例会報告
第55回「ノホホンの会」報告

2016年4月28日(水)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:狸吉、山勘、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問)



今月も地球温暖化問題、カロリー制限問題、企業のガバナンス問題と、興味深いテーマが目白押しでした。また、地震予知、原発事故の後処理と不確かな状況は変わらず、これからの日本はどうなっていくのでしょうか。前回欠席の致智望さんの「耳は1分で良くなる」が紹介されましたが、難聴は決して老化ではなく、何らかの体調不良からくるものだそうです。西洋医学の限界がいわれて久しい今日ですが、日本人の健康寿命も明らかに伸びていて、日本食を含めた日本の医療制度を誇るべきでしょう。決して外国のお粗末な医療保険システムなど受け入れてはなりません。



(今月の書感)

「タヌキ学入門-かちかち山から3.11まで 身近な野生動物の意外な素顔」(狸吉)/「地球はもう温暖化していない 科学と政治の大転換へ」(ジョンレノ・ホツマ)/「糖質制限の真実 日本人を救う革命的食事法ロカボのすべて(恵比寿っさん)/「若い人のための第三のチンパンジー」(山勘)/「海外貿易から読む戦国時代」(本屋学問)



(今月のネットエッセイ)

「企業の成長とガバナンス」(恵比寿っさん)/「偏重マスコミに騙されるな」(山勘)/「戦争反対、安保賛成」(山勘)

(事務局)


 書 感

タヌキ学入門-かちかち山から3.11まで 身近な野生動物の意外な素顔/高槻成紀 (誠文堂新光社 2016年1月 本体2,000円)

 狐狸妖怪と言うように、昔から狐と狸は共に人間を誑かす動物と目されている。中でも狸は人里に現れ古道具に化けたりするが、化けの皮が剥がれて逃げ出したり、どこか憎めない存在として親しまれている。


 本書はその狸を昔話のイメージから動物学研究まで論じ、「タヌキ学」として総合的にまとめたものである。著者は大学卒業後、日本とアジアで動物生態学の研究を続け、二つの大学で学生の指導に当たった。定年後も専門とする生態学を分かりやすく解説する本の執筆を続けており、タヌキ学もその一環である。


 本書の内容は以下の見出しでおおよその察しがつく。

タヌキの基礎知識

「アライグマに似た夜にものを探す動物」、世界では意外と珍しい存在、タヌキのからだ

タヌキのイメージを考える

 悪役なのか、ヒーローなのか、昔話のタヌキ、そのイメージはどこから来ているのか?、

「化かす」ということ

タヌキの生態学

本来の姿を知る、タヌキのフンから食性を知る、種子散布を調べる

東日本大震災とタヌキ

仙台湾のタヌキを調べる、タヌキが戻って来たこと

タヌキと私たち

 シティー・ダヌキ、ロードキル、玉川上水とタヌキ、タヌキと私たち


タヌキとキツネは共にイヌ科に属するが、キツネが開けた土地を昼間走るのに対し、タヌキは茂みの間を夜間トコトコ歩いて木の実や虫を探すという習性の違いがある。その学名はラテン語で「アライグマに似た夜にものを探す動物」と、特徴をよく現している。どちらも雑食性であるが、キツネは肉食、タヌキは草食により近い。 敵と突然出会ったタヌキが「死んだ振り」をするのは本当、タヌキは木の実を食べてその種を広範囲にばらまく効用を果たしているなど、興味ある話題を次々展開し読者をあきさせない。本書はタヌキに関する学術書ではなく楽しい読み物であるが、内容はすべて著者の研究データによって裏打ちされている。


 末尾の「タヌキと私たち」で、著者は「タヌキのイメージはいにしえの害獣から今日の可愛い存在まで変化してきた。これはタヌキが変ったのではなく、私たちの側にタヌキを思いやるゆとりができたためである」と説き、このような平和な世が続くよう望んでいる。著者のタヌキに対する愛情と、翻って我々人間の生活に対する反省に心を打たれた。

(狸吉 2016年4月19日)


地球はもう温暖化していない 科学と政治の大転換へ/深井有 (平凡社 2015年10月)


