例会報告
第54回「ノホホンの会」報告

2016年3月23日(水)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:狸吉、山勘、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問)


 致智望さんが急なアクシデントで欠席となり、寂しいスタートとなりましたが、今回は投稿も多く、いつものように興味深い話題で盛り上がりました。とくに「アレロパシー」(他感作用)は初めて聞く言葉ですが、農学分野ではよく使われる専門用語だそうで、ある植物が他の植物の生長を抑える物質を放出したり、動物や微生物から防御したり、引き寄せたりする効果をいうそうです。

「戦後経済史は嘘ばかり」はその後詳細稿が報告されましたが、本会の面目躍如ともいえる内容で皆さんから絶賛を浴びました。本会は本当に勉強になります。なお、致智望さんの「耳は1分で良くなる」は、次回に発表をお願いします。


(今月の書感)

「大和魂」(狸吉)/「耳は1分で良くなる」(致智望)/「福島原発、裁かれないでいいのか」(本屋学問)/「戦後経済史は嘘ばかり」(山勘)/「大人の青春読本 オーバーエイティーズに学ぶ」(ジョンレノ・ホツマ)/「塩分が日本人を滅ぼす」(恵比寿っさん)


(今月のネットエッセイ)

「古代の舟」(ジョンレノ・ホツマ)/「行き過ぎ報道に「停止命令」を」(山勘)/「再認識したい『日本語の力』」(山勘)


(事務局)


 書 感

大和魂/赤瀬川原平(新潮社 2006年 本体1,500円)


「大和魂は一体どこにあるのか?」あっと驚く質問を著者は投げかけ、「魂は米穀通帳の中にある」と喝破する。著者によれば、「昔米は主食として特別な地位にあった。米さえあれば生きていけるから、魂は米の中に存在する。戦中戦後は米穀通帳が無いと配給米を買えない、すなわち米の通帳は大和魂の通帳と同じだ。米の供給が増え配給制度が消えてから日本人は魂を失った」と論ずる。


先ずは本書の目次を見よう。一見ばらばらな表題だが、中を読むとすべての章に魂の問題が通奏低音のように流れているのに気付く。


  たとえば「カメラの中に魂を探る」では、「扱いに不便なライカにはドイツ魂がこもっているが、フルオートの日本製カメラには魂がない。デジカメに至っては全く無い。カメラだけでなく日本製のクォーツ時計は、機械式時計より正確で値段は安いが、時計から魂を抜いてしまった。最近スイスはそれに気付いて機械式時計に力を入れている。いわば魂を再注入している」と話を展開する。


  「羽田空港のタイムマシン」に登場する墨塗り教科書のくだりは、著者と同じ体験をした私には実感を伴って思い出された。著者は「当時まだ小さくて訳もわからず、大人たちの変わりようを見て人間不信に陥らずよかった」と前向きに受け止めている。(辛辣な皮肉か?)


終章の戦艦大和では、「日本国民にとって出雲大社や伊勢神宮に連なる信仰の対象、大和魂の模型だ」と説く。話題があちらこちらとさ迷い、まるで漫談を語っているような調子だが、実は我々日本人の深層心理を明るみに出すジャパノロジーとなっている。著者の視点・論点に学ぶこと多し。

(狸吉 2016年3月14日)

耳は1分で良くなる/今野清志(自由国民社  本体1,300円


本書は、難聴の改善について述べられた書である。著者の今野清志は、中央大学法学部を卒業し、慈恵医大アイソトープ科に出向して医学を学ぶ、RI血液検査で各科の医師との交流を深め、薬を使わない治療法の確立をライフワークとするようになった。

そして、中医学に出会い中国に渡り、中国北京国際鍼灸倍訓中心結業などで研修を行い、現在提携院として日本橋などで整体治療院を開業している。

難聴は、老化現象ではないと言うのが主題、体の不調からくるもので、必ずなんらかの原因があるとし、身体の機能は、全身が繋がっていると言う原点から対処を考えるべきと言う。

中医学では、12本の経絡(ケイラク)で繋がっている事が説明され、耳に関わる経絡(ケイラク)は腎経(ジンケイ)、その隣りあわせの膀胱経(ボウコウケイ)、心包経(シンポウケイ)で難聴に関わる経絡と言います。そして、耳を良くするには腸を良くしろといいます。老人性難聴と言われる現象は、生活習慣病の一環で、永年の集積だから老人病としてかたずけず、難聴を治すのを諦めてはいけない、諦めると病気になると言います。

