例会報告 |
第58回「ノホホンの会」報告 2016年7月22日(金)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:狸吉、山勘、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問) 前回に続いて今回も、満を持して出席予定だった致智望さんが思わぬアクシデントで、しばらく休会を申告されている高畑童子さんと2人出席いただけず、暑気払いもジョンレノ・ホツマさんが都合で不参加となり、寂しい例会、暑気払いでしたが投稿は活発で、いつものように健康談義、社会問題とバラエティに富んでいます。詳細は各テーマをご覧ください。 (今月の書感) 「ラジオ体操は65歳以上には向かない」(狸吉)/「老けない人は何を食べているのか」(恵比寿っさん)/「世界経済大混乱」(致智望)/「日本語の謎を解く」(山勘)/「9割の老眼は自分で治せる・日めくり!毎日、眼トレ(ジョンレノ・ホツマ) (今月のネットエッセイ) 「緊張感」(本屋学問)/「買い物の努力」(恵比寿っさん)/「政治家の“人間力”とマスコミの責任」(山勘)/「助詞は日本語の“尾てい骨”」(山勘)/「昔と今の“自然児”」(山勘)/「天皇陛下生前退位について」(ジョンレノ・ホツマ) (事務局) |
書 感 |
ラジオ体操は65歳以上には向かない/戸田佳孝 (大田出版 2016年3月 本体1000円)
いささか人を驚かす題名である。後期高齢者の私は、「著者はリウマチの専門医だから無責任なことを書くはずがない」と思いつつも、「これまで知らずに身体を痛めていたか?」と心配しながら本書を手に取った。読んでみると本書は従来のラジオ体操の問題点を論じたもので、ラジオ体操を全面的に否定するのではなく、むしろ高齢者に効果的なやり方を提案しているので安心した。
まず序章「なぜ、ラジオ体操が65歳以上には向かないか」では、跳躍運動でひざを痛めること、横転や捻りができず、その真似をしていることなど、高齢者が無益に体を傷めていると指摘している。著者はだからラジオ体操を止めろというのではなく、ひざ筋力を鍛えるトレーニングなど、ラジオ体操に耐える身体作りを提唱している。
第1章「ラジオ体操を過信するとこんなに危ない」は序章を敷衍したもので、身体能力の衰えた高齢者に対するラジオ体操の危険性を具体的に挙げている。
第2章「ラジオ体操の効果を検証する」では一転して、ラジオ体操のメリットも認めている。大学の研究会が60歳以上の男女506人について実施した調査によれば、「血圧・血行・精神的健康の改善には効果あり。ダイエット・呼吸機能の改善には効果なし」とのこと。
第3章「ラジオ体操は現代にそぐわない」は、ラジオ体操の起源から今日の状況までの歴史的な記述。ラジオ体操は1925年アメリカの生命保険会社によって考案され、ラジオ放送により広められた。わが国のように集団で屋外で行うのではなく、家庭で一人で行うよう想定されていた。
当時欧米視察に派遣された逓信省の役人がこれを日本に持ち帰り、1928年国民保険体操のラジオ放送が始まる。その年には天皇陛下の即位御大典があり、ラジオ体操はその祝賀行事として奉納されることになった。そうなれば演技者は全員前を向いて整列し、お立ち台から見てきれいに見えることが重視される。オリジナルの32種類の運動は11種類に減り、集団で行うダンスのような作品となり、足腰の筋肉を鍛える効果は消えてしまった。
終戦と共に占領軍司令部から「ラジオ体操は軍国的」と見做され禁止されたが、翌年には「民主主義精神涵養のため」と称して現在のラジオ体操が作られた。しかし、戦後版もやはり戦前版の要素を色濃く残し、根底にあるのは「お立ち台からきれいに見える」奉納ダンスであり、高齢者が必要とする足腰の強化には役立たない。もっとも、戦後版がスタートした当時、日本人の平均寿命は男性50歳、女性54歳と短く、高齢者に対する配慮など必要なかった。
終わりの第4章では、日本版ラジオ体操から抜けてしまった下半身の筋力増強について具体的な練習方法を解説し、ラジオ体操の効果を高めている。本書の中でこの章が一番役立つと感じた。毎日ラジオ体操に励む高齢者の方々に一読を勧める。 (狸吉 2016年7月3日) |
老けない人は何を食べているのか/森由香子(青春出版社 2015年3月5日 本体1,000円)
