例会報告 |
第60回「ノホホンの会」報告 2016年10月27日(木)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:狸吉、山勘、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問) 致智望さんが久しぶりに出席され、いつものメンバーが揃って熱いトークが戻りました。今回もエッセイ、書感含めて投稿は活発で、中国問題から日本経済、毎回テーマ に上がる健康、日本人のルーツと、興味津々の話題が盛りだくさんでした。詳細は各テーマをご覧ください。 会後は、延び延びになっていた暑気払い改め月見の会となりました。天下の美酒に酔い痴れてやや予算オーバーになり、あまりお酒を召し上がらない恵比寿っさんには申し訳ないことをしました。12月はもう忘年会ですが、料理も楽しめるところがよろしいですね。 ●書感 ・「親指を刺激すると脳がたちまち若返りだす!」(恵比寿っさん 2016年9月21日) ・「中国崩壊後の世界」(本屋学問 2016年10月12日) ・「中流崩壊 日本のサラリーマンが下層化してゆく」(致智望 2016年10月13日) ・「できる男は超小食 空腹こそ活力の源!」(ジョンレノ・ホツマ 2016年10月14日) ・「ヨーロッパ人」(狸吉 2016年10月17日) ・「日本人はどこから来たのか?」(恵比寿っさん 2016年10月17日)
●ネットエッセイ ・「人生を締めくくる“ひと言”」(山勘 2016年10月21日) ・「斟酌無しの無責任発言時代」(山勘 2016年10月21日) ・「物価上昇は諦めた方がいい?」(山勘 2016年10月21日) ・「安倍政権「未来投資会議」への注文」(山勘 2016年10月21日) ・「私はミーハーです」(恵比寿っさん 2016年10月24日) ・「「万歳(才)!」と「ヨロトシ」」(ジョンレノ・ホツマ 2016年10月26日) (事務局) |
書 感 |
親指を刺激すると脳がたちまち若返りだす!/長谷川嘉哉(サンマーク出版 2015年12月7日発行 2016年2月15日第10刷発行 本体1,300円)
著者プロフィール 1966年名古屋市生まれ。名古屋市立大学医学部卒業。医学博士。毎月1000人の認知症患者を診察する、日本有数の認知症専門医。指と脳の密接な関係性を研究し、独自に開発した「親指刺激法」を認知症の予防や脳リハビリに役立てて、大きな成果を上げた。それが話題を呼び、全国から講演、執筆の依頼が殺到。2000年には、認知症専門外来および在宅医療のためのクリニックを岐阜県土岐市に開業。半径100キロ圏の遠方からも多くの患者さんが集まり、開業以来、3万件以上の訪問診療、400件以上の在宅看取りを実践している。
序章 指は「第二の脳」である 第1章 気力、記憶力がよみがえる驚異の親指パワー 第2章 「親指刺激法」で脳を若返らせる 第3章 「親指刺激生活」で」脳を若返らせる 第4章 「元気脳」になるためにやってはいけない11のこと おわりに
脳の運動野と感覚野は手の指と密接に関係していて、なかでも親指は強い関係を持っている。運動野と感覚野の機能が衰えると認知症の危険が高まる。脳の老化は意欲の低下にもなる。親指の運動を伴う体の動きには意欲があると著者は言います。
人の指は、親指の腹と他の指の腹をくっつける「母指対立運動」が出来る(他の動物は出来ない)。これが出来るのは「鞍関節」があるからで、これらを動かすことで脳が活性化するという。 「基本の親指刺激法」、「左右別々刺激法」、「揉む押す刺激法」が紹介されているが、効果を上げるには3つのポイントに気を付けることだそうです。①基本姿勢(椅子に座り背筋を伸ばし、脇を締めて、呼吸は止めずにゆっくりと)②どの関節を曲げ・伸ばしているか意識する③朝晩1回ずつ。ドリルはそれぞれ①親指曲げ②親指開いて閉じて③親指タッピング/①グーパー②イチ、ニ③ピンピン/①親指のキワ揉み②親指で労宮を押す③親指で合谷をぐりぐり、だそうです。
脳を若返らせるために大事なことは ①新しいことを楽しみ、意欲を持って取り組むこと ②論理的思考の訓練をし、自分の頭で考えること ③ストレスを減らし、自律神経のバランスを整えること だそうです。 最終章のべからず集を列記すると パジャマで過ごしてはいけない。着衣失行になりやすい。起きたら直ぐに着替える習慣が大切。 記念撮影は感情を伴わないので、脳を若返らせるような刺激にならない。 銀行の窓口でお金をおろさず、ATMを使う。能動的で刺激があるので若返り効果が出る。 財布に小銭をためないこと。小銭の計算も脳トレ、面倒がってはいけない。 かばんの中身を放置しない。毎日、行動に合わせて整理する。 1年日記でなく10年日記が良い。記憶力は記憶を再認識することで強化されるから。PCを使わず手書きが良い。 話に結論を求めない(男性は求めやすい)、話すことが大切。前にした話も気にしないで堂々と。聞き役に徹しない。 風呂には肩までつからず半身浴、口角をニッと上げることで脳への血流が良くなる。 痛くなってから歯医者に行ってはならない。日頃からよく噛むこと。 下剤で便秘を解消してはいけない。腸内の善玉菌を増やすこと。 匂いを嗅がずに食べてはいけない。嗅覚野を刺激して海馬まで届かせることで記憶が強く定着する。 (恵比寿っさん 2016年9月21日) |
日本人はどこから来たのか?/海部陽介(文芸春秋 2016年2月10日発行 本体1,300円)
