例会報告
第53回例会報告

2016年2月19日(金)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:狸吉、致智望、山勘、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問)

 久しぶりにジョンレノ・ホツマさんが参加でした。前々回に引き続き、ホツマツタエ検証旅行の詳細エッセイが報告されましたが、山深く鎮座する神社の由来も生き生きと浮かび上がり、改めて人の信仰の歴史の深さを感じます。

 今回はエッセイが充実して、経済問題、歴史観、Amazonの買い方、日本語文化、社会の変化と問題提起も増えました。日本人は律儀だから外国から借りた借金はせっせと返すが、果たしてこれから国民にも同じことをしてくれるのか。マイナス金利を初めて経験する日本はどうなっていくのか。今回も議論白熱でした。



(今月の書感)

「偽書『東日流外三郡誌』事件」(本屋学問)/「あなたのなかのやんちゃな神さまとつきあう法」(ジョンレノ・ホツマ)/「図解地政学入門」(恵比寿っさん)/「歴史認識とは何か」(山勘)



(今月のネットエッセイ)

「マイナス金利」(致智望)/「LINEの臨場感」(本屋学問)/「安物の勧め」(恵比寿っさん)/「ホツマツタヱ検証旅行2」(ジョンレノ・ホツマ)/「都美術館揺れる? 元関脇水戸泉の錦戸親方登場」(山勘)/「劣化する中韓の漢字力、日本も?」(山勘)/「社会が変わるとき」(狸吉)


(事務局)


 書 感

偽書「東日流外三郡誌」事件/斉藤光政(新人物往来社・新人物文庫 2009年第1刷 2010年第4刷 本体762円)


「つがるそとさんぐんし」と読む。本書は、戦後最大の“偽書”事件として歴史ファンの間では有名な「東日流外三郡誌」騒動の顛末を、青森県の地元紙「東奥日報」記者として10年以上にわたって取材した渾身のルポルタージュである。

「東日流外三郡誌」は当初、青森県市浦村(現在は五所川原市)村史「資料編」として1975年から3回に分けて刊行された。この資料が語る古代東北史とは、本書によれば次のようなものである。

4000~5000年前、この地方には2つの王国があったが、岩木山の噴火で一方が滅亡し統合される。さらに紀元前7世紀頃、九州と畿内の勢力争いに敗れた邪馬台国の王と副王が津軽に亡命して合流し、新たに王国が成立した。これが後に「蝦夷」と呼ばれることになる。この間に西日本には大和朝廷(倭国)が成立したが、紀元前3世紀に津軽王国は南下して大和を滅ぼし、新たに倭国をつくる。

その後、日本列島の東西で王国どうしが衝突を繰り返し、日本国と改称した倭国が平安時代までに現在の青森県を除く東北全域を平定、敗れた津軽王国は安倍氏と改称する。さらに源氏に敗れて後は安東氏を興し、十三湊(とさみなと)を拠点に鎌倉時代には東日流(津軽)外三郡を領する中世豪族となった。しかし、14世紀半ばに津軽半島を襲った大津波で十三湊は壊滅する。さらに南部氏が侵攻して一族は離散し、二度と津軽の地を踏むことはなかった…。

この失われた東北の古代・中世史を明らかにする謎の古文書を提供したのが村史編纂委員の1人だった和田某で、彼は家業の炭焼きを手伝いながら骨董品の売買などをしていたようだが、戦後に自宅の天井裏から発見したというこの古文書は、和田によれば江戸後期に安東氏の末裔といわれる福島・三春藩第7代藩主秋田千季(よしすえ)の命で和田の祖先らが編纂し、副本(寛政原本)が代々同家に伝わったもので、明治時代に曽祖父がさらに書写したと説明していた。この文書は1972年頃にはすでに五所川原市周辺ではその存在が噂になっていて、表紙には「安東文書」と書かれていたという。

しかし、当時から原本は「門外不出」「口外無用」の書とされて誰も見たことがなく、編纂委員の間でも「墨が新しく当て字が多い。文章形式も古くない」とその真偽が問われていたようだが、秋田千季は実在の人物で、村は「嘘か真実かわからないが、とにかく興味深い記録」ということで文書のすべてを公開して世に問うことにした。

津軽地方は中世の国際港湾都市として発掘調査が進んだ十三湊や三内丸山(さんないまるやま)など、縄文時代から近世にかけての遺跡と伝説に満ちた土地柄でもあり、正史には登場しない古代王朝があったとする説は古代史ファンの夢を掻き立てた。その後、青森、東京と版元を変えて出版された「東日流外三郡誌」は総売上が1億円を超えたというから、まさにこの分野のロングセラーになったが、歴史ファンの間で話題になるにつれて真書派と偽書派に分かれて熱い論争が始まった。

著者が「東日流外三郡誌」を知るのは、先輩記者から引き継いだある民事訴訟の取材がきっかけだった。大分県の一歴史研究家が、自分の論文や以前に和田に渡した近畿地方の石垣の写真が、和田が書いた「知られざる東日流日下王国」のなかで古代津軽に存在した城跡として紹介されていることを知り、歴史の捏造だと訴えるつもりだという。この研究家は、「外三郡誌」は古文書ではなく和田が書いた現代の偽書だと主張した。

