例会報告
 第31回「ノホホンの会」報告

2014年2月19日(水)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議
室、参加者:致智望、山勘、高幡童子、恵比寿っさん、ジョンレノ・ホツマ、本屋学
問)

 狸吉さんが引き続き所用で欠席でしたが、危ぶまれた雪の影響もなく予定通り開催できました。今回も病気や健康に関する本の紹介が続き、相変わらず関心の高さを物語っています。とにかく、“今”をどれだけ有意義に、しかも元気に楽しく生きるか、その極意は、今回紹介の本にあるような生活のバランス、そして本会のように自由な雰囲気で存分に論じ合い、頭脳を活性化させ、さらにアフターの楽しい飲み会、カラオケ?に尽きるような気がします。「ハチミツの会議」のハチの行動については人間社会でもいろいろ思い当たる議論が出て、本会の存在意義を再確認しました。そして、前会長の亡き六甲颪さんを偲んだ追悼文集からのエッセイ「人を知ることの難しさ」で、皆さん、それぞれに故人への思い出を語ることができました。改めてご冥福を祈ります。

桜の季節の4月例会の後は、久しぶりに花見の会と洒落込むのも一興かと存じます。

(今月の書感)

「日本のテロリスト」(本屋学問)/「病気が治る鼻うがい健康法」(恵比寿っさん)/「病気が逃げ出す生き方」(致智望)/「ミツバチの会議」(高幡童子)


(今月のネットエッセイ)

「『脱原発』の理想と現実」(山勘)/「『人を知る』ことの難しさ」(山勘)/「天照神」(ジョンレノ・ホツマ)

(事務局)


 書 感
 

日本のテロリスト/室伏哲郎(潮出版社 1986年1月 定価560円)


本書は1964年に同じ題名で弘文堂から出され、その後大幅に加筆、訂正、削除して出版社を替え復刊された。

明治以来、近代国家として発展してきた日本は、同時に歴代天皇に対する暗殺未遂事件を始め15人以上の首相が襲撃され、多くの要人暗殺やクーデター事件を現出した一大テロ国家の歴史を歩んできたことに愕然とする。旧制第一高等学校の寮歌「嗚呼玉杯」に、“行途を拒むものあらば 斬りて捨つるに何かある”という歌詞がある。明治維新から30余年、新しい日本を担う学生たちが口ずさむには穏やかではないが、これも時代を反映していたのだろうか。


明治から敗戦までの軍国主義的絶対天皇制時代は、明治新政府への不平分子による反抗、財閥と癒着した腐敗政党政治に対する反民主主義右翼テロ、植民地や被圧迫民族の宗主国への反逆など、元首や政府首脳、高官、財界人などが集中的にテロの対象になった。一方で、社会主義者や無政府主義者は狂信的な一部の国家権力によっても弾圧された。戦後、平和憲法と日米安保条約体制下で高度経済成長を実現した日本社会は、“維新幻想”による右翼や新右翼の実力行使が封じられ、一人一殺的な暗殺がなくなったのに対して、“文明病”ともいえる左翼や新左翼、過激派による集団テロが生まれたと著者は分析している。


職業上、テロの最大の受難者であった政治家や大臣では、暗殺未遂を含めて大村益次郎、岩倉具視、西郷隆盛、大久保利通、板垣退助、森有礼、大隈重信、星亨、伊藤博文、原敬、田中義一、浜口雄幸、井上準之助、犬養毅、斉藤実、高橋是清、鈴木貫太郎、近衛文麿、平沼騏一郎、東条英機など、戦後では吉田茂、鳩山一郎、岸信介、浅沼稲次郎、池田勇人、河上丈太郎などがいる。田中、斎藤、鈴木、東条は軍人政治家でもあった。


 1909年10月、満州のハルビン駅頭で暗殺された伊藤博文は、それ以前に2度暗殺されかかったことがあるが、伊藤は若い頃、国学者塙保己一の子で天皇制廃止論を唱えた塙次郎の殺害や、江戸幕府の高級官僚だった宇野某の暗殺、品川御殿山の外国公使館焼討ち事件などに直接かかわったとされ、当時は札付きの乱暴者だった。


孝明天皇を暗殺したという噂がある岩倉具視も1874年1月、東京・赤坂で征韓論者に襲われ、負傷した。薩摩で親友どうしだった大久保利通と西郷隆盛も、血気盛んな時期は反対派へのテロに明け暮れたが、最後に大久保は征韓論で西郷と袂を分かち、1878年5月に西郷の信奉者によって斬殺された。まさに因果は巡るのかもしれない。


