例会報告
 第34回「ノホホンの会」報告

2014年5月21日(木)午後3時〜午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:致智望、山勘、高幡童子、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、本屋学問)

今回は、イギリス旅行中の狸吉さん以外、皆さん、元気に出席でした。今回も、健康や食事に関する本の紹介が多かったのは、やはり私たちの世代にとって最大の関心事だからでしょうか。酒もタバコもやらず、運動と規則正しい生活を続けていても病に倒れることもあれば、暴飲暴食、酒にギャンブル漬けでも天寿を全うする人もいます。しかし、理に適った食事と正しい生活をしている人が圧倒的に健康で長生きすることは確かです。

エッセイ「デジタル家電」は、前回不参加だった致智望さんからの発表分です。最近のテレビは音質が悪くなったというのは興味深い話です。「言葉が違えば…」のように、色に対する感受性が人種によって違うという話も面白いですね。イタリア人の赤色に対する繊細さは、日本人以上だと聞いたことがあります。そういえば、フランスの「ラコステ」の赤色のポロシャツの種類は半端じゃありません。

8月は例年夏休みとしているので、7月例会後にささやかな暑気払いを計画しています。次回に、全員参加の日時を選びたいと考えています。また恵比寿っさんにご面倒をおかけしそうですが、何卒よろしくお願いいたします。


(今月の書感)

「炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限からみた生命の科学」(恵比寿っさん)/「原始人食が病気を治す ヒトの遺伝子に適合した物だけ食べよう」(ジョンレノ・ホツマ)/「日本を嵌める人々」(致智望)/「言語が違えば、世界も違って見えるわけ」(山勘)

(今月のネットエッセイ)

「Suicaカードの怪」(本屋学問)/「ちかごろテレビのナレーション」(山勘)/「デジタル家電」(致智望)


(事務局)

 書 感

炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限からみた生命の科学/夏井睦(光文社新書 2013年10月20日発行、14年1月25日7刷発行 本体880円)


著者プロフィール

57年秋田生まれ。東北大学医学部卒業。練馬光が丘病院「傷の治療センター長」。消毒とガーゼによる治療撲滅を掲げて「新しい創傷治療」サイトを開設(01年)。

湿潤療法の創始者として、傷治療の現場を変えるべく、発信を続けている。趣味はピアノ演奏。

著書に「傷はぜったい消毒するな」(光文社新書)、「キズ・ヤケドは消毒してはいけない」(主婦の友社)、「さらば消毒とガーゼ」(春秋社)、「これからの創傷治療」(医学書院)、「創傷治療の常識非常識」(三輪書店)、「ドクター夏井の熱傷治療『裏』マニュアル」(三輪書店)など。

目次

はじめに

 やってみてわかった糖質制限の威力

Ⅱ 糖質制限の基礎知識

Ⅲ 糖質制限にかかわるさまざまな問題

Ⅳ 糖質セイゲニスト、かく語りき

Ⅴ 糖質制限すると見えてくるもの

(1)糖質は栄養素なのか?

(2)こんなにおかしな糖尿病治療

(3)穀物生産と、家畜と、糖質問題

(4)食事と糖質、労働と糖質の関係

Ⅵ 浮かび上がる「食物のカロリー数」をめぐる諸問題

(1)世にも怪しい「カロリー」という概念

(2)哺乳類はどのようにエネルギーを得ているのか

(3)低栄養状態で生きる動物のナゾ

(4)「母乳と細菌」鉄壁の関係

(5)哺乳類はなぜ、哺乳を始めたのか

(6)皮膚腺がつないだ命の連鎖

Ⅶ ブドウ糖から見えてくる生命体の進化と諸相

(1)ブドウ糖――じつは効率の悪い栄養

(2)エネルギー源の変化は地球の進化とともに

Ⅷ 糖質から見た農耕の起源

(1)穀物とは何か

(2)定住生活と言う大きなハードル

(3)肉食・雑食から穀物中心の食へ

(4)穀物栽培への強烈なインセンティブ

(5)穀物に支配された人間たち

あとがき



書名を見た時に、これがダイエットを始めるきっかけになることは夢にも思わなかった。ただ、タイトルからカルチャーショックが生まれる何かを訴えたいのだな、と感じ予約した(図書館へ)ら、両図書館とも≒30人待ち。

