例会報告
第44回「ノホホンの会」報告

2015年4月14日(火)午後3時〜午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:狸吉、致智望、山勘、高幡童子、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問)


雨模様でしたが、久しぶりに全員が顔を揃えました。歴史書の紹介が何冊かありましたが、歴史にも常に新しい発見と見方が生まれることを物語っています。いつもながら景気が良くないこと、健康問題が話題になります。年金は大丈夫か、貧富の差がますます拡大するのではないか。日本の未来に希望はあるのか…。今こそ真剣な議論が欲しいところです。なお、エッセイ「議員の資質」の紹介は次回にしました。


(今月の書感)

「日朝古代史嘘の起源」(恵比寿っさん)/「沈みゆく大国アメリカ」(その2)(本屋学問)/「日本発掘!ここまでわかった日本の歴史」(ジョンレノ・ホツマ)/「終わりなき危機―世界の科学者による福島原発事故研究報告書」(高幡童子)/「病気にならない生き方」(致智望)/「荷風とル・コルビュジエのパリ」(狸吉)


(今月のネットエッセイ)

「本当のことを言ってはならない?」(山勘)/「海幸彦・山幸彦の物語 その1 生い立ち」(ジョンレノ・ホツマ)/「議員の資質」(本屋学問)


(事務局)

 書 感

日朝古代史嘘の起源/室谷克実監修(別冊宝島2283 宝島社 本体930円 2015年2月13日発行)


監修者略歴  1949年東京都生まれ。

慶應義塾大学法学部卒業後、時事通信社に入社。政治部記者、ソウル特派員、宮崎・宇都宮支局長「時事解説」「時事評論」編集長などを経て退社。

著書に『「韓国人の経済学」』『朝鮮半島 南北「情報心理戦」の真実』(ともにダイヤモンド社)、『日韓がタブーにする半島の歴史』(新潮社)、『呆韓論』(産経新聞出版)などがある。


目次

歴史認識を語る前に史実を知ろう

         日朝古代史の定説は覆っている!

         『三国史記』とは何か

日朝古代史 定説のウソ 縄文・弥生時代
先進文化は「半島民族から伝わった」は大ウソである

日朝古代史 定説のウソ 古墳時代
新羅・半島南部を取り仕切っていたのは倭種・倭人だった

日朝古代史 定説のウソ 飛鳥・奈良時代

神話から見る日朝古代史


「韓国人による沈韓論」(1月書感)ではそれまでの私の韓国に関するイメージは大きく変わった。即ち、迂闊なことではあったが、日本と同じ社会環境のもと法治国家で民主主義が粛々と成立している国家だと思い込んでいたのであるが、実は国民の世論におもねる異常な社会と分かったからである。フェリー「セウォル(世越)」の沈没事故にまつわる諸事もこれが特例なのかとも初めは感じていたが、これが日常と分かって少々失望した。だから日朝の歴史についても見直さなければならないと感じていた矢先に本誌が目に留まったので早速読んだ次第。


日韓で日朝古代史の定説となっている「日本人の祖先は(半島からの)渡来人」ではなく、それ以前から居たことや「現代日本人は縄文人と渡来人の混血」ではなく、「(3000年前には)日本人が半島へ進出していた」ことや「縄文人は既に稲を作っていて渡来はわずか」であり、健全な歴史認識を持って欲しいという趣旨の論調。

(ヒステリックな論陣を張ると、読むほうは却って賛同しなくなるものであるが、そうではないので同調できる)


DNA(ミトコンドリア)解析で人類史を研究する「分子人類学」や「Y染色体鑑定法」で調べると、渡来人系は≒11%。DNAでは日本人女性と韓国人女性は見分けにくい。こういうなかで日本人は渡来人を先祖に持つ(定説)というのはやはり無理があるように思います。


初めて知ったのですが、韓国には「三国史記」という正史があるそうで、これを日韓の学者がひた隠しにしている由。日本での古事記や日本書紀に相当するもので12世紀に高麗の17代王の仁宗の命により金富軾により編纂されたもの。百済、高句麗、新羅の三国の正史であるが、後で全てをさらけ出していないとして野史が「三国遺事」として13世紀に一然により編纂されているというものであるが、これにはいわゆる定説とは異なる内容のことが記されているそうな。


正史も野史も第4代新羅王の昔脱解は倭人とは書かれていないが倭国の東北1千里から来たと書かれていて、これは魏志倭人伝の邪馬台国(女王国)の支配権外に住む「倭種」であろうと推定できる。即ち新羅の基礎を作ったのは日本人ではないだろうか、という主張です。

(こんな都合の悪いことは、今の韓国では公にはしたくないだろうことは容易に理解でします)