著者紹介 人類進化学者 1969年東京都生まれ。 東京大学理学部卒業。同大学大学院理学系研究科博士課程中退。理学博士。1995年より国立科学博物館に勤務し、現在は人類史研究グループ長をつとめる。第9回日本学術振興会賞。著書に「人類がたどってきた道」(NHKブックス)がある。 化石などを通して約200万年にわたるアジアの人類史を研究し、ジャワ原人、フローレス原人などの研究で業績を上げてきた。アジアへのホモ・サピエンスの拡散についての、欧米の定説に疑問を抱き、これまでグローバルに結び付けられてこなかった日本の豊富な遺跡資料を再検討。アジア各地の遺跡や化石、DNAの証拠と合わせて見直すことで、これまでになかった、地球規模でみた現生人類アジア移住史を描きだした。 「日本人の祖先はどこから来たのか」についての、この全く新しい説を、初めて一般向けにわかりやすく書き下ろしたのが本書である。その実証研究の一つとして、実際に古代舟をつくって、台湾から与那国島への航海を行う「3万年前の航海徹底再現プロジェクト」を2016年4月より開始予定。
はじめに 私たちはどこから来たのか? 第1章 海岸沿いに広がったのか? 第2章 私たち以前の人類について 第3章 ヒマラヤ南ルート 第4章 ヒマラヤ北ルート 第5章 日本への3つの進出ルート 第6章 最初の日本人の謎 第7章 沖縄ルート、難関の大航海 第8章 北海道ルート、シベリアからの大移動 第9章 1万年後の再会 第10章 日本人の成立 あとがき 参考文献
袖には次のように書かれていて、読む前に興味を惹いた(新聞広告で見て図書館に予約していた)。約10万年前、アフリカを出た私たちの祖先は、4万8000年前、ヒマラヤ山脈を挟んで、南北に分かれて拡散、1万年後、東アジアで再開する。そして私たちの遥かなる祖先は、古日本列島に、3ルートから進出した。 3万8000年前の航海術の証拠そして実験、世界各地の遺跡の年代調査比較、DNA分析、石器の比較研究。国立科学博物館気鋭の人類学者の重層的な調査によって浮かび上がる日本にいたる人類の「グレートジャーニー」その新たなる仮説―――。
海外の遺跡との比較とDNA研究と言う重層的なこの10年の研究で浮かび上がってきた、人類が日本に到達するまでの新しい仮説を述べる巧著と言える。 著者は欧米での定説「海岸移住説」に疑問を抱き最近の研究成果を踏まえて、そうではなかったと主張する。 アジアにも原人(185万年前)がいて、ついで(30万年前頃に)旧人が出現したが、彼らがアジア全域を支配した形跡はない。原人・旧人が混在したが、アフリカから我々の祖先がやって来た(5万~4万年前)。即ち、旧石器時代の後期である。 遺跡の分布から、アフリカを出たホモ・サピエンスはヒマラヤ山脈の南北に分かれて東進。日本列島には(3万~5万年前は今よりも海面は約80m下がっていて、樺太と日本列島=地続きは繋がっていた、また2万年前には海面は今より約130m下降、対馬と日本列島・朝鮮半島まで地続き、しかし沖縄は台湾ともつながっていなかった)原人や旧人の居た形跡(遺跡)はなく、3万8000年前にホモ・サピエンスが渡ってきた。ルートは樺太経由・対馬経由・沖縄経由と考えられる。神津島産の黒曜石の分布が静岡県や伊豆半島に亘っていて航海術の存在を示している、という。このことは往復航海の世界初の証拠とも。また、大変良質な石器を用いていたことも重要な意味を持つものだそうである。 沖縄ルートを実証するには、台湾から100kmの黒潮を横断する必要があり、再現実験を行うしかない。 3万8000年前の最初の日本人は対馬ルートから来た。この文化はかなりの独自性を有し、特徴の一つは北方系文化の指標と言うべき石刃技法と、もう一つは(おそらく)南方ロート経由の海洋航海技術だと著者は推定している(ほかにもいろいろ挙げている)。 3ルートから入った3つのグループがいかに今日の日本人につながったか。朝鮮半島や中国で発掘される人骨や石器などとの比較やDNA研究で分かったことは、弥生時代(1万年前~)以降に、縄文人の系譜を受け継ぐ在来系の人々と、大陸からの渡来系の人々がさまざまに混血して歴史時代の日本人が形成された。アイヌや琉球系の人々は、それぞれの土地の縄文人の系譜をより色濃く受け継いでいる(日本人の2重構造)が、現実の歴史はもっと複雑だったであろうと著者は言う。 日本考古学がこれまでに蓄積してきた後期旧石器時代の遺跡データは質・量とも国際的に第一級で、こうした証拠のおかげで3つの移入ルートについて密度の高いシナリオを作ることができたと著者は言う。
沖縄ルートの実証(手製の舟による航海)の成功を願っています。 (恵比寿っさん 2016年10月17日) |
中国崩壊後の世界/三橋貴明(小学館新書 2015年12月6日 本体780円)
世界第2位のGDP規模といわれながら、中国経済の実像は明らかでない。本書は、エコノミスト・中小企業診断士として独自の経済観を持つ著者が、中国各地を回って実感した中国崩壊の不気味な予兆を率直に述べた、中国経済楽観論への警告ともいえる書である。 北京から空路約1時間、内モンゴル自治区にオルドスという都市がある。2000年頃から開発が進んで一時は石炭産業で栄え、1人あたりGDPは全国一、中国が輸入する高級外車のほとんどを同市民が買ったという神話も生まれたが、今やオルドスの不動産バブルは完全に崩壊して、著者が訪れた2015年9月、建設途中で工事が止まった建物の多くが廃墟化し、無人の高層オフィスビルやマンションだけが立ち並ぶゴーストタウン(鬼城)になっていた。同様な都市は中国全土で10か所以上に上るそうだ。 ただ、上海や北京に比べてはるかに空気が澄んだオルドスの一部地区には、「公安」に守られた富裕層の豪奢な邸宅が存在する。