著者紹介 栄養管理士。日本抗加齢医学会指導士。 東京農業大学農学部栄養学科卒業。2005年より、東京・千代田区のクリニックにて、入院・外来患者の血液検査値改善に伴う栄養指導、食事記録の栄養分析、ダイエット指導などに従事している。 また、フランス料理の三國清三シェフとともに、病院食や院内レストラン「ミクニマンスール」のメニューの開発、料理本の制作などを行う。抗加齢指導士の立場からは、〈食事からのアンチエイジング〉を提唱している。 著書に「なぜベトナム人は痩せているのか」(幻冬舎新書)、「食べる時間を変えれば、やせられる」(東洋経済新報社)、「その食べ方では毒になる!」「1週間『買い物リスト』ダイエット(青春出版社)、監修に「免疫力を高める野菜」(青春出版社)などがある。
はじめに 老ける老けないは、食事や食習慣と深い関係があります 肌年齢が若い人は何を食べているのか 見た目が若い人は何を食べているのか カラダがサビない人は何を食べているのか 血管年齢が若い人は何を食べているのか 老ける食習慣、老けない食習慣
著者は「食事からのアンチエイジング」をテーマに栄養・食事指導を行っている。老ける度合いは食事や食習慣と深い関係があるという言葉そのものは既知ですが、具体的にそして平易に解説している文庫版なので、電車内で気軽に読めるのが良いです。 アンチエイジングは、私の人生の目標の一つで、常に興味を持っているが、著者によれば、間違った方法なども巷間にあるし、実はエイジングを加速してしまうようなこともあるので、注意が必要とも。
ビタミンCは老化防止に役立つし、体の中で生産できないので、食事から供給する必要があると分かっていて、サプリメントは買ってあるが、実際には飲み忘れている。私の場合はゴルフに出かけるときや芝管理に出動するときは気を付けて飲むようにしているが、普段はカラッと忘れている。こういうことに警鐘を鳴らしているので、有難い。
読了後、守るべきと思ったことだけを書感として記します。 1.納豆(アンチエイジング食品のスーパースター)はビタミンB群を大量に含むので、肌の健康に良いし、肝臓活動を活発にし、整腸機能も高い。ハイ、我が家ではよく食べます。 2.1日1個の卵を食べるといつまでも若々しい。必須アミノ酸をいろいろ含むから。近年、せいぜい週に1個、気を付ける。 3.甘いものの食べ過ぎは肌によくない。 ハイ、気を付けています。もともと大好きですが、これはむしろ少ないくらいです。 4.鉄分不足は肌によくないが、肌のたるみを防ぐためにもレバニラ炒めが効く。あ、ほとんど食べてない。 気を付けます。 5.乾燥肌予防に緑黄色野菜と亜麻仁油やシソ油と一緒に食べる。こんな調理油は置いてない(筈)。 買ってくる。 6.肌細胞を作る成長ホルモンは、熟睡時の1時間後に作られる。俺、大丈夫だ。 7.顔のたるみはマッサージよりも、回数多い咀嚼が効果。これは参りました、いい加減です。頑張りますよ。 8.目の下のクマはビタミンB、C、Pが効果高い。これは知りませんでした、Pって何に含まれるか調べます。 9.歯を白く保つには唾液の中和力を使う。良く咀嚼し、食後30分くらいして歯磨き。意識してやってますが、昼食と夕食は×。 10.体型崩れは代謝不足。促進するにはB群。これはタンパク質に多い。 結構食べているけど。Bをもっと摂れと言うことかな。 11.1日2Lの水が必要(体重50kgで)。水分不足だ!!夏は摂ってるけどね、頑張ろう。 12.ヒアルロン酸で若返るは幻想。はい、別に考えてもいませんでした。 13.フルーツは1日に200grが適量。リンゴは200grある、食べ過ぎ。リンゴを半分?!1個食べちゃいますよ。 14.スポーツドリンクはカロリー高いので、要注意。ウォーキングではカロリーは多すぎるね。 15.鉄分過剰は体を錆びさせる。10mg程度、サプリ等は過剰になりやすい。 16.玉ねぎは切り方で抗酸化物質(アリシン)を増やせる。繊維を切る切り方が良い。へー!?! 17.亜麻仁油やエゴマ油は酸化すると老化に加担。加熱せずサラダにかけると良い。 18.若返りホルモン(DHEA)はストレスホルモンの作用を和らげるが、この分泌は20代がピーク。ヤマイモには抗酸化ビタミン、抗酸化ミネラル、抗酸化物質のすべてが含まれている。 19.アンチエイジングのポイントは腸の健康。ハイ、毎日ヨーグルト食べてます。 20.食事の1時間。ゆっくり食べる、良く咀嚼する、食べる順番(食物繊維の多い順)が良い。腹八分目も大切。これが最もヤバイ!! (恵比寿っさん 2016年7月11日) |
世界経済大混乱/滝田洋一 (日経プレミアシリーズ 本体850円).