著者は、和田本人にも慎重に電話を入れる。当然ながら全面否定だったが、1992年10月19日付東奥日報朝刊にスクープ記事が躍った。「写真、無断で使われた」「大分の研究者、著者を提訴へ」。全国紙を向こうに回して、“東日流外三郡誌ダネ”を抜き続けた著者の長く孤独な戦いが始まったのである。

地元の青森古文書研究会が、いち早く「外三郡誌」追求に立ち上がる。そして、一連の古文書を鑑定した結果、次のようなことがわかった。

・江戸時代に書かれたのに明治以降につくられた新語が出てくる

・字体に戦前から戦中に教育を受けた者の特徴がある

・「外三郡誌」と筆跡が同じ一連の和田家古文書には、戦後につくられた版画用和紙が使われている

その後、紙質を特殊な液体で古紙に見せかけたり、100年以上前の煤を付けたり、線香で虫食い穴をつくったりしたことも判明するが、書きやすかったのか墨筆の代わりに筆ペンを使っていたというのだから笑ってしまう。

つまり、「東日流外三郡誌」始め和田家に伝わる多くの古文書は、発見者の和田本人が書いたものだと研究会は記者会見で断定し、鑑定結果は裁判所にも提出すると付け加えた。記者団の「なぜ鑑定まで?」という質問に会長らが、「この文献はオックスフォード大学やコロンビア大学などにも置かれている。だからこそ、青森から生まれた誤りなら青森の人間が正さなければならない。それが私たち専門家の使命だ」と答えたのを聞いて、著者はこの問題の根が想像以上に深いと感じたそうである。

最初の村史編纂にかかわった人々、「外三郡誌」を真書と主張した大学教授、著名な筆跡鑑定専門家、そしてその後も接触を避け続けた和田本人…。著者は関係するあらゆる人々を精力的に取材し、古代史ブームに乗った漫画にも登場するほどの有名人になった。10年余に及ぶ取材で、掲載した関連の記事は50本近くになったという。一方、捏造訴訟は最高裁までいったが、いずれも「外三郡誌」の真偽の判断はなく、結果的に裁判官の理解能力の限界がわかっただけだった。

「東日流外三郡誌」は一方で、数々のエピソードもつくった。東北蝦夷の首長である安倍一族の末裔と持ち上げられた安倍晋太郎(安倍晋三首相の父)は、和田がでっち上げた神社に墓参して記念の植樹をした。朝日新聞は「外三郡誌」を高額で買い取ろうとした。共同通信は真書派に乗せられて、「外三郡誌」の信憑性を裏付ける証拠が出たと報じたが、著者らの指摘で誤報を認めた。福沢諭吉の「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」は実は和田家文書からの引用で、明治時代に福沢が和田の曽祖父に宛てたという「外三郡誌」を借りていた旨の礼状も出てきたが、慶応大学の鑑定で否定された。

ある史料鑑定専門家は和田某を「偽書史に残る天才」といったが、著者は和田の歴史好きが高じて古文書などが高く売れることを知り、周囲からの求めに応じて次第に大胆な所業に手を染めていったのではないかと推測している。さらに自戒を込めて、優しさゆえに沈黙し、真実に至る道を譲ってはいけない。真実は一つだ。戦後、多くの国民が“騙されていた”、“知らなかった”といったが、本当は“知ろうとしなかった”のではないか。おかしいと感じる人はいたのに、流れを止めることができなかった。常にそう感じるセンサーを磨いておくべきだとも書いている。

東北人の鬱屈した怨念的心情が生んだともいわれたこの事件。「今や東北には三内丸山がある。偽書に頼らなくても、東北の豊かな歴史風土は全国に発信できる」「この事件の真相を追い続けたことで、東北の歴史と文化の破壊を免れた」…。著者のところには多くの反響が寄せられた。ノンフィクション作家の立花隆は週刊誌で、「本書は大宅壮一賞の候補に当然入るだろうと思っていた。謎解きものとしても、なまじの推理小説よりはるかに面白い」と評した。記者冥利に尽きると著者は結んでいるが、まさにそれを裏切らない傑作ルポルタージュである。

(本屋学問 2016年2月6日)

あなたのなかのやんちゃな神さまとつきあう法/金城幸政(サンマーク出版 2015年6月初版発行)


新聞の広告を見て、どんな本かと図書館にリクエストし、順番待ちで読んでみました。

著者は沖縄出身で受胎前、出生時の体内記憶を持って生まれ、3歳から神様と問答を繰り返し、・・・・・とあり、奇人変人扱いを受けていたとあります。人を見るだけで、見透かしてしまう方とあります。

軽いタッチで描かれて、要点をゴジック体にしているので、一気に読んでしまえました。特に意識していない、内なる自分の魂の中に神さまがいるということを認識させてくれ、なるほどと納得してしまった内容でした。


気になったキーワードを列記するだけでも著者の意図するところがある程度理解できるものと思いました。話が多岐にわたっているのでうまくまとめるのは無理でした。


書き出しに、「まじめ」な人は、みじめになって、「一生懸命」な人は、バカを見る。

「二枚目」気取っている人って、ダサイ。今、こんな時代になりつつある。


まじめ、一生けんめい、二枚目むっつり、そんなつまんないことはまずやめよう。

著者の言う神さまとは、自分の分身・自分を見ている分身の意味合いで、自分の奥深くに神さまはいつもいる。魂と言われる部分に神さまのエネルギーが宿っている。自分の本質そのものを表しているのが著者の言う神さまである。


目次と気になった小見出しの一部

神さまに愛される人は、笑いとユーモアを持っている

まじめに生きるなんてクソくらえ!