学者や思想家では、天皇もその理解者だったという天皇機関説の美濃部達吉、共産主義者の河合義虎、徳田球一や野坂参三などが反対派の狂気テロに見舞われたが、社会活動家の平沢計七や大杉栄、作家の小林多喜二など、国家テロによって理不尽に虐殺されたケースも多い。


政治ゴロの寄付を断って命を落とした安田善次郎、財閥寡占への反感などから團琢磨、渋沢栄一、正力松太郎らの財界人や実業家も標的になった。政府転覆を企て、とくに團や井上を暗殺した血盟団は、首領に宗教家を頂いたことやメンバーに東大生や京大生が含まれていたことなど、オウム真理教事件と似た構図であったことを知った。


本書は、あさま山荘事件、テルアビブ空港乱射事件、連続企業爆破事件、日本赤軍によるハイジャック事件など、戦後教育を受けた若い人たちが引き起こしたさまざまなテロにも言及しているが、こうした浅薄な“革命幻想”が後世に負の歴史以外何も残さなかったことは確かである。


著者は、テロリストたちの動機や心理、出自や生育環境まで克明に画いているが、彼らの主張や心情を真に理解することはなかなか難しい。常人にすれば、個人的な恨みや不満をなぜ国家転覆といった極端な社会問題にまで昇華できるのか、その心理的プロセスが知りたくなる。まさに精神医学分野の普遍的なテーマなのかもしれない。


最後に興味深い記述をひとつ。5・15事件、2・26事件は戦前の軍事クーデターとして知られるが、1961年の「三無事件」は、金権政治打倒、対米追従外交打破、共産主義化阻止を掲げ、無税、無失業、無戦争の“三無”を目指して旧軍人を中心に自衛隊の一部を巻き込み、当時の池田内閣政府の転覆を狙った軍事クーデター未遂事件である。著者の調査によれば、実際に数名の自衛隊幹部が事件発覚後に異動させられたという。


 20年後の1981年10月、テレビ朝日の主婦番組の司会をしていた著者は、陸上自衛官を名乗る青年から、前年の1980年6月に習志野第一空挺団約2,000人が国会や首相官邸、各党本部、主要マスコミなどを占拠制圧するクーデター計画があったという話を聞かされる。その荒唐無稽な内容にもかかわらず、著者は長年多数の人間を取材してきた経験と勘からある種のリアリティを感じ取り、出版化を考えるが、脱稿寸前に衆議院予算委員会で楢崎弥之助議員がこのクーデター計画について爆弾質問を行なった。

防衛庁(当時)はその計画書はまったくの偽物と全面否定したが、著者は内容のかなりの部分が以前に自衛官から聞いた計画と酷似していることに驚いたという。時代は中曽根内閣の軍拡ムードの最中、自衛隊に関する不利な情報は抹殺される傾向にあり、知人の防衛庁関係ジャーナリストからは、これ以上その問題に深入りしないよう忠告されたそうだ。2年後、著者は原稿に大幅に手を入れて「1993年秋・日本クーデター」を出版するが、自衛隊の朝雲新聞社がこの本の広告掲載を拒否したという事実を、著者は決して忘れないと書いている。

 先進民主主義国家の原則は、徹底した「シビリアン・コントロール」(文民統制)である。現状では在日米軍の存在もあり、自衛隊によるクーデターの可能性はまずないだろうが、日本は再び軍国主義の歪んだ轍を踏んではならない。テロが付け入る隙を与えてはならない。そのため国家には、常に卓抜した高度な立法、行政、外交能力が求められている。


(本屋学問 2014年2月9日)

 

病気が逃げ出す生き方/安保徹・石原結實(講談社)


著者の安保 徹は、東北大学医学部卒、米国アラバマ大学留学中に数々の大発見で世界を驚かせている、現在は新潟大学教授で免疫学の権威者。そして、石原結實は長崎大学医学部卒の医学博士、長寿研究の権威者でイシハラクリニックの医院長を務める。


両者に共通するのは、ともに西洋医学を極めて博士号を取得しているのだが、東洋医学の合理性を説き、西洋医学の矛盾を厳しく追及している事である。


本書は、下記の5章からなっており、それぞれの章が単品メニューの構成で、どちらかと言うと理論的に納得させつつもハウツー的タッチで書かれており、健康に関する座右の書としたい書である。