アメリカの富裕層が多発する犯罪から身を守るために独自のコミュニティを形成し、居住区を壁で囲い、警備員を配置する「ゲーテッド・コミュニティ」と同じだと著者はいうが、中国の共産主義独裁は、権力と癒着した一部の富裕層とそうでない大多数の貧困層の格差を広げただけで、理想とは大きくかけ離れた国づくりの実態を露呈している。 中国経済の最大の疑問の1つがGDP統計である。イギリスのフィナンシャル・タイムズ紙や日本経済新聞も報じたが、中国各省のデータと国全体のものとが一致しない。それは、官僚国家の悪弊で地方幹部が保身のためにデータを水増しして報告するため、中国各地からのGDPを合計すると統計局発表の数値を大きく上回るからだ。中国のような国家は実態に関係なく数字の上で経済成長を達成していることが重要で、鉄道貨物輸送量が減っても不動産バブルが弾けても、臆面もなく“7%成長”を謳う。 では、現在の中国経済の実情はどうなのか。一般的にGDP成長率が高い国は輸入増加率も伸びるそうで、先進国の過去のデータを見る限り、輸入が対前年比10%減の中国のプラス成長はあり得ない。また、GDPは「国内総生産」なので、建物でも鉄鋼でも自動車でも生産するだけで数値を押し上げる。もはや中国には、AIIB(アジアインフラ投資銀行)のような国際投資銀行を強引に設立して、世界中から資金を集めて世界各地に社会基盤の投資をしていく以外に過剰生産品を消化する方法がない。これから世界が警戒すべきは、中国の「ダンピング輸出」だと本書は強調する。 中国経済は、異様といえるほど成長を投資に依存していると著者はいう。この投資とはGDPにカウントされる「民間住宅」「民間企業設備」「公的固定資本形成」で、これらを合わせて「総固定資本形成」と呼ぶが、これがGDPに占める割合が50%近い。一方、日本やアメリカは個人消費がGDPの60~70%であり、中国の極端な投資依存経済が見て取れる。しかも、先進諸国からの直接投資は減少、社会保障制度の不備や不動産バブルの崩壊、人民元の通貨危機など、中国の経済は袋小路の危機をはらんでいるというのである。 これまで中国経済を支えていたのは、年間数千億ドル規模で流入し続けていた外国からの投機資金、いわゆる「ホットマネー」で、2014年に不動産バブルが崩壊を始めると半年で3000億ドルが流出した。つまり、人民元が外貨に両替されてしまった。そこで中国政府は、連鎖的破綻を回避するために中国株の信用取引を認め、株式バブルを発生させて付け替えた。しかし、現在の中国の株式市場は実際には「市場」でも何でもなく、もう終わったと著者は見ている。 本書によれば、今や中国は「国際金融のトリレンマ」という経済統計的に回避困難な「法則」に取り込まれている。つまり、①為替レートの固定相場制、②資本移動の自由、③金融政策の独立の3つを同時に達成することは不可能というのが原則で、中国人民銀行は政策金利や預金準備率を引き下げたが、人民元(通貨)を安定させるには資本移動を規制するという矛盾した方策を取らざるを得ない。最終的には変動相場制に移行せざるを得ないのではないか、というのが著者の予測である。 現在、金融市場で噂になっているのは、実は中国の外貨準備高が相当な水増し数値ではないかという疑惑だ。しかも、中国の外貨準備の多くがアフリカや中南米の開発プロジェクトに投資されている可能性がある。その資金回収が不能になれば、表向きは世界最大の外貨準備保有国が通貨危機に陥るという、世界の経済史上例のない異常事態が起こるのではないか。著者はこのように推測する。 中国が崩壊したとき、全土で大暴動が起こり、軍閥が割拠して内乱が勃発する。そして、数百万人の難民が日本に押し寄せる。鉄鉱石や石炭を中国に輸出するオーストラリア、ブラジル、原油の大口輸出先がなくなる中東諸国やロシア、親中政策をとってきたカナダ、対中貿易依存率が高い韓国は大打撃を受け、マレーシア、台湾などにもその影響は及ぶ。唯一の支えを失った北朝鮮もたちまち崩壊して、やはり大量の難民が周辺国に流れる。 本書が描く中国崩壊後の様相はあくまでも可能性にすぎないが、妙に現実味のある部分もある。日本はこれからも中国の隣国であり続ける。日本が被る最大最悪の国家存亡の危機を阻止するためにも、現在の中国を正しく知り、正しい判断をしなければならない。今や日本は、かつて経験したことのない厳しく困難な外交政策を迫られている。のんびりオリンピックなどやっている場合ではないのではないのか。本書を読んだ率直な感想である。 (本屋学問 2016年10月12日) |
中流崩壊 日本のサラリーマンが下層化してゆく/榊原英資(詩想社 本体920円) 著者の榊原英資は、大蔵省国際金融局長、同財務官を歴任し金融制度改革に尽力、「ミスター円」と呼ばれる存在であった。1999年に退官し慶応大学、早稲田大学教授を経てインド経済研究所理事を務める傍ら、経済マスコミ界で論客として活躍し著書多数、TVなどに出演し経済評論の円高歓迎の主張は、数少ない反アベノミクス、対する反リフレ派論調でありながらも、その支持者は多いのではないか。
本書は、副題として「アベノミクス後の日本」となっている。論調は、この人特有の穏やかなものであるが、最近の低調化したアベノミクスに対し、「それ見た事か」的な強調論を展開しても良いと思う。しかし、これがこの人の持ち味であり、説得力を醸している。日本国の中流層を占めるサラリーマンの現状を例にしつつ、日本経済の近未来を論じるあたり、これが強い説得力を持った本書の内容と思う。
第一章 アベノミクスの展開と終焉 円安になると輸出がのびて貿易収支が黒字になると言う理屈は、今の日本の経済構造から有り得ない。GDPの伸び率が殆ど横ばい状況の中で、エネルギーや資源が値下がりする。その一方で、製造業が海外シフトを進めるのだから当然の成り行きと言う。