第1章 CO2温暖化論が破綻するまで

第2章 太陽が主役、新しい気候変動の科学

第3章 あまりに政治化された「地球温暖化」

第4章 今後取るべき政策を考える

4つの章に分かれていますが、前半の章の内容については以前、同様の書感2冊取り上げた項目に重複するので、後半部分の展開についてのみ取り上げました。


以前取り上げたものというのは、 2010年5月に「不機嫌な太陽・地球温暖化ブームを嗤う!」(デンマーク国立宇宙センターの太陽機構研究センター所長のH.スペニコル・サイエンスライターのN.コールダー著)で温暖化の原因は二酸化炭素(CO2)ではなく、宇宙線強度の変化・太陽からの変動が地球の気温変化に連動していることを突き止めていました。

 

更に2011年4月には「二酸化炭素温暖化説の崩壊」(広瀬隆著)を取り上げました。二酸化炭素温暖化説が捏造されてきたデータであったことの調査報告と、併せて原子力発電所の廃熱の問題が隠されている。原子炉で生まれた熱エネルギーの1/3は電気になり、残りは熱となって海に捨てられている。発電量の2倍の熱量(約1億キロワット)を海水で冷却しており、海水を加熱していることの事実を隠している。


 さて、今回取り上げた本書の裏表紙には、日本では疑う余地はないと思われている二酸化炭素(CO2)による人為的な地球温暖化。いまだに温暖化による危機が声高に叫ばれているが、驚くべきことに、データ上は20年近くも温暖化は進んでいない。さらに、太陽学や古気候学の最新知見から予測すると、今後太陽の活動が弱まり、地球寒冷化の可能性すらあるのだ。

物理学者からの警告!気候変動の主役はCO2ではなく太陽だ、とあります。


国連機関IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が地球温暖化を唱え始めてから25年経過し、実際に温暖化が起こったのは7~8年に過ぎず、その後世界の平均気温は頭打ちになって今はむしろ下降傾向にある。CO2濃度は毎年増え続けているのに気温は18年間横ばいで、CO2理論が間違っていることは明らか。


あまりに政治化された「地球温暖化」について、国連機関IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、本来の研究機関ではなく温室効果ガスによる地球温暖化を前提として作られた組織なので、CO2削減という「先に結論ありき」で無理な作為を繰り返し、多くの疑問と誤りが見出されクライゲート事件(内部機密メールの大量流出)に発展した。


日本が世界から取り残されている経緯について、京都議定書(CO2削減の数値目標)で背負い込まされた負担を、国民に崇高な義務と信じ込ませるため国を挙げてのキャンペーンの結果ではあるが、この問題の正否に真剣に取り組む気象学者がいなかった。そのため、国策に協力すればポストは保証され不自由なければ、異論を唱えようとしなくなるのは当然である。


地球温暖化についてのブログでのやり取りを見ていると、大多数は英語国民の間に限られていて日本からの発信は見たことがない。国の枠を超えた自由な意見交換が日常的に行われていることがうらやましい。日本を世界の孤児にしている。欧米の人たちの意識は変わっているのに言語障害のために日本に伝わっていない。

日本のマスコミはせめて世界で起こっていることを正確に伝えるのが使命であるくらいの見識は持ってほしいものだ。


日本では、温暖化対策のために巨額の費用が投じ続けられている。日本の場合、国民がそのために払わされている税金は毎年4兆円だが、じつはCO2排出削減政策がGDP(国内総生産)を年間1~2%、金額にして5~10兆円押し下げる効果(逸失利益分)を加えると、負担は一世帯当たり20万円にもなる。われわれは毎年20万円も取られているのだ。