この観点から、1分で耳がよくなる今野式7つのトレーニングと言うのが述べられていて、それによって、生活習慣病も同時に改善されると言う7つの療法が示されている。


その1 4つの耳マッサージ法

    両手の人差し指と中指で「チョキ」をつくり、耳を挟むように置いて

    シェイク、さすり、耳穴刺激、耳引っ張り。

その2 エア縄跳び

その3 チョッピング呼吸法

その4 お腹ウェービング

その5 頸椎シェイキング

その6 スプーン熱針療法

その7 サウンドメディテーション

以上に付いてそれぞれに、イラストが添えられて解説されています。

脳は好きな音しか受け入れない。

と言うのが有ります。ここでは、音を聞くのは脳で耳は音を集める役と言い、耳の構造役割を説明しながら、脳を鍛える方法が述べられている。聞こえづらい段階で、放置せずに治療を始めるべき、補聴器は治療の道具で無い、脳は好きな音をとらえるから、返って悪化させる傾向がある。好きなエリアを増やす努力をするべき。自律神経が衰えると脳が衰え五感が鈍くなる。五感の衰えを検知する兆候が4つある、それを感知せよと言う。

その1 自分が冷え性だと言う自覚が無い

その2 ぶつけたり転んだりしても痛みを感じず、知らない間に青あざができている

その3 紙を見ることの、何百倍もの負担がかかるパソコンを、休憩なしで何時間も見ていられる。

その4 最後に大きな声で笑ったり泣いたりしたのがいつのことか、覚えていない。


対策として

頭皮マッサージで脳と耳の機能をアップする。

リンパの流れを促そう。膀胱経絡上にある4つのツボを押す。承山(ショウザン)、委中

(イチュウ)、殷門(インモン)、承扶(ショウフ)。

イラストにより各部位の場所が示され説明されている。


私達の身体に備わった、自然治癒力は科学を超えることがあり、素晴らしい可能性を秘いると言うのが著者の結論であった。

(致智望 2016年3月15日)

 
 

福島原発、裁かれないでいいのか/古川元晴・船山泰範著(朝日新書 2015年2月 本体720円)


史上最悪の福島原発事故から5年経ったが廃炉作業は遅々として進まず、効果的な解決策もないまま原状復帰への道は果てしなく遠い。本書によれば、国会事故調査委員会は「この事故が人災であることは明白だ」と断定し、歴代および当時の政府、規制当局、東京電力に対して「人の生命と社会を守るという責任感の欠如があった」と指摘した。

さらに、政府事故調査・検証委員会が国際会合を開催したときも世界の識者から、「日本はこれまで地震や津波などによる原発リスクを想定してこなかったことが問題だ」、「世界の原発保有国はチェルノブイリ事故以後、自国で重大な原発事故は起こり得ると国民に説明してきた」、「日本は1991年から2004年まで5年に1回の割合で死亡事故を含む原発事故を起こしていたので、大事故があるなら日本だと思っていた」という厳しい意見が出て、日本が重大事故に備える意識に欠け、過去の教訓を生かしてこなかった点を指摘されたという。

何とも挑戦的なタイトルだが、よく考えてみれば帯にもあるように「人災」が「無罪」で終わっていいはずはない。法律は国民の安全を守るためにある。本書は、元京都地検検事正で司法研修所や内閣法制局で法行政の指導的立場にあった弁護士と、大学で教鞭を取る刑法専門家の2人が共同で執筆し、過去に起こった大事故の判例を挙げながら、福島原発事故はどうして起こったのか、その刑事責任とは、真の法治国家とは何かを問いかけた書である。

本書によれば、事故の刑事責任には2つの考えかたがある。1つは、過去に起こったことがあり、具体的に確実に予測できる危険について責任を問える「具体的予見可能性説」、もう1つは、過去に例がなく、どのようなメカニズムで発生するかも確実にわからない未知の危険でも、起こる可能性が合理的に予測されるものについて、業務によっては責任を問える「危惧感説」(合理的危険説)という考えかたである。

これまでの日本は“想定外”の論拠ともいえる「具体的予見可能性説」が支配的だったが、社会と国民が成熟するにつれて世界的には高度な思考を備えた「危惧感説」が認知されている。近年、大きな問題になっている大規模産業公害はこれが適用できるといわれる。つまり、「危険社会」という認識はあるが依然として安全より経済成長を優先させ、危惧感説を意識的に排除するような旧態依然とした国家体制は、人権尊重を基調とする国民主権法治国家には馴染まなくなった。