その他

三国史記では3世紀の半島南端(任那)は倭人の勢力範囲

前方後円墳は日本から韓国(14基ある)へ伝搬したと考えるのが妥当だが、松鶴洞古墳は改造されて3つの円墳になってしまった。

「古代の日本人(倭奴と別称するらしい)に文化や技術を教えたのは半島民族」とか「日本の国号を与えたのは新羅」という考え方が一貫してあるが、これは歴史家崔南善(1890〜1957)が書いた「物語朝鮮の歴史」が原点だが、彼は何の傍証もない。

新人は14万年前にアフリカで誕生後世界各地へ拡散(この過程で人種の分化)し、日本には3〜4万年前に。

南方から海を経由、朝鮮半島から、樺太からが考えられる。

(恵比寿っさん 4月3日)

 沈みゆく大国アメリカ/堤未果(集英社 2014年11月19日第1刷 12月16日第3刷 本体720円)(その2)

1984年当時、アメリカ史上最大の銀行破綻といわれたコンチネンタル・イリノイ銀行の破綻で、レーガン大統領が“大きすぎて潰せない”(Too Big to Fail=TBTF)と宣言して全面支援を決定したときから、アメリカのメガバンクとウォール街は運命共同体になった。国内産業は彼らの影響下に置かれ、経済危機を引き起こした構造を設計した張本人を税金で救済した時点で、アメリカは進むべき道を間違えたと著者は厳しい批判の目を向ける。

クリントン時代はマスコミの統合が進み、メディアの寡占化がアメリカのジャーナリズムを衰退させた。ゴールドマン・サックスから財務長官になったルービンなどの助言を受け、クリントンは銀行業務を自由化する「金融近代化法」、食糧価格を投資対象にした「商品先物近代化法」などを打ち出す。これらは、結果的にリーマンショックの導火線になったのかもしれない。

 “9.11”後のブッシュJrは「愛国者法」や「国防需給法」で言論統制と権力集中をはかる一方、地方自治体と教職員労働組合の解体に着手した。赤字自治体の民営化や、教員の非正規化と学校のビジネスモデル化で学力を競わせ、敗者を予算カットや学校の統廃合に追い込んだことで、アメリカの健全な教育基盤はすっかり荒廃してしまった。ここでも、現場の教師や生徒の声はまったく反映されなかったのである。

次のオバマは、TBTFでGM、フォード、クライスラーを救済する条件として、労働者の賃金カットや勤務時間無制限化など、教職員労組に続く巨大組織の自動車労組を弱体化した。また、オバマが拡大を約束した貧困ビジネスモデル「フードスタンプ」は、税金を使って国中にばらまくことで「加工食品とファストフード」、「安売りスーパーチェーン」、「ウォール街」の3大業界に福祉予算が流れ、民間に公的資金を流すという実に効率の良い手法として、ウォール街と業界首脳から高く評価されたと本書はいう。

そしてついにオバマケアで、国内最大の政治勢力を持つ医産複合体による、人間の生存と幸福に直結する医療分野への侵食を許してしまった。フードスタンプ拡大時の“貧困層救済”という美しいスローガンが、今度は新しく“無保険者にヘルスケアを”に書き換えられ、病院の株式会社化などの新たなゲームが始まった。

著者はこのように歴代アメリカ大統領が行なってきた国内政策を分析しているが、常に世界をリードしてきたかに思えるアメリカの政治が決して理想的でも国民本位でもなく、もしこれが本当に民主国家アメリカの未来の姿だとしたら、日本のマスコミはいったいアメリカの何を見、何を聞いて報道してきたのか。

今日のアメリカは投資銀行を中心にウォール街がさらに強大になって政治に影響力を及ぼし、メガバンクや超大グローバル企業がアメリカ国家そのものを解体して、すべてを商品化する勢力になっている。本書はこの不気味な動きを“国家解体ゲーム”という言葉で表現しているが、次々に実施される規制緩和政策と、赤字を無視した紙幣増刷で富裕層の資産はさらに増え、国家解体ゲームは進行する。こうしてアメリカは、寡占化した業界の頂点に君臨する少数企業とウォール街が形成する1%の富裕層と、その下で低賃金と増税、医療費や教育費に苦しむ99%の2極化が完成したと本書は結論付けているが、これが極論に思えないから恐ろしい。

すでにアメリカの石油、農業、食、教育、金融の領域を侵食してきた“1%”が目論む国家解体ゲームの次の標的が日本であることは、すでにTPP交渉の過程などでわかってきた。日本は40兆円という世界第2位の生命保険規模を持ち、グローバル企業と海外投資家にとっては実に魅力的な市場で、さらに130兆円という世界最大規模の運用資金を持つ年金機構GPIF(年金積立金管理運用)もある。