笑うことができれば、人は変われる!

マイナス感情すらも、もとはプラスのエネルギー


けで「マナー違反」

十言って一しか分からないとイラつくことなく、十言って一しか分からない人だと理解すれば良いこと。ストレスをユーモアに、ユーモアを持てればいつだって人は変われる。


私たちが「神さま」なんだから

自分の奥深くに神さまはいつも「いる」

自分は神と知りつつ、とことん人間を生きなさい


人生は超シンプル! ただ思うだけで願いはかなう

願いをかなえたいなら、ただ思うだけ。

「思考」ではなく「思い」が現実になる

「いいことをすればいいことが返る」は間違いである

お金を「無駄遣いした」人ではなく「腐らせた」人にバチが当たる

神さまは、人間の行為に対しての評価判断はなくポジティブな思いを持ったか、ネガティブな思いをもったしか判断基準がない。


その悩みは、自分を生きれば解決できる

あなたの周囲に「ちょっとイヤだな」と思う人がいるのは、あなたに原因があるんです。あなたが引き寄せているから。母親からの承認を自覚できなかった子供は、大人になっても変な自己顕示欲や名誉欲を持ったり、他人からどう見られているかで自分を承認しようとする。

自分を生きたければ、親と自分に一線を引く「親切」をしなさい。

親切という漢字の持つ意味に文字通り親を切るという意味があったのかと思い調べてみたら、本来は、「親」は「親しい」「身近に接する」という意味で 、「切」は刃物をじかに当てるように「身近である」「行き届く」という意味がある。ということを知った。親の顔色を見ないで親離れという意味合いとも取れます。

人は知らず知らずのうちに、育ってきた環境の当たり前の常識の中で生活している。そのことを自分自身がしっかりと自覚すること。つまり、親の価値観の中で生きていた自分に気づき、意識的に価値観を見直して、自分は自分の人生を生きることが大切になる。

メンツは家庭を病ませる。メンツの犠牲になったほうは、相手から高圧的な態度を取られ続けると、感情が抑圧されて本音が分からなくなる。

感情はすべての本音を携えていることを忘れないでください。


自愛があれば、必ず幸せになる

自分を小さく見積もって生きるな!

人生のギャラリーではなくプレイヤーになる

感謝は悟り


やんちゃな神様の掟

勤勉であることは命のマナー・生きること全てに精一杯になること。

ここでの神さまとは気功の「気」とも相通じるような気がしました。

(ジョンレノ・ホツマ 2016年2月13日)

図解地政学入門/高橋洋一(あさ出版 本体1,400円 2015年12月17日初版発行)


著者略歴 東京大学理学部数学科・経済学部経済学科卒業。博士(政策研究)。1980年大蔵省入省。理財局資金企画室長、プリンストン大学客員研究員、内閣府参事官、内閣参事官などを歴任。

小泉内閣・第一次安倍内閣ではブレーンとして「霞が関埋蔵金」や「ふるさと納税「ねんきん定期便」などの政策提案・実現をしてきた。現在、嘉悦大学ビジネス創造学部教授、(株)政策工房代表取締役会長。

  「バカな外交論」「バカな経済論」「図解ピケティ入門 たった21枚の図で21世紀の資本は読める!」「さらば財務省!官僚全てを敵にした男の告白」(山本七平賞)など多数の著書。


まえがき 

プロローグ よりよい、より広い土地をめぐる「戦争の歴史」 地政学

  とにかく「広い海」が欲しい中国の地政学

  昔も今も「南」へ向かいたいロシアの地政学

  争いを経て作られた「共同体」ヨーロッパの地政学

  かつての「世界の警官」アメリカの地政学本文図表

エピローグ 日本の現在と今後を考える


北朝鮮や中国の非常識な外交姿勢は呆れるばかりであるが、今でも安保法反対とかそれは憲法違反などという方もおられる。もう成立したのだが、今でも街頭をにぎわせている。

私はずっと安保法案賛成で、たとえそれが憲法違反であっても成立させるべきと主張してきた。何故なら、憲法を守って国が亡びる(国民の安全と財産を守ることが出来なくなる事態)ことがあっては本末転倒だからである。北朝鮮や中国の脅威を理解できていないのだ、と言いたい。

憲法に違反するなら、憲法改正だが、それの実現は非常に難しい。なぜなら地政学的に他国の脅威という認識がない国民が多いから、きれいごとで国家の安全が保てると考えるから、立派な平和憲法を変えるなんてとんでもないという。

そして、第2次安倍内閣の支持率が高い今でないと、安保法案も成立出来ないと思っていたので、ヤレヤレである。郵政改革の小泉と安保法案の安倍は歴史に名を残すことになったと言えよう。


私の地政学に関する認識は、上に書いたような程度しかないが、たまたまこの本が発売されたので、直ぐに図書館に予約した。


著者は、地政学とは戦争の歴史を知ることが地政学だという。そしてその視点で世界を見つめることが世界の深層を捉える頭につながるとも。

なぜなら、地理的条件によって、一国の危機意識も戦略思考も何から何まで変わるからである。そして、戦争の歴史を知れば、そこには例外なく「国家の思惑」「目論見」や「野心」の存在が分かる。この本は、地政学の概念のない日本国民にとって良い啓蒙書と言える。