本書は下記の5章から構成される。

病気になる生き方とは

医学の常識は健康の非常識

間違いだらけの健康ブーム

病気が逃げ出す食事法

病気が逃げ出す生活法


第1章は、「病気になる生き方とは」である。食べ過ぎが招く現代人の病気、ストレスは万病の元、糖尿病はストレスが原因、など16の項目が述べられている。そのなかで、私が特に興味を引いた事は、「発熱は、体の修復を行っている証拠」の項だった。その一部を紹介すると、「西洋医学は熱を病気と考えて、抑えようとする。しかし、東洋医学では、熱は体が怪我や病気を修復しようとしているために発生するものと考えられている。


たしかに、熱を抑えると体は一時的にらくになる。東洋医学的に言うと、体のなかの悪いものが皮膚を通して外に出て、血をきれいにしようとしている反応なわけで、西洋医学では抑える方向に対処するが、東洋医学では出させる方向に対処すると言う。この様に、東洋医学の妥当性を全編に渡って記されている。


第2章は、「医学の常識は健康の非常識」である。「医者も医療費も増えているのに病気が減らないふしぎ」、など19項目の事柄が書かれている。例として、この冒頭の部分を記してみる。医学では、新しい発見をしても、それは新しい分野が出来ることで、どんどん細分化が進んで行く。結局、人々を健康にするためと言う本来の目的を忘れてしまい、医者自身が何をしたいのかわからない状態に陥っていると言う。近年よく医者を訴えるようになった。一生懸命やっているのに、訴えられる。これは「医療不信」と言うより「西洋医学に対する不信」が原因なのではないだろうか。加えて、病院での院内感染などもあって「医療不信」が増幅すると言う。ここでは、医療行為によってかえつて健康を害しているひとたちの例などが記されている。

特に、癌治療にたいする批判は大いに参考になった。もし私が癌を宣告されたら、石原先生を訪ねたいと思うに至った。

今の医学は簡単に言うと対症療法であり、西洋医学には哲学が足りないというくだりは、ショックを受けたが、本書の全編にこの考え方が基調になっている。


第3章は、「間違いだらけの健康ブーム」である。減塩ブームで増加する脳卒中や心筋梗塞、塩分の過度な制限でガンが発生、など18の項目が述べられている。この章の全編で述べられている基調は、交感神経と副交感神経のバランス、免疫力の回復、を重要ポイントとして述べられており、適度な体温を保つ事が大切と言う、39度ぐらいが一番癌の嫌う温度でもあり、交感神経と副交感神経のバランスがとれて、ストレスの少ない状態とのこと、体温を暖め過ぎず、冷め過ぎずに保つ事と言う。


それには、温泉療法なども優れた療法であるが、適度な塩分の摂取や、適度なたばこの吸引なども悪い面ばかりが強調されるが、適度な量として推薦している。そして、糖尿病などはほとんどストレスが原因で交換神経が勝っている状態の人に起こりがちで、常にストレスを排除して副交感神経とバランスさせる事が大事と説いている。活性酸素も悪者扱いにするが、白血球がばい菌と戦うときは活性酸素を出して、ばい菌を弱らせて食べるのであり、東洋医学では汚れた血液を燃焼させると考え、あまり怯えた行動ばかりをとるのは危険と言う。


第4章は、「病気が逃げ出す食事法」である。「人間の歯、日本人の腸にあった食事を」、「酸性食品と甘いものには要注意」、など10の項目が述べられている。


ダーウィンの「種の起源」の中で、人間はかつてはゴリラのように果実を主食とし、肉を食べてタンパク質を多くとる必要はなかった。それは、人間の歯の構造からも明白と言う。ヨーロッパ人は寒いところで生活していたために狩猟にたよらざるを得なかった、だから肉食で腸が短く、体形も足長に育ち、鼻を高くして鼻孔を大きくするというのも後天的な理由と言う。肉は腐りやすいので早く体内からださなければならないから彼らは腸が短い、腸の長い日本人の肉食で大腸がんなどの病気が増えるのは当たり前と言う。