本書は、日経新聞社編集委員を務める滝田洋一の書である、著者が取材現場から得た豊富な資料から、事象ごとにドキュメント風につづられ、公表された資料に照らして著者流に纏めた書である。読む者に或る意味での信憑性の高さを思わせる恐ろしさを感じる。その内容は、極めて濃いもので、私如き者に書感を書くことなどとても荷の重いものであった。今起きている経済の混乱、その事象毎に関わる解説に、強い説得力を感じる辺りは他の多くの識者によるこの種の物に比して信憑性にたけていて、逆に恐ろしさを感じるのである。
本書の内容の主な項目は下記から構成されている。 一章、中国が世界を振り回す 二章、黒田日銀が飛び込んだ「不思議の国」 三章、カネあまりなのにカネがない 四章、内も外も解け始めた 五章、日本に活路はあるか
以上の5章に分けて論じられている。 中国リスクは、中国の経済規模が米国の2/3にものぼる規模で在りながら、インフラ整備の不具合のみならず、意図的とも見える信用出来ない統計数字などに、問題がある。加えて、資源国を中心とした新興国が金融緩和の局面で積み上げてきたドル建て負債による設備投資が、中国の経済の落ち込みによる需要不足から、外貨収入が落ち込んだところに、不要設備と言う重圧が増して、不良債務の増加と言う爆弾をかかえることに加えて、返済に要するドル不足によるパニックが心配される。浮き足立った投資家による日本株安、円高現象の背後にあるリスクへの警戒感が今の経済不安と言う。 一方、中国の外貨準備が多量に海外に流出し、外貨準備高の「水増し」疑念がぬぐえないという。人民銀行は海外持ち出し金の制限を規定しているが、政府関係者やそれに関わる金持ち層は、あらゆる手段を使って海外に外貨を持ち出している、その事実は統計上明白であるが、実はもっと深刻な問題がある、発展途上国の資源開発に援助している投資の焦げ付きが大きいと言う。 本書における圧巻は、「第四章の内も外も解け始めた」と言うテーマである。 「Gゼロの世界」への始まりとして、そのトップリスクが、第二次世界大戦後の世界の基軸となってきた米欧の「大西洋同盟の亀裂」と言う。目も合わさなかった米中首脳会談の実態に反し、中国に走る英国の「お家事情」などが詳しく論じられている。また一方でフランスを「わが同盟軍」と呼んだプーチンのしたたかさ。それ関連する事情などが詳しく述べられている。 その他、繰り返される「ギリシャの仮面劇」、などが論じられている。この「ギリシャの仮面劇」と言うのは、ギリシャは確かに虚偽報告によって多額の負債を隠したと言う事実があるが、それは民衆に責任があるわけでは無い、その後のギリシャ国民は血の滲む努力をして25%の失業率と物価高を抱え、国家予算を黒字にまで持っていったが、過去に積みあがった負債には到底及ばず、それでも民衆は地獄の苦難に耐えている。この辺りの事情を著者は詳細に説明し数字を挙げて説明している。そもそも、ドイツは第一次世界大戦のとき多額の債務を帳消しにして貰って再生した経過があり、ギリシャに対する仕打ちは尋常で無い、中国マネーに縋るギリシャを批判するドイツは如何なものかと著者は言う。その他、米国のトランプ現象を生んだ背景なども論じられており、「Gゼロ現象」を彷彿とさせられるものである。
最後の第五章、日本に活路はあるかの章である、ここは著者の本書における結論を論じたもので、極めて常識的結末論と考える。要は、産業のイノベーションを図らなければならないと言うこと。具体的テーマとして「IoT」を挙げている辺りは、如何にもマスコミ業界の「人」を感じてしまう。今私は、自動車の自動運転技術の開発途上の業界で仕事をしている、「IoT」が第四次産業革命として脚光を浴びているが、果たしてこれが閉塞された経済に貢献する産業となり得るのか、私は弱肉強食、経済縮小へと導く動機になり得るとも考えるのである。ロボットに使われる人間、ロボットを補足する人間、などが連想されるのである。 (致智望 2016年7月14日) |
日本語の謎を解く/橋本陽介(新潮選書 本体1,300円)