知識は現代を生きる知恵として活かされてこそ、身に着ける意味があるという著者のスタンスは、大雑把ではあるが、大意を把握するのに分かりやすい内容である。


既に中国は米国と太平洋を2分しようとまで提案している。これは中国としては当然の、覇権国家への道であるからである(内陸国家から海洋国家へのシフト)。既に南沙諸島や尖閣列島まで進出してきている。何故なら、海洋国家こそ覇権を取れるからである。


エピローグで、著者は地政学的リスクで考えれば、明確過ぎる「集団自衛権」の是非や日本にとっての最大の脅威は中国であること。そして日本の生筋は日米安保体制だとしている。

(恵比寿っさん 2016年2月15日)


歴史認識とは何か/細谷雄一(新潮社 本体1,400円)


いきなりだが本書の「あとがき」に、「書店に行って歴史のコーナーの書架を眺めると、イデオロギー的に偏向した書物が数多く並んでいる。歴史ものでベストセラーになるのは、あたかも戦前の日本が悪いことばかりしていたと描く本と、戦前の日本が何も悪いことをしていないかのように描く本と、二極化している」と筆者は言う。


また筆者は歴史教科書について言う。歴史教科書は通常「日本史」と「世界史」に分かれている。日本史は日本史研究者が執筆するから、世界の動きが必ずしも多くない。海外から日本を見つめる視点は外国の歴史を研究している人でなければ描きにくい。しかし外国の歴史を研究する歴史家は「世界史」の教科書を書く。世界が存在しない日本史を学ぶとすれば、それはきわめて内向きで、孤立主義的で、閉じられた空間の戦後史になってしまう。


もう一つの問題点は、「世界史」の中に日本が出てこないことである。20世紀最初の大国間の戦争は、1904年に勃発した日露戦争で、総力戦の時代の幕開けとなった。そして第一次世界大戦が終わると、日本は戦勝国となり、五大国の一員としてパリ講和会議に参加して、国際連盟が設立されると常任理事国となった。また、第二次世界大戦時に日本はアジア太平洋において支配地域を獲得するとともに、途方にくれるほどの膨大な戦禍をもたらした。日本が20世紀の世界史において、これだけ巨大な足跡を残していながらも、たとえば高校で広く読まれている山川出版社の「詳説世界史B」を開いてみると、巻末の索引には「日本」という項目はない。総計で400頁ほどの教科書の中で「日英同盟」や「日露戦争」など、日本に関連した項目はわずかに20回程度出てくるに過ぎない。いわば、日本があまり出てこない「世界史」と、世界があまり出てこない「日本史」をわれわれは学んでいる。


と、いうわけで本書は、「現代史」を国際社会の中での日本という視点から偏向しない歴史観で俯瞰する。詳細な資料を駆使し、国際社会という大きな器の中で、アジア太平洋の戦争と地球の裏側のヨーロッパ戦争の進展と、錯綜する政治の動きが同時進行的に描かれ、その大舞台をキ―パーソンが活き活きと動き回る筋立ては下手な小説よりよほど面白い。


最終的に本書は「国際主義の回復は可能か」と問う。いつの頃からか日本と国際社会の間で認識の齟齬が大きくなっていった。いつの頃からか日本は国際情勢の急速な変化や国際体制の構造的変化についていけなくなった。しかし日本は、日清戦争、日露戦争、そして第一次世界大戦までは国際法を遵守して国際社会の大きな潮流と整合した行動をとっていた。日露戦争の際には、日本はイギリスの同盟国で、アメリカの仲裁によって講和会議で有利な条件を確保することができた。


ところがアジア太平洋戦争の際には、日本は中国との泥沼の戦争を続けながら、ノモンハン戦争ではソ連軍と戦闘を行い、東南アジアのイギリス領に侵入する計画を立て、オランダ領インドネシアの石油を奪取しようと考え、アメリカとの全面的な戦争へと突入して行った。日露戦争終結からアジア太平洋戦争終結までの40年間で、日本が国際社会で孤立していった経過を本書は詳細にたどり国際主義の重要性を説く。


そして、日本の憲法が掲げる平和主義と戦争放棄の理念が、すでに1928年の不戦条約や1949年の国連憲章に掲げられていることを指摘し、あたかも憲法第9条のみに存在する尊い日本固有の精神であるかのように錯覚してはならないと言う。確かに、それでは再び世界の中で孤立主義に陥ることになりかねない。


戦前の日本が邦人差別から「人種平等」を唱え、戦後の日本が「戦争放棄」を唱える。しかしそれがどれだけ国際的な正義であっても、それを国際主義的な精神の中で孤立することなく実現していくことが重要だと説く。これが本書の結論でもある。


(山勘 2016年2月16日)


 エッセイ 

LINEの臨場感


私はやらないが、スマートホンには「LINE」というコミュニケーション機能がある。操作はメールより簡単でしかも無料、複数の仲間で同時に交信できて写真も送れる。簡単なやり取りはこれで済んでしまうので、たくさんの人たちが日常的に便利に使っているようである。


我が家でも私以外のカミサン、娘たち、息子はお互いにLINEを利用し合っている。安上がりな親子と姉弟の“絆”ではある。ただ、父親としてはたまに疎外感を覚えるときもあるが、伝える内容が大したものではなさそうなのであまり気にしてはいなかった。