「50歳からは炭水化物をやめなさい」(致智望さん 1月書感 その後私も読んだ)とも関連ありそうだと3か月待ったが、期待通り大変興味を引いた1冊となった。

 最近になって、体重が2kg増え、ウエストが2cm増えたので、パンツの購入は一回り上のサイズを購入せねばならなくなったときにはショック。すべてのパンツを買い替えなければならなくなると、経済的にもぞっとするからである。

 年上のある友人は、≒3年前にダイエットに成功した(半年で80kgが△10kg)が、その成功要因は「糖質制限」であったことも、私を取り組むつもりにさせた(医者の処方が糖質制限だったそうで、ダイエットと言う意味では著者が先駆者ではない)。

 とは言っても、始めたばかりでまだ効果は出て来ていない。実際に著者(70kgから半年で10kgの減)ほど極端に糖質を断つことは無理(*1)なので、徐々に効果が出てくれれば(パンツを買い変えないで済めば)私には十分なのである。

 書感で無くなってしまったが、続けます。

今のダイエットへの取り組みは①朝食から糖質を無くす=トースト1枚にチーズ1枚からチーズだけにし、その他は変えない(トマトジュース、牛乳、ヨーグルトにゴマ、プルーン、天然ブルーベリージャム少々)とする。時々バナナも付けたがこれも撤廃する。②昼食は(今は)外食なので、極力炭水化物の少ない食事を選ぶ。空腹に耐えられなくなる筈なので、それに備えてキャビネットにはベビーチーズの常備。③夕食時もご飯は食べない(たまには食べる)。晩酌は赤ワイン1杯に限定。半年先が楽しみだ。

著書は、一言で言えば、運動もせず、昼食を抜き、糖質を食べず、日本酒は止めたが蒸留酒は今までと同じに飲み、たんぱく質・脂質も十分に取り、5か月で△10kg、血圧や中性脂肪・LDLコレステロールも正常値に戻ったというものです。そして、何故そう言うことになるのか、人類や動物の進化や食物環境への対応の歴史から、糖質がなくても人類には影響ないことやむしろ糖質の無いことが健康に取って必要なことだと言う内容です。そして、現在の医学の常識(血液中の中性脂肪を減らすには脂肪と摂取カロリーを減らす)への疑問を投じている。全体的に科学的な論調であることも説得力を持っている。


著者は使い回しのテーマで外科治療の類似本をたくさん出しているが、今回のような大上段に構えたタイトルではなく、「究極の誰でも出来るダイエット」というタイトルにすればミリオンセラー間違いないと感じた次第。


*1:家内は糖質も必須の栄養素という立場でぶつかること必至。今の私の健康は家内の料理の賜物なので真向からの喧嘩は出来ない、私の弱い立場も考慮してのダイエットへの取り組みとなる。今回の私の取り組みでも「ほどほどに」とくぎを刺されている。

(恵比寿っさん 2014年5月14日)

 原始人食が病気を治す ヒトの遺伝子に適合した物だけ食べよう/崎谷博征(マキノ出版2013年3月発行 本体1,333円)


著者は、脳神経外科専門医で、2012年、みどりの杜城南クリニック(熊本市)を開業し、ガンや難病の患者さんの在宅診療中心に従事し、また、崎谷研究所を設立し、全国5000人に及ぶ難病の方々の治療を指導する。現在、米国の精神神経免疫学屋原始人食(ナチュラル・バレオダイエット)を研究、生活習慣の改善による自然治療、及び土壌からの健康改善の活動に力を注いでいる。と、紹介しています。


記述内容が、現在までいろいろ実践してきた健康法の食生活を否定することにもなり、普通に健康に気を付けて食生活をしてきた人にとって、直ちに認めるわけにはいかないというのが、最初に読んだ時点での感想でした。

私の家庭でも、玄米食や、マクロビオテックという健康食などもトライしたこともありましたが、効果より面倒くさいだけでやめてしまった経緯があります。


一見、本書の過激とも思える内容は、今までの食生活の延長線上で考えると、食材の入手も含めて食べるものがなく、何を食べればよいのだ?という反発も生じるかも知れません。


