵は誰?

悪意のあるプログラムには三種類ある?


あなたの個人情報は毎秒盗まれている

LINE乗っ取りで社会的信用は一秒で失われる

空き巣はSNSで侵入先の世帯を選ぶ

指紋認証は素人でも一秒で突破できる

銀行からのメールはフィッシング詐欺

コンピューターを使っていない人もハッキング被害を受ける

IoT機器が育児や介護の未来を変える…しかし?


サイバーセキュリティとは何か?

個人情報は大切な資産、今ではお金より価値が高い

全ての個人情報はインターネットに格納されている

アメリカのマイナンバー制度は個人を丸裸にしている

自動運転車が運転手の命を脅かす

電気、水、交通、金融・・重要インフラは明日にも停止する

東京オリンピック・パラリンピックは地球の裏側から妨害される

攻撃的なサイバー技術者はコピペで増殖する

サイバー攻撃で大企業が倒産する未来が来る

サイバー戦争は核戦争の次の脅威である

2025年、人工知能は人類の能力を超える

サイバーセキュリティは二十一世紀最大の成長産業

インターネットはサイバーセキュリティの恩恵で発展してきた


誰にでもできるサイバーセキュリティ

現実世界よりもサイバー世界のセキュリティを重視しよう

サイバー攻撃を防ぐ十一箇条

パソコンやスマートフォンのパッチを更新しよう

厳重なパスワードとは何かを知ろう

インターネットへの個人を特定できる書き込みは控えよう

パソコンやスマートフォンは監視されていると考えよう

ネットに繋がるスマートデバイスに用心しよう

それでもアナログをデジタルに置き換えよう

サイバーセキュリティを楽しもう


(ジョンレノ・ホツマ 2017年1月9日)

版「尖閣」列島(釣魚諸島の史的解明)/井上清(第三書館 2012年10月20日 本体950円)


「だから、尖閣諸島は中国領である!!」。挑戦的な帯のコピーが目を引く本書の初版は1972年10月、つまり、日中国交正常化と同時期で、両国間の領土問題は一時棚上げにして先に進もうと宣言した当時の事情を知る上で重要な書であり、今後の日中関係に改めて一石を投じる書でもある。

本書は版元の関係でしばらく絶版だったが、1996年に右翼団体が尖閣諸島の魚釣島に灯台を設けて日中間係が険悪になったことをきっかけに第三書館が再版、さらに日本が無謀にも国有化を宣言した2012年にこの新版が刊行されたとき、作家の佐藤優が書評で「日本政府が尖閣諸島に関して『固有の領土だ』と胸を張って主張することはできない」と書いた。

2010年に中国外交部の報道官が尖閣諸島中国領の根拠を問われて、「日本の井上清の著書「『「尖閣」列島』を読んでほしい」と発言したそうだが、佐藤が外交官だったことを考えると、おそらく日本の外務省は以前から尖閣問題の本質について熟知し、懸念を抱いてきたのではないか。

著者の井上清は『日本の歴史』(岩波新書)の著者としても知られる歴史学者だが、マルクス主義の立場から天皇制批判や部落解放問題、中国の文化大革命や日本の全学共闘会議を支持するなど左翼的スタンスが目立ち、本書も保守層からは中国寄りだとほとんど評価されなかった。しかし、今改めて読んでみると実に良く調査され、示唆に富んでいて、これまで日本政府やマスコミが説明してきた尖閣諸島(釣魚諸島)の領土の主張がいかに根拠のない、説得性に欠ける中味の薄いものだったかがわかる。

著者は日中間に領土問題が存在することは知っていたが、その経緯に詳しかったわけではない。そこで、事実関係を確かめるべく日本本土を始め沖縄、中国、さらに19世紀に世界中の海洋調査を行なったイギリス、フランス海軍の資料を求めてヨーロッパにも赴いた。その結果、尖閣諸島は一度も琉球の領土になったことはなく、中国領であるとの結論を得て本書を書いたと述べている。