 ところが先日の夜、スマホを見ていたカミサンが「まあ!」と素っとん狂な声を上げた。帰宅途中の次女が「電車のなかで変な人に絡まれている」とLINEに書き込んできたのである。カミサンは「すぐに電車を降りなさい」と返した。遠く高知で同じLINEを見ていた長女からも、「そんな人無視しちゃえ!」とこれまた即答である。次女はその後も、その人が電車を降りたこと、自分も電車を乗り換えたことなど刻々と状況を伝えてきた。


そのうちにLINEは来なくなり、心配しながら待っていると娘が帰ってきた。聞いてみると、絡んできたのは40代とおぼしき女性で、電車に駆け込んできた彼女と偶然に目が合ったら、その女が娘に向かって突然、何と「私のことをブスだと思ってるでしょう」といったという。

私なら思わず「はい」と返事をしてしまいそうだが、娘が無視してスマホを操作していると、さらに「私のことをメールしてるんでしょう」と図星を突いてきたそうだ。とにかく、勘の鋭い女性であるらしい。一般には「被害妄想症」という。


その女性がいなくなった後、近くにいた乗客が「災難でしたねえ」と娘を慰めてくれたそうだが、○○に刃物ではないが、もしその女が凶器でも振りかざして来たらと考えるとゾッとする。


それにしても、娘はよくそんな状況のなかで冷静にLINEができたと思うが、たまに長女にメールしても、短時間でよくこんな長文が打てたものだと感心するくらいすぐ返事が返ってくる。息子がスマホに打ち込む指先を見ていても同じである。我が子供たちに限らず、電車のなかで黙々とスマホの画面に向かう若い人たちの技と速さはとにかく半端ではない。それも片手の親指だけで入力してしまうというのだから、まさに名人芸である。


それはともかく、この騒動で感じたのはLINEの妙な臨場感である。あいにく風呂に入っていた息子は参加できなかったが、当の次女とカミサン、遠い高知の長女、もし他にも仲間がいたら彼らもリアルタイムで事の経緯を知り、想像を巡らし、対策を考えてくれたに違いない。


私は、カミサンのスマホに次々と送られてくる文字の情報だけでも、娘には申し訳ないがその何ともいえない臨場感に少し興奮してしまった。さらに、これで映像と音声を聞くことができたなら、まさに現場中継である。その場合、彼女の顔が映ってしまったら肖像権の侵害になるのか、逆に加害者として特定されるのかはわからないが、LINE仲間はどこからでも同時に電車内の様子を知ることができるのである。ある意味、とても恐ろしいことではあるが。


人にLINEを勧められても、その都度あんな軽薄なものと馬鹿にしてきた。でも、もしこんな興奮が味わえるのなら始めてもいいかと考えているが、どうせ誰かの噂話をするか飲み友達を誘うくらいで終わりそうな気もしている。


(本屋学問 2016年2月10日)

安物の勧め


事務所の電気ポットが故障したのでAmazonから調達した。1ℓ型でメーカー希望小売価格≒¥7000に対し、≒¥3500で買えた。半額だ。保証書もついている。当たり前か、いいぞ象印。プレミアム会員でないので、明日届くとかいうことはないが2日後に届いた。


機能は限定したものなので、使い勝手が悪いのを覚悟していたが、なかなか良い。今まで使用していたものは、電動ポンプで給湯するが、今回は自分の手で持って、本体を傾けて給湯する。 これ気に入った!


コーヒー(ドリップパックというやつ)に給湯するには、ポンプだとスイッチを押して直ぐに止めないといけないが、これは傾きを調節すれば、少量を連続して給湯できるので、何となくコーヒーを淹れている気分になる。 そのドリップオンのコーヒーもAmazonだ。140袋入りで¥5000しない。その代り、段ボールに直に(バラで)梱包されている。これはKey coffeeのものだが、長いこと飲んでいたBrooksよりもずっと美味い。道理でリゾートホテルの客室備え付けにも使われているわけだ。


最近の買い物はAmazonと100均が多い。事務所でも自宅でも近くにDAISOがある。この電気ポット用洗浄用クエン酸はDAISOで調達した。Amazonよりも安いからである。DAISOではポイントもつく(AEONと東急)のでお得感満載だ。ゴルフに効くか、と思う縄跳びの縄は、まさかないだろうと覗いたらあった。さすがだDAISO。


Amazonは価格.Comのような機能もあり、大概において最低価格で注文する。それに送料が不要というのが美しい!? 但し、Amazonでも中には別途送料の要る場合もある(外部業者が入っている)ので要注意だ。


先日は芝管理で使う鋏を近くの文具店で見たら≒¥1000した。買わずに帰ってAmazonを覗いたら≒¥600である。3個必要なので価格差は大きい。


ミスもある。芝管理出動に使う自転車用のヘルメットをAmazonで買った。米国製でXLなのでキャップを被った上からかぶれると思ったが、直に被っても(この坊主頭で)パンパンだ。被れないことはないから返品はしなかった。だってこれ以上大きいサイズもないし。


今やAmazonにはお坊さんが出品されているそうだ「お坊さん便」。自宅やお墓に派遣、通常の法事・法要であればお布施や車代を含めて全国一律35000円。尤も戒名を貰うには別料金らしい。―――日経新聞2016.02.01.春秋欄より