第二章 世界経済停滞の流れを読む 停滞潮流の原因にユーロ危機があると言う、共通通貨使用が招いたユーロ圏内の格差拡大が原因で、ドイツまでもが成長率を落とす結果を招いている。その原因を構造的問題から著者は説明している。
日本は、「失われた20年」と言われているが、実はそうではない、成熟期にはいった日本経済なのである。そこには、成熟期の江戸時代に日本の将来へのヒントがあると言う。今や日本は、充分に豊かな国になっている、かつての様に所得を毎年のように大きく上昇させることは不可能であるし、その必要もない。だから、無理に物価を上げようと言うデフレ脱却などと言う政策は、必要も無いし望ましくも無いと言う。成長戦略でなく成熟戦略が求められる時代を認識すべし。
他の先進国の成長率も、成熟期に入っている、それでも、少しずつ成長はしている。しかし、中国をはじめとして新興市場が成長率を下げているのが問題。
第三章 近代資本主義の終焉と言う大転換 先進国に共通する金利低下という現象に注目すべし、16世紀にイタリア・ジェノバの利子率革命と言うのがあって、中世の経済システムを終わりに導き、近代資本主義の道を開いた経過がある。21世紀の利子率革命は、近代資本主義を終わらせると言う。利潤率極大化を行動原理とする資本主義にとって、最大の危機が到来する事に相当するもので、世界に先駆けて社会が必要とする資本を築き上げ、近代資本主義を目指し、その到達地点に達したと言える今の日本が、その利子率革命に見舞われつつあると言うから恐ろしい、それが事実とすると経済リフレ派の主張は危険極まりないといわざるを得ない。
本書は、この三章までの基礎的導入部に始まり、第4章の[一億総中流の「奇跡」いかに実現したか]の章で具体的に過去を振り返る。そして、4章以下が下記の様な切り口で将来を論じて行く。著者の語り口は、決して危機を煽るものではなく淡々と事実を述べてゆく。そして結論は、サラリーマンたちが下層化していくである。しかし、日本が抱える問題と特異点からこれからの日本を論じて行くと言う内容が添えられ、前向きの行動指向で終わるところは、好感のもてる書であった。
第五章 2020年東京オリンピックを迎える日 第六章 インターネット社会が変える私たちのせいかつ 第七章 サラリーマンたちが下層化してゆく 第八章 「ゼロ成長」時代のこれからの日本
(致智望 2016年10月13日)
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できる男は超小食 空腹こそ活力の源!/船瀬俊介(主婦の友社 2015年4月発行 本体1200円)
著者は、食品、医食、環境問題に取り組むジャーナリスト。自らの体験に基づいているとあります。
前書き 食べない人ほど冴える!できる! タモリもたけしも一日一食! 芸能界にこの少食主義が広まっています。水谷豊さん、元ピンク・レディーの未唯mieさん、片岡鶴太郎さん、千葉真一さんなど ジャパネットたかた社長も一日一食 1章「できる男」は皆「少食」 少食で頭が冴える 記憶力アップ 思考がシャープに、 少食で体が軽くなる 体重が減り、身のこなしも軽やかに、 少食で集中力がアップする 脳や神経の“汚れ”をデトックス、 少食で疲れない 腹が減るほど快調!が真の健康体、 少食で短眠でも大丈夫 消化に費やすエネルギーが少なくてすむ、 少食で若さがよみがえる 体が引き締まり、肌がきれいに、 少食で精力絶倫! 男性の精力も、女性の妊娠力もアップ、 少食でメタボ解消! 肥満、糖尿病、心臓病…みんな消えていく、 少食で細マッチョになれる 静的筋トレと併せてシェイプアップ・ボディに、 少食で加齢臭が消える 悪臭のもとは肉食、過食の乱れた食生活、 少食でお金の余裕が生まれる 一日一食なら、夫婦で年間72万円貯まる、 少食で時間の余裕も生まれる 浮いた時間を趣味、創作へ
2章 挫折しない「少食」はこうして実行! 週末断食だけでも効果はある?一週間でたまった毒をデトックス
3章 そうは言っても……、「少食」をはばむ常識のウソ&思い込み 一日一食で、どんどんやせたら困る」?若い頃の体重に落ち着きます
4章「少食」になったら何食べる? 「肉はスタミナ、パワーの素」? 肉は腸内で腐ってがんや万病のもとになる 牛乳神話も肉食神話も“洗脳”だった 国際巨大マフィアの大衆操作 和食の底力「ひらがな食」抗がんパワーの数々
5章 「できる男」は「少食」で病気知らず 「少食」で免疫力アップ 断食は免疫力を驚異的に高める 「食」と「腸」の乱れが万病のもと腸内の健全発酵が、病気を防ぐ― 健康はご腸内の皆さまのおかげ!菜食、生食、少食で腸内を元気に
終わりに 「ファスティング」(断食・少食)は、万病を直す妙法である」これは約5000年の歴史を誇るヨガの教えです。生命は自ら治す力を持っている。生命の基本原理である。しかし、現代医学では、この自然治癒力を教えない。西洋医学は生命を「物質的な存在」と考えたから。 自然治癒力に基づく新医学で、根幹がファスティングである。真の健康に導いてくれるだろう。
以上、本書の前書き、目次、あとがきの内容を抜粋してみました。
ある程度距離を置いて読みました。個々の内容についていくつか納得できないところもありましたが、多くはなるほどと思える内容でした。今の食事量をもう少し減らしても良いかなという感じです。 食(食材)の見方については、他の著者の方とバッティングしている内容もありましたので、程度や状況などを踏まえ自分にとって本当に良いと思うところを取り込んで自分の基準軸にしていきたいと思いました。