本書によれば、釣魚諸島は歴史的に中国領だった可能性が高く、親中派、親日派が激しく対立した琉球支配層のなかで親日派の筆頭といわれた尚像賢が、17世紀に編纂された琉球国正史『中山世鑑』で、1534年に書かれた中国書『使琉球録』にある「釣魚諸島を過ぎ、最初の琉球領の久米島を見る…」という記述をそのまま引用していることが、当時の琉球が釣魚諸島を明らかに中国領と認識していたと著者は見ている。

1785(天明5)年に林子平が著わした『三国通覧図説』の付地図にも、「釣魚台」(尖閣諸島)が日本や琉球とは色の違う福建省と同じ色で示され、当時も明らかに中国領とされている。本書を中国寄りだと批判する論者は多いが、そんな彼らに限ってこの日本側の明白な証拠を無視している。著者が強調する部分でもある。

日本が尖閣諸島を領有したのは1895年であるが、それは無主地だったからではなく、時期的に日清戦争と重なっていたために勝利に乗じて盗み取ったものだ、それに第二次大戦後に中国側が釣魚諸島領有を問題にしなかったのは、領土問題が終わっていなかったからだと著者は分析する。

そもそも「尖閣」の呼称は、1900年に沖縄の教師で博物学者の黒岩恒(ひさし)が現地調査をして命名したもので、1800年代にイギリス軍艦「サマラン」が同諸島測量をして作成したイギリス海軍の海図と水路図を参考に、釣魚諸島の英語名、Pinnacle Islands のpinnacle(ピナクル=尖塔、尖ったもの)を翻訳したという。だから、1895年の時点では明治政府も尖閣諸島を「釣魚島」と中国の名称で呼んでいたようで、1894年の日本海軍水路誌には「ピンナクル諸嶼」、それが1908年には「尖閣諸嶼」になった。琉球が尖閣諸島を領有したことはなく、だから1900年以前に琉球人が釣魚諸島を「尖閣諸島」と呼んだことも一度もない。

本書には、あまり知られていない興味深い話も紹介されている。1895年以前に明治政府が無人の釣魚諸島ではなく、当時から島民が住んでいた石垣島、宮古島、西表島、与那国島を清国領にしてもよいと提案したが、幸いにして中国側が拒否したそうで、このことは外務省も知っている。さらに、1943年カイロ宣言のとき、アメリカのルーズベルト大統領が中国の蒋介石に、日本の敗戦後に尖閣諸島だけでなく、沖縄全島を中国領にしてはどうかと2回提案したが、このときも蒋介石の辞退で免れた。もし沖縄が中国領になっていたら、同時に「南方領土問題」が発生していたはずである。

1960年代になると尖閣海域には海底に豊富な油田があることが推定され、日中両国間で領有権が争われるようになった。1969年に石垣市は島に「石垣市建之」と書いた標識を立てたが、尖閣諸島が沖縄県の管轄になったことも公示されたことがない。沖縄県は「1895年の閣議決定を経て日本領土となり、八重山石垣村に帰属した」と説明しているが、「竹島」や「硫黄島」は公示したのに当時の勅令のどこにも「魚釣島」や「久場島」の名はないと本書は断定している。

日本の突っ張りかたは竹島問題での韓国の姿勢とそっくり裏返しで、アメリカも同じ見解だと本書はいうが、だからこの際、「尖閣諸島」「竹島」「北方領土」をまとめて一度国際司法裁判所に提訴してみたらどうだろうか。当然、当事国である日本、中国、ロシア、韓国、台湾の同意が必要になるが、一体どんな結末になるのか。いずれが国際ルールを順守する洗練された真の先進国家か、赤っ恥をかいて国際社会の笑いものになる国はどこか、それに国連の常任理事国が2国も絡んだ緊張感溢れる領土問題に発展して、さらに面白いことになるのではないか。

(本屋学問 2017年1月10日)

臨済録/入谷義高・訳注(岩波文庫  本体680円)


本書は、臨済禅師の教えを弟子の恵然が集めた語録である。主な内容は「上堂・示衆・勘弁・行録」の4扁で、これに序と塔記と訳注者による解説がついている。馬防(伝記未詳)による序は、いきなり、修業中の臨済が「かつて黄檗の山で、したたかに棒で打たれ、大愚の脇腹を、見事に拳骨で一突きした」という衝撃的な文言ではじまる。