日本の面積は世界の1%以下だが、世界の地震の10%が日本周辺で発生しているという。地震調査研究推進本部が2002年に公表した東北・関東地震の想定津波の最高波高は15.7mだったが、土木学会の予測値5.7mを10mも上回るため、東京電力や国はこれをあくまでも仮想的数値として楽観視した。原子炉の全電源が喪失する事態も予測はしたが、具体的な対策はもちろん、その場合の想定訓練や教育もしていなかった。彼らが10万年に1回と想定した大津波が、あろうことか現実に来てしまったのである。

福島原発の各原子炉には、外部交流電源が失われた場合に備えて非常用交流電源として交流配電盤と2台のディーゼル発電機が設置されていたが、地震後の津波によってすべて水没した。高所に設置しておけば、1台でもディーゼル発電機が機能していれば事故は防げたと専門家は見ている。

2号機、4号機のディーゼル発電機は建屋に設置されていたので機能したが、交流配電盤が地下1階にあって水没した。1~4号機は互いに電力供給できるので、最悪でも2、4号機の配電盤が生き残っていて非常用冷却装置を作動できれば、炉心溶融という最悪の事態は免れたのではないかという。

万が一に備えるのがリスク管理の本質という点からいえば、原子力発電事業者は安全性確保のために最高度の注意義務を負う。原発施設の管理責任者として、東京電力や規制当局の事前対策はやはりおかしいと本書は疑問を投げかけている。

福島原発事故以前から原発運転差止めなどの訴訟は数多くあったが、日本の裁判所は相変わらず具体的予見可能性説に縛られて安全神話を守ってきた。しかし、2014年の大飯原発3、4号機運転差止め訴訟では、福井地裁が日本で初めて危惧感説によって住民の訴えを支持した。

「大規模自然災害や戦争以外で広範に人格権を奪われる事態を招く可能性があるのは、原発事故以外には想定できない」、「原発に求められる安全性、信頼性は最高度でなければならず、万が一にも放射性物質の危険から国民を守る万全の措置が取られなければならない」。その後上級審では覆されるが、この画期的判決が今後の判例になっていくことが望ましい。

結果的にいえば、2015年に福島原発告訴団が国と東京電力を業務上過失致傷罪などで告訴したにもかかわらず、東京地検が二度とも「想定外なので責任はない」と不起訴処分にしたが、2016年2月に検察審査会が被害者の悲痛な叫びを聞き取り、改めて当時の東京電力の幹部3人を強制起訴できたことで、本書の役割はある程度達成されたのではないか。

結果責任というものがある。起訴された関係者たちは再び無罪を主張するだろうが、考えかたによっては自らをまったく想像力に欠けた、役に立たない無能者だといっているようなものだ。高い報酬を得ながら肝心なことは何ひとつできない国会議員始め、高級官僚…、無責任体制が跋扈する日本の腐った現状をリセットしなければならない。

日本の原発裁判は相変わらず国寄りの判決が続いているが、本当にこのままで良いのか。国民の意識をさらに高めることはもちろん、今後は司法が条理(一般常識)を守る最後の砦の役目を確実に果たすことが大きな使命ではないだろうか。これが率直な読後感である。

(本屋学問 2016年3月17日)

戦後経済史は嘘ばかり/高橋洋一(PHP研究所 本体880円)


小粒な新書版ながら、まさに「山椒は小粒でぴりりと辛い」驚きの戦後経済史である。手際良くまとめられた本書カバーの「内容紹介」をそのまま引用するとこうなる。

『世界から「奇跡」と称された高度経済成長を成し遂げ、やがてバブルの崩壊から「失われた20年」といわれるほどのデフレ不況に落ち込んだ日本。なぜわれわれは、かくも成功し、そしてかくも失敗したのか―。この日本経済の歩みの要因分析について、いま、あまりにも広く「間違いだらけの常識、思い込み」が流布している。本書では、それらの誤謬を、わかりやすい論証で一刀両断。「真相」がシンプルかつ明快に解き明かされていく。まさに驚きと知的刺激の連続!未来を正しく見通すためにも、ぜひ読んでおきたい、新しい「戦後経済史」の決定版』である。

本書が、「間違った経済常識」や「単なる思い込み」の例として挙げるのは、本書の“ミソ”ともいえる5つのケースである。

①「高度成長は通産省の指導のおかげ」というのは間違いで、鉄鋼生産重視の「傾斜生産方式」などは意味がなく、むしろ通産省に逆らった本田技研工業や松下電器産業、ソニーなど民間のがんばりによるものであった。さらに、高度成長の最も大きな要因は、1ドル=360円という、1949年にアメリカ主導で決められた固定相場制による圧倒的に有利な為替レートが輸出産業を伸ばし、さらに日本産業の技術力が向上して戦後の高度成長を支えたとする。