著者は、慶応大学と付属志木高校の非常勤講師。本書の副題に「最新言語学Q&A」とある。カバーには「万葉仮名から、ら抜き言葉まで、日本語の起源・音声・文法・表現―73の意外な事実」とある。それは、言語学研究の現状と成果を分かりやすく解説したいと願う著者が、勤務先の高校生たちに出してもらった250ほどの疑問を、73の疑問に体系的に整理し、10章に分けて解説したもの。 本書の前半では、日本語の歴史的な音声や語彙、文学、日本語の変化などについて、後半では、日本語の文法について、「類書より一歩突っ込んで紹介」しているので、レベルは必ずしも高校生向き、一般人向きではない。特に後半の文法解説や筆者の専門とする小説言語に関する研究成果は文字通り専門的なレベルである。ここでは、本書の全般的な内容を紹介する紙幅がないので、(私の)興味本位?にいくつかの日本語の謎についてポイントを紹介する。 助詞の「は」「へ」を、「わ」「え」と読むのはなぜか。いま使われている表音主義に立った現代仮名遣いは戦後にできたもので、これに従えば「は」「へ」「を」は「わ」「え」「お」となるが、現代仮名遣いを決めた昭和21年の国語審議会では、大論争の末、語源主義による歴史的仮名遣いの「は」「へ」「を」など助詞・助動詞は伝統が最も濃い日本語の根幹で、あらゆる時代、あらゆる地域や言語を統一して表記できるとして歴史的表記のまま残したものだという。当時の、日本語のローマ字化など「表音主義化」への反発もあり、当時の「常識的意識」で決められたものらしい。 「氷」は「こおり」なのに、なぜ「道路」は「どうろ」なのか? いずれも発音は「コーリ」「ドーロ」と長母音で発音されるが、もともと「氷」は古来の日本語であり、「道路」は輸入された中国語である。歴史的仮名遣いでは「氷」は「こほり」であり、さらに平安時代の発音ではハ行は「ファフィフフェフォ」だったので、氷は「コフォリ」であり、さらに古くはハ行はパピプペポだったとされるから氷は「コポリ」だった。現代になって「ほ」は「オ」と発音されるようになり「こおり」となった。一方の「道路」の「道」や「王」などは、漢字の音読みでは「どう」「おう」であり(歴史的仮名遣いでは「だう」「わう」)である。表記は中国語の音を真似したが、二重母音(dau、wau、後にdou、ou)の発音が苦手の日本人が道路を「ドーロ」、王様を「オーサマ」と発音するようになったので、氷の「コーリ」と紛らわしくなってしまったという。 「全然、大丈夫」という表現は、日本語として間違っているか? これは「乱れた日本語」の代表格として挙げられる。これらの、「全然~ない」「少しも~ない」「決して~ない」「たぶん~だろう」など、述語の動詞より前に出てくる副詞などの語が、述語の文末表現の語に結び付くかたちは、「呼応表現」と呼ばれる。しかし「全然」に限っていえば、戦前は文字通り「すべて」「全面的に」という意味だったと言い、漱石や芥川も使っているという。「全然~ない」でなければ間違いだとされたのは戦後になってからだという。本書に書かれていることではないが、江戸川乱歩も何かの作品で「全然、路面が濡れている」といったような記述をしていると聞いたことがある。 そもそも日本人は「は」と「が」をどう使い分けているのか? 「は」と「が」は、どちらも主語に付く助詞とされるが、両者を比べると、たとえば「私は食べた」と「私が食べた」の場合、「は」より「が」のほうが、「新情報」を提示して「強調」し、「排他的意味」を持つという。また本書はそもそも主語とは何かと問う。文の根幹は、主語+述語だが、文の主役は主語ではなく述語であり、極端に言えば日本語は主語抜きでも成り立つと言う。また、主語の特定も容易ではない。「私は足が痛い」という場合は、主語は「私」か「足」か。「は」より「が」のほうが強いということもあり、学校文法では「足が」の足のほうが主語になると考えられるが、痛いのは「私」だとも言える。言語学者の時枝誠記は「私」が主語だとしているという。 本書は、「結びにかえて-日本語の立場からの言語理論の必要性」を説いている。すなわち、「主語」や「述語」をはじめ、「文」の主要な概念は明治以降に輸入されたものであり、それ以前はかならずしも明確なものではなかった。しかし、少なくとも日本語は西洋の言語学の通りではないのではないかとみて、筆者は「新たな言語理論を作れないかと日々考えている」という。 (山勘 2016年7月14日) |
9割の老眼は自分で治せる/日比野佐和子(中経文庫 2015年2月) 日めくり!毎日、眼トレ/日比野佐和子(扶桑社 2015年5月)
著者はアンチエイジングの観点から老眼の予防、改善の方法をとりいれているとあり、表題のように9割の老眼は自分で治しえるとあり、体全体で老化防止のケアをしていくこと。老眼はさまざまな生活習慣が影響しているとあります。