我が家でも、いきなり完璧を目指さず、少しずつ時間をかけて、できるところから実践してみた結果、最初に本書を読み始めてから一年経ち、今では体質も改善されつつあることが実感できるようになり、手元に置いておくべき一冊だと思うようになった次第です。

病気がちの人や、薬に頼っていることを気にしている人、健康について悩んでいる人にとっては、本書の内容の世界があるということを知るだけでも、一読する価値はあると思うようになりました。その結果、テレビの健康番組も裏が見えてしまい、白々しく感じるようになり、最近ではほとんど見ることもなくなりました。


本書の内容については、あまりにも多岐にわたっているので、気になった、絶対食べてはいけない小麦(グルテン)を取り上げてみます。


小麦がいけないのは、当初は、アメリカでの遺伝子組み換え食品だからダメだという認識でしたが、それ以前の小麦に含まれているグルテンに問題があることを知りました。グルテンがリーキーガットなるものを引き起こしているからです。


通常は、消化された食物分子は腸壁から栄養素として吸収されますが、腸内細菌叢と呼ばれるものが変化し、腸の粘膜が薄くなったり、もしくは穴が開くこと(リーキーガット)で、大きな分子・未消化のたんぱく質、細菌やウイルスなどの異物が腸の壁から漏れて体内に入り、異物として認識され、異物に対する抗体反応・アレルギー反応を引き起こすことになります。


このリーキーガット(L G S, Leaky Gut Syndrome・腸管壁浸漏病侯群)による症状を、人の遺伝子に適合していない現代食に問題があると著者は警告しています。


アレルギー体質の児童の問題が増えてきているのも、乳幼児の早い時期の離乳食によって、腸が完全に発育していない状態でのリーキーガットによる症状が出ている。以前、イギリスで人に感染する狂牛病が発生したのも、元はと言えば、腸の粘膜が未発達の赤ちゃん牛に肉骨粉というたんぱく質を与えたことにより、リーキーガットの状態になったことが原因で脳に慢性炎症を起こすに至ったそうです。


例えば、草食動物が遺伝子的に穀物や肉類を食べるようには適応していないのと同じで、現代人も、自分たちの遺伝子に適合していない食事をするようになって何が起こっているのか、このリーキーガットなるものに原因があると納得しました。


その他、以下に主な項目のみ抜き出してみます。


異物の多くは腸から吸収される。

牛乳・乳製品に対する警告 なぜ、牛乳を飲むと下痢をするのか

菜食主義の問題点

玄米やミネラルの吸収を

菜食は免疫力を低下させる

玄米・菜食やマクロビオに科学的根拠なし

野菜は無農薬・減農薬のものを

日本の発酵食品を活用しよう

白米は副食として一日一杯

加工食品は要注意

推奨する食品……

控える食品……

絶対に食べてはいけない食品・・グルテン(小麦に含まれている)


慢性病の原因は、遺伝子に合わない食事がリーキーガットを引き起こし、いろいろな症状に現れている可能性があることを認識するきっかけになればと思いました。



尚、我が家では、小麦粉の代わりに、米粉を使っています。

(ジョンレノ・ホツマ 2014年5月15日)

日本を嵌める人々/渡辺昇一 潮匡人 八木秀次(PHP研究所 本体1,600円)

                                                          

 本書は、右傾論客で有名な3人の対談形式によるもので、我々が知るところの日本を取り巻く諸問題に関わった人達を遡上にあげ、その動言が国益にそぐわなかった人達を事実をもって指弾している。

巻末の「鼎談を終えて」の項では、指弾された人々からの反論を受けて立つと明記していて、本書にて国賊とまで指弾された人々は堂々と反論すべきと思うのであるが、反論の実態は有ったのであろうか。

日本にとって不利益をもたらす問題として、「尖閣、竹島問題」「従軍婦問題」「憲法問題」「原発問題」「戦後レジーム」と言う切り口から述べられている。この中で、原発問題については、著者たちの考えに100%賛成し兼ねる点はあるものの、全般として大いに賛同するものであった。