そのGPIFが、アメリカや日本政府の意向を受けて運用利回りを増やすために株式保有率の上限を撤廃した。本書によれば、その運用業務を受注したグループに国内金融機関はなく、ゴールドマン・サックスやイギリスのイーストスプリング・インベストメンツなど14社中10社が外資系で、もし6700万人が加入する公的年金の運用に失敗しても当事者は責任を取らず、すべて国民が被ることになるのだという。

日本の医療サービスは非課税取引なので医療費は消費税の対象外だが、医療機関が購入する薬や医療機器、建設費や消耗品購入には消費税がかかる。社会保障のために使うはずの消費税分は10%だけで、ほとんどは法人減税分で相殺されたらしい。消費税増税で医療機関の負担がさらに増え、存続が難しくなって日本の医療制度は崩壊するかもしれないことを、どれだけの国民が知らされているのか。

著者は取材中、アメリカの医療現場の人たちに「日本の国民皆保険制度が羨ましい」と何度もいわれたそうだ。 WHOが絶賛し、世界40か国が導入する世界に誇る日本の医療制度は公平性や非営利性を重視するが、アメリカは人口の多い地区だけに病院を建て、ERや小児科など不採算部門はカットし、過疎地には病院を開設しないので弱者は排除される。アメリカの後を追う日本国内の政策や法改正の流れを見れば、この世界に冠たる医療制度はいずれ消滅してしまうかもしれない。

日本の医療費は約40兆円だそうだが、今後公的保険の国民負担を大きくすれば民間医療保険のビジネスチャンスが増え、国民は必然的に民間保険に入るようになる。そうして日本人が外資系保険に入り、二重保険が一般化すれば、オバマケアと同じビジネスモデルが完成する。最終的にはアメリカと同じように貧困層と低所得高齢者、障害者が公的保険、それ以外の国民は国民健康保険と民間保険の両方に加入する。加入者数70万人の警察共済組合の医療保険はすでにフランスのアクサ生命が100%独占し、アメリカのアフラック社は営業利益の80%を日本で売り上げているという。ついでにいえば、同社の会長はTPP推進派の急先鋒で、UTSR(アメリカ通商代表部)の元日本部長だったそうだ。

アメリカでは現在、オバマケアが医療改善ではなく、患者や労働者、国家を苦しめるものであることをようやく知った共和党や民主党、第三党の重鎮議員たちが、やりたい放題の医療保険会社やウォール街、グローバル企業の手からアメリカ合衆国を取り戻すための方法を検討中と著者は書いているが、実際にはどこまでできるのだろうか。もはや手遅れのような気がする。

本書によれば、日本で2013年12月に成立した「特定秘密保護法」の裏にもう1つ、重要法案が隠されていた。「国家戦略特区法」は、特定地域で規制を緩和し企業がビジネスしやすくするもので、海外投資家やグローバル企業が期待するこの法案は、1980年代以降に国家解体が進んだアメリカと同じ道を日本が辿る内容なのに、法律が成立したこともその内容も日本国民にほとんど知らされていないという。

日本国家が外資企業に買収されたら取り返しがつかなくなる。日本も“沈みゆく国”になるのか。今こそアメリカの現状を反面教師として、日本の国家戦略を根本的に見直すべき時ではないのか。

なお、続編「逃げ切れ、日本編」が出るようなので、これもぜひ読んでみたい。

(本屋学問 2015年4月5日)

日本発掘!ここまでわかった日本の歴史/文化庁編(朝日新聞出版 2015年2月発行)


 本書は文化庁主催「発掘された日本列島」展20周年を記念し、江戸東京博物館で開催された「えどはくカルチャー」連続講演会「日本発掘!―ここまでわかった日本の歴史」をもとに1冊にまとめたものとあります。7人の著者が、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、古代、中世と時代ごとに分けてまとめています。


比較的平易に書かれており、最近になって発見された遺跡や遺物の情報のいくつかは、ホツマツタヱの記述内容を裏付けるものであったり、今後の関連性が見つかる可能性のある記述があったりして、私なりに期待できる一冊です。

考古学は石器の形、組み合わせ、どの地層に埋まっているかで遺跡や遺物を評価しているが、さらに遺伝学では古い骨からDNAを取り出し、データベース化されいずれウェブ上でも公開されるようになれば新たな発見に期待できそうです。


本書の中から私が幾つか興味のあった事例を列記して見ます。


1、ストーンサークルについて

今まで大湯環状列石(秋田県鹿角市十和田)しか、頭に入っていなかったが、他でも、大規模な環状列石が見つかっており、一つ気になったのは岩木山の麓の大森勝山遺跡(青森県弘前市)です。冬至の太陽の沈む位置が岩木山山頂になるように作られているということです。