2.老眼のつらさは「眼トレ」で解消できる 3.目を内側から若返らせる「食べ物」とは? 4.暮らしの中でこの習慣で「疲れにくい目」になれる! 5.知っておきたい老化にともなう「目の病気」 6.老眼の治療と最新手術 の目次からなっており、いくつかの「眼トレ」から始めてみました。
2)遠近トレーニング 3)グーパーまばたきトレーニング 4)3点寄り目トレーニング
(ジョンレノ・ホツマ 2016年7月16日) |
エッセイ |
緊張感
この20年、雑誌も書籍も売上げが減り続けている。2015年の出版物の売上げは1兆5200億円余で、ピークだった1996年の60%ほどに縮小したというが、私がこの世界に入った1970年代は8000億円規模だったにもかかわらず、業界はもっと元気だったし、次々と良書が生まれていたような気がする。 一時期、出版界の救世主かといわれた電子書籍は水面下では売上げを伸ばしているようだが、現在はまだ漫画以外には振るわない。大学で使う専門教科書に至っては、パソコンやタブレットでは書き込みができないから紙媒体に戻してほしいという声が相次ぎ、プリント代行が密かなビジネスになるほどである。 読者の絶対人口が減った、読みたい新刊が出なくなった、家庭環境が変化した、読書教育が効果的でないなど、出版不振の原因はさまざまにあるのかもしれないが、以前ある講演会で衝撃的な話を聞いたことがある。書店で本を注文した客の40%が、本が入荷しても受取りに来ないというのである。読者の我儘といえばそれまでだが、その最大の原因が読者の手元に本がすぐに届かないことである。 この話を聞いたのはもう10年以上も前のことだが、つい最近、同じ体験を2回もした。1回目は地方のある書店からの電話で、取次に注文した本がなかなか来ない、客が怒っているので直接そちらから送ってほしいという。送料はこちら持ち、しかも遅れて届いた分は返品扱いにしてほしいという虫のいい話である。書店からの返品手数料は、基本的には出版社か取次が負担する。 2回目も同じケースで、3週間も前に注文したのに一向に届かない。客が何度も催促に来るので(当たり前だ)、直接送ってもらえないかといってきた。もっとも、この場合は私が覚えていた。その書店から注文を受けた日、私はすぐ取次に連絡した記憶があったからである。取次にはちゃんと出荷の記録が残っていて、日付も合っている。この場合は確かに取次から出されているので、もうしばらくだけ待ってほしいと取次からも電話を入れて何とか納得してもらった。 その後何の連絡もないのでおそらく届いたのだろうが、後で取引のある取次の社長に聞いたところ、取次どうしでやり取りしているうちに、大事な商品である本が行方不明になることがあるという。そんな場合、苦労人の社長は在庫があれば黙って再び出荷しているのかもしれないし、もちろん、その分は自分のところで負担しているのだろう。取次もそれなりに苦労しているのである。 インターネット書店が普及し出すと、出版業界にも少しは危機感が生まれて、本の流通を早めようという動きが高まったことがある。自動倉庫や商品の検索・追跡システムなどロジスティックを含むIT分野に投資はしたが、人間主体のソフトウェアシステムは旧態依然のままだった。多くの読者が「速い、確実」というネット注文の便利さに味をしめると、次第に書店に足が向かなくなったのは当然である。 書店の売り場面積は限られるので、どんな読者も満足させる品揃えはどだい不可能な話だが、本の実物を手にできるというネット書店にはない最大、最強の強みを、既存の書店はどこまで生かすことができたのか。読者の好みをとらえてある分野に特化し、それぞれに個性を出すといった努力をせず、どこかの低俗な図書館のようにベストセラーや漫画だけを並べるような書店、大株主である大手出版社を優先して、どんな良い本だろうが零細は後回しにする取次…。 少しでも早く読者に本を届けたいという真剣な思い、1冊たりとも行方不明にしてはならないという強い責任感、緊張感が出版流通業界に薄れているとしたら、それも出版不況を招いている大きな原因ではないのか。もちろん、魅力のない本ばかり出している出版社が元凶ではあることは確かであるが。 (本屋学問 2016年7月10日) |
買い物の努力
どうしても欲しいものがあって、苦心惨憺の上、NETで上手く探し当てたというのが今回の話です。