本書の開口一番、鳩山由紀夫を国賊と言い切っている。かれの悪行は我々の知るものだけで充分に理解出来るものだが、本書内では知らない事実も克明に述べられていて、ただただ唖然とするのである。彼は、逮捕するに値する人物であるが、日本国憲法では出来ないと言う。だからパスポートを取り上げ、無効にしてしまうのが良いと言う。その結果、かれは今話題のスノーデンと同じ様にモスクワで足止めされ何処にも行けなくなるのと同じ状態にしてしまえと言うのだ。鳩山には、「友愛」と言う言葉の奥に潜む不潔な背信が有ると言う、まさしく、裏切者が揚げる理念として、相応しい言葉と言う。

ここでは、尖閣問題も論じられていて野中広務の尖閣棚上げ合意問題に付いても、野中の言う様な事はあり得ない話と言う。田中角栄のこの時代、野中は一介の京都府議であり、その様な重要事項を耳打ちされるような関係は無かった筈と言う。この野中にしろ、加藤紘一にしろ、自民党に怨念を持つ者の妄言を信じて、マスコミの特異な話題のとり上げ方を危惧している。

従軍慰安婦問題についての河野洋平発言とか、村山発言と言うのは実際に有ったと本書では明記されている。その事実に従って、事件が進行して来たと言う事実を改めて知るに及んで、一体この人達は何を目的に日本国の運営を行って来たのか、事実とすれば大変な小物政治家であり、それこそ、異論があるなら公の場で事実を述べて貰いたいし、韓国政治家が執拗に迫るのも、残念ながらなるほどと言う事になってしまう。

本書では、今我々日本国が遭遇する事件に焦点を当てて、ここに関わった人達を「嵌める人々」として指弾しているが、「それは、作り話でしょう」と言いたいような事柄が次々と出てくるので、読み続けていると気持ちが悪くなるのである。本書感にてその事実を列挙するのは目的では無いので、本書をお読み頂くことをお勧めする。

(致智望 2014年5月17日)

 
 言語が違えば、世界も違って見えるわけ(ガイ・ドイッチャー著・椋田直子訳 インターシフト刊 2400円+税)


著者は気鋭の言語学者。本書のタイトルは、いかにもくだけた調子だが、内容は相当に歯ごたえがある。第Ⅰ部は、古代ギリシャにはじまる色彩の知覚と色名獲得の歴史が中心である。ことの始まりは英国の下院議員グラッドストンが1858年に発表した、古代ギリシャの吟遊詩人ホメロスに関する研究書の中で、ホメロスの長大な叙事詩に出てくる色彩の描写は白、黒、赤に限られ、色の表現方法がおかしいことを指摘したことだ。例えば海の表現では葡萄酒色の海(ワイン・ダーク・シー)としており、「青」の視覚が欠落していた。

これを契機に異なる分野の学者、研究者が参加して色彩研究が進むことになった。その中で、ホメロスの時代には感応性の程度がようやく黄色あたりに達したところだったことが認識され、色の知覚は異言語、異民族の間でも、黒白、赤、黄または緑、青の順で歴史的に知覚されていったことなどが分かってきた。

第Ⅱ部では、言語の違いからくる、時間、地理、方位などに対する感覚の違いや、男性名詞、女性名詞など言語上の性別思考について考察している。

面白いのは、場所や方向の説明や指示では、一般的には、近くの場合は前後左右、広域になると東西南北など「自己中心座標」を使うが、オーストラリア先住民のグーグ・イミディル語には1980年代まで、前後左右を示す単語がなかったという。方向を示すのは東西南北の自己不在の「地理座標」だった。隣に座る人間にも「少し東へ動いてくれ」、忘れ物の説明では「北のテーブルの南の端に載せてきた」となる。彼らは「絶対方位感覚」を持っていた。

そうした“孤立部族”だけでなく、ヨーロッパ言語にもかなりの差異がある例として、“ジェンダー”の違いを考察する。ジェンダーの本来の意味は「タイプ」「種類」「種」だったが、時代が下がって男性、女性の意味が強まり20世紀には単なる「性」の婉曲表現になった。

ドイツ語では、なぜかナイフは中性で、男らしいスプーンに女らしいフォークが寄り添うが、スペイン語では低音のフォークが男らしく、曲線美のスプーンが女だ。

しかし本書の筆者はジェンダーの差異や混乱ぶりを指摘しながらもジェンダーを否定しない。母語の英語で、飛んでいる蜂が「彼女」で蝶が「彼」で「彼女」の歩道から「彼」の車道に降りるから楽しいのだと言う。

