第28回「ノホホンの会」報告 2013年11月22日(金)午後3時~午後5時(会場:三鷹SOHOパイロットオフィス会議室、参加者:狸吉、山勘、ジョンレノ・ホツマ、恵比寿っさん、本屋学問) 今回は、致智望さん、高幡童子さんが残念ながら所用で欠席でしたが、日本の安全保障、特定秘密保護法、中国の行く末と今回も話題に事欠きません。「育水」という新しい言葉が紹介されました。世界的に見れば今後最大の戦略資源はエネルギー資源と水でしょう。中国の黄河も、以前に比べて水量がずいぶん少なくなったとか。日本はまだ水が豊富ですが、最近は1リットルのミネラルウォーターとガソリンの価格がそんなに違わない時代です。生産のかたちも「再生」を強く意識したものに移らざるを得ないのでしょうか。 (今月の書感) 「明日、未明! ヒトラーの侵攻計画は漏れていた」(本屋学問)/「おとなの背中」(山勘)/「育水のすすめ 地下水の利用と保全 」(ジョンレノ・ホツマ)/ 「零の発見―数学の生い立ち」(恵比寿っさん) (今月のネットエッセイ) 「冷泉家文庫と稲盛和夫氏」(本屋学問)/「『使えない権利』の怪」(山勘)/「人間は騙されやすい①②」(山勘)/「日常の挨拶」(恵比寿っさん)/「秘密保 全法と子供時代の思い出」(狸吉) (事務局) |
|
|
|
書感2013年11月分 | |
明日、未明! ヒトラーの侵攻計画は漏れていた/J・G・ドゥ・ブース著・高原富保訳(サイマル出版会 1981年8月 四六判 定価1,200円)
1939年8月31日、ポーランド軍の制服を着たナチス親衛隊の一隊が、ポーランド国境近くのドイツ放送局を占拠した。そして、反ドイツ放送をした後、連行してきた強制収容者数人を殺害、放置して、ポーランド軍が放送局を襲撃したように偽装した。翌日、ヒトラーは国会演説でそれを口実に報復を命令、数週間前から国境線に展開していたドイツ陸軍機甲師団、“友好訪問”でダンチヒに入港していたドイツ海軍巡洋艦、そしてドイツの基地から飛び立った爆撃機が一斉にポーランド西部に攻撃を開始する。“電撃作戦”といわれたドイツのポーランド侵攻は、実はこのような卑劣な手段を使って始まったのである。 本書は、ヨーロッパ戦線を拡大していったドイツ国防軍の中枢にあって、ヒトラーの西部戦線攻撃計画の詳細な情報と警告を開戦後1年近くにわたり、ベルリン駐在オランダ公使館付き武官に提供し続けた一人のドイツ軍高級将校の存在を明らかにした衝撃的なドキュメントである。 当時、ベルリン駐在オランダ公使館二等書記官だった著者は、自分の経験とメモ、もう一方の当事者であるオランダ武官、ハイシベルト・サス少佐の証言、さらに少佐が同じ情報を提供していたベルギー公使館付き武官が保存していた電報などから、まさに“事実は小説より奇なり”そのままに、第二次世界大戦中に起こったドイツ軍内部の機密漏洩事件の全容を紹介している。 ドイツ国防軍情報部に所属していたハンス・オシュター大佐は、上官で軍事諜報部門のトップにありながら反ヒトラーグループの象徴でもあった情報部長、ヴィルヘルム・カナリス海軍大将と同じ真の愛国者だった。彼らはヒトラーとナチスの狂気が祖国を破滅に導くという強い危機感と道義心から、侵略戦争阻止のためには機密の漏洩が結果的に道徳的義務になるという厳しい瞬間が、一国の歴史には存在すると確信していたのである。 当初、情報源であるオシュター大佐からの警告は、彼の地位がドイツ軍の中央にあったことや、情報は正しかったにもかかわらずヒトラーが悪天候などの理由で20回近くも攻撃計画を延期したことなどから、オランダ公使や本国からは疑惑の目で見られていた。 「デンマーク、ノルウェー占領の大規模遠征軍が準備を終えて待機中で、1940年4月9日に決行予定だ。この作戦は総統自らの発案で機密保持が厳しく、これを知っているのはヒトラー周辺で5人、私が6番目だ。できることは何でも実行せよ」。オシュターの緊急通報はサスによって直ちに関係国に伝えられたが、ベルリン放送が9日朝に「ドイツは両国をイギリスから保護する目的で占領した」と報じるまで、多くの関係国は半信半疑だった。 その後、当初1939年11月11日の予定だったオランダ、ベルギー、ルクセンブルク、フランスへの大攻勢が、ヒトラーの気紛れでデンマーク、ノルウェーの電撃占領に遅れること1か月、実際には1940年5月10日になったにせよ、サス少佐の情報は次第に重要視されていくことになる。 各国のベルリン駐在武官の間では、「日本の武官が数日中に西部戦線で急展開があるといっている」、「ドイツ軍約83個師団が西部戦線に展開したようだが、防衛配備としては多すぎる」、「ドイツ警察の将校が5月12日にユトレヒトに出頭せよという命令を受けた」などの情報が乱れ飛んだ。ユトレヒトはオランダの都市だが、著者によればそれはすでに学習済みで、ポーランド侵攻の数日前にも同じような命令をドイツ警察が受けていたという。 1940年5月9日夜、オシュターはサスに、暗号命令「ダンチヒ」が21時45分に発令され、ベネルクス3国、そしてフランスが蹂躙される運命にあることを告げた。