私のゴルフは、夏場は短パン+ハイソックスが定番です。何と言っても涼しいからです。大昔、上海の夏にラウンドした時の暑さが堪え、その次からはこのスタイルに徹しています。で、長年欲しかったのは、ゴルフ用(快適繊維)で、2タックの短パン。あくまで2タックが身動きしやすいからです。
NET検索したら、BS社の14年モデル(定価¥9Kが2分の一以下の価格)が何着か特売されていましたが、デパートで探しました。
(恵比寿っさん 2016年7月11日) |
政治家の“人間力”とマスコミの責任
秀才の都知事弁舌揺れめけり(都合悪けりゃ言い換える) しもじものセコさに増してセコめけり(庶民のセコさは生きる知恵) まだ伝票精査したいはアホめけり(一目瞭然ニセ伝票) 名を言わぬ理由は「信義」寒めけり(似合わぬ人が「信義」言い) みじめけり「リオまで」などと懇願す(なんと未練な命乞い) 鉄面皮ギョロ目で辞任早めけり(同情呼ばぬ面構え) 辞めければセコく生きても責められず(早くお楽になりなされ) 毀誉褒貶は世の習いで人の評価はコロコロ変わる。田中角栄はロッキード事件によって金権政治家のレッテルを貼られ、巨悪の根源のようにマスコミと国民に非難されて命を縮めた。その“角さん”が、変節的な?石原慎太郎氏の角栄礼賛本をきっかけにマスコミに持ち上げられて、今や敬愛すべき偉大な人物として見直されている。 舛添氏の“家族べったり”が非難されたが、小泉元首相の秘書官だった飯島勲氏は、テレビで、政治家のもっとも身近な同志は家族だという意味の“舛添擁護的”な発言をしている。また、ジャーナリストの櫻井よしこ氏は、たった十数人(と言ったか)の週刊誌編集者による記事が火をつけたとして“マスコミ警戒的”な発言をしている。 土光敏夫さんは、生涯にわたって質素な生活を続けたことで「メザシの土光」と呼ばれ、国の行政改革に尽力したことで「ミスター合理化」と呼ばれて国民に敬愛された。「知恵を出せ、それができないものは汗をかけ、それができないものは去れ」というのが土光さんのモットーだったといわれるが、土光さん本人は、それは誤解だ、「まず汗をかけ、本当の知恵は汗の中から出る」と言ったと何かで読んだ。マスコミに追いかけられる人気者で、悪く書かれることのなかった土光さんだから、“マスコミ批判”というほどでもないだろうが、言ったことと違うことを書かれるとコボしていたという。 ドイツの社会学者・経済学者のマックス・ヴェーバーは、支配者による支配の形には「合法的支配」「伝統的支配」「カリスマ的支配」の3つの型があるといい、政治家の資質に関しては「責任感」「情熱」「判断力」を挙げている。舛添さんはどうだったのだろう。支配の3類型のどれにも属さなかったようにも見えるが、時とともに“周囲に人なし” の状況を“設営”したのだから、「カリスマ的支配」に憧れていたのかもしれない。そこからくる自信と過信が、舛添さんも当初は持っていたはずの「責任感」「情熱」「判断力」に“ひずみ”を生じさせてしまったのではないか。 それで近ごろ気になるのは、政治家に「国民の目線」を求める風潮だ。選挙とカネでチョンボをした田母神俊雄氏は、ブログで「国民の目線でとか政治家が言うのは、責任を取らないために言っているのです。国民には政治家が得られるほどの情報はないわけですから、国民が正しい判断などできるわけがないのです。政治家は国民のためと思う政策を行い、その結果については責任を取るべきです」といっている。 国民目線を政治家が言うときは田母神氏の指摘どおりになる。市民が言うときは、肝心の自分の目線とは何か、自分の家族、親族、友人、知人、あの人、この人の目線とは何かを考えなければならない。あまり高くない目線で要求するとすれば、結果として政治の“低俗化”を求めることになる。それでは田母神氏に「国民が正しい判断などできるわけがない」と見くびられることになる。 ヴェーバーの教える「責任感」「情熱」「判断力」は、政治家の寄って立つべき“基盤”であるとともに、人間として求めるべき資質ではないだろうか。結局は政治家である前に人間としての資質、つまりは“人間力”が問われよう。その政治家がやってきた「人生」と「人格」が問題だ。 都知事選、参院選では“公約”よりも“人間”を見るべきだ。一般人はマスコミやネット、出版物などを通してしか人物を知るすべがない。それを伝えるのがマスコミの重要な役割である。舛添辞任を機に改めて政治家の“人間力”と、それを伝えるマスコミの責任が問われなければならない。 (山勘 2016年7月14日) |
助詞は日本語の“尾てい骨”