酸性食品とは作り置きのたべもので酸化しているものを言い、それが交感神経を優位にしているという、コンビニ弁当で済ませるときは、サラダセットも買うようにしてバランスをとる。アイスクリームやスナックなどは、副交感神経を優位にさせるので、アトピー性皮膚炎や気管支喘息になる人の数を上昇させると言う。

第5章は、「病気が逃げ出す生活法」である。「団塊の世代とキャリアウーマンの共通点」、「仕事人間」が抱える認知症リスク、など18の項目が述べられている。

責任感の強い真面目人間、キャリアウーマンを目指して男性主体の社会で頑張る女性たちは、共通して過酷な仕事で体を壊す状態と言う。ストレスが溜り、肩こり、寝違い、歯ぎしりと言った体調のシグナルを素直に受けて、交感神経、副交感神経という自立神経の馬の手綱のようなものを引いたり緩めたりしてバランスをとる事が大切で、この様な仕事人間が、認知症リスクをかかえると言う。


高血圧や脳卒中を防ぐには下半身をきたえることが大切で、それには、散歩をすることが良く、程よい運動によって下半身がきたえられ、体が温まり、血のめぐりが良くなるし散歩ぐらいの運動は脳に良い影響を与えると言う。


以上、断片的に表現しましたが、両先生の論調は冒頭述べたように、西洋医学は「人間の体にたいする畏敬の念の欠如」と指摘しており、生命を畏敬する哲学が足りないと言い切る。本書は、この基調にのっとって病気への対処が述べられており、具体的にどうすれば良いかと言う様なハウツーに付いて、ストレッチの図なども併記している。


私は、常日頃座右の書としてそばに置いていたい。


(致智望 2014年2月9日 )

 

病気が治る鼻うがい健康法/堀田修(角川マーケティング 2011年3月31日 第1刷発行 本体1,200円)


1953年愛知県生まれ、1983年防衛医科大学校卒業、医学博士、日本腎臓学界学術評議員、前仙台社会保険病院腎センター長。


2001年にIgA腎症の根治治療である扁摘パルス療法を米国医学雑誌「Am J Kidney Disease」に発表。日本のIgA腎症診療が激変するきっかけとなった。


現在、仙台社会病院(宮城)、大久保病院(東京)、成田記念病院(愛知)でIgA腎症専門外来を行う。IgA腎症根治治療ネットワーク代表。2011年7月に「木を見て森も見る医療」の拠点として仙台市内に堀田クリニックを開設予定(筆者のプロフィール)


はじめに

第1章 慢性上咽頭炎との出会い

第2章 慢性上咽頭炎の治療で元気になった患者さんたち

第3章 慢性上咽頭炎が起こる原因

第4章 慢性上咽頭炎の診断と治療法

第5章 慢性上咽頭炎を予防するにはどうすればいいか

上咽頭炎何でもQ&A

おわりに

参考文献 慢性上咽頭炎の塩化亜鉛治療を行っている医療機関


サブタイトルは「体の不調は慢性上咽頭炎がつくる」というものなので、俄然興味が湧いた。何故なら、私が風邪でダウンする場合(アホなので滅多に風邪は引かないが)、先ず咽頭部に異常を感じ、それを放置すると必ず本格的な風邪の罹患に至るからである。だから、私は乾季には必ずうがいを実践している。外出から屋内に入ったら先ずうがいをやることで予防している。これが酷いなと感じるときには耳鼻咽喉科に通い処置してもらう(内科に通ったのでは治らない!)。


上咽頭とはノドチンコ(口蓋垂)の裏側から鼻孔が合流する所までを言う。この本では「上咽頭とは咽喉の一番上の部分で、鼻の奥の、ノドチンコの裏側にある部位」をいうと説明がある。


扁摘パルス療法(炎症を起こしている扁桃を切り取って、ステロイドを点滴―パルス療法―で腎臓の炎症を抑える)で早期の段階ならIgA腎症は完治できるようになったが、きっかけは多くの患者の扁桃には小さな白い膿の塊(膿栓)があることに気がついたこと。


 この炎症を治すのは(耳鼻咽喉科医の仕事で)のどや鼻の穴から、ここに塩化亜鉛(0.5%)の溶液を塗る。―第1章

これを行うことで①繰り返し起こる咽頭痛②アトピー性皮膚炎③掌蹠膿疱症④潰瘍性大腸炎⑤ネフローゼ症候群⑥IgA腎症等が完治することが分かった。―第2章


 病巣感染(細菌などで感染した場所があり、それが原因で、そことは違う離れた場所で病気が起こる)という考え方はヒポクラテスの時代から気付かれていたそうであるが、世界的に注目を集めたのは、病巣感染を起こす部位は扁桃と歯であるとしたことで、虫歯や扁桃炎があると全身あちこちに病気を引き起こす可能性があると考えられたから(1916年 F・ビリングス 米内科医)。