この位置関係は、後に各地に神社が作られたとき、何か共通する可能性を機会があれば検討して見たいきっかけになりました。


2、縄文土器について

力強さを感じ、いつも不思議な気になります。


3、青銅器の鋳造について

特に気になったのが、吉野ヶ里遺跡跡で銅鐸が出土した事例です。近畿や九州だけでなく、日本の各地で青銅器を鋳造していることが新しく発見され、九州説、畿内説とかいう邪馬台国論争は幕を閉じたと考えるとあり、戦前からの著名な学説が否定されてきていることは喜ばしいことです。


4、土器について

卑弥呼の墓かと言われている奈良県桜井市の纏向遺跡から、東海、山陰、北陸、九州など各地の土器も出土していることから当時の時代認識も新たになってきています。

ホツマツタヱの記述では、纏向遺跡は景行天皇の居られたところで、全国の豪族の娘さん8人をお妃にしており、子供の総勢81人と末裔は広がったとあります。


同じくここも卑弥呼の墓かと言われている箸塚古墳ですが、ここからでてくる土器から瀬戸内海の吉備地方、岡山の倉敷、更には出雲との関係が分かってきて、広範な地域の動きがあったことが分かってきたとあります。箸塚古墳は大物主の妻となった「ももそ姫」が祀られたとホツマツタヱの34綾にあります。大物主は「そさのお」の何代目かの子孫なので、出雲と関係があったことも頷けます。


この二つの事例からも、著者の方々が、ホツマに目を向けてくれれば、あるいは内容を知っていてくれたらと思うことしきりです。


本書の前書きにも、あるように考古学は謎解きの学問とも言われており、まさに発掘内容から謎が解かれつつある現状について述べられています。

少しづつではあっても、発掘の解析が進展してきてホツマツタヱの解読内容との距離が近づいてきているような気がしてきました。

(ジョンレノ・ホツマ 2015年4月10日)

終わりなき危機―世界の科学者による福島原発事故研究報告書/ヘレンカルデイコット監修 日本語版編集 ブックマン社)


福島原発事故という大問題を論ずるには、あまりにも貧弱な陣容、一童子がその書感を述べるなど無鉄砲であることは百も承知ではあるが、民が主となって大事を選択していく時代であるから恥を偲んで私見を述べさせていただく。


本書は次の241ページ20章で構成されている。

1 もっとも安全なエネルギー政策は原発をなくすこと

2.汚染された世界に生きる

3.驚くに値しないさらなる驚き

4.国会事故調査委員会の調査結果

5.放射性セシウムに汚染された日本

6.世界は福島の事故から何を学んだか

7.電離放射線の生物系に及ぼす影響について

8.福島における初期の健康への影響

9.チェルノブイリと福島における生物学的影響

10.WHOとIAEA、ICRPがついた嘘

11.ウクライナ、リウネ州における先天性奇形

12.いつなにを知ったのか

13.使用済み核燃料プールと放射性廃棄物の管理

14.日本とアメリカにおける70年間の放射性による危険性

15.福島の事故後の食品管理

16.原子力時代におけるジェンダー問題

17.原子力施設から放出される放射線についての疫学調査

18.低レベル電離放射線の被曝によるがんの危険性

19.原子力発電の台頭と衰退

20.原子力時代とこれからの世代


高幡童子の仮定マクロデータ

日本の人口は約1億、毎年100万人生まれ100万人死亡し入れ替わる。

死亡原因は老齢と病死が95万人、事故死2万人、自殺2万人

太平洋戦争での死者合計1000万人 広島長崎原爆死亡各5万人

東京大空襲死者 2000人


私見

1.国民は、あるいは人類はタブーの垣根を飛び越え、より冷静な戦略と判断をもつべきだ。例えば、エネルギー計画、資源計画、人口計画、年齢計画。

2.ただ一つの選択でなく、複数の戦略を可能とする準備をする。

3.哺乳類が生存競争に勝ち残れたのは、短い生殖サイクルにより、氷河、恐竜などの出現に対抗できる体質改善が早かったといわれている。

4.人類最大の敵は、人類である。戦争を減らし、戦略を共有できるように人間を進歩、改造する研究を始める。植物、家畜では放射線による品種改良が始まっている。放射線は害になることも、改良につながる可能性がある。

(高幡童子 2015年4月12日)

病気にならない生き方/新谷弘実(サンマーク文庫)


著者の新谷弘実は、胃腸内視鏡外科医で、大腸内視鏡を使う事によって開腹手術することなくポリープを切除する事に世界で初めて成功したと言う。著者は、現在でも、米国で2/3と日本で1/3の医療活動を行っており、今迄に30万例以上の胃腸を診てきたと言う現役で活動する内科医である。