NHKテレビの土曜番組に、生活笑百科とかいう“法律相談番組”がある。メール文字の誤変換の話があった。友人に「あした英会話へ行こうね」と打ったつもりが、相手に「あした英会話閉講ね」と送信されたというのである。それを真に受けて英会話を欠席した受信者が、送信した友人に受講料の損失を請求できるかどうかという法律相談である。 この法律相談を話題にしたいわけではないが、誤変換の笑い話はタンとある。しかしここで誤変換の話をしたいわけでもない。問題は「英会話へ行こう」がなぜ「英会話閉講」に誤変換されたかである。“主犯”は「へ」である。「へ」という助詞は、実際は「え」と発音する。しかし、助詞の場合は「え」ではなく「へ」と表記するのが“習わし”である。仮に発音どおりに「英会話え」と打っていたとすれば、ぜったい「閉講」に誤変換されることはない。同じように「○○は」の「は」は実際には「わ」と発音される。もうひとつ「○○を」の「を」は「お」と発音される。この「へ」「は」「を」の表記については高齢者の私も昔から不思議に思っていたが、現代の高校生も同じらしい。 最近出た本に「日本語の謎を解く」がある。高校の教壇に立つ筆者・橋本陽介先生が高校生から集めた日本語の謎の一つがこの「へ」「は」「を」助詞である。ところがこの疑問に博識の言語学者である橋本先生もズバリ答えられないところが面白い。 昔と今の発音が大きく変わってきたということで、わが国の歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改めたのが昭和21年における国語審議会答申である。この本によると、時の著名な言語学者である時枝誠記が、「国語と国文学」という雑誌に、「国語審議会答申の『現代かなづかい』について」として批判的な論稿を載せているという。時枝によると、「は」「へ」「を」が歴史的仮名遣いのまま残されたのは、審議会において強硬な反対があったからだといい、助詞・助動詞の表記の仕方は伝統がもっとも濃い部分だという当時の“常識的意識”で決まったものらしい。いわば“守旧派”の勝ちで、ふりがなと発音が一致しない歴史的仮名遣いのまま、これらの助詞が生きのびたということらしい。 これも最近出た本に「日本語を作った男 上田万年とその時代」がある。日本における言語学の黎明期を丹念に検証した大作だが、冒頭のエピソードが面白い。少し脚色して紹介すると、昭和の国語審議会答申の38年前、明治41年6月に、第4回、臨時仮名遣い調査委員会が開かれた。司会はこの委員会の主事をつとめる上田万年(かずとし)東大教授。この日の発言者は八の字髭で軍服礼装の男。立ちあがって当たりを睥睨し、ひとつ咳をしてから「仮名遣いにはどんな歴史があるかということについて少し申し上げたい」と話しはじめる。話が長い。男は「陸軍軍医総監・陸軍省医務局長 森林太郎」すなわち森鴎外である。 上田万年は胃の痛みを感じながら、「上田博士」などと論議を吹きかけられることを恐れて、辛抱強く神妙な体で拝聴している。本にはそう書いていないが、前後の話からして上田はハラの中で、歴史的仮名遣いを主張するなら、森鴎外にモリ アウグァイと仮名を振っているのだから、そのとおり発音すればいいじゃないか、なんで話すときはオーガイでありますというのか、おかしいではないか、などと思っていたに違いない。この第4回委員会の森発言で、それまでの新仮名遣いで行こうという委員会の空気が覆された。森の後ろには文部省内の保守派と貴族院議員がついていた。 いつの世も古い方が権力側で、保守とリベラルが衝突すればとりあえず保守が強くて勝つと決まっている。もちろん、あくまで“とりあえず”である。“旧守派”の代表として森鴎外がこっけいな役割を演じたが、上田万年をはじめ新しい言語学者や夏目漱石らの活躍で“日本語”の基礎となる新仮名遣いの道が切り開かれていく。ただし今にいたるまで「へ」「は」「を」だけは尾てい骨のように残っているが、慣れてしまえばさほど違和感や不便を感じることもない、ともいえる。 |
昔と今の“自然児”