一日に一食の生活に到達するかどうかわかりませんが、必要性を感じるまでに時間がかかることと思います。 本書に出会う前からの食生活ですが、現在、朝、晩の二食にしています。昼は果物とコーヒー、リンツのチョコひとかけら、ナッツです。自宅での食事は、炭水化物は極力減らすよう、ごはん(お米)は朝だけにしています。出来る限り有機の野菜を心がけ、加工食品は納豆、みそなどの発酵食品以外は極力とらないような生活をしています。 (ジョンレノ・ホツマ 2016年10月14日) |
ヨーロッパ人/ルイジ・バルジーニ著・浅井泰範訳(みすず書 1986年初版 2005年、新装版 本体3,600円)
イギリスのEU離脱が決定した今日、イギリス人の特性について何と書いてあるか、四半世紀前に購入し長らく書棚に寝ていた本書を再読した。
著者は新聞社の特派員として世界各地で活躍したイタリア人ジャーナリスト。本書も自らの観察に基づいて、各国の国民性の違いをユーモアを交えながら鮮明に書き分けている。各章の見出しを見れば本書の内容は掴めるが、さらにその中で印象に残った言葉や記述を紹介しよう。
1)理解しにくいヨーロッパ人 ヨーロッパ諸国は互いに戦いを繰り返してきたが、これはいわば同じ家族の内輪もめのようなものだ。今日の若者は互いの言葉を学び自由に交流するようになった。もう内輪もめは止め、互いの国境を無くし「ヨーロッパの夢」を実現する時代が到来したのだ。
2)動じないイギリス人 「イギリスの政治家は、背筋をピンと張って、前方を見つめる紳士であり…中略…自らの威信と権威を当然のものと考えた」。鉄道、軍服、公式な服装、礼儀作法すべてイギリスから大陸に導入された。世界に跨る大帝国を築いたイギリスを真似、各国が軍備増強と植民地獲得に走ったことがヨーロッパの動乱を招いた。
日本については、「1905年の対馬海峡での日本艦隊は、イギリス海軍のそっくり丸写しというべきもので、一部の日本艦艇には、イギリス海軍の将校が顧問として乗っていた」と断言しているのが面白い。何事もイギリスを見習えば間違いないということか。
3)変幻自在のドイツ人 「ヨーロッパの将来は、もう過去何世紀もそうであったように…中略…今日ふたたびドイツの将来によって大きく左右されることになったようだ。ドイツはいまなおヨーロッパの心臓である」、「破壊、敗北、屈辱を経験し…中略…ドイツは再生し、西ヨーロッパのもっとも人口密度の高い国になったばかりか、もっとも富み、強力で、能率的で、秩序ある、生産性の高い、そして科学・技術両面で進んだ国となった」。
勝利の栄光にあったイギリスも往時の勢いを失いつつある。フランスは「われこそ第一位」と声高に叫ぶが実態とかけ離れている。だからヨーロッパ人、アメリカ人、ロシア人にとって、ドイツ人とは何者か、自らを何者と考えているのか、何をしているか、どこへ行こうとしているか、考えることが大切になってきている。しかしドイツは変幻自在なプロテウス(ギリシア神話の海神)のような国である。ドイツの国境線は潮の干満のように変わる。国旗も変わった。国名も変わった。ドイツ人はいつの時代でも外国の考え方を吸収し、改良する能力がある。ナチズムもローマ式敬礼にいたるまで、イタリア・ファッシズムを徹底的かつ効率よく改変したコピーではなかったか?
4)口論好きなフランス人 先の大戦でフランス軍がドイツ軍にわずか数日で敗れたのは、フランス兵の勇気が無かったためでも、先進兵器を開発する能力が無かったためでもない。これはフランス人の政治口論好きから起きた結果である。政党は論争に明け暮れ、政府はあまりにも短命。近隣諸国と平和条約を結べば安泰と信じ、交渉を重ねている間に狼に食い殺されてしまったのだ。
5)柔軟なイタリア人 「イタリアは予見することがむずかしく、予見しても外れる国だ」と世界に信じられている。外国人居留者はイタリアで従うべき唯一の規則は、「信用することは良い。信用しないことはもっと良い」ことを知る。
6)用心深いオランダ人 オランダは小国ながら卓越した航海術をもって、世界中に自国の貿易拠点を築き、商業で利益を上げた。商人にとって大事なのは、商業路が無事平穏なことである。そのため熱心な平和主義者となった。1944年にはベルギー、ルクセンブルグと「べネルクス」という3国連合を結成した。これは大変うまく機能し、後のEUヨーロッパ共同体の先駆けとなった。
7)戸惑わせるアメリカ人 「アメリカとは本当に何なのか?この質問に対して信頼できる回答を見出すことが、いまのヨーロッパ人にとって生死にかかわる問題となった」。アメリカはあまりに強大であるが、アメリカ自体も迷い、変化し、複数の異なる方針が出ることもある。これらの状況を読み違えると大きな厄災が降りかかることになる。 本書が執筆されたのはまだ米ソ冷戦の時代であったが、著者は「結び」の中で、第三次世界大戦は起こらず、ソ連はやがて崩壊し、ヨーロッパ共同体が生まれることを予言している。時空を越えた世界情勢を見通す著者の眼力に敬服する。
さて本書の類書は日本人には書き難い。近隣諸国を批判すると、事有れかしと他国に注進するマスコミがおり、火事を起こして記事にするからである。自国の批判をしても右翼の街宣車が押し寄せるだろう。残念ながら我々日本人には、言論抑圧と自主規制のDNAが組み込まれていると見た。 (狸吉 2016年10月17日) |
エッセイ |
人生を締めくくる“ひと言”
どうしたらうまく死ねるか。超高齢化社会の今、そんな類のノウハウ本が書店にあふれている。しかし、病院で死ぬか、自宅で死ぬか、路上で死ぬか、いつどこで、どんな死を迎えることになるのか。これだけは人知の及ばざるところで、けっきょくは出たとこ勝負で死を迎えざるを得ない、というあたりが本当のところではないか。 死の間際に『「楽しかったな」とつぶやける人生』、というのは友人の書いたエッセイの題名である。この友人は、そのエッセイで、血税を横領する政治家の話などを書いて、彼らが老後に集まって「楽しかったなー」などと懇談することができるのだろうかと問い、私は『今ならば幸い、「楽しかったなア」とつぶやいて死ねそうだ』と言う。その友人は、いま老妻の介護で苦労していながらそう言う。