今の予定では、e-tax用の非接触カードリーダー(*1)、スマホ用のチャージャーで車のシガーライターのプラグ型のもの、切り花用の花瓶に入れる栄養剤(日持ちさせる)など。これらはどう考えてもAmazonがお得だ。近日中に買おう。「お坊さん便」は便利だが注文の予定はない。

 *1:既に注文して2日後に届いた。

Amazonで買う場合、カード決済は決して使わない。セキュリティーが気になるからである。私はファミマで現金で注文時に決済している。


(恵比寿っさん 2016年2月15日)

都美術館揺れる? 元関脇水戸泉の錦戸親方登場


会場に驚きの声が広がりました。第58回新協美術展の出品者懇親会パーティ(平成27年10月6日)の都美館内会場に大相撲の錦戸親方がドーンと登場された瞬間です。小さくてかわいい部屋付きの行司、錦太郎さんを連れて大小コンビの登場でした。


親方は大きい。実に大きい。幼いころ父を亡くし、弟と二人、母の女手一つで育てられた大きな孝行息子でした。中学生だったころ、サイン会で高見山に「大きいねー」と声を掛けられたことが角界入りのきっかけだったといいます。


角界でも日本人離れした大型で、身長194センチ、体重192キロ。現在は少し落ちて150キロとか。現役時代は、左四つ右上手の体勢になったときの強さは抜群で、右上手を取って貴の花を投げ飛ばしたことも。


 ただし、力持ちではあるが“気は優しくて力持ち”。たとえば、自分の付け人で相撲をやめようとしているものがいると、屋台に呑みにつれだして説得。「俺も昔は弱かったんだよ」と語っているうちに、自分が泣き出してしまったりするので、「泣きの水戸泉」のあだ名がついた、という“失礼な”話がネットに出ています。


  こんな話もあります。1992年7月場所、西前頭筆頭の水戸泉が、13勝2敗の好成績を収めて平幕優勝しました。この時の優勝パレードでは、なんと当時大関だった小錦が優勝旗の旗手を務めました。周りがとやかく言っても小錦は「水戸関は僕の恩人だから、誰がなんと言おうと僕が旗を持つ」と自ら買って出たと言います。入門当時から偏見やいじめにあった小錦を何かにつけて水戸泉が庇ったようです。そんな水戸泉とそれを恩義に感じる小錦、二人の人柄をよく物語るエピソードといわれています。  


 あらためて簡単に紹介しますと、錦戸親方(元関脇水戸泉)は昭和37年、茨城県水戸市生まれ。しこ名の水戸泉は言わずと知れた出身地にちなんだもの。幕内優勝1回、敢闘賞他三賞受賞7回の輝かしい戦績を残しています。平成12年引退、年寄「錦戸」襲名、この時38歳。同14年、日本相撲協会の認可を経て高砂部屋から独立、「錦戸部屋」を開設しました。


話は前後しますが、このたび、忙しい錦戸親方を懇親パーティにお招きできたのは、親方をよく知る当会の森脇新一郎さん(工芸部会友)の紹介と、おじさんの森脇靖之さん(絵画部委員)のお力添えによるものです。


錦戸親方には、今回はお客様でお見えいただきましたが、できれば今度は“お仲間”としてご出席いただきたいものです。と言うのは、親方の油絵はなかなかのものだということです。たとえば引退大相撲の折りには、自作の塩を撒く自画像をポスターに使われたとか、「元陽会展」には6回連続入選とか、「新極美会」「美術団体アート・ヒマラヤ」といった美術団体の役員などをおやりだそうです。そこで当会への油絵出品をお願いしてみましたら、現在は本業が忙しくなり創作活動はお休み中とのことでした。


親方はこれから、部屋の運営ばかりでなく角界の役員としてもますますお忙しくなりますが、今回のお運びで新協展の自由な作風、アットホームな会の雰囲気を感じていただいたようですので、“忙中閑あり”で創作を再開していただき、新協展への出品を目指していただきたいものです。錦戸親方ガンバレ!                       (2015/12)


以上は、一般社団法人 新協美術会主催「第58回 新協美術展」における出品者懇親会に来賓としてお見えになられた、元関脇水戸泉の錦戸親方を紹介した「新協会報」掲載記事です。絵画や新協美術会に興味のある方は、新協美術会ホームページを開いてみて下さい。


(山勘 2016年2月16日)

劣化する中韓の漢字力、日本も?


楽しみに参加している会に、小人数で月例会をやる“本の会”がある。かれこれ15年ほど続いている会だが、今年1月の例会で、いまの中国、韓国に比べて、日本人の方が自国の古い文書を読めるという話になった。たしかに中韓など同じ漢字圏の人々と比較すれば、過去の文書に対する日本人の読解力は一枚上であろう。しかし、その日本人の読解力も少しばかり怪しくなってきている恐れがある。


いまの中国は、むかしの“繁体字”を敬遠して“簡体字”を重用するようになった。韓国も漢字に代わるハングル文字の普及に力を入れてきた。そのために中韓はどんどん漢字を読めなくなり、古い文書・文献が読めなくなってきているようだ。


中国はいま、漢字にピンインというふりがな(ローマ字式発音表記)を付けたり、韓国ではそうとう大幅に、ハングル文字の語句にカッコ付きで英単語を入れて理解を助けるなど、新しい工夫で苦労しているようだ。ところが日本語は漢字とひらがな、外来語にはカタカナを使うなど古代から現代まで連綿と独特の表記を工夫してきた。もちろんその長い歴史を通していまだに日本語の主役は漢字である。