最終章ではグラッドストンのホメロス研究にはじまる色彩知覚研究に立ち返り、色彩知覚の違いをもたらした原因は言語の違いが原因だったという大筋の研究過程に疑問符をつけながら考察する。今日では、目の解剖学的仕組みは過去数千年まったく変化していないとされるが、それにもかかわらず、私たちのより洗練された色彩に関する語彙が心的習慣を植え付けた結果、私たちは色の微妙な区別に敏感になったのかもしれないと言う。

言語学的には、民族・種族間の認知的差異を解剖学的に説明しようとしたが、この2世紀の間にそうした解剖学的差異から文化的差異の説明に重点が移ってきた。19世紀には、人種間の遺伝的心的能力や生物学的不平等によって成し遂げた仕事の差異をもたらした。しかし認知能力に関する限り人類は基本的に平等だということが認められたことを20世紀の輝かしい成果とする。

本書の文末は、21世紀の私たちは文化的習慣によって、とりわけ異なる言語を話すことによって身についた思考方法の違いを正しく認識しはじめている、と結ばれている。

(山勘 2014年5月19日)

 エッセイ 

デジタル家電


最近、通信会社のスマホ販売費が1兆円を超えたと言う。この販売費と言うのは、スマホの安売り損金の事であり、その損金は、利用者の通信料によって賄われる仕組みである。中国のスマホは安売り競争が激化し、1万円を切るものもあると言う、価格は日本の様な販売促進費を含むものではなく、利用者の買い取り価格である。昨日まで靴メーカーだった者が急にスマホメーカーに変身した業者が、安売りを加速していると言う。

ハイテク商品たるスマホが、雑貨に落ちてしまった。これは、チップセットメーカーが大量販売の為に機構図まで付けて販売しているから、資本さえあれば誰でも参入出来ると言うことである。中国の通信会社はどうなっているのだろう。誰が作ったものでも、使用可能と言う事なのだろうか、安ければ昨日出来た会社からでも機器の認定がされて使用する事が出来ると言うことなのだろう、日本では考えられない事である。

我々が中国企業と仕事をしていた当時、相手に電話をかけるのに数時間待たされたのを記憶している。其れもそんなに遠い昔の事ではない、クロスバー交換機による通信網の時代を一気に飛ばして、デジタル通信方式が導入されて、通信インフラは劇的に安価になったこのあたりの途上国事情が有っての事で、我々先進国とは別次元の事情があるのだろう。

当時、中国の工員の家庭にもフラットTVが有ったが、日本では裕福な家庭でないとこのフラットTVは無かった。当社の社員でもフラットTVを持っている者は少なかった。それと言うのも、彼らはブラウン管TVの時代を飛ばして、いきなりフラットTVの時代に入ったからである。そのフラットTVもデジタル化のお蔭で今ではキット化し、誰でも作れるようになった為に、TV受像機のブランドの存在価値は無くなった。

最近4Kとか8K-TVと言うのが話題になっている。4K-TVと言うのは名古屋万博の時スパーハイビジョンと言ってNHKが初めて会場にて実用化し、ディスプレーしていた。それから、さらに発展して現在では8K-TV へと進化しつつある。当時、NHKがこの4K-TVの実用化に向けて開発を行ったが、この開発に大手家電メーカーはおおむね非協力的であり、中小企業が熱心に協力していた。そして、今、TV放送のデジタル化が終わって、一息ついたところと言うのが、放送各社の現状で有ろう。そこに、追い討ちをかけるがごとく、4K-TV放送と言うのは関係業界化にとって、大変な話である事と思う。それでも、家電業界大手の強力なプッシュにあって、実験放送へのスケジュールがなされていると言う。

今、これと言った家電商品が無いからと言って、4K-TVの本放送を行う事は、放送業界や中小の機器開発メーカーにとっては、2020年に向けた8K-TVの開発完成を待ってスタートしたいと言うのが本音のようだ。今、4K-TVの放送を急いでも、結局途上国を利する結果になり、過去の轍を踏む事になると心配している。新日鉄を助ける為にオリンピックを開催すると言う理屈が、真しやかに囁かれているのも、これと同じ理屈に見えてならない。