また、上咽頭の持つ免疫システムの特徴とかそこで何が起こっているかとか難しい記述もあるのですが、省略。


 そして、慢性上咽頭炎は全ての人に存在するが(程度問題)自覚症状がない人が大半であることや、アレルギー症患にも上咽頭炎治療が効くことなどが示されている。―第3章

 治療には塩化亜鉛溶液塗布のほかに、素人で出来る生理食塩水(0.9%の塩水)でのどうがいをすることなどが示されている―第4章

鼻うがいの習慣化や口呼吸を止めること(止める方法も指導)、免疫力を高める食事や肩こり防止やストレスを残さないことなど予防法が示されていて興味深い―第5章


Q&Aでは「朝起きた時にのどがヒリヒリする人は口呼吸の可能性が高い」そうで、私は花粉時期には(寝ているときに鼻がつまり)口呼吸しているのだな、と納得した次第です。


 勿論私は、今までも素人療法で経験的に鼻うがいをしてきましたが、これからは自信をもってこれを続けたいと思います。


補足:アドノイド(咽頭扁桃)は上咽頭の一部(奥側)でこれは「アーン」しても見えないが、もう2つある扁桃(口蓋扁桃:左右に見える箇所)があり、さらに舌扁桃というのもある(舌の奥)。これらは外気と接触するので、炎症も起こりやすいので気をつけなければならないと納得である。


(恵比寿っさん 2014年2月10日)

                           

ミツバチの会議/トーマス・シーリー著・片岡夏実訳(築地書館 初版発行2013 年10月22日 2800円)


プロローグ

養蜂家は昔から、晩春から初夏にかけてハチの群れがよく巣分かれしてしまうのを見て、嘆いていた。これが起きると、蜂群の大多数、一万匹ほどの働きバチが現在の女王バチと共に飛んでいって、新しい蜂群を作る。一方、元の巣に残ったハチは新女王を育て、元の蜂群を永続させる。移住するミツバチは木の枝に集まってあごひげのような塊を作り、数時間から数日間一緒にぶらさがっている。


この間、宿無しのハチ達は実に驚くべきことをする。新しい巣を選ぶにあたって民主的な討論を行うのだ。


本書は、ミツバチがこの民主的意思決定プロセスをどのように実行するかを論じたものだ。分蜂群で最も古参の数百匹のハチが、新しい巣の場所を探索するために飛び出していき、山野に暗い隙間を探し始める様子を私たちは調べる。これら家探しのハチたちが、発見した巣の候補地をどのように評価し、自分の発見を仲間の探索バチに生き生きとしたダンスで宣伝し、一番いい場所を選ぶために活発に議論し、分蜂群全部を飛び立たせ新しい巣の場所(一般的には数キロ離れた木のウロ)まで、その大群を案内するかを見る。


ミツバチ 入門編

詩人さん、蜜蜂のところへ行って、そのやり方を研究して、利口になりたまえ。

ジョージ・バーナードショー 1903

ミツバチは甘さと灯り 蜂蜜と蜜蝋を作り、人類は2000億匹ほどのミツバチを大切に育てている。

適切な住処の選択はミツバチコロニーにとって死活問題だ。コロニーがまずい選択をして、冬を越すための蜂蜜を蓄えるのに小さすぎたり、寒風や腹を空かせた捕食動物からしっかり守られない巣穴に入ってしまえばそれは死を意味する。適度な広さと快適さを備えた巣の場所を選ぶことが、きわめて重要であることを考えれば、コロニーの住居を決めるのは単独行動する少数のミツバチでなく、集団で行動する数百のミツバチであることも意外ではない。この大規模な捜索委員会が、どのようにしてほぼ常に正しい選択をするかをつきとめるのが本書のテーマである。どのような手段を使って、こうした家探しのハチが候補地を求めて近隣を探しまわり、自分の発見を報告し、それらについて率直に議論し、最終的にどれをコロニーの新居とするかの合意に至るかを私たちは明らかにしていく。ひとことで言えば、ミツバチの民主主義の精巧な働きを調べるのだ。