臨済の言行録である「行録(あんろく)」編によると、臨済が、黄檗禅師のもとで3年修行が続いた頃、首座と呼ばれる上役の薦めでやっと黄檗に対面し、仏法の根本義について尋ねようとしたら質問も終わらぬうちに棒で痛打された。外でも、修行中の臨済は、他山の大愚禅師などに鉄拳を食らったり反撃したり、禅の痛棒や大喝を食らいながら修行が続き、黄檗が「それにしてもそなたはもうとっくにわしの30棒は食らったぞ」とあきれられた頃、「わが宗はそなたの代に大いに興隆するであろう」と認められて得度した。

臨済の生きた唐代末期(9世紀)は、唐王朝の命運が急速に下降し、各地に「藩鎮」と呼ばれる軍閥の抗争する時代で、禅の修行も説法も問答も荒々しいものがあった。臨済は、「仏もなく、法もない」「仏に会えば仏を殺し、法に会えば法を殺す」と言い、求道者は仏や法を「外にも求めるな、内にも求めるな」と説き、「ほかでもない今そこで説法を聴いている「無依独立」の君たち道人こそが諸仏の母なのだ」と説く。仏はその「無依」から生まれる。そしてこの「無依」に達したならば、仏そのものも無存在なのであると説く。

そして臨済は、修行者たちの迷い、なによりも自信の無さ、すなわち「自信不及」を叱咤し、「修行者たる者は大丈夫児(男一匹)としての気概を持て」と叱咤する。それは、もちろん豪傑になれというのではなく、己が主体となって、なにものにもとらわれない「無依の人」「無位の人」「平常無事な人」であれと説く。そういう生き方こそ偉丈夫の在りようだとして、「自信不及」の弟子に厳しく「臨済の喝」を入れることになる。

修行者に説法する「示衆(じしゅ)」扁の中から、第8節の現代語訳を紹介する。諸君、もし君たちがちゃんとした修行者でありたいなら、ますらおの気概がなくてはならぬ。人の言いなりな ぐず では駄目だ。ひびの入った陶器には醍醐(最高に美味な乳製品、転じて仏性を指す)を貯えておけないのと同じだ。大器の人であれば、何よりも他人に惑わされまいとするものだ。どこででも自ら主人公となれば、その場その場が真実だ。外からやって来る物は、すべて受け入れてはならぬ。君たちの心に一念の疑いが浮かべば、それは魔が心に侵入したのだ。菩薩ですら疑いを起こせば、生死の魔につけ込まれる。まずなによりも念慮を止めることだ。外に向かって求めてはならぬ。物がやって来たら、こちらの光を当てよ。(中略)君たちが今ここにはたらかせているものに、いったい何が欠けていよう。一刹那の間に、浄土にも入り、穢土にも入り、弥勒の殿堂にも入り、三眼国土(法眼・知眼・慧眼の地)にも入り、いたるところに遊行する。が、見るのはただそれらの空なる名だけである。

解説では、「臨済録」は臨済宗の聖典ではないとして、宗とか派とは全く無縁の書であると言う。臨済禅師の生きた唐代末期の「唐代禅」は、達磨からの六祖にあたる慧能(えのう)の禅開祖以来、宗派もなく、名のある禅師から弟子へと法の継承・普及が行われた。従ってこの「臨済録」を後世の「臨済宗」的教条に当てはめて読む必要はない、と言う。

いうまでもなく臨済の教えは形而上の高みをめざす道人への厳しい教えであり、凡夫に向かって自己を信ぜよ自信を持てと教えているわけではない。「無事の人たれ」と繰り返し教えた臨済ではあるが、そこに到達するまでの決して無事とはいえない厳しい「自己格闘」の軌跡を、その教えとともに本書は見事に活写する。

(山勘 2017年1月11日)