「老いの繰り言」は昔からバカにされるが、「若者にバカにされようが、老人同士が寄り集まって思い出話を語りあえることは幸せだ」と友人は言う。もちろん、若者にバカにされない生き方も必要だ。鷲田清一著「おとなの背中」(角川学芸出版)の一節を“意訳”すれば、おとなは若者に「いいかげんなところ、愚かなところもぜんぶ見せるのである。本気でしなければならないこと、絶対してはならないことー、そういう区別を見せることが大事だ」と言っている。そうありたいと願うのだが、そんな人間の生き方、男の生きざまを若者に見せることも、あるいは見てもらうことも難しい世の中になった。
著名人による最後の言葉は数多く世に知られている。戦国名将の辞世の句などは、練りに練り上げた覚悟のほどを披歴したものであり、それはそれですばらしいが、死の間際に、はからずもポツンと漏らしたような一言も面白い。
落語の林家三平が、なんとか言う落語家になった息子に「なにごとも、まじめにやれよ」と遺言したというのは面白い。徳川無声が「おい、いい夫婦だったなあ」と妻に言ったのは、確信があっての言葉か、確信がなくて同意と救いを求めた言葉なのか。凄みのあるのは本能寺で思いもよらぬ最期を迎えた織田信長の「是非もなし」という一言だ。凛とした大悟だと言えよう。
それに比肩する例は、最後の幕臣、山岡鉄舟である。見舞いに訪れた勝海舟と山岡の対話が秀逸だ。勝が「いよいよご臨終でござるか」と問いかけると、白衣で座禅を組む山岡が、「ただいま涅槃に向かうところでござるよ」と答えた。勝が「よろしく成仏なされよ」と辞して、町をぶらりとして屋敷に帰ったら、山岡死去の知らせが届いていたという。
そんな見事な死に方は凡夫のよくなし得ざるところだが、どんな人生を過ごしてきた老人も等しく死を迎えることになるのだから、“辞世の句”とまではいかなくても、それなりの“一言”や“つぶやき”を考えておかなければならない。友人のように「楽しかったなー」とつぶやければ最高だ。枕辺でそれを聞いた人も救われる。冒頭に述べたように、どのように死の局面を迎えるかは人知の及ばざるところだが、どんな場合でも私は単純に「ありがとう」と言おうと心に決めている。臨終を迎えたその時に、傍らに誰が居ようと、そして誰が居なくてもそう言おうと決めている。
ただしこんな単純な一言も、日ごろから強く念じていなければうまく出ないだろうと思う。さらにまた、死に際に頭がボケていなくて口がきければ、さらにそれを口にできる一瞬に恵まれれば、の話である。大げさかもしれないが、そんな一言をうまく言えるかどうかは人生最後の賭けである。
(山勘 2016年10月21日) |
物価上昇は諦めた方がいい?
ダラダラ景気に明るさが出てこない。安倍首相も黒田日銀総裁も、景気の回復とは物価が上がることだと考えているようだが、一向に期待する物価上昇が起こらない。にもかかわらず安倍首相も黒田日銀総裁も、いずれ近いうちに物価上昇がはじまると妙に自信満々だ。しかし、いまのところそうなる気配はまったく見えない。国民は冷めた目でアベノミクスの行方を見定めようとしている。
安倍首相のアベノミクスが掲げた最初の「3本の矢」は、金融緩和、財政投資、経済成長であり、その目指すところはデフレからの脱却だった。それを実現するために日銀が掲げた“インフレ目標”が名目2%の物価上昇だった。しかし、いまのところ達成の見通しは暗い。 安倍首相も強気で、新3本の矢で、「GDP600兆円」を2020年ごろ達成するという景気の良い経済成長目標を掲げた。しかし、それを実現する具体的なプログラムを示していない。インフレ目標2%の達成もままならない現状で、3%成長が必要なGDP600兆円達成をぶち上げても、国民の多くが首をかしげるのは当然だ。
先行き不透明だから、企業は収益を溜めこむばかりで設備投資や賃金に回わさない。現実にモノが売れないから生産を増やす必要がない。生産を増やす必要がないから設備投資をしない。設備投資をしないから仕事も生産も増えない。仕事も生産も増えないから賃金も上がらない。賃金が上がらないから生活者はモノを買わない。まさに負のスパイラルである。
この9月に、黒田日銀総裁は、これまでの大規模な金融緩和の効果を点検する「総括的な検証」を発表した。そこで日銀は、約束の2%の物価上昇率をいまだに達成できていないのは、原油値下がりなどの外的要因が理由だと責任を転嫁する。その一方で、これまでの“異次元金融緩和政策”の有効性は失われていないと強弁する。
日銀は、これまでの、市中の国債などを買い入れて資金を市場にあふれさせる超緩和政策に加えて、今年から「マイナス金利政策」を始めた。これは、金融機関が日銀に預ける預金の一部に金利をつけるのではなく逆に銀行から手数料を徴収するやり方である。これによって、金融機関に、マイナス金利をかけられる分の日銀預金を引き揚げさせ、民間への融資に振り向けさせて企業の設備投資や個人の消費拡大を図ろうという狙いである。
こうした超金融緩和政策によって、モノやサービスの価格上昇を実現させようというのが日銀の目論見だが、企業はモノやサービスの価格を上げるどころか値下げ競争で売るしかないのが現状だ。したがって、企業や民間の借り入れが増え、投資や消費の拡大で日銀のもくろむ物価上昇が起きることなど、およそ考えられないのが現実だ。