②「1ドル=360円時代は為替に介入していない」というのは間違いで、1ドル=360円という固定相場制のもとでも、この為替レートを維持するために日本は猛烈に為替介入をし続けた。多くの場合、円高に振れないようにドル買い介入が行われ、そのために円を刷る必要があり、日本国内はインフレ基調になったとする。逆に円安に振れそうなら円買いに回るわけで、皮肉な話だが、たえず介入し続けるのが固定相場制だったということになる。

③「狂乱物価の原因は石油ショックだった」というのは間違いで、1973年から3年に及ぶ20%台の「狂乱物価」は、たしかに73年10月の第4次中東戦争勃発による第一次オイルショックも一因ではあるが、大きな要因は、それ以前の、73年2月の固定相場制から変動相場制への移行である。それによって急激な円高になれば輸出企業がバタバタと倒産する。そこで大蔵省は裏の「ダーティ・フロート」で猛烈なドル買いの為替介入を行ったために市場に大量のマネーが供給され、インフレが生じた。

④「プラザ合意以降、アメリカの圧力で政府が円高誘導するようになった」というのも間違い。1985年の「プラザ合意」の頃、アメリカ経済はレーガン大統領による「レ―ガノミクス」政策だったが、対日貿易赤字があまりに大きいことから国際的に圧力をかけてアメリカが円高・ドル安に「誘導した」とされるが、「円高になった」真の原因は、変動相場制移行後も続けていた大蔵省の「ダーティ・フロート」介入を、プラザ合意以降は止めて市場に委ねたので実勢の均衡レートまで円高が進んだとする。

⑤「バブル期はものすごいインフレ状態だった」というのも間違いで、バブル期とされる1987年から90年の実質GDP成長率は4.2~6.2%であり、当時の先進国水準では平均的なものだった。さらに「一般物価」の上昇率は0.1~3.1%と、ごく健全だった。異様に高騰したのは株式や土地の資産価格、「資産物価」だけだった。

以上のように、本書は5つの「間違った経済常識」に大きな修正を迫る。そして、「間違った経済常識」が生んだ最大の誤謬として「失われた20年」を挙げる。すなわち、バブル期の「資産バブル」を日銀が正しく分析できず、一般物価が健全な状態にもかかわらず公定歩合の引き上げ、金融引き締めをやった。資産バブルの真の原因である、法の不備をついた証券会社任せの「営業特金(特定金銭信託)」や「土地ころがし」による資産回転率の高さという問題をとらえきれず、これに効果を持たない利下げという誤った策をとり、それによって健全な「一般物価」をダメにして深刻なデフレに陥り、「失われた20年」を迎えることになる。これをやった当時の三重野康日銀総裁を、マスコミはバブルを退治した「平成の鬼平」と持ち上げたと指摘する。目から鱗の落ちる痛快な一書である。

(山勘 2016年3月20日) 

もっと詳しく知りたい方は → こちら

塩分が日本人を滅ぼす/本多京子著(幻冬舎新書 本体800円 2016年1月30日 第1刷発行)


著者略歴  医学博士・管理栄養士

実践女子大学家政学部食物学科卒業後、早稲田大学教育学部体育生理学教室研究員を経て、東京医科大学で医学博士号を取得。2007年に策定された国民運動「新健康フロンティア戦略」の健康大使。

NPO日本食育協会理事。

プロ野球のほか、ラグビー、スキー、相撲などスポーツ選手に対する栄養指導の経験を有する。

日本体育大学児童スポーツ教育学部で「子供の食と栄養」を担当。

日本紅茶協会ティーインストラクター会特別顧問、アロマテラピープロフェッショナル。
栄養や食に関する著作は60冊を超える。近著に「管理栄養士10人がおすすめ!シニアのらくらく毎日ごはん」(共著 NHK出版)、「毎日、しっかり!ボケ予防ごはん」(主婦の友社)、「からだにいい食事と栄養の教科書」(監修 永岡書店)など。


はじめに 

  日本人の食文化と「新しい危険」

  私たちは健康&食について理解が足りない

  塩分はなぜ体に悪いのか

  美味しく知的に減塩するコツ


血圧が少し高い私は昔から塩分には気を付けてきたので、こういうタイトルには直ぐに飛びつきます(笑)。長生きに減塩は必須と言っても、本当の塩の怖さを日本人はまだわかっていないといない、塩は万病のもとだと著者は言います。