今後取るべき政策として、温暖化対策という金づるにぶら下がっているものすべてを精査して、大幅に切り捨てることから始めなければならない。

原発事故では原子力ムラの存在がクローズアップされたが、それと同様に、温暖化対策予算の周りには温暖化ムラが出来上がっている。

政・官・学と一部の企業を巻き込んだこの利権集団はなんとしても解体しなくてはならない。

 また2012年10月から導入されて国民に年間2600億円の負担を強いている環境税も温暖化対策という目的が不合理なので廃止すべきである。

温暖化対策にこれだけ投資をすることは無駄なことで厳しく断罪されるべきであろう。

国を挙げての世論操作に騙されず、公権力の乱用を許さないようにしようではないか。


 近頃しきりに戦時中のことを思い出す。先の見えない閉塞感の中で、地球温暖化防止という大義の下で人々が孜々としてCO2削減に励んでいるさまは、鬼畜米英を追放して大東亜共栄圏を構築するという大義の下、国を挙げて戦っていた姿にぴったり重なると著者は述べている。


現在これだけの情報が飛び交う中で、マスコミとは一体何なのか疑問に思ってしまう。真に伝えなければならないものと、ただ興味本位から伝えたいと思うものと勘違いしているように思えます。

今回の熊本地震のマスコミによる過熱報道ぶりも目に余るものがあります。TVはどの局も最新情報を伝えたい一心で同じように被災者の立場を考慮せず被災者に問いかけ繰り返し報じている。過熱報道のためのヘリコプターより現地に救援物資を早く届けることを優先できなかったのかと思いました。

(ジョンレノ・ホツマ 2016年4月20日)

 

糖質制限の真実  日本人を救う革命的食事法ロカボのすべて/山田 悟 (幻冬舎新書 本体780円2015年11月10日 第1刷発行 現在第9刷)



著者略歴 

北里大学北里研究所病院 糖尿病センター長

日々1300人の患者と向き合いながら、食べる喜びが損なわれる糖尿病治療に置いて、いかにQOLを上げていけるかを追求。

糖質制限に出会い、2012年「奇跡の美食レストラン」(幻冬舎)を刊行。13年11月14日に、緩やかな糖質制限食=ロカボの考え方を普及させ、作り手にも食べる側にも、より良い社会の実現を目指す、一般社団法人食・楽・健康協会を立ち上げる。



はじめに 

日本人の体に起きている異変

黒が白になった栄養学の激変

カロリー制限は意味がない

緩やかな糖質制限=ロカボが人類を救う

ロカボ生活を始めよう

疑問にお答えします

おわりに

巻末資料 糖質が少ない食品、多い食品

参考文献


筆者は①カロリー無制限の糖質制限食がいちばん糖尿病患者の血糖管理を良くしたという論文②食事の脂質比率が高いほど、逆に血中中性脂肪が下がりやすくなるという論文に驚愕したという。

医療の現場ではカロリー制限が食事療法の常識であり、脂質制限で血中中性脂肪が下げられるという効能がまかり通っているからである。10年前の医療の常識は今の非常識なのだそうだ。

本当に怖いのは食後高血糖で、日本人の6人に一人が血糖異常、40才以上では3人に一人が糖尿病予備軍だが、かなり深刻な事態になるまで自覚できない。空腹時血糖は本当に発病する直前まで上がらない(だから検診で見つからない)。

血糖異常は食後高血糖で診なければならない。


三大栄養素の1つ炭水化物のうち、1g当り4㎉以上のエネルギーを持つものを糖質(無いものを食物繊維)という。

血糖値を下げるホルモンはインスリンだけ、上げるホルモンは5つ以上あるが、これは飢餓常態でも血糖値を高く保つように進化した証。



食物繊維を多く食べるとか、カーボラストで食べることで、血糖値の上昇を抑えることも可能。今後、脂質制限はなくなってゆくと断言できると筆者は言う。血糖異常は老化も促進するので要注意。


脳のエネルギーはブドウ糖のみ。赤血球もブドウ糖のみ。これ以外は体脂肪から切り出した脂肪酸をエネルギーに使えるそうだ。ブドウ糖が不足すると脳は赤血球にブドウ糖を譲り代替にケトン体を使う。これは飢餓常態が続いた場合でインスリン濃度が高い通常時にはケトン体は低く保たれている。即ちケトン体は飢餓に対するサルベージ機能を持つという。しかしケトン体が濃すぎるとこれも問題で、PH(7.4)が酸性に振れ6.9~7.0になると意識障害まで起こると筆者はその危険を訴えている(インスリンが高ければケトン体を抑制する)。