 エッセイ 

視点は“象徴天皇”か“人間天皇”か


先に、「正月ともなると、日ごろは無信心で暮らす人間でも、神や仏のことを少しは考える」ということで、けっして信心深いとは言えない私が、大分県・長福寺の宇都宮ご住職の“体験記”を借りてエッセイを書き、さらに関連する図書「臨済録」を読んで“書感”を書いた。ついでだが、「臨済録」は、その訳注者・入谷義高氏によると臨済宗の聖典ではないという。私流に言えば、自我の確立を目指す哲学書とでも言うべき一書であり、臨済禅師によれば、「仏もなく法もなく、修行すべきものも悟るべきものもなく」、ただ、何物にもとらわれない「無依の人」「無位の人」になれと説く。

さて、それで禅門の内側をちょっとばかり覗いたが、今度は、神の方もちょっと参拝しなければと思ったのがこのエッセイだ。安直に手元の辞典を引けば、神とは、「人間を超えた力を持つものと想定され、信仰の対象となる概念」とある。よく分からない説明だが、信仰の対象が一つではないことだけは何となく分かる。一神教のキリスト教における絶対者・ゴッドに比べると、日本の神は茫洋として大きく、数も多い。八百万の神々がおり、キリスト教の宣教師たちも驚いたように日本の神々は山川草木にも宿っているように見える。古代においては多くの地方の首長がそれぞれの神を祀っていた。その神様は、ご先祖様をはじめとする種々の氏神様である。やがて国が鎮まり、頂点に立つ天皇が“主宰者”として神を祀るようになったが、こちらも神の主体は天照大神などご先祖系である。

こうして有史以来、日本の天皇は“万世一系”で神を祀ってきた。これについて、社会学者の橋爪大三郎×大澤真幸氏が「元気な日本論」で、おおよそこんなことを言っている。「日本の天皇は神を祀り、中国の皇帝は天を祀ってきた。中国においては神のランクは低く天のランクが最上位だ。しかし中国の皇帝は、統治者としての手腕が劣ると革命が起き、「天命」が別の誰かに下って自分がクビになる。一方、神を祀る日本の天皇の場合は、祖先が祀られる神になるのだから血脈の関係は切れず、革命は起こらず、万世一系となる」というのだ。

しかし、日本の天皇といえども、歴史を見ると革命が起きそうになったり、万世一系があぶなくなったりしたこともなくはないようだが、かろうじて万世一系の体裁を保ってきたことはたしかだ。

天皇はいまでも神道の“棟梁”であるが、戦後は、憲法によって「国の象徴」となった。しかし、少なくとも戦前までは、“万世一系”で神を祀る役割を任じてきた。したがって戦後の「象徴」としての天皇も、形而上の精神的な役割り、あえていえば“神聖”に通じる存在理由を否定することはできない。単なる象徴、すなわち神聖・神性を伴わないシンボル的な象徴なら民主的な選挙で選んでもいいわけだが、憲法上の「象徴」は、そのような精神性を伴わない平板な「象徴」ではない。天皇の“神聖”があればこその「象徴」であるともいえる。しかし同時に、戦後は間違いなく戦前までの“現人神”を返上して“人間天皇”になられたことも確かである。

天皇の話になれば、今上天皇のご退位問題がある。いま、この問題について、世論も沸いているが、専門家・識者も、公式に多面的に論議している。そんな折りに、唐突に1月10日、産経新聞朝刊が一面トップで「新元号 平成31年元日から」と大見出しで報じ、同日夕刊で毎日が、翌11日、朝日各紙が大見出しで追いかけた。いずれも内容は、天皇陛下が2019年にご退位して皇太子さまが新天皇に即位する方向で政府が検討に入ったというもの。これに対して菅義偉官房長官は、「報道されているような内容は承知していない。陛下の公務負担軽減を最優先に、静かに議論を進めていただいている」段階だとしている。各紙の記事は明らかに特ダネ気取りの“飛ばし記事”である。

ともあれ、問題はいろいろあろうが、ご退位問題に限って言えば、今は“象徴天皇”の役割を重視すべきか“人間天皇”のご高齢を重視すべきかという“優先順位”の問題であり、国民の多くが後者の方向に思いを寄せているはずだ。したがって天皇にご心痛をおかけしない配慮も(混乱報道も)含めて、“人間天皇”重視の方向で慎重かつ早急に結論を出すべきではないか。

(山勘 2017年1月11日)