2015年には塩分摂取量目標値が下がり(「日本人の食事摂取基準」、男子9→8gr.女子7.5→7gr.となったが、WHOの定める基準(5gr.)よりも多い。

もともと日本の食事には塩分が多く意識しないと過多になりやすい。最近は調理済みの食品を使うことが多く、一々調理していた(塩の見える)時代に比べると、知らずのうちに塩分過多に陥りやすい、とも。

見えない塩を意識することが大切だと著者は説いています。


最近の食生活では、コンビニ弁当に限らず、ファストフード、デリバリー食品、加工食品、インスタント食品、冷凍食品に至るまで、我々の想像をはるかに超えた塩分が含まれていることがある。

塩分表記でなく、Na表記をして消費者心理をついているのかも知れないと見る著者はNaの2.4倍の塩の量なのに、それに気づかず塩をたくさん摂っている。


昔から日本では保存のために塩を多用してきたが、最近では無添加のために防腐上塩を多用しているという矛盾も起きている。沖縄県は長寿県であったが今や食生活の変化で「逆さ仏」が起こっている。

一方、長野県は県を挙げての活動で脳卒中が減り、長寿県に。県民の意思改革がそれを実現したそうです。自分の健康には自分自身でコミットする権利を放棄しないでほしいとも訴えています。

日本の長寿は昔から行われてきた「食養生」が土台にあるので、大切にすべきとも。がんや様々な病気は塩分が過剰で起こることが多いとも。

食生活は子供が被害者(とは言ってないが)。健康を目指すには食事の塩分削減がキモと言うことでしょうか。

なお、何故WHOよりも日本の基準が甘いのかについては触れてないのが少々残念。想像だが、食品業界や薬品業界がその邪魔をしていると想像できます。以前、神保徹さん(新潟大学名誉教授)の講演で、降血圧剤は要らないという言葉を思い出しました。

(恵比寿っさん 2016年3月21日)

大人の青春読本 オーバーエイティーズに学ぶ(杉並区立成田図書館発行)


いつも利用している図書館に小冊子が置いてあるのを見つけました。

このブックレビューには、人・本のタイトル・本人の一言・概略内容が見やすくレイアウトされ、手作りの冊子であることに感心しました。冊子の作り方の参考にもなりました。


日本は超高齢社会に突入し、私たちの生活設計も長期的なビジョンで考えていく必要があります。高齢期が余生ではなく、第二の人生として位置づけられるようになったのは近年のことであり、情報も充分とはいえず戸惑いや不安を感じることも多いと思います。

成田図書館では80歳を越えても現役で活躍された方々の著作の中から、とくに人生のヒントになるような本を集め、ブックリストを作成しました。高齢期に入ってから海外に飛び出した方や一人暮らしを始めた方、精力的に文筆活動を続けた片など、年齢を感じさせない魅力的な諸先輩方がたくさんいらっしゃいます。

このブックリストをきっかけに皆様の毎日の生活がより充実したものとなれば幸いです。という、あいさつで始まっており、ブックレビューに取り上げている方々は、


吉行 あぐり 熊田 千佳慕 柴田 トヨ 金田一 春彦

楠目 ちづ 笹本 恒子 ターシャ・テューダー 堀 文子

吉沢 久子 やなせ たかし 内海 桂子 辰巳 芳子

吉本 隆明 北 杜夫 山折 哲雄      谷川 複太郎


最初に出てくる「あぐりさん」を取り上げてみました。

吉行 あぐり 美容師1907(明治40)年-

あくやり白寿の旅 吉行あぐり・吉行和子/著  集英社

「いまを旅する、過去を旅する」←手書きになっている


あぐりさんが旅に目覚めたのは91歳のとき、娘で女優の吉行和子さんや友人とのメキシコ旅行がきっかけだ。旅行会社からの車椅子を用意しておくとの申し出をぴしゃりとはねのけ、機内食もメキシコ料理もしっかり完食、海に入りピラミッドに登り思う存分旅を満喫したようす。ご本人いわくそれから旅が「やみつきとなり」、和子さんのロケや休暇に便乗したり、ご自身が旅番組の取材を受けたりと、ネパール、イタリア、香港、上海へ。再取得したパスポートも大活躍だ。

あぐりさんの仕事人としての半生は自著『梅桃(うすらうめ)が実るとき』やそれを基にした連続テレビの小説「あぐり」に譲るとして、今回は旅するあぐりさん。道中、唐突にそういえば…と何十