女王蜂に関する広く信じられている誤解

コロニーが自愛に満ちた独裁者である女王陛下に統治されているわけではない。コロニーの一体性は、働きバチになになにをせよと命令する全知の女王に由来するという考えは、何世紀も昔、アリストテレスまでさかのぼり、近代まで根強く続いていた。だがこれは誤りなのだ。母である女王とその数千という忠実な娘たち(働きバチ)は、究極的には、女王の生存と生殖を助けるために全力を尽くすのは本当だ。だからといって、コロニーの女王は王として決定を下す存在ではない。コロニーに最適な総労働力を勘案し、毎日1500個にも及ぶ卵を王として淡々として産み続ける存在である。唯一、知られている女王の統治行為は新たな女王の育成を抑えることだ。女王は女王物質と呼ばれる腺分泌物によって、女王が健在で新しい女王を育てる必要がないかどうかを広く知らしめる。

労働力としての働きバチが、ここにどんな任務をもつのかを女王が決めたり命令することはない。働きバチ自身が決めるか、すでに決まっている。

省略

10章分蜂群の知恵

教訓1 意思決定集団は、利害が一致し、互いに敬意を抱く個人で構成する

教訓2 リーダーが集団の考えに及ぼす影響をできるだけ小さくする

教訓3 多様な解答を探る

教訓4 集団の知識を議論を通じてまとめる

教訓5 定足数反応を使って一貫性、正確性、スピードを確保する。


(高幡童子 2014年2月18日)

 
 エッセイ 
 

「脱原発」の理想と現実


 危ない原発に頼らず、安全な自然エネルギーなどで電力需要を賄えれば、これに越したことはない。エネルギーに限って言えば脱原発に異を唱える人はいないのではないか。大げさに言えば脱原発エネルギーは人類の理想だ。しかし現実はそれを簡単には許さない。


「原発をいつ止めけるや小泉さん」「無理めけりすぐには止まらぬ原子力」。これは私の主宰する“めけり”川柳の駄句2首である。


 まもなく当落の結果が出る東京都知事選では、細川の殿様が「即原発ゼロ」を公約に掲げている。その後ろには「黒子ならぬ主役めけるは小泉さん」が控えている。


 常識的に言えば、原発停止は選挙用の立て看板に書きなぐっていきなり掲げるほど安直な課題ではない。それは細川の殿様自身も知っているから「エネルギー戦略会議を作って詰める。住民投票で原発問題の声を聞くこともある」などという。これだけで1,2年は軽くかかる。それから原発停止プロジェクトの工程作りが始まり、肝心の東京オリンピックの頃、具体的なアクションが始まって国を挙げての大騒ぎになる。さらに原発設備の廃棄には軽く20~30年かかり、膨大なコストがかかるといわれる。


 「いま原発が止まっているが、経済も生活もできているじゃないか」というのは論理のすり替えだ。今は原発事故でやむなく運転停止しているのであり、国民の合意をもって停止させたものではない。国民の合意を得るためには相当な時間と手続きがいる。つまるところ「即原発ゼロ」は虚言だと言わざるを得ない。

まもなく電力不足や料金アップが経済や生活に襲いかかる。安部総理が今国会で「原発依存度は可能な限り低減させる」と述べ、海江田民主党代表の質問に「簡単に『原発はもうやめる』というわけにはいかない」と答えたのは反原発の人には許しがたい発言かもしれないが、大方の国民にとっては現実を見据えた政治家の判断だと聞こえるのではないか。


選挙は、必ずしも理想の政治家を選ぶものでも選べるものでもない。“与えられた”候補者の中から“よりマシな”人物を選択するだけである。都知事として山積する都政の課題にどう取り組むか。遠い理想より現実の課題を追い、一歩先を読んで解決に取り組んでくれる可能性に賭けて人を選ぶのである。

基本的に原発政策は国の仕事である。少なくとも原発施設も持たない東京都の取り組み課題ではない。東京電力の株主だといっても持ち株は数パーセントの微々たるものであり、東京電力の経営にさえあまり口を挟めない。なにより都知事が“原発ゼロ”を掲げても足元の都議会すらまとめ切れないという現実に突き当たることになるだろう。