4K-TVの放送がオリンピックを待たずして始まる、そして、オリンピックを目指して8K-TV放送を始めると言うストーリーのようだが、そんな事ではオリンピック後の不況が囁かれても不思議でない、加えて、技術先進国として浮かばれない存在に再度陥ることは想像に難く無い。経済発展に対する「哲学」が無いのでは。

(致智望 2014年3月6日)

 Suicaカードの怪


 勤務時間が自由な出版社に勤めていたので、自慢にもならないが通勤ラッシュを経験したことがない。とくに編集部は、出社が早くても昼前、前夜飲みすぎたら午後出勤が当たり前という、まだ懐かしい習慣が残っていた。そんな会社を辞めて自分で仕事を始めたが、今度は外出に車を使うことが多いので、相変わらず電車もラッシュもあまり縁がない。

 先日、私が電車に乗るといったら、これを使えといって妻からSuicaカードを渡された。消費税が上がって、切符よりもカードのほうが割安らしい。実は私はこのカードを使ったことがないのだが、我が家の経理担当重役の言葉には逆らえない。そして、残額が少ないので駅の券売機で“チャージ”して、しかも万が一落としたときに勿体ないから金額は1,000円だと指示も細かい。

教わったとおりに慣れない券売機を操作して、どうにかチャージした。領収書を受け取るようにともいわれていたが、何しろ初めてのSuicaカード体験である。“チャージが完了しました”という音声と同時にカードが戻ってきたので、ホッとして領収書を貰うのをすっかり忘れてしまったが、思えばそれがこれから始まる騒動の予兆だったのかもしれない。

JR恵比寿駅改札口のセンサに恐る恐るカードをかざすと、バタンとゲートが開いた。前方の表示パネルには残額が出るようだ。ともかく無事に入場できて電車で新宿まで行き、再びカードで改札口を出た。もちろん、ちゃんと通ることができたが、後でわかったことだがどうもこのときに何かが起こっていたらしい。

仕事を終えて、またカードを新宿駅の改札口のセンサに置くと、今度は何回やってもアラームが鳴り、ランプが赤く点いてゲートが開かないのである。5回、6回…、後ろに続く人は明らかに迷惑そうな表情である。一体何が起こったのか、私にはさっぱりわからない。

改札口を片っ端から回っては、1,000円でチャージしたばかりのカードでタッチしまくったが、どこも開いてくれない。それに、こんなときに限ってあんなに広い新宿駅に駅員の姿がほとんどなく、駆け込む窓口もわからない。

少し気持を落ち着かせてから、出がけに妻が教えてくれたように内容を確認してみようと券売機にカードを入れて「残額表示」を押すと、何と「残額は0円」と出るではないか。 “我が目を疑う”とはまさにこのことだ。

待てよ、ひょっとしてチャージされていなかったのか。領収書を受け取っておけばよかった。それとも、仕事の後に立ち寄った中古CDショップで、盗難防止用ゲートを通るときにカードのデータが消えてしまったか。でも、そんなことはとても妻にいえない。いろんな想像が頭のなかを駆け巡り、ほとんどパニックになっていた。とんだSuicaデビューの日になったものである。

仕方がないので帰りは切符を買い、何とか恵比寿駅に戻った。そして、駅員がいる改札口に行って切符を渡しながら、「Suicaカードのデータが消えることはないか」と聞いてみた。駅員は「聞いたことがない」と答え、事情を話すと外の券売機で確かめてくださいという。私が新宿駅でやってみたといっても、駅員は券売機でお願いしますの一点張りだ。そこでも同じように試したが、やはり残額がない。また駅員のところに戻って改めて事の顛末を話し、こちらの端末で確認してもらえないかと頼むと、駅員はやっと私のカードを受け取り、パソコンの画面を見ながら意外なことをいった。

「確かに1,000円ほど残額がありますが、新宿駅から出ていないことになっています」

えっ、そんな馬鹿な、と思ったが気を取り直し、改札口のゲートは確かに開いたこと、アラームも鳴らなかったことを説明すると、その駅員は「乗客が続いて通ると前の人のデータが残っていて、たまにそんなことがあります」と平然といったものである。まさか、私の運賃を前の人が払ったなんてことはないだろうが、とにかくカードの履歴を新宿駅で降りたことに書き換えてもらい問題は解決した。それにしてもSuicaカードを毎日使う人は、たまにはこんなスリリングな体験をしているのだろうか。