カロリー制限は糖尿病患者の血糖値管理法として、糖尿病学会でも間違っているのではないかと言われ始めている。臨床データで比べると、カロリー制限で心臓病は減らない、とも。


油・カロリーともに控える②カロリー控えて油は食べる③カロリーは気にせず糖質だけ控えるの3つのグループで最も減量効果の高かったのは③。中性脂肪を最も下げたのも③、善玉コレステロールを増やしていたのも③、動脈硬化の発症リスク(高感度C反応性たんぱく)を最も下げていたのも③だったそうです。


ロカボで損をする人はいない。ただし、①子供は不要②1型糖尿病になった日が浅い人(インスリン注射をすべき)、覚悟が出来てしまった人はロカボをやるべき。


ロカボは1日の糖質摂取量を70~130grにすること(緩い)。下限を設けているので、ケトン体が造られる心配はない。カロリー制限したGrよりも、ロカボのほうが血糖を改善、中性脂肪も改善されていたことを論文にしている由。

(恵比寿っさん 2016年4月21日


                       

 若い人のための第三のチンパンジー/ジャレド・ダイアモンド・レベッカ・ステフィオ編著・秋山勝訳 (草思社 本体1,800円)


「若い人のための」という限定は少々気になるが、名著「銃・病原菌・鉄」の著者ジャレド・ダイアモンドの名に引かれて年寄りの私も読んでみた。

そもそも人間は体毛をもち、乳で子を育てる「哺乳類」の仲間であり、哺乳類の中では、手足の爪はカギ爪ではなく平爪で、手でものをつかめるサルや類人猿と仲間の「霊長類」に属している。さらに霊長類の中では、尾のあるサルよりも尾のない類人猿とよく似ている

類人猿は、3000万年以上前に尾をもつ旧世代ザルと分かれ、2000年前以前にテナガザルと分かれ、さらにオランウータンと、そしてゴリラと分かれ、700万年前以前にヒトが分かれ、最後にボノボ(チンパンジー)とコモンチンパンジーが分かれた。

そしてチンパンジーとヒトの遺伝子は約98.4%同じだという。つまり両者はほとんど変わりのないご同類だということになる。そこで人間は2種のチンパンジーに次ぐ第三のチンパンジーだというわけである。この、わずか1.6パーセントの遺伝子の違いでチンパンジーと分かれた人間とはそも何者であるか。著者は、進化生物学、地理学、人類学等々の学者として、ヒトと他種の動物の同異を考え続けてきた。その最初の著作が本書(本書は新知識を加えた新版)のもとになった「人間はどこまでチンパンジーか?」であり、その後にピュリッツアー賞などの受賞作「銃・病原菌・鉄」や「文明崩壊」などが続く。

ヒトは、類人猿と決別してから何百万年かを経ても、見た目がいささか立派なチンパンジーに過ぎなかった。他の動物とヒトの祖先のわずかな違いを示す兆候は250万年前のアフリカに現れた稚拙な石器だった。それから150万年のあいだ、人類はアフリカにとどまり、ヨーロッパやアジアに広がったのは約100万年前である。10万年前にはネアンデルタール人が火を使うようになっていた。

西ヨーロッパでは、つい6万年前までそんなチンパンジー的ネアンデルタール人が住んでいた。そこに突然の変化が生じた。魔法のひとひねりのような突然変異で現代的な体の構造と革新の才能を授けられた現代的な人類、ホモ・サピエンスがアフリカに誕生し西ヨーロッパにやってきた。おそらく身体的な変化、筋肉や柔軟な組織の変化によって話し言葉を操るようになり、この言語能力が引き金になって大躍進が始まったと推測される。

最終氷河期が終わりを迎えた1万年前、人類は文明のスピードを速めた。同時に大型哺乳類の多くが姿を消していった。まもなく農業が始まり、階級間の格差、支配者による専制という害毒を生んだ。文化的には言語、芸術を生む一方、薬物の乱用や大量虐殺(ジェノサイド)、生息環境の破壊など、社会がむしばまれていく様子が、数千年後の文字による最初の記録に記されている。