極端に言えば誰が都知事になっても“原発ゼロ”に関わるべきではないのではないか。ただし、東京都民が原発問題に無関心でいいわけがない。都民は、都民としてではなく国民として国政における原発政策を注視し意見をもって関わるべきだろう。


選挙後の都政を考えれば“原発ゼロ”は鬼門である。選挙は“水もの”で結果を見るまで分からないところがあるが、誰が都知事になっても“原発ゼロ”を掲げれば、先の国政における民主党政権のように任期いっぱいの都政マヒを起こしかねない。一都民としてそれだけは御免こうむりたい。


 (山勘 2014年2月5日)

 

「人を知る」ことの難しさ


「人を知る」ことは難しい。人間を知ることについては古今東西にわたる知恵と知識の集積がある。ただし、いま私が思っている「人を知る」意味は、そんな高次元の話ではなく、「え、あの人が、知らなかった」というレベルの話である。


私にとって、同好の士というより人生の大先輩というべき人が先年亡くなった。横河電機OBの杉山卓さん(享年88)である。一般の人にとっては親友、知人といえども老年になってから毎月会うというケースはそう多くないと思うが、私は「本の会」という10人足らずの小さなサークルで15年間ほど杉山さんと同席させていただいた。


その杉山さんが、昨年の4月、突然の病で亡くなられた。そして7月、「杉山卓さんを偲ぶ会」が吉祥寺第一ホテルで開かれた。杉山さん出身の横河電機OB主体の会だと聞いて私は参加を見合わせたが、杉山さんのお人柄を偲んで参加者は233名に上ったという。


そして12月に「杉山さん追悼文集」が刊行された。ざっと90人ほどの方が杉山さんを偲んで思い出のエッセイや言葉を寄せている。エッセイのタイトルの中から杉山さんの人柄を彷彿させる語句を拾ってみると、「素晴らしい友人」「優れた上司」「サイエンスとアートの杉山さん」「技術開発に情熱」「要の人」「果敢な日本男子」「フェア―」「ジェントルマン」「偉大な指導者」「品格」などの語句が散見される。これらの杉山評は私にとってもいちいち思い当たる。


しかし、ここから冒頭の「人を知ること」や、「え、あの人が、知らなかった」という、情けない私の話になるのだが、杉山さんの経歴は実に多彩である。具体的な業績を割愛して肩書きだけ記すと、東京帝国大学卒、工学博士、㈱横河電機製作所代表取締役専務、横河メディカルシステム㈱社長、会長、横河電機㈱技術最高顧問、㈱横河総合研究所会長、社団法人計測自動制御学会会長などを歴任。紫綬褒章、勲四等旭日章受章。米国に本拠をおくIEEE(アイ・トリプル・イー)のライフ・フェローの称号を持つ国際人でもある。


しかし、杉山さんはこうした過去の栄光をひけらかすようなことは一度もなかった。私の方はジャーナリストの端くれとして生きたにもかかわらず、また“聞きたがり屋”でもなかったせいで、杉山さんに関しては横河電機のOBで工学博士だ、くらいしか「知らなかった」。そして、長年にわたり自分の目に写るがままに杉山さんのお人柄を拝見していたことに気づき、「人を知る」とはどういうことかと、今さらながら驚いて自問自答しているのである。


杉山さんは、どんな時でも温顔で人の話をよく聞いた。自分の意見は、押しつけがましくなく、相談でもするように話した。88歳の老翁(ごめんなさい)を慕って233人が集まったのも頷ける。

「本の会」の仲間は折りに触れて酒席を共にし、奥様連も参加して旅行をしたこともある。杉山さんはこよなく酒、とりわけ日本酒を愛した。酔っても乱れることなく温顔を保って朗らかだった。先の「追悼文集」に納められた遺稿の一篇に、杉山さんが10年ほど前に「本の会」で発表したエッセイ「この世とあの世とその世」がある。「この世」から真っすぐ進めば「あの世」であるが、途中で横に曲がれば「その世」があるという。


その世(夜)に行って酒が入れば人生の憂さも消え、楽観的になり、人々は善意に満ち、女性は美しく輝き、いい発想が次々と浮かんでくる、という。「その世に出入り出来るのは有り難いことではないか」と言いながら、なぜか杉山さんは「その世」を見限って、まっすぐ「あの世」に行ってしまった。感謝を込めてご冥福を祈りたい。


(山勘 2014年2月5日)

 