ただし日銀寄りの楽観論もないことはない。9月22日読売の「論点スペシャル」で、日銀の「総括的な検証」をどう見るかについて、学習院大学伊藤元重教授(元東大教授)は「日銀が示した金融政策の新たな枠組みの下、辛抱強く金融緩和を続ければいずれ効果が表れ、賃金が上昇し、消費が増えるという経済の好循環へと結びつくはずだ」と相も変らぬ楽観論を述べている。 しかし常識的に考えれば、同じ紙面で、BNPバリバ証券チーフエコノミスト河野龍太郎氏が「日本経済は14年以降、失業率が低い完全雇用に近い状態なのに、毎年のように補正予算が組まれ、消費税増税が2度延期された。財政政策や金融政策は時間を買う政策に過ぎない。その時間を使い、痛みを伴う構造改革に取り組むことが必要だ」とする説のほうが、説得力がある。
素人が聞いても伊藤教授説より河野説の方が的を射ていると思うのではないか。国による財政投資の景気テコ入れ効果がとみに薄れていることはバブル不況以来の投資結果が示している。物価の番人日銀の金融政策に景気対策を期待するのもスジ違いだ。
財政・金融政策は“時間稼ぎ”でその間に「痛みを伴う構造改革」に取り組むべきだ。アベノミクスが取り組むべき経済成長のカギが構造改革であり、構造改革のカギは規制緩和であり、規制緩和のカギは既得権益の排除だ。したがって、構造改革を無視して金融政策に頼る物価上昇は諦めた方がいい。
(山勘 2016年10月21日) |
安倍政権「未来投資会議」への注文
安倍首相のアベノミクスが冴えない。2020年頃のGDP(国内総生産)600兆円を目指すなどと強気の経済成長論を打ち上げたこともあるが、具体的な手順の裏打ちがない。具体的な成長戦略はこれからだということなのか、9月に、安倍首相の下で新設の「未来投資会議」がスタートした。
新聞報道では、初会合で議長の安倍首相が「第1弾として、2025年までに建設現場の生産性20%向上を目指す」と述べたと言う。なんでいきなり建設現場なのか分からないが、会議の目指す具体的な検討内容は、医療・介護、農業、観光、スポーツ、中小企業などの国際競争力強化だという。分野ごとに専門家を組織して、競争力の強化策を協議する方針で、カギは、人工知能(AI)やロボットなど最先端技術の積極活用らしい。
同時に、TPP(環太平洋経済連携協定)への本腰を入れた取り組みも始動した。石原TPP相は、TPPで「新たな経済成長を期待できる巨大市場をつくる」と言い、参加12か国の承認の先陣を切り、11月8日の米大統領選も見据えて、「米国を引っ張り、早期発効の機運を高めていく」としている。民進党などは、輸入米が増えれば国産米の価格維持が難しくなるなどと反論するが、これは木を見て森を見ないに等しく、コメを見て巨大市場を見ない大局観のない抵抗だ。農民票を大事にしてきた過去の自民党と野党の立場が逆転していることも、時代遅れ野党の証左だ。
ともあれ、問題の「未来投資」は、TPPによる新たな経済圏の積極開拓と競争力強化も見据えて考える必要があろう。さらに、規制緩和の視点も欠かせない。農業に関して言えば、将来の関税撤廃に向けても、目下の深刻な農業人口の減少に対処するためにも、そして生産性を上げるためにも、農地の大規模化と企業参入が欠かせない。農業改革は、安倍首相のいう建設現場の生産性向上よりもさらに重要な課題だろう。
したがって、安倍首相の主導する「未来投資会議」が打ち出す未来への投資戦略、停滞する日本経済の現状に活を入れる中長期的な成長戦略が期待をもって注目される。
といいながら水をすような話だが、高橋洋一著「戦後経済史は嘘ばかり」が、おおよそこんなことを言っている。70年代の高度成長は通産省の指導のおかげというのは間違いで、むしろ通産省に逆らった本田技研工業や松下電器産業、ソニーなど民間のがんばりによるものだったというのである。また、現在も永田町や霞が関では「成長戦略」という言葉がさかんに使われるが、そういう意見の人たちは、おそらく「戦後、通産省が導いた経済成長の夢を再び」と考えているのだと言う。さらに、そもそも政府が主導して産業が育つケースは、明治初期の日本産業、満洲国での産業振興、開発途上国での「開発独裁」などに見られるように、政府の産業政策が有効な段階は産業の揺りかご期から幼少期に限られると言っている。
したがって、高橋氏に言わせれば、現在の成熟した資本主義経済の日本においては、すでに政府の産業政策の役割は終わっているということになろう。国による産業政策が無益だと言うのは極端すぎる“断定”かもしれないが、少なくとも政府が手綱を取って産業界の“鼻ずら”を引き回そうというようなやり方は時代錯誤もはなはだしい、とは言えそうだ。だいたいが、利にさとく機を見るに敏な先端企業の経営戦略や技術開発が、国の経済政策の先を行くのは当たり前である。
だから、国の産業政策は、えてして産業界の目指す方向や走りっぷりを後ろに見ながら、一歩先を走ろうとするような情けないことになる。つまりは、産業界の動きを注視し、主要企業の経営戦略や技術開発の動きを読んで半歩先、一歩先を“提言”するだけ、ということになりかねない。それでは成長戦略の司令塔にはなり得ない。
だとすれば、「未来投資会議」が目指すべき新しい「未来投資」とは何か。極端に言えば、利潤を追求する企業が手を出しにくい社会基盤や儲からない新規分野(当分利潤を上げにくい分野)の新規開拓にこそ目を向けるべきではないか。それは、極論すれば目先の生産性向上やGDP向上に役立たない中長期の視点を持った未来型の投資戦略であろう。アベノミクスに掲げる経済成長の中長期版としての「未来型投資戦略」に期待し、戦略提言を注目したい。
(山勘 2016年10月21日)