年も昔のことを思い出すんだから、旅ってやっぱりおもしろい。


自分も読む本に迷ったら、この中から選んでみようと思った次第です。

(ジョンレノ・ホツマ 2016年3月21日)

 エッセイ 
 古代の舟


京都市の北の鞍馬に貴船神社という神社があります。

なぜこんな山奥に海もないのに何で貴船神社という舟という字のついた神社があるのか、子供の時から不思議でたまりませんでした。

ホツマツタヱの27綾に、「きふね」という言葉を見つけたとき、前後関係から、古代の舟の誕生の背景も意味するところが分かり、当時の生活環境を知り、目からうろこが落ちました。


 「たみづをまもり ふねをうむ きふねのかみは ふなたまか」 とあったからです。

直訳すれば、「きふね」の神は、田水を守り、舟を生む、舟魂ですよ。とあります。

自分なりの解釈を付け加えれば、当時から既に、洪水から田んぼを守り、常に水が行き渡るよう取水のために川に井堰を作って開墾していました。そのためには川に筏や舟を浮かべ丸太や石などを運んでいたと思いました。


ここで「きふね」と読まれた「貴船神社」は、当時、「みづは宮」(みづはめ)と呼ばれており、水に関連していたことが分かりました。


また、この綾に「舟」を生みだした記述がありました。

 ふねはいにしゑ しまつひこ くちきにのれる うのとりの あづみかわゆく いかだのり さおさしおぼえ ふねとなす このおきつひこ かもをみて かいをつくれは まごのしが ほわになすなよ かなさきは おかめをつくる そのまごの はでかみのこの とよたまと みつはめとふね つくるかみ むつふなたまぞ


舟を作りだした起源ですが、太古の時代に①「しまづひこ」という方が安曇川(今の滋賀県琵琶湖の西側)に流れていた朽木(くちき・枯れ木)に乗った鵜の鳥を見て、筏(いかだ)を作ったのが始まりです。

そして、棹を差すことを覚えて舟としました。今でも、観光地の長瀞のように棹を突いて川下りをしている所を見受けます。当時の風景を思い起こすようです。


次に「しまづひこ」の子供の②「おきつひこ」は、鴨が水中で足を前後に動かしているのを見て、櫂(かい)を作りました。鴨舟と呼ばれました。鴨のように静かに水面を進んでいく様子が手に取るように分かります。このとき、既に、丸木を半割にしてくり抜いて使っていたのでしょうか。豊玉姫の乗った「かも舟」が割れて渚を泳ぎ切ったという記述があったからです。


その次に「しまづひこ」の孫の③「しが」(志賀神)は、帆を作り、「わに舟」を作り上げました。速度は速いものの揺れが大きかったようです。

外観はワニに似ていたのでしょうか。日本にも「ワニ」が生息していたことからも推測できます。大阪近郊の豊中市と池田市の間の待兼山町からワニの化石が出てきてマチカネワニと命名され全長6.5mと推測されているからです。


さらに、④「かなさき」は、大亀舟を作りました。形が亀の甲羅のようなイメージであったと推測します。大きな樫の木で作ったという記述もあります。

更に、大亀舟を造った「かなさき」の孫の「はで神」の子の⑤「豊玉姫」と⑥「みづはめ神」(罔象女)が、舟を作られた神と称せられ、6人の舟魂(貴船の神)となります。


⑤の豊玉姫は誕生間近の子供を孕んだ状態でしたが、「ヒコホホデミ」の日嗣のためにお妃として、かも舟に乗り北九州の志賀の浦から北陸の敦賀まで行きますが、途中で「かも割れて」とあるように舟が割れてしまいます。海に溺れかかり、あられもなく肌を見せてしまったにもかかわらず、必死に浜まで泳ぎ切りました。

その後、ワニ舟を見つけ、無事敦賀に着くことが出来き、未完成であった産屋で子供を無事生みました。

しかし、あられもないでいた寝姿を君に見られてしまい、もう二度と会せる顔がないと恥ずかしさのあまり逃げ隠れてしまいます。その隠れていたところが山奥の貴船神社でした。後に、めでたく晴れて瑞穂の宮に中宮として返り咲きました。

豊玉姫は亡くなられて、この貴船神社に祀られています。


⑥の「ミヅハメの神」は「水の神」を言い、「ホ・カグツチの神」は「火の神」、「ハニ・ハニヤスの神」は「埴・土の神」、「ウツホ・ウツロイの神」は「空の神」、「カゼ・シナトベの神」は「風の神」と合わせて5神の一人です。