このエッセイは、私、山勘が先輩からいただいた手紙の一部をまとめ、ここに発表するものです。先輩氏は私の現役時代の上司で、絵画展で発表する私の油絵をよく見にきてくれます。その折に、直近に発表した私のエッセイ3本ほどのコピーを差し上げたところ、後日、読後の感想を述べた長文のお手紙をいただきました。 いつも示唆に富む貴重なご意見をいただくのですが、今回は、先月6月に北海道で起きた、大和君という7歳児の山中置き去り事件についての先輩氏による感想が、昔と今の“自然児”の違いを思い出させてほのぼのとさせるものがあり、ご紹介したいと思った次第です。もちろん、このエッセイのタイトル、「昔と今の“自然児”」は、私が勝手につけたタイトルです。 その前に、ひとつだけ、ほのぼのとしない話をします。先輩氏は、いつも私のエッセイにていねいな感想を述べてくれますが、今回の手紙の最初に取り上げていただいている、「TPPに限っては安倍首相が正しい」という拙稿について、お寄せいただいた先輩氏のご意見を短く紹介させていただきます(拙稿は“のほ本の会”HPに収めてあります)。 「エッセイ、一気に読みました。“TPPと安倍首相”の件では、山崎さんの文の終りの4行に尽きると思います。民進党はかつての社会党のように思えます。反対のための反対をしていると、やがて消滅します。共産党との協調は共産党を利するのみでプラスにならないと思います。もしそれで政権を握ったとして、どう運営していくのでしょうかね。アメリカとの縁を切って中国と結びますか。」 さて本題の、昔と今の“自然児”の話です。「山中に置き去りにされた子供のことで、北海道で大騒動したことがニュースになりました。子供は見つかりましたが、村人も、消防も、警察も、自衛隊も、置き去りにした点を中心に山の中を重点的に探していました。7歳の子供が背丈以上の草が茂っている山の斜面を登るかと思っていたのでしょうが、子供は7キロの道を歩き自衛隊の建物の中に入っていたということでした。テレビも7歳の子供が一晩で7キロ歩いたと驚いていましたが、それほどの距離ではありません。都会に居ると随分と遠いように思えますが田舎ですと、それほどの距離ではありません。私は小学校のころ学校までは約1里、4キロくらいありました。それを毎日通っていましたし、遊んでもいましたから往復8キロ強は歩いていました。 一年生からですから、今回の大和君と同じ歳でした。夜歩くのは恐いからほとんど駆け足になります。大和君も自衛隊の建物を見つけた時はほっとしたでしょう。都会の道は複雑ですが田舎の道は単純です。車で親に連れて行ってもらっていると、自然に道は覚えます。田舎の子は都会の子より強いのです。そして野っ原にある草や木の実も食べられるものなど1年生ともなると知っています。遊ぶ場所は野っ原であれば山の恐さも自然と教えられ、身についていますから危険な場所や怖い所へはうかつには行きません。 自然は子供にとってやさしくはありません。子供仲間で教わります。スマホばかりやっていては自然では遊べません。大和君が自然の中で育ってきていればそれほど驚くことではありませんが、都会育ちの大人には驚きかもしれません」、と山中氏は言っています。 現代人は何か大事なものを見失っているような気がしてきます。 (山勘 2016年7月14日) |
天皇陛下生前退位について(ホツマエッセイ)
やっと、昔の自然のままの元通りに戻ったという感じです。今は、ご本人のご都合や考えでなく、法律の制約という取り巻きの都合で決められてしまっているように見えるからです。
天孫ニニキネ(別雷神)は、三男のヒコホホデミの大嘗祭が終わって、自分は大上君という名前になります。これにより天孫ニニキネ(別雷神)の生前退位が行われたことを示します。
なぜ、鹿児島に向かったのかについてですが、天孫ニニキネが、昔、筑紫(九州)全土を開拓しながら巡ったことがありました。「そお」(曽於の国・鹿児島)から招きを受けていたのですが、訪問の約束を果たせないまま帰国してしまったことが心残りであったと伺えるからです。
高千穂の峰とは、霧島山を示していると思われます。霧島山の幾つかの峰々の内、この曽於市の方角から手前に見える山に高千穂という名前がついているからです。
「ほつま国」に居られる姫(このはなさくや姫)の霊は、月が沈む西の方角の高千穂の峰(霧島山)に沈み、神となられました。 姫が亡くなられたのは、「ほつま国」ですが、死後の霊魂は大上君(別雷神・天孫ニニキネ)の居られる高千穂の峰(霧島山)に向かわれたことを言っています。
天国で会う日を決めておられたお二人が、西と東で遠く離れていてもお互いの方を向いて同時に神上がり(お亡くなり)しましたともあります。大上君・別雷神(ににきね)である「いづの神」は、高千穂の峰の神となられました。
(ジョンレノ・ホツマ 2016年7月16日) |