胃腸内の状況を「人相」になぞらえて、「胃相」「腸相」と呼び、良い相の人は心身ともに健康であり、胃相、腸相の悪い人は心身の何処かにトラブルを抱えていることに気が付く。また、米国人と日本人とはこの胃相、腸相が違い多くの患者さんの協力の上に「健康で長生きする方法」にたどり着き、著者の発想による「ミラクル・エンザイム」の仮説を立て、その「ミラクル・エンザイム」を消耗させない生活を送ることにより、病気にならない生き方を発案した。

ミラクル・エンザイムと言うのは著者の造語で、エンザイムとは酵素のことである。身近な例として唾液の中に含まれる「アミラーゼ」は炭水化物だけに反応する消化酵素で、その他脂肪やタンパク質などの消化には別のエンザイムが働くようになっており、人間の体には5千種以上のエンザイムが存在すると言われている。体内で必要なエンザイムは、必要に応じて体内で作られ、そうしたエンザイムガ細胞の中でどうして生成されるのかはまだ明らかになっていない。著者は、これを「ミラクル・エンザイム」と仮説し、必要に応じて特定のエンザイムにつくり替える以前に、どのようなエンザイムにもなれる可能性をもった原型となるものをそう呼んでいる。

著者は、このミラクル・エンザイムを浪費しない生活習慣を身に着け、胃相・腸相を良くすることが臨床的に裏付けられた事実であると言う。それは、例えばの例として、人間の体は、全て繋がっており、歯が1本虫歯になったとして、その影響は体の全体に及ぶことになる。充分に咀嚼されなかった食物が胃腸に負担をかけ消化不良をひきおこし、体の各所でさまざまな問題を生ずる結果になる。

私たちの健康は、日常何気なく行っているさまざまな行為に支えられており、現代社会では「ミラクル・エンザイム」を消費する要因に満ちていて、著者の「病気にならない生き方」が論じられる原点として、この「ミラクル・エンザイム」を消費しないような、生活習慣を実行することにあると説いている。

本書では、実際の病気を例にとって、具体的に「ミラクル・エンザイム」との関わりを説いている。例えば、癌についてであるが、抗癌剤は「ミラクル・エンザイム」にとって最悪の存在であり、自分の患者で癌を再発した者はゼロと言って、その症例を上げている。

著者の進める生活習慣として、食事を最重視している。特に牛乳については最も悪い食物で、近年食物アレルギーなどの深刻な病気は、幼児期に牛乳を飲ませた事によると言う具合に強く非難している。牛乳は、牛の子供を育てるもので、栄養素が同じで有る事から、人間にも良いものと言って飲むのはとんでも無い事で、何よりも牛乳で下痢をおこす現象は日本人だけではないと言うことからも説明が付く。更に、他の乳製品に付いても同じでヨーグルトなどもビヒダス菌は良くとも牛乳であることが良く無いと言う。

また、動物タンパクを多くとれと言われているがこれも間違いで、肉食動物と言えども肉だけを食べているのではなく、主に内臓を優先して食べているのであり、ここに、沢山のミネラルが含まれている事をみのがしていると言う。他に悪い食物の例として、油、脂肪について述べている。これは植物性油についても同様で、その理由としては、油は酸化しやすく酸化した油や脂肪は「ミラクル・エンザイム」の消費を加速すると言う。

著者の奨める食事は、タンパクと言えども植物から採るのが85%、15%が動物タンパクと言う。植物タンパクでは、例えば穀類、豆類は良質なタンパク源であり、精米した米などは最悪で、言ってみれば栄養素として「カス」だと極限発言をしている。魚も動物性タンパクに変わりないが、赤身魚はミネラルが有って良いのだが、油が多く注意しないと酸化するので、新鮮なものでなければならないと言う。

その他、著者の奨める生活習慣には、腸内に残る廃物(在糞)を大きく問題にしている、具体的に対処手段が述べられているが、全て「ミラクル・エンザイム」の消費を避ける手段としてのべられている。

(致智望 2015年4月12日)

荷風とル・コルビュジエのパリ/東 秀紀(新潮選書1998年 本体1100円)


1900年万国博覧会を開催したパリは都市開発の成功により、文明・文化の中心として、国境を越えて若い才能が集まった。本書はこの時期、この地に遊んだ二人の若者、日本の小説家永井荷風と、スイスの建築家ル・コルビュジェの行動を手掛かりに、当時の活気溢れる雰囲気を描写している。しかし、この二人は相反する考えの持ち主であり、両者はたまたま同じ時期にパリに滞在しただけで互いの交流はなかった。

 