かも舟、わに舟、亀舟の速度の比較ですが、北九州の志賀の浦から北陸の北の津・敦賀までの時間を聞いている個所に、大亀舟なら1か月以上かかる。かも舟なら約1か月、大ワニ舟ならもっと早く着きますという記述があります。

直線距離で約600kmですが、当時は海岸線に近い磯に沿って竿を海底に突いて進んでいたと考えられます。そのため入り組んだ海岸線の長さは倍の1200kmと見ると、1日に進む距離は約40km、8時間が実移動時間とすれば、時速5km/hrで速足と同じぐらいになります。いずれにせよ、大変なことであったんですね。

(ジョンレノ・ホツマ 2016年3月15日)

行き過ぎ報道に「停止命令」を

ちかごろの無軌道で過剰なテレビ報道は目に余る。行き過ぎたテレビ報道には今国会で論議を呼んだ「電波停止命令」を出すべきではないか。そんなことで私は、高市早苗総務相による「電波停止」答弁をめぐる国会論戦に注目した。過去にも国会論議があったが、今回は高市大臣が野党に噛みつかれた。2月の衆院予算委で、放送局が放送法の違反を繰り返した場合は、電波停止を命じることもあり得るとした高市発言に対して、野党は「放送局やメディアの委縮につながる」と反発した。

しかし、「電波法」に「3カ月以内の期間を定めて無線局の運用停止を命じることができる」と定めているというのだから、高石大臣が「命じることもあり得る」とした見解は何ら問題がないはずだ。ましてや「命じた事例もない」段階でメディアの委縮を騒ぎたてる野党の方がおかしいのではないか。安倍総理も、質問に立った野党議員に対して、正確な言い回しは忘れたが、「帰りに夕刊フジを買ってみろ、あれが委縮したメディアか」といった内容の発言をして、自分が日ごろ叩かれっぱなしの夕刊フジを引き合いに高市大臣を擁護した。これにも野党が噛みついた。

また「放送法」には、「公共および善良な風俗を害してはならない」という放送番組編集にあたっての自主規制的な定めがあるという。こちらは問題で、一見、立派な定めに思えるが「公共および善良な風俗」が乱れに乱れている当世では、「公共および善良な風俗」とは何か、というところから論議を始めなければならず、議論は堂々巡りの自家撞着に陥ることになる。結局この定めは、法が適用されることもなければ罰則もない有名無実の自主規制だということになろう。

それでも常識的に言えば「公共および善良な風俗を害してはならない」のは当然だ。問題はいかにして現行の空疎な定めに実効性を持たせるかということだ。最近、何とかいう国際機関が、青少年に悪影響を与えるので映像メディアの喫煙シーンを規制すべきだと提言した。タバコがダメだと言うなら暴力やセックスはどうかとなる。それでは映画もドラマも成り立たなくなるだろう。第一、こういうばかばかしい微細、個別なアイディア対策ではメディア正常化の実効性を担保できるはずがない。

また昨年、自民党の若手議員による勉強会「文化芸術懇話会」とやらで、講師に招かれた作家の百田尚樹氏や議員らによるマスコミ批判の“放談”が問題になり、4人の議員が党内の役職停止や厳重注意処分を受け、党の長老に厳しくお灸を据えられた“事件”があった。

その“放談”とやらのポイントは3つ。①沖縄タイムス、沖縄新報は沖縄世論をゆがめている、②マスコミを懲らしめるには広告収入を無くすることが一番だ、③子供に悪影響を与えるテレビ番組のワースト10とそれにCMを出している企業名を列挙すべきだ、というもの。

このうち、①と②に対してはいろいろな意見があるだろうが、私にはおおよそ的を射ているように思われる。ただし②の実行は不可能だろう。③の発言には、私のみならず賛成の向きが多いはずだ。

そこで2つほど提案したい。1つ目はぜひ、「子供に悪影響を与えるテレビ番組のワースト10」を公正に判定する機関を設置してもらいたい。ワースト番組が公表されれば、CM企業も品位を問われ、赤恥をかいて退散するだろう。さらに、2つ目は、子どもの目に触れさせたくない残忍な事件など、終日垂れ流すテレビの事件報道に規制をかける公的制度を検討すべきではないか。