現代になって、特に1940年代以降、人類は大量殺戮を可能にする武器をもち、飢餓や環境汚染を拡大し続けている。しかし、希望がないわけではないと筆者はいう。人間は過去から学べる唯一の動物だとして、人口増加の抑制、自然生息地の保護、環境保全の試みに取り組んでいる。

本書の終わりの部分で筆者は、私達の将来にふさわしいモットーとして、ドイツの政治家、オットー・フォン・ビスマルクが、人間は歴史から学び得ると信じ続け、「私の子供と孫へ。過去を理解し、将来の手引とするために」と回想録を結んだ精神を挙げる。

これが、タイトルに「若い人のための」と冠したゆえんであろうが、中高年者にとっても多くの示唆に富む専門的でハイレベルの一書である。 

(山勘 2016年4月24日)

 海外貿易から読む戦国時代/武光誠 (PHP研究所 2004年3月 本体720円)


日本史に興味がある人でも、「戦国時代」と「貿易」を結び付けて考える人は少ない。そんなユニークな本書のタイトルにひかれて読み始めたが、これがなかなか面白い。日本人が西洋の技術に最初に接したのが「鉄砲」で、私たちが知る鉄砲伝来は、有名な「鉄炮記」に1543年頃ポルトガル船が偶然種子島に漂着したとあるが、本書によればこの船のオーナーは「倭寇」の頭目、王直という明人、乗組員のほとんどは中国人でポルトガル人は2人だけ、しかも最初から日本に鉄砲のセールスに来たというのだから、まるで話は違ってくる。

足利義満が積極的に進めた日明貿易によって、日本の商業や産業は活発化する。平安期から中国の宋銭が流通し始めて日本でも貨幣経済が発生するが、鎌倉時代の銭不足を補ったのは明銭の輸入で、当時から中国銭は東アジアの基軸通貨だったようである。中国からは絹織物、青磁、白磁、薬種、白粉、針などが、日本からは銀、銅、硫黄、刀剣、槍、扇などが輸出された。数年に1回とはいえ、その貿易額は90億円にも達したという。

16世紀半ばになると、石見銀山で大量に生産された高品質の銀が世界に流通し、日本をはじめ中国、朝鮮、さらにはスペインやポルトガルの海商たちが競って貿易船を繰り出した。先の倭寇もこの時代に咲いた徒花である。同時期にスペインもボリビアで銀山を開発、大量の銀がヨーロッパに流入して価格革命が起こり、銀貨による貨幣経済が進んで貿易も発展するが、これが絶対王政を生み出す結果になったと本書はいう。こうした流通の発展は、日本でも同様にビジネスは強大な力によって保障される必要があり、日明貿易は足利幕府から次第に各地の戦国大名たちに覇権が移る。それが室町時代の終焉につながったと著者は見ている。



ガル人たちは、鉄砲と同時に日本になかった火薬の原料の硝石の売込みをはかったようで、信長の堺支配も硝石貿易を独占する狙いがあったと著者は考えるが、国産の「塩硝」(硝酸カリウム)が開発されて硝石産出国のインドや中国の当てが外れる。現在の資源戦争とよく似ているのがおかしいが、その結果、鉄砲鍛冶らの技術によって日本は世界有数の鉄砲量産、保有国になる。

本書によれば、織田信長はオスマントルコやヨーロッパの強国と同様に常備軍を組織し、鉄砲隊と長槍隊を組み合わせた先進的で強力な軍団をつくり上げた。鉄砲伝来から6年後、500挺の鉄砲を近江の鉄砲鍛冶に発注したことが「国友鉄炮記」にあるというが、信長は来日していた宣教師たちの情報から当時の国際関係を把握し、日本を強力な統一国家にする必要性を感じていたこと、朝鮮出兵も実は彼のアイデアだったことなど、仮説としても興味は尽きない。

江戸幕府の“鎖国政策”が決して時代錯誤でなかったことは、17世紀はスペイン、ポルトガル、オーストリア連合のハプスブルグ家が後退した時期で重商時代が終わりを告げ、日本がヨーロッパに不都合な政策を取っても彼らが武力で抗議することはなく、また日本が17世紀後半に中国や東南アジアに進出してもそれほど大きな利益は得られなかったし、当時の徳川政府の外交的限界も日本に不利益を与えなかったことでわかると著者は分析している。