 互いに交流の無い二人を並べたのは一見奇異のようであるが、彼らを通して読者を「中世の面影を残す都市改造前のパリと、万博以後の光り輝く新しいパリ」に導き、ついで「江戸情緒を残す近代化前の東京と震災後大幅な近代化が行われた東京」と
パリの類似を悟らせているのだろう。

永井荷風は資産家の家に生まれ、生活のため働く必要が無く、ひたすら趣味の世界に遊ぶ当時の「高等遊民」 。フランス文化に憧れ、一日も長くパリに滞在することを願っていたが、父の命令で帰国を強制させられた。しかし、帰国前パリで出会った上田敏に文才を激賞され、小説家として立つ自信を得た。


ル・コルビュジェはスイスの時計職人の家に生まれたが、弱視のため家業を継がず建築家となった。荷風が改造前のパリを懐かしむ懐古派であるのに対し、彼は構造力学など新しい技術を学び、未来に目を向け工業化社会の到来を歓迎する進歩派である。


パリはこの相反する道を歩む若者二人に、それぞれ人生の転機となる衝撃を与え、またその後の活動に影響を与えた人々を引き合わせる触媒の役割を果たした。荷風は帰国後、文学者と美術家の研究会「パンの会」に迎え入れられ、森鴎外、木下杢太郎、北原白秋、石川啄木、高村光太郎、石井柏亭、黒田清輝らと交わった。


ル・コルビュジェが出会ったのはフェルナン・レジェ、サン・テグジュペリ、ジョゼフィン・ベーカー、ポール・ヴァレリーなど、これまたその時代を象徴する一流人物である。何故この場所に時代を代表する芸術家が集合したのか?恐らくこの時この地に、芸術の女神ミューズが降臨したのだと思う。

(狸吉 2015年4月13日)

 エッセイ 

本当のことを言ってはならない?


人間社会で「本当のこと」を言い過ぎるとカドが立つことは誰でも知っている。とりわけ日本人は昔から、遠慮、配慮、中庸といった極端に走らない精神の立ち位置を重んじてきた。直言居士とか、歯に衣着せずといった勇ましい人もいるが、そうした人は“貴重品”であり、一般的ではない。最近テレビで「常識とは凡人が喧嘩しないで暮らすための知恵だ」というセリフを聞いて笑わせられた。それも含めて常識を重んじるのが日本人の常識だ。

讀賣新聞(3/28)のコラム「時の余白に」に、編集委員の芥川喜好氏の「本当のことを言おうか」という一文がある。冒頭で、氏が大学生だったころ、谷川俊太郎詩集で出会った「本当の事を云おうか」という一言、吉本隆明詩集で出会った「ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想」という言葉に出会った衝撃を記している。

そして芥川氏は「世界は本当のことを口にしないことによって成立していること」を認識し、「自分が正体不明の“嘘”に取り囲まれていること」に気づいたという。話の本旨は書画骨董の真贋、人間の真贋についてだが、その途中で語られる、いまも「嘘の数、いかさまの量、なにひとつかわっていません」が、「だからといって逆がいいということにはならないのが、人間の世界です。誰もが本当のことを言い合う社会を想像してみればいい。おそろしい。世界は凍りっぱなしです。とても生きてはいけません」という感慨が共感を呼ぶ。

最近、「ノホ本の会」という小さなサークルの友人が、文明と違って、文化の違いはそう簡単には同化しないと言い、後で触れるが、曽野綾子さんが産経新聞に書いた記事がアパルトヘイト(人種差別)政策の提唱だと批判されたことについて、これは文化の違いを指摘しているもので批判は当たらないと言う。

 この友人が読んだ「住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち」(川口マーン恵美著)という本によると、ドイツと中韓の考え方(文化)の違いについて、ドイツでは「忘れてはいけない」ことは「人や他国に対してやったこと」であり、これは日本も同じで、やられたことはほどほどに忘れるが、中韓は正反対の思考から発している」という。で、彼は、過去を振り返らないのは日本人の性格で、賛否はあろうがこれで良いのではないか、と言う。たしかに賛否の分かれるところだが、「過去を振り返らない」ことが、歴史を振り返らないという意味ではなく、「やられたことはほどほどに忘れる」という意味であれば、納得できる。

先にふれた曽野綾子さんの主張は、産経新聞(2/18)に掲載されたコラム記事で、移民労働力の必要性を言う一方、労働移民の居住施設は白人、黒人、アジア人と人種によって分けた方がいいと言う。この主張がアパルトヘイトだとして批判の嵐を浴びた。