特に事件報道は、事件の新展開も新事実の発見もないのにニュースの時間になると同じ内容のニュースを漫然と繰り返して流す。さらには “専門家”が登場したりタレントが加わったりして、微に入り細を穿って事件の“真相”を解説したりコメントしたりする。これはほとんど興味本位の番組づくりである。

報道規制といえばオウム返しに「報道の自由」や「知る権利」が主張されるが、「知らせない権利」もあるのではないか。何を知らせ、何を知らせないか、それを考えることが、「公共および善良な風俗を害してはならない」という空疎な定めを実効化することにつながるはずだ。先の自民党若手議員も叱られて簡単に委縮せず、再度奮起すべきではないか。

(山勘 2016年3月20日)

再認識したい「日本語の力」

先ごろ、「劣化する中韓の漢字力、日本も?」という話を書いた。これは続きのような話である。同じ漢字文化圏でありながら、いま中国で使われている字画を少なくした簡体字や、漢字とは似ても似つかない韓国のハングル文字は、本来の漢字が持っている意味や情緒を削ぎ落とした(あるいは棄てた)、記号化に近い表記法である。

いま日本人が使っている漢字は、歴史的には中国から輸入したものであるが、その漢字には徐々に日本的な意味や命を吹き込み、その漢字を独創的なひらがなでつなぎ、さらに独創的なカタカナで外来語を表記するなど、漢字を大事にしながらも、古代から現代まで連綿と日本語の表記に独自の工夫を加えてきた。

最近、嬉しい一文に出会った。読売新聞の2・18付け「論点」欄の、「日本語で学び、考える科学」と題する筑波大学名誉教授白川英樹さんの論考である。

白川博士は、2000年に導電性ポリマーの発見と開発でノーベル化学賞を受賞した折りに、外国の記者から「アジアで日本人のノーベル賞受賞者が多いのはなぜか?」という思いがけない質問を受けて一瞬考え、「日本では日本語で書かれた教科書を使い、日本語で学んでいるからではないか」と答えたという。その後、そのことについて考察を続け、確信を持つにいたったのは「これまで日本の科学者たちは日本語を思考の道具として使ってきた。江戸時代から明治維新を経て、海外から日本に伝わってきた科学や文化は、先人たちが外国語の文献と取り組み、思考を巡らせて翻訳してきた言葉と概念によって、今の時代につながってきている。その恩恵を私たちは受けてきたのだ」と。

そしてまた「日本語で論理的に考えられない人は、英語でも論理的に考えられないだろう。必要に迫られて学んだ外国語によるよりも、長年使いこなしてきた母国語の方が、より核心に迫った理解ができるし、より発想の自由度が大きいと感じてきた」と言う。

戦後、GHQが、日本の民主化政策の一環として日本語をローマ字表記にする政策を打ち出した。その一環として、日本人の漢字識字率の低さを立証しようと全国規模のテストをしたら、逆に日本人の漢字力の高さが証明されたという。失礼ながら、その当時のアメリカでは、自分の名前さえもアルファベットで書けない人が少なくなかったようだから、漢字の国である日本人の読解力の高さにはGHQも心底驚いたことだろう。

この、GHQによる日本語ロー字化に対しては吉田茂などが抵抗し、おそらく日本語を守るための漢字教育の視点から、難しい漢字を制限した「当用漢字表」をつくることになった。しかし、古くは江戸時代から学者の漢字批判があり、戦前も「かなもじ」論や「ローマ字」論があり、戦後も志賀直哉や湯川英樹など文化人でローマ字化に賛成する人もいた。後には大企業の高名な経営者が日本語ローマ字化運動を展開し、社内文書をローマ字化した例もある。社員の迷惑は大変なものだったろう。

白川博士のいう、歴史上の先人達が営々と積み上げてきた言葉と概念の歴史を立ち切ったのではないかと思われる中韓の国語の現状を見るにつけ、GHQ戦略に屈服してナンセンスな日本語ローマ字化を受け入れることもなく、漢字主体の日本語を守ることができたのは幸いだった。

喜んで訂正しなければならないのは、前述の「劣化する中韓の漢字力、日本も?」の中で、「学問の分野では、自然系の科学部門では英語、社会科学部門では日本語が最高だという説もある」と書いたことである。白川博士の教えに従えば、社会科学部門どころか、科学部門でも当然、日本語で学び、日本語で考えなければならないことになる。英語に弱い私としては我田引水的なきらいがないでもないが、まずは意味と情緒に加えて論理性をも合わせ持つ、漢字主体の日本語の力を再認識し、日本人として日本語で考えることに自信を持つべきだろう。

(山勘 2016年3月20日)