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私はミーハーです
日本オープンゴルフ選手権は、一時帰国中の松山英樹が優勝しました(国内メジャー初V、2016.10.16.)。私が観戦した2日目は(初日もそうでしたが)、松山と石川遼、A・スコットという組み合わせ。なので、多くのギャラリーはこの組について回っていました。追っかけですね。 私はグリーンの難しい#16(パー3)のグリーンに予め陣取って、彼らがこのグリーンをどのように攻めるかを見ていました。このホールは≒200ydsですが、この組が引き連れたギャラリーが到着すると、ホール全体をぐるりと囲む始末。それも何重にもです。この組が過ぎても、そこにとどまり観戦。
そのあとは#9(池がらみのパー5)で定点観戦。ここではロングヒッターが2オンを狙ってくるので、それを見たかったからです。
しばらくして、それも終わり、ホールアウトした松山がパット練習をしていたので、目の前でじっくりと観察させていただきました。 →「松山英樹のパット」( http://ameblo.jp/putt-greenkeeper/entry-12210527013.html )
何故かと言うと、彼はショットで稼ぐ選手。パットは他選手の後塵を拝しているので、最近のパットに興味があったからです。(SG Tee to Greenは1.315でランク6位。SG Puttingは-0.025でランク103位:2016年度)
始めのうちは私一人でしたが、大勢のギャラリーが集まってきましたので、私は帰ろうとしたら、大会役員が私の前に来て、「まだ多くの選手がプレー中で大きな声では言えませんが、これから松山選手のサイン会をやります」と。場所も指定されたので、皆さん殺到。私はそれまでミーハーとは思ってなかったのですが、彼は米ツアーが主戦場なので、彼のサインはそう簡単には貰えないと考えたら、私も自ずと足が向かいました。すでにローピングされて、大雑把に見て私は150人目くらい。
並んでいると「今日はお客さんが多いので、途中で打ち切るかも」と先ほどの役員の声。私も含めて列の後方からはブーイングが。松山がその役員に小声で何か話していました。多分、「今並んでいる列の最後まではサインしますよ」と言ったんじゃないかと想像します。 これです↓ その役員が、それから列の最後部に回り、「サイン会はここでお終い」と後端にもロープを張ってしまいました。その数は全体で200人くらいいたと思います。
と言うわけで松山のサインをゲット。 但し、あまりにも希望者が多かったので、「一人一品へのサインのみ」、「日付はなしで、握手はご遠慮ください」とのことでした。
奥さんが先に来て並んでいた方は、ご主人をロープの中に入れようとして周りからブーイング。役員もこのご主人を追い出しました。
奥様は自分のハンドバッグにサインをして欲しかったようですが、ご主人は自分のナップサックに貰っていましたので、夫婦喧嘩が 始まりました(笑)。
私は「次はメジャー優勝ね!頑張って!」と声援を送りました。ここでいうメジャーとはPGAtourのメジャーの意味です。
(恵比寿っさん 2016年10月24日)
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ホツマ・エッセイ 「万歳(才)!」と「ヨロトシ」
ホツマツタヱの記述の中に、「ヨロトシ」という言葉が22個所に出てきます。
今の世は ただう「ヨロトシ」生きなるる(1綾) ます「ヨロトシ」の寿も(23綾) 寿も もも「ヨロトシ」ぞ(23綾) 「ヨロトシ」を祝いて(26綾) 賑わいて「ヨロトシ」歌ふ(27綾) 「ヨロトシ」満ちて(28綾) 寿(ことほぎ)ぎし「よろとし」歌ふ(30綾)
などの「ヨロトシ」は、内容的に見て現在の「万歳(才)」の意味合いに通じる言葉で、「ヨロトシ歌ふ」とは、万歳(才)三唱を意味しているようです。
このことから、古代の人は、御祝い事のときに「ヨロトシ・ヨロトシ・ヨロトシ」と言っていたものが、漢字が渡来して「よろ」は「萬」、「とし」は「歳」という漢字が当てはめられ、時代と共にいつしか訓読みから音読みに変化し、「バンザイ」と呼ばれるようになったと考えられます。 元々は、「喜ぶ」という意味の「ヨロ」であったことを改めて認識しました。
また、数字の単位で、「ヨロ」は「万」の意味があります。なお、「十」は「ソ」、「百」は「モモ」、「千」は「チ」と言っていました。
そこで、今まで、数字と一緒に書かれている記述について、単純に解釈していましたが、年数がどうも大きすぎて合わないという疑問がありました。 今回、数字と共に表記されている「ヨロトシ」の「ヨロ」は、「よろ」こばしい(喜ばしい・慶ばしい・悦ばしい)とか、「よろしい」(宜しい)とかいう言葉とも共通性のある「喜ぶ」という意味に理解しました。
ヤヨロトシ(6綾)⇒八万年⇒平穏無事で喜ばしい八年間、 ムヨロトシ(21綾)⇒六万年⇒平穏無事で喜ばしい六年間、 モモヨロトシ(23綾)⇒百万年⇒平穏無事で喜ばしい百年間、 ソヨロトシ(24綾)⇒十万年⇒平穏無事で喜ばしい十年間、 ミソヒヨロトシ(26綾)⇒三十一万年⇒平穏無事で喜ばしい三十一年間、 ヨソイヨロトシ(27綾)⇒四十五万年⇒平穏無事で喜ばしい四十五年間、、 フソイヨロトシ(28綾)⇒二十五万年⇒平穏無事で喜ばしい二十五年間、、 ソヤヨロトシ(28綾)⇒十八万年⇒平穏無事で喜ばしい十八年間
というように、今までの自分の解読内容を置き換えることにしました。
(ジョンレノ・ホツマ 2016年10月26日)
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