260年もの間、大きな内乱も対外紛争もなく、当時としても先進的な政治経済システムと、豊潤で香り高い独自の文化と産業をつくり上げた江戸時代は、現在では世界史的にも評価が高い。そして、結果的にはその後に続く近代国家成立への見事なスプリングボードの役割を果たした。

種子島時堯がそのときに買った2挺の鉄砲は合わせて約400万円、「故郷」、「腰差」と命名されて1挺は明治まで残ったそうだ。その後硝石貿易で巨大な富を得た種子島家は、鉄砲伝来の100年前に日蓮宗に改宗し、伝来時は当地の慈遠寺を菩提寺にしていたが、その本山が本能寺で、日蓮宗を保護した織田信長とも縁がある。信長の時代こそ日本経済が飛躍するチャンスだった。もし信長が生きていたら、スペインやポルトガルと競って海外貿易を行ない、16世紀後半の日本に莫大な富をもたらしたのではないか。何ともロマンチックな“if”である。

「戦国時代の日本の歴史は、民族国家の形成というヨーロッパ史上の大きな転換と深くかかわる形でつくられてきた。そして、この時代の国際情勢を読み、日本経済躍進のきっかけをつくったのが織田信長だった」。著者は「おわりに」でこう書いているが、かなり大胆な発想とはいえ、歴史好きの私にも目から鱗の1冊である。

(本屋学問 2016年4月25日)

 エッセイ 

企業の成長とガバナンス


7&IホールディングスのCEO鈴木敏文(83)が、経営陣指名をめぐるゴタゴタがあって退任する。自らが主導した新経営陣の人事案が取締役会で否認されたことで退任し、かつ後継指名は行わないとのことである。 この人事案というのは、自らがかつて後継指名した7-11社長の井阪隆一を退任させることも含まれていたそうだ。以前から鈴木は伊阪に対し「新しいビジネスを創出していない」と叱責してきていたという。

今回の取締役会では社外取締役の伊藤邦雄(一橋大学大学院特任教授で7&I指名委員会委員長)と米村敏朗(元警視総監)の二人は議事に対し反対し、取締役会否決の流れを作ったと報道されている。

企業のガバナンスが利いている健全な企業と言える。二人の社外取締役は極めて妥当な行動をしている。鈴木は引退の理由として「創業家(伊藤雅俊)の支持を失った」点を強調していた。

私は7&Iの未来に危惧を感じる。鈴木は常に新しい事業モデルを開発し、軌道に乗せ、7&Iを日本一の流通業者に成長させてきた。だから、後継の井坂にも新しい成長のビジネスモデルを創出する期待がおおいにかかっていたのは容易に想像できる。これをやり過ぎたことによる摩擦も当然大きかったと思うが、今回の「事件」はガバナンスと企業成長制約の問題をクローズアップしていると思う。

7-11を中心に栄華を極めている会社で利益も他社をしり目に毎年更新している。だから、井坂を退任させる理由は何もない。これが社外取締役の意見であったと推察できる。社外取締役としてはケチをつける余地はないからである。

それに主導された取締役会の決議もガバナンスが正常に機能していると言える。しかし、ここに大きな落とし穴があるわけで、利益が増えているからそれで良し、というのは今後の利益を生む卵を考えていないと言える。鈴木が言いたかったのはこのことだ。

会社法に則って正しい決議がされているが、このままでは7&Iは成長が鈍化するように思う。この変化の速い時代に、果敢に新しいビジネスを開拓してきたその会社が、そうした方向の動きをストップしてしまうように思えてならない。

鈴木は最高名誉顧問という肩書で残るとか、いやそれも影響力が残るからダメだとか社外取締役が主張しているとも報道されてくるとなるとキナ臭い感じもする。株主に海外ファンドもいるし、フランチャイズの多くのオーナーもいる。創業家や鈴木も大株主だ。こうしたステークホルダー間の軋轢も起きて来てもおかしくない。ダイエーや西武はガバナンスが効かずに破綻、効きすぎた7&Iがおかしくならなければと願う。