漢字の強みは一瞥して語句の意味が大脳に飛び込んでくることである。日本が使っている漢字には、ひと文字ごとに意味や情緒が詰まっている。日本のひらがなに代わる意味を持たない中国の簡体字や韓国のハングル文字は漢字の強みを捨ててしまったことになる。

ということで、漢字圏における日本人の漢字力はまだまだ優位に立っているものの、最初に触れたように、日本人の古い文献に対する読解力も少し怪しくなりつつあるのではないか。一般人にはすでに古文書は自由に読めないし、当用漢字以外の旧字体も読みが難しくなりつつあることは否定できない。そんな例をひとつ紹介したい。


以前に、私の現役時代の先輩が、昭和天皇の「終戦の詔勅」コピーを送ってくれた話を書いたことがあるが、今度は、「終わりがあれば始めもあります」といって、開戦の「詔書」を送ってくれた。コピーとはいえ、昭和天皇がお読みになったであろうこの「詔書」は毛筆手書きで、本文は「天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祖ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有眾ニ示す」に始まる。この一節の皇祖の「祖」は、正確には偏(へん)が「礻」、旁(つくり)が「乍」になっているが、私のパソコンでは出ない。作字もできなかった。「踐メル」の読みは「ふめる」か、「昭に」の読みは「あきらかに」か、「眾」は「衆」らしい。


全文約700字のうち漢字は450字弱。多くの難しい漢字に先輩はルビをふってくれていたが、それも含めて(私の漢字力が弱い証左でもあるが)、初めて見る漢字、字づらだけは見知っているが詔書における読み方があやしい漢字が全部で10指余りもあった。


そして先輩からの手紙の末尾「追伸」にこうあった。「読めない漢字が多くあり、辞書をひき、カナを付してみました。間違っているかもしれません。その時はゴメンナサイです。たった70年前の文章です。なさけないですね」と。まったく情けない話である。


いま、中国では、繁体字の復活、韓国では漢字の見直しや復活が大きな論議の的となっている。中国人も韓国人も、日本語を習う時にいちばん苦労するのが漢字だという。来日する中国人留学生の、学習上の大きな弱点は漢字に弱いことだという研究データもある。


学問の分野では、科学部門では英語、社会科学部門では日本語が最高だとして、英語と日本語を学べば足りるという説もある。最後の漢字の砦とも言える日本が、このありがたい漢字をアダやおろそかにしてはなるまい。


(山勘 2016年2月16日)

ホツマツタヱ検証旅行2


前回の続きになります。


二日目は、六甲山から京丹後に入り、天照神の祖父であり、師でもあった豊受大神(トヨケ神)が祭られている比沼麻奈為神社の訪問から始まりました。日高見(東北)を治めていたトヨケ神がなぜ京丹後に?という疑問には、サホコ国(山陰)の政情を治すために「タマキネ」(トヨケ神)派遣された経緯があったからです。現地の役人で手に負えない大陸からの渡来人と現地人との間で人口増加による食糧難などのいざこざがあったのでしょうか。


比沼麻奈為神社は、久次(ひさつぎ)岳という山の麓にあり、豊受大神が近くにある真名井原の地で田畑を耕し、「月の輪田」や「清水戸」といった古代稲作の霊跡があり、ここが伊勢外宮の古本宮だと実感できました。


私たちが訪れたとき、神社を取り囲んでいる静寂な山の谷間に、突然風が竜巻のように吹き木の葉が舞い上がりました。ほんの一瞬の出来事で、その後何にもなかったかのように再び静寂に戻りました。この光景を目の当たりにした皆は、神様が舞い降りて来たように感じられ、神の存在を知った心持ちになりました。

その後、神殿で神に捧げる舞いを披露していただき、遠い昔を偲ぶことができ、ゆったりした気分になりました。


「タマキネ」(トヨケ神)は、サホコ国(山陰)を治めるため宮津の宮で政治を執り、後に天照神を呼び寄せています。天成道の奥儀を天照神に授けた後、トヨケ神はこの地で亡くなられ、あさひ宮に祀られます。国に帰ろうとした天照神は地元民に引き留められ、この地で政治を引き続き執られた経緯があります。


トヨケ神が、宮津の宮で政治を執った処と思える、籠神社(このじんじゃ)が風光明媚な天橋立の近くにありますが時間の関係で訪問いたしませんでした。

ここのご祭神が、彦火明命とあり、ホツマツタヱから読み解くと以下のようになっています。


豊受神→イサナミ→天照神→オシホミミ(箱根神)→ニニキネ(別雷神)→ホノアカリムメヒト(長男)又は・ヒコホホデミウツキネ(3男)とあり、この最後が彦火明命に当たると思われます。


この代まで時代が下って、先祖神である豊受神を祭るのに山奥の比沼麻奈為神社より適した場所として移転したのではないでしょうか。


次に、大宮売(賣)神社(オオミヤメ神社)を経由しました。

ここは、丹後国二の宮となっており、大宮賣神(アメウズメの神)と若宮賣神(トヨウケの神)がご祭神になっていますが、ホツマツタエからは天照神のお妃12人の内の典妃オオミヤヒメミチコを祀っていると思われます