これに対して曽野さんは、私はアパルトヘイト政策を提唱してなどいない。生活習慣の違う人間が一緒にすむことは難しいと言っただけだと弁明した。その限りにおいて「難しい」のは確かで「本当のこと」だと言えそうだ。しかし、だから移民の居住施設を人種によって分けろという主張になると“勇み足”以上の危なさがある。曽野さんの歯に衣着せず「本当のこと」を言う日頃の言動は喝采を浴びることも多い半面、常に危なさが付きまとう。

問題は「本当のことを言うべきか、言ってはいけないか」ではない。本当の問題は「本当のこと」とは何かということである。時と場合、立場、複雑な条件下で真実や価値や真贋など、「本当のこと」が真反対になることすらある。

究極の問題は、「言うべきか言わざるべきか」ではなく、言うほどの「本当のこと」を自分が認識しているかどうかだ。その上で「言うべきことを言う」覚悟が必要だろう。昨今の世情はどうでもいいこと、「言わなくてもいいこと」から「言うべきでないこと」まで、慎みもなく無責任に言い過ぎる人が増えてきているように見える。

(山勘 2015年4月9日)

 海幸彦・山幸彦の物語 その1 生い立ち


この物語は、児童書や絵本の古典としても有名ですが、詳しくは覚えていなかったので図書館にある児童書を借りてストーリーに目を通して見ました。

今、解読中のホツマツタヱ25綾に、この海幸彦・山幸彦が出てきたからです。


この綾の解読が難解なのに面白いのは、表向きに作られた話と、表沙汰に出来ない当時の機密事項が重ね合わせていると思われるようです。

また、立場上、触れたくない内容、不具合な状況など、簡単に事実のみ一言二言書いているだけで、省略されていたり、時間の経過が前後していたり、話が突然とんでいたりするから良く分からない所があるからです。


何が隠されていて、この話にひきつけられるのか、この二人の背景や行動を整理して見れば、問題点が浮かび上がってくるのではないかと思いました。


物語にでてくる主人公である、海幸彦・山幸彦は三つ子の次男と三男です。天照神の曾孫に当たります。

父親は天孫ニニキネ(天照神のお孫さん)になります。母親は「このはなさくや姫」と言います。


生い立ちの始めですが、父親になる天孫ニニキネが、八洲巡り(日本全国の現状を把握)のため、馬に乗った80人ものお伴を従え、開拓しながら御幸していました。

途中、一行を迎えた酒折宮で、ニニキネに御膳を捧げたアシツ姫(大山祇園の下の娘・後の「このはなさくや姫」)と、旅先で一夜の契りを結ぶことになります。

アシツ姫は妊娠し、途中いろいろなことがありましたが最後にハッピーエンドに収まります。この詳細は、以前の「このはなさくや姫」の物語にありますのでここでは省略します。


さて、主人公の一人、海幸彦は三つ子の次男でホノススミ・サクラギと言い、スセリという名前もついています。

吹き出物が出来、酢芹草(スセリ)で掃き清めたら枯れ癒えたのでスセリとも言うようにもなりました。

住まいは、当初、新治宮(茨城県)に住んでいましたが、後に滋賀県の高島市、鵜川(琵琶湖の西側)に移ります。


三男の山幸彦はヒコホホデミ・ウツキネと言い、日光二荒山のふもとの宇都宮に住んでいました。

ウツキネの「ウ」は、卯の花の「う」から来ており、住んでいたところをウツキネのウツを取って「ウツ」の宮とも呼ばれ、今の宇都宮の語源にもなっています。


鵜川(琵琶湖の西側)に住みたいと申し入れたが許されず、滋賀県大津市の「シノ宮」(磯の宮・琵琶湖の南側)という所に移ります。


なお、三つ子の長男はホノアカリ・ムメヒト(梅仁)というハラ君でハラミ山(蓬莱宮・現富士山)の麓に構えていました。


さて、話がかわり、筑紫(九州)で反乱が起きているので皇子に来るよう要望があり、時の天皇であったニニキネはシノ宮(三男坊のウツキネ)に筑紫の親王になるよう命じます。九州を統率する最高責任者です。


この後、話が飛んでおり、このシノ宮(三男)が兄(長男)のハラの宮(ムメヒト)にあいさつに行き、暇を乞い願いに行っています。

頭の中で辻褄が合わず如何したものか考えあぐんでいましたが、やっと納得できるようになりました。それは、任命されて、筑紫(九州)へ馳せ参じて向かったものの、手に負えず、すごすごと引き下がってきたから、そこの記述が一切触れられていないことを知った

父親に報告する前に、兄のハラ宮(ムメヒト)へ助けを求めに行ったものと分かりました。そこから、兄のムメヒトと一緒に瑞穂の国に居られる天君(ニニキネ)に謁見に行っています。


報告を聞いて、筑紫(九州)での反乱について、食糧不足が原因であるから、解決までには長期間かかると見ています。天皇(ニニキネ)自らが行って解決しなければと判断されます。