天照神


先日、STAP(スタップ)細胞という今までにない概念の細胞を、小保方晴子さんが発表された当初は、常識ではあり得ないということで、認められず拒否され続けてきたということを知りました。


おしで文字という古代文字で記されたホツマツタヱも、公には、まだ無視され、拒否され続けている状況のようですが、何年か何十年か先には、いずれ認めてもらえる日が来るであろうと思っています。


歴史学者の方々が、冒頭からホツマツタヱを認めるわけにいかないのが天照神の性別の違いについてだと思います。


ずぅーと、気になっていたことの一つに、歴史で習ったように古事記・日本書紀には天照神が女神として奉られているのが、世間や歴史関係者の常識になっています。しかし、ホツマツタヱでは、れっきとした男神として誕生しています。


よく、歴史は時の権力者の都合で書き換えられるとか、歴史とは勝者の歴史であり敗者の歴史は表には出てこないということを耳にしたことがあります。


なぜ、違いがあるのか、年代的にはホツマツタヱの方が古いため、後からの方で書き換えられたと考えられます。なぜ、書き換えなければならなかったのか?については、日本書紀・古事記が編纂された目的とその時代の背景を見てみると、明らかになってきます。


日本書紀・古事記の編纂された意図を考えると、当時大国であった唐・大陸に日本の存在を認めてもらうためには、当時の公用語であった漢字で書かれた日本を紹介する国書が必要であったと考えられます。

遣唐使に日本書紀を持参したと、どなたかの文献資料で知りました。日本を文明国として、認めてもらうための日本を紹介するものの、その大本になったのがホツマツタヱです。しかし、ホツマツタヱにはあまりにもありのまま書かれていたので、当時中国で儒教が浸透しており、儒教の教えから見て、野蛮人のすることと思われる内容は排除せざるを得なかった経緯があると考えられます。


身内同士の殺し合いとか、近親結婚などの記載は削除せざるを得なかったと思われます。

その結果、文脈が合わずになったりするため、いくつかの細工が必要になったことが容易に推測できます。

一夫多妻について、12お妃を持つこと自体、儒教の教えでは、認められているのかどうか知りませんが、天照神は12名のお妃を持たされていました。

問題点の一つは天照神のいとこ婚です。


最初に生んだ子のお妃はイサナギの兄弟のクラキネの娘マスヒメモチコで、いとこになります。次に生んだ三つ子のお妃はこのマスヒメモチコの妹になるコマスヒメハヤコで、やはり、いとこです。

さらに、この三つ子はソサノオとの浮気の子でもあるかも知れないとあります。


二つ目は、最初から、天照神を女神にするのが目的ではなく、近親婚の箇所を省いても不自然にならないようにと、イサナギ・イサナミの最初に生まれたヒルコ姫・後のワカ姫を都合よく天照神に置き換えることができたからです。


天照神の姉であるヒルコ姫は後に厄もとれ、ワカ姫となります。アチヒコ(オモイカネ)と結婚されてからは、下照姫と名を変えて、自分は引き下がり天照神を名実ともに長男に押し上げた経緯があります。


よって、姉であるワカ姫は妹の立場に退きます。天照神は姉の立場にすり替わり、最初から女神であったということにすり替わってしまいました。


話をややこしくしていることは、最初にワカ姫が生まれたとき、両親とも厄年であったため、川へ流した(儀式ではあったにせよ)とあります。その次に生まれてきた子は流産であったため、川へ流したとあります。その後、苦難の末、待望の日嗣の皇子であるワカヒト・後の天照神が生まれます。


最初のヒルコ姫が生まれたところだけ残して、途中を削除してしまえば、女神の誕生として話がつながります。


天照神が女神になったことで、天照神のいとこであったお妃が引き起こした身内同士の醜い争いなどに直接触れることもなしに、儒教の教えから見ても安泰に編纂できる結果となったわけです。


小生は日本書紀・古事記に精通しているわけでもなく、ホツマツタヱも全て解読しているわけでもないので、今後新たな発見があれば追加訂正させていただくことになります。


なお、伊勢神宮の鰹木の所の千木の説明(36綾)があり、そこの箇所(下記)だけ見ると、天照神が女神と感違いされそうな記述がありますが、詳細は別の機会に譲りたく。


うちみやは きみははのこを めぐるのりかな

内宮は君(天照大神)が、母が子供を慈しむような恵む教えです。


(ジョンレノ・ホツマ 2014年2月12日)