ご祭神が時代と共に風化してしまっていると感じました。漢字化した後に「オオミヤ姫」が誰か分からくなってしまい、大宮賣神と書いて「アメウズメの神」とされてしまったようです。


ホツマツタヱから読めることは「アメノウズメ」は天孫ニニキネが新田開拓のため全国八洲(ヤシマ)巡りに同行した80神の一人で、道中「ちまた神」(猿田彦)に出会い、道中猿田彦が険しい道を均し、井堰を築きあげた功績に、この「ウズメ」を賜わります。この地にも縁があったのだろうと思いました。


最後に、元伊勢内宮 皇大(こうたい)神社へ行ってきました。バスを下車して、山の中の長い石段を休み休み進み、雨に清められた本殿にたどり着いたとき、訪れる人も我々以外ほとんど見かけず、タイムマシーンで当時に引き戻されたように周りは静寂で神秘的でした。


御祭神の本殿には天照皇大神 脇宮には天手力雄命(タヂカラオ)・栲機千々姫命(タクハタチチヒメ)が祭られていました。


天手力雄命(タヂカラオ)は天照神の甥っ子で、天照神が岩戸に隠れていたのを、御神楽にうかれ顔を出した所を引き出した人であり、ワカ姫(天照神のお姉さん)とオモイカネの一人息子であることに彷彿としました。


一方、栲機千々姫命(タクハタチチヒメ)は、天照神の息子(オシホミミ)のお嫁さんあたります。天照神と中宮の「セオリツ姫・通称ムカツ姫」と間に生まれた子供がオシホミミで、天照神から見れば2番目の子供(次男)になりますが世継ぎ皇子になります。そのお妃になります。


息子(オシホミミ)が病弱で早死にしてしまい箱根神となり、お嫁さんであった「タクハタチチ姫」は、なぜか父親の天照神の下に就いた経緯があります。

非常に可愛がられていたのではないでしょうか。また、常に命を狙われていたオシホミミが亡き後、自分が狙われると恐れていたことも考えられます。晩年になっては、天照神の介護をされていたような気もします。


本来ならば(長男「アメノホヒ・タナヒト」)が世継ぎになるところであったのになれず、長男を生んだ「マスヒメモチコ」は恨み続け、失脚し「オロチ化」した流れも一瞬頭の中を廻りました。


この脇宮を見ながら、そんな思いがふと横切りました。


更に、此処から15分ほど山を下りていくと、天岩戸神社が岩戸渓谷の滝壺のようながけっぷちに建てられており、神秘的な雰囲気でした。辺りには御座石や神楽岩が点在しており、こんな所に天照神が隠れていたのかというのが実感でした。


今回の検証旅行で、今さらながら豊受神も天照神も偉大であったという思いになりました。

以上

ジョンレノ・ホツマ



社会が変わるとき

 

 以下は先日ロンドンを2年ぶりに訪れた人の土産話。わずか2年の間に街は様変わりで驚いたとのこと。(今回は二日間の短い印象なので間違いがあるかもしれぬが)

 

 まず目に付いたのはスマホの普及。若者ばかりでなく年寄りも皆スマホを手にしている。以前使っていた携帯電話は、SIMカードを扱う店が無く、WiFiPCを使うしかなかった。


 次に気付いたのは、キャッシュレス社会が実現し、街で現金を見なくなったこと。日本では硬貨で払うような小額の買い物もクレジットカードで清算している。バスや地下鉄はオイスターカード(パスモのようなもの)かクレジットカードが無いと乗車できない。レストランのチップは請求書に含まれ、請求額をカードで清算するだけ。テーブルに現金を置く習慣は無くなった。またホテルも含め領収証を発行しない。カード会社からの報告が領収証代わりという訳だ。


 このようにイギリス社会は一旦これがいいと思うと一気に変化が進行する。長年の友人であるイギリス人は、「日本人は壁にぶつかると努力で乗り越える。イギリス人は他のやり方を試みる。日本流が早い場合とイギリス流が早い場合があるようだ」と言う。たしかに我々日本人はひたすら頑張って困難を乗り切ってしまう、ただし、全く新しい発想は少なく、また周囲の圧力で潰され易いのも事実だ。


 と書くと、「あちらでは…」と説教節が始まるのが常だが、日本も明治維新、戦後の復興、高速鉄道の普及と 世界を驚かす革新を何回もやり遂げている。洋の東西を問わず、社会の変化は何かのきっかけで一気に進むようだ。その前に多くの人々の間に、変化を受け入れる心の準備ができているのであろう。


 ここで怖いのは、野心家がこのエネルギーを吸収して権力を握ることである。歴史を振り返ればドイツのヒトラー、日本の軍部など皆同じ手口で増長し国を破滅に導いた。先日の新聞に「ヒトラーが政権を握った時と今日の日本は、政治・社会の状況が驚くほど似ている」とあった。独裁者が登場すれば、それに迎合して権力を振るう輩が出現するから、大衆への締め付けは限りなく増大する。


 戦後71年平和を守ったわが国も、改憲を急ぐ政党の支持率が落ちないのは、社会が急変する前触れではないか。与党議員の傍若無人な言動や放送停止の脅しなど、すでに衣の下の鎧が見え始めている。今は「まさか」と思うような世の中に変わるのは簡単だ。その時代になって異議など唱えれば、たちまち特高や憲兵が飛んでくるぞ!


(狸吉 2016年2月17日)