私は、伊藤(経済学者)や米村(官憲?)よりも鈴木を買う。7&Iの終わりの始まりでなければ良いと切に願っている。また、米国流ガバナンスや管理手法がglobal Standardという考え方も間違っていると言いたい。

そしてこの問題は「企業の成長」を「健全なガバナンス」が制約するという危険な側面をあぶりだした。

 UNIQLOのファーストリテイリングも今は柳井正が一人でリードしているが、それで高成長が維持できている。ここも健全なガバナンスが導入された暁には同様の問題が予想される。ただし、ここには孫正義という柳井と同じ独裁者が社外取締にいるので、御用社外取締役とは違って成長を簡単に阻むことはできないと期待している。

(恵比寿っさん 2016年4月21日)

偏重マスコミに騙されるな


さて、これからどうなるのか。いよいよ歴史的な転換点となる安保関連法が平成28年3月29日をもって施行された。これによって自衛隊は、日本の存立が脅かされる事態になれば限定的ながら武力を行使したり、米軍艦船の防護や後方支援を行うことになった。

ただし目下のところ、安保法に対する国民の理解は賛否両論、憲法違反とする声も強い。日本のマスコミ論調も賛否両論に分かれている。例えば主要6紙の3月29日付け社説はこうだ。

読売新聞は、「危機対応へ適切運用を」と題して、日米同盟強化の意義を高く評価し、訓練を重ねて国際平和の一翼を担えと主張する。

朝日新聞は、「違憲の法制、正す論戦を」と題して、これまで自衛隊の海外活動に歯止めをかけてきた「9条のしばり」を緩めてしまった違憲の安保法制を正せと非難する。

毎日新聞は、「思考停止せず議論を」と題して、同盟強化一辺倒ではなく、外交と防衛のバランスのとれた安全保障政策を点検せよと説く。

日本経済新聞は、「安保法を生かす体制はこれからだ」と題して、この法律は日本や地域の安定のために米国や友好国との協力を強めるのが目的だと肯定する。

産経新聞は、「自ら同盟の抑止力を高めよ」と題して、危機にしっかりと備えて侵略者をひるませ、戦争を抑止するために、日米で戦略目標の明確化を急げ、と説く。

東京新聞は、「『無言館』からの警鐘」と題して、戦火に散った画学生の作品を収納する「無言館」を例に挙げ、また無言館を増やすのか、安保法は専守防衛政策の変質だと批判する。

以上のように、主要各紙の論調は賛否両論に大きく割れる。これを大きく括ると、朝日、毎日、東京の各紙は、安保法反対、読売、日経、産経は安保法賛成の立場を取る。

安保法に関連して、新聞各社の社論の違いを見せた最近の例として、今年1月の宜野湾市長選の報道がある。この選挙では、安倍政権が全面支援した現職の左喜真淳氏が大勝利した。これについての、主要6紙の社説の見出しは、こうだ。

・朝日新聞「辺野古容認とは言えぬ」      ・読売新聞「普天間固定を避ける一歩に」

・毎日新聞「辺野古に直結はしない」      ・日経新聞「国と沖縄は対話を閉ざすな」

・産経新聞「基地移設を着実に進めよ」    ・東京新聞「辺野古信任とは言えぬ」

つまり、左喜真淳氏の大勝利を肯定的に受け入れ、普天間から辺野古への基地移転の前進を期待するのが読売、日経、産経であり、結果を素直に受け入れず、これによって辺野古移転が容認されたわけではないと反論するのが、朝日、毎日、東京である。

かくして新聞各社の“体質”は変わらず、「社論」はかたくなである。当然ながらテレビも同じである。テレビもすべて新聞資本の系列に入っている。日本テレビは読売新聞、テレビ朝日は朝日新聞、TBSテレビは毎日新聞、テレビ東京は日本経済新聞の傘下にある。したがって、ニュース報道、なかでも政治報道についての論調は系列新聞社の社論に従うことになる。