紀元前2500年ごろ九州で大戦乱の跡が残っているのはこの時のことかも知れません。背景には、人口増加によるものと考えられ、大陸から大挙して渡来してきた人たちとの間で食料の取り合いでもめていたものと考えられます。そのため、根本解決のため水田開拓に精を出されます。弥生時代の始まりにも結び付きます。


天皇自らが九州へ行くと同時に、二人の息子(この、海幸彦・山幸彦)に北の津(今の敦賀・今回選抜高校野球で優勝した敦賀気比高校の地元)に行くよう命じています。

ここでも、渡来系の人との間でもめ事が起きていたからだと思われます。


この北の津(今の敦賀)で、二人はある日のこと、持ち物を交換しようという話の展開になります(次回に続く)。

(ジョンレノ・ホツマ 2015年4月10日)

 議員の資質


何とも図々しい国会議員がいたものである。選挙区で2度落選し、2度とも比例代表で拾われて復活当選した新人の女性衆議院議員が、体調不良を理由に肝心の衆議院本会議を欠席した挙句、その後も疑問の多い行動をとったというので、所属する政党から除名処分を受けたのに議員は辞めず、これからは無所属で国会活動を続けるという。党は何か弱みでも握られているのか。まったく厚かましい論理であるが、残念ながらこんな場合の国会議員に対する免職ルールはないそうで、党も選挙民もずいぶん舐められたものだ。

 クリーンが建前の政党だからか、地方選挙を控えた重要な時期だからか、彼女を辞めさせる口実を前から考えていたのではと思わせるほど素早く反応して、除籍という最も厳しい決定をした。本来はこんな候補者しか立てられなかった党の体質が責められるべきだが、彼女の能力を最もよく知る元共同代表が本人と一緒に記者会見をして、このような人物を国会に送り込んだ自分の不明を詫び、彼女に潔く身を引くよう勧めたが、本人には馬耳東風、事の重大性をまったく認識していないようなのである。感情表現が率直な元代表は「彼女とはもう2度と会いたくない」といっていたが、その気持はよくわかる。

一体、彼女は誰のおかげで議員になれたのか。「恩義」という言葉を知らないのか。もし、今回の騒動でこの政党に逆風が吹けば、まさに“恩を仇で返す”ことになってしまうが、彼女はそんな言葉の意味すら理解できないのかもしれない。党にしてみれば、この議員が辞めてくれれば、あるいはもう少しマシなのが繰り上げ当選になり、所属議員の数も減らずに済むのにと、つい本音が出そうである。

元代表はよほど頭にきたのか、会見では異例なことだろうが国会議員としての彼女の年収にも言及していた。こんな議員でも諸手当を含めると何と3000万円を超えるそうで、芸能人やスポーツ選手ならいざ知らず、よほどの特技や才能でもない限り、若い女性がそう簡単に手にできる金額ではない。当然のことながら、これはすべて税金である。

今回のことで初めて彼女の名前を知ったくらいだから、これまでも大した活動はしてこなかっただろうし、無所属になればなおのこと、これからも何もできないであろうこんな議員に、毎年3000万円もの血税を使うことが果たして正しいのか。たびたびマスコミを賑わせている国会議員諸氏のお粗末な言動を思うにつけ、選ぶほうが悪いといえばそれまでだが、700人以上いる国会議員という人種のなかには、彼女と同じようにして国会議員になった、政治家としての自覚も資質も持ち合わせない連中も多いのではないだろうか。“税金泥棒”というあまり品の良くない言葉があるが、不勉強でまともに政策も語れない、天下国家も論じられないド素人の彼らこそ、その最たるものかもしれない。

日本の国会議員の歳費は、アメリカやイギリス、ドイツよりも高いらしい。議員定数削減がいわれて久しいがそれもやらず、自分たちの給与は増やしても公共の必要経費は減らすことしか考えない卑しい輩に、とても国家の運営を任せておくことはできない。その意味では私たち有権者も“選良”を見分ける確かな目を養うために、しっかりと勉強する必要がある(かくいう私も以前、ある党に投票してえらい目にあったことがあるが)。

「隗より始めよ」という言葉がある。増税する前に少しでも税金の無駄遣いをなくす方法を考える、その姿勢を見せるのが政治の原点である。東日本大震災のときと同じように、まず議員報酬を大幅に見直し、少しでも国庫に返上するくらいの気概を見せることが彼らにはできないものか。偉大な政治家の最期は、暗殺されるか激務で過労死するかに相場が決まっている。そんな覚悟がなければ、そして高い志がなければ、政治家になってはいけないのではないか。

(本屋学問 2015年4月10日)