そこで提案である。私のようなSuica初心者のためにも、たまにはあるトラブルなら駅員はもっと親切に応対してほしい。それに、機械にエラーは付き物だが、「あなたは改札を通っていません」ならまだしも、吉本新喜劇じゃあるまいし「残額は0円」はちょっとギャグがキツ過ぎないか。もう少し気の利いた、わかりやすいメッセージを考えてもらいたいものである。

(本屋学問 2014年5月7日)

ちかごろテレビのナレーション


読売新聞のテレビ・ラジオ欄に、視聴者の声を紹介する「放送塔から」というコラムがある。4月20日の同欄に「美輪明宏の語りに賛否」が載った。美輪はNHK連続テレビ小説「花子とアン」のナレーションをやっている。

物語はモンゴメリーの小説「赤毛のアン」の日本語版である。取り上げられた視聴者の声にもあるように、アンの生家となる貧しい農家の屋内セットや家族の暮らしぶりは印象的で、特に高齢の視聴者にとっては体験につながり既視感があって懐かしい。

ところで美輪の語りだが、「独特な発声で聞きづらい」など、聞き取りにくいという声が相次いでいるという。ただし一方では、「変幻自在でドラマチックな語りは、さすがだ」と評価する声もあるという。

そこでこの欄の担当記者(基)氏は、『大河ドラマ「軍師官兵衛」もそうだった。局のアナウンサーによる語りと違い、“演技付きナレーション”は、いつも賛否が割れる』と、間を取ったように話を結んでいる。

たしかに美輪の語りには賛否両論あるだろうが、言ってみれば賛否両論あること自体、美輪の“演技付きナレーション”が視聴者の神経を刺激しているということになるのではないか。正直なところ美輪の語りは「私が主役よ」とでも言いたげに押し付けがましく耳障りだ。

また(基)氏は、「局のアナウンサーによる語りと違い」と言っているが、局のアナウンサーも近ごろおかしいのが増えてきているように思う。若いアナウンサーの甲高い声に耐え切れずチャンネルを回したり切ったりすることが多くなった。例えば比較的いい番組を見終わって、うっかりテレビを消し忘れたり、チャンネルの切り替えを忘れていると、いつの間にか若い衆が寄り集まって声高に喋りまくりバカ笑いする番組に切り替わっていることが多くなった。

だいぶ昔、当時NHKのベテランアナウンサーで、いつのころからか“語りの加賀美”と呼ばれた加賀美幸子さんが、以前のNHK新人アナウンサーは落ち着いた低音で話すように新人研修で訓練されたと話していたのを聞いた覚えがある。今どきはそんな研修もあまりやらないのか、発音のキーが高くなり早口になり、聞きずらくなった。NHKも民放も、脳天から声を出すようなしゃべり方をするアナウンサーが増えてきた。

男子アナは歌番組や娯楽番組などで張り切りすぎてハシャギ過ぎ、女子アナはあらゆる番組で中学生か女子高校生のように甲高く生硬な発声をするのが増えた。たとえば天気予報。少し鼻にかかった甘い声だがソフトで聞きやすいNHKのあのアナウンサー氏は別として、甲高い天気予報が増えた。なんで日常の天気予報で甲高い語りをする必要があるのか。

美輪の語りに話を戻すと、例えば、相当の高齢者なら懐かしく思い出すであろう戦前の無声映画の弁士なら、主役然としてクセのある語り口でパフォーマンスを演じるのもよかろうが、今時の映像が主役のドラマでそれをやられたらたまらない。たまにお目にかかる良いドラマなのに、語り手美輪の震えを帯びた声と同時にあの顔がぬっと出てくるような雰囲気のナレーションでは、ドラマの感興を削ぐのではなかろうか。

根本的にテレビマンは、視覚に訴えるテレビは活字と違って余韻、惻隠など、脳内で温める情感を削ぎ落とす恐れの強いことを忘れずに自戒すべきではないか。

(山勘 2014年5月19日)