賀春 随所に主となれば立処皆真なり


正月ともなると、日ごろは無信心で暮らす人間でも、神や仏のことを少しは考える。臨済宗の「法光」という小冊子(29年 正月号)に、大分県の長福寺住職 宇都宮玄秀師が「袖すり合うも他生のご縁です」という話を寄せている。あまり信心深いとはいえない私の心にも響くものがあった。

たまたま宇都宮師が、列車内で同席となった60代後半とおぼしき男性に声をかけられた。その男性が、遠慮がちに僧衣の師に申し出た相談事とは、婚外子の自分が父方のお墓をみることになったが、自分の後は無縁墓地にならざるをえない状況で、どうしたらいいものかという相談だった。

話は、平成28年2月。九州・日豊本線特急「ソニック」車内でのことである。男性の話をよく聞いた後、師は、最終的にはその墓地のお寺さんと納得されるまでお話しされるのがよいでしょうと答える。そして読みさしの「臨済録」を再び開いた。それは、雲水時代に定価300円で購入した30年来の古びた愛読書である。しかし、車窓に流れる景色を眺めている隣の男性に、自分の助言が、真情を吐露してくれた彼の勇気と真心に対応できているのかと心中穏やかではなかった。

やがて、車内に次の停車駅がアナウンスされ、その男性が降車の身支度をはじめた。残された数分間、彼に何かを伝えなければならない。師は焦りを覚えながら、思わず取った行動は、手の「臨済録」を紹介してパラパラとページをめくり、ここに「随所に主となれば立処皆真なり」とあります、と話しかけた(立処は立つところ、か)。

その師の大事な話を勝手に要約すると、どんな場合でも精一杯取り組めば、悔いのない真実の世界がある。あなたはお墓の行く末まで心配して誠意を尽くしている。そのことが真実の世界である。あなたがいま為されていることがあなたの使命だと思ってご先祖様を守ってください」。(誤解がなければ)大要、そのようなことを男性に告げた。男性は、マフラーに顔をうずめ、声を忍ばせて泣いたという。宇都宮さんは、男性が丁寧に感謝の言葉を述べ、列車を降り、ホームの出口に向かう後姿を車窓から見送った。

この素晴らしい話の紹介はここで終わってもいいのだが、男性を見送ってから、師が終点大分までの10数分間、彼に紹介した「臨済録」の個所を読み返した。その教えは、修行僧に対する教えである。「修行者よ、お前たちがもし正しい修行の成就を願うならば、大丈夫の気概がなくてはならぬ。もし意思が弱くつねに外物に振り回されているような者はとても見込みがない。罅(ひび)の入った陶器には醍醐(極上の味、仏の教えのたとえ)を貯えておけないと同じだ。大器の人であれば、何よりも自己の尊さを信じて、他に惑わされないことが大切だ。随所に主となることができればその場その場がみな真実である。外のものについて廻ってはいけない。お前たちの心に一念の疑いが浮かべばそれが魔である。菩薩ですら疑いを起こせば、生死の魔につけ込まれる。先ずなによりも計らいを止め、外に向かって求めてはならない。外に魔が現れたならば、すぐに自己にたちかえり、それが自己であると見破れ。ただただお前たちの今そこにはたらいているものを信ぜよ。それが出来れば、面倒なことは一つも無い」、と教える。

この教えを正しく理解することは至難である。凡夫の私としては、こう考えたい。外部に振り回されるな。他に惑わされるな。自分は自分だと信念を持っていれば、何処にいてもその場その場の真実が明らかになる。自分の心に一つの疑い、人への疑念などが浮かべばそれが魔である。魔につけ込まれるな。そのためには、よけいな計らいごとを止めること。外に向かって自分に都合の良いことを求めてはならない。外に魔が現れたならば、すぐに自己にたちかえり、それが自己であると見破れ。魔は自分の心の投影であると気づけ。今、自分にはたらいているもの、はたらきかけているもろもろの事柄を信ぜよ、認めよ。それが出来れば、面倒な問題は一つも無い。

余談だが、「臨済録」を購入した(岩波文庫 680円+税)。「随所に主となれば立処皆真なり」の教えを新年の手帳の表紙内に書き留めた。年初に出会った頂門の一針に感謝。

(山勘 2017年1月11日)