えてしてテレビの視聴者は、テレビのキャスターや招かれた論客の判断や主張を不偏不党で公正妥当なものとして受け取りがちだが、すべてのテレビは親新聞の論拠をベースにして政治報道の下原稿が書かれている。つまりは、新聞もテレビも、実際は程度の差こそあれ相当に偏重した主張をしているということである。当然のことながら、読者、視聴者としては、もっともらしい論調にうっかりだまされたり、報道内容を鵜呑みにしてはいけないということになる。

(山勘 2016年4月24日)

 

戦争反対、安保賛成


先に「偏向マスコミに騙されるな」というエッセーを書いた。安保法成立を巡る大新聞の社説を中心とするマスコミ論調について、私見をまじえず公平に書いた(つもりの)エッセーだが、ここでは続編として、ささやかな私見を述べてみたい。

まず、先のエッセーのマスコミ論調、各紙の社説からキーワードを拾って再見したい。読売は「訓練を重ねて国際平和の一翼を担え」と提言する。朝日は「9条の縛りを緩めてしまった違憲の安保法」と相も変わらぬ違憲論。毎日は「日米同盟は重要だ」としながらも「外交と防衛のバランスのとれた安全保障政策を」ときれいごと。日経は「日本や地域の安定のために米国や友好国との協力を強めるのが目的」と安保法の趣旨を肯定。産経は「危機にしっかりと備えて侵略者をひるませ、戦争を抑止するために戦略目標を明確にせよ」と強腰。東京新聞は「戦火に散った画学生の作品を収納する『無言館』をまた増やすのか」と情に訴える。

戦争に反対か賛成かと問えば、おそらくほとんどの人が反対と答えるだろう。だからといって軍備はいらない、ということにはならない。前にも書いたが、私は、「戦争」と「防衛」に対する判断は「二元論」で考えるべきであり、結果は「二重基準」で良いと考える。

つまり、「戦争」はやってはならないが「防衛」はやるべきだと「二元論」で考える必要がある。そして、「戦争」は回避すべきであり、「防衛」は強化すべきだという「二重基準」を認める必要がある。通常、人が嫌がり否定する「ダブル・スタンダード」を認めるこの考え方は、言ってみれば「建前」はそうだが「現実」はこうだと考えて、現下の安保環境の悪化に対処する現実論でもある。

ともあれ、やっと安保法が成立、施行された。これからは、米軍が攻撃されてこのままでは日本も危ないとなれば米艦船を支援できる。軍事力を強化し海洋進出を図る中国や、核やミサイルの開発を急ぎながらやたらにミサイルを発射する北朝鮮の慢心を少しは抑えられるだろう。

現代の安全保障環境の大きな変化と危機は明白である。危機の要因であり最大の脅威は中国だ。その中国の“手口”を簡潔にまとめた一文がある。読売新聞3月29日付け「論点スペシャル 安保関連法施行 どう見る」の中で、元海上自衛隊呉地方総監でキャノングローバル戦略研究所客員研究員の伊藤俊幸氏が語っている。ちょっと長いが引用する。

中国は1950年代にインドシナ半島からフランス軍が撤退すると直ちに西沙諸島の半分を占領し、73年に南ベトナム(当時)から米軍が撤退すると、翌年に西沙諸島全域を支配した。80年代半ばにベトナムのソ連軍が縮小するのを見て、南沙諸島にも手を伸ばし、92年フィリピンから米軍が撤退すると南シナ海南部に進出した。力の空白が生じるとあっという間に「占領」するのは、歴史が示している。東シナ海でも同様で、中国は、民主党政権で日米関係がぎくしゃくすると、沖縄県・尖閣諸島周辺で活動を活発化させた。と中国の“手口”を総括する。

こういう相手に、憲法9条遵守・戦争放棄の“念仏”で対応できるのか。参院選もしくは衆参同時選に向けてまた安保論議が再燃するだろう。野党各党は、戦争を可能にする法制だ、集団的自衛権は憲法違反だと批判を強めているが、安保法の目的は、一義的には日本の防衛であり、そして戦争の抑止である。かつて憲法違反だと騒がれた自衛隊が、いま国民の認知と信頼を得ていることも忘れてはなるまい。

(山勘 2016年4月24日)