サス少佐はすぐオランダ国防省に電話をして「明日、未明だ」と伝える。ドイツ軍はここでもオランダ軍に偽装した特殊部隊を主要な運河橋の占拠に向かわせ、オランダ軍も警告を全面的には信じなかったためいくつかの橋は爆破できず、ドイツ軍の進撃を容易にした。 著者はいう。ヒトラーの戦争システムは、他のヨーロッパ諸国にとってあまりにも強大すぎた。しかし、サスの警告に従っていくつかの行動を取っていたら、ヒトラーの軍事行動ははるかに大きな困難に遭遇し、常に成功を収めたとは限らなかっただろうと。 もしイギリスが警告を受けてノルウェーに向かうドイツ護衛船団を即時に阻止していたら、もしノルウェー、デンマークが同時に即時防衛措置を取っていたら、もしオランダとベルギーがドイツ軍の第一目標と繰り返し指摘されていた両国間の隙間を閉じていたら、サスの最後の警告の後でもし両国がすべての戦略橋を爆破し全飛行場を閉鎖していたら、もし事前にフランス軍をオランダ国境まで北進させていたら…。 中立国であるオランダやベルギーへの侵攻はドイツの終末につながると作戦中止を進言する将軍たちの忠告を、ヒトラーはまったく聞き入れなかった。1939年11月8日、ミュンヘン蜂起の記念集会で演説を終えたヒトラーが満員の地下ビヤホールを出た12分後、爆弾が炸裂した。著者は「12分間がオランダ攻撃を阻止し、全ヨーロッパを戦争から救い、平和を取り戻せたのに。私たちを救えたのに」と叫び、激怒しながら公使館内を走り抜けたと書いている。 さらに1944年7月20日、東プロシャ・ラステンブルクの総統大本営会議室で時限爆弾が爆発、ヒトラーは打撲と軽い火傷を負ったが、この5年間にカナリス将軍はじめ反ヒトラーグループが立案、実行した暗殺計画は40回以上に及んだといわれる。ヒトラーは、どこまでも悪運の強い男だった。 1945年4月9日未明、奇しくもデンマークとノルウェーが侵略された5年後のまさに同じ日に、オシュター大佐はカナリス提督などとともに国家反逆罪で処刑される。セルビアの古い諺である「鷲は蝿を口にせず」を座右の銘にしていたというオシュターは、自らの信念を最後まで貫き、蝿たちを軽蔑しながら高みへと飛び立ったのである。その数日後、彼らが収容されていた施設はアメリカ軍によって解放された。 すべての国家は、安全で幸福な国民の生活を保障する義務がある。恣意的な国家運営がどれだけ国民を不幸に陥れたかは、日本も先の大戦で思い知った。本書は、国家の指導者が邪悪な戦争を意図したとき、それを阻止するにはより高度な規範に従って国家機密を公開して内部崩壊を促すこと、具体的には指導者の抹殺さえ示唆している。不幸を繰り返さないためにも、今争点になっている「特定秘密保護法」の是非を含めて、成熟した先進国家とは何かを改めて考えてみる必要があるのではないか。 |
|
おとなの背中/鷲田清一著(角川学芸出版 本体1,600円)
本書は、著者が折に触れて発表してきた多くのエッセイを編集したもの。「伝えること/応えること」「おとなの背中」「人生はいつもちぐはぐ」「ぐずぐずする権利」「言葉についておもうこと」「贈りあうこと」「東日本大震災2011-12」の7章にグループ分けしたもの。したがって、全体のあらすじを紹介することはできないが、生きる現場に密着した「臨床哲学」を提唱する著者の珠玉のエッセイ集である。 本書のオビには、こうもある。「整ったところだけを見せるのではない。いいかげんなところ、愚かなところ、そして「馬鹿」がつくほど一途なところ。それらをぜんぶ、見せるともなく見せるのである。本気でしなければならないこと、羽目を外していいこと、おもいきり興じていいこと、絶対してはならないこと―。そういう区別を子供たちは体でおぼえていく。いってみれば〈価値の遠近法〉というのを身につけてゆくのだ」とある。 これは本文中の1章「おとなの背中」の1篇で、岸和田のだんじりで山車を引く熱く荒っぽい大人たちの熱狂ぶりなどを例に引きながら、単純で隠しごとのないおとなたちの背中が、子供たちに〈価値の遠近法〉を教えるというものだ。 〈価値の遠近法〉とは、言ってみれば生き方の多様性、柔軟性、平たく言えば人間関係における間の取り方とでも言えるのではないか。やっていいこと悪いことの判別がつく。悪いことや羽目を外すことでも程度があり手加減がある。例は悪いかもしれないが、子供の喧嘩でも相手や状況に応じて攻撃の仕方や叩き方に手加減があるというようなことではないか。子供のいじめや自殺の増加を考えると、大人社会と子供社会の分断、親子関係の変質で、近年ますますその〈価値の遠近法〉が失われてきているように思われる。 そうして本書は各章で「人生はいつもちぐはぐ」だとして、深刻だが時に笑える現代の諸相を分析し、せわしなく生きづらい世の中だからもっと「ぐずぐずする権利」があると言い、語る作法や言葉の責任など、混乱する現代の「言葉についておもうこと」を語り、信頼や時間や気ばたらきを「贈りあうこと」の意味を考える。 最後の章では、紙幅の4分の1ほどを割いて「東日本大震災後」を取り上げ、大震災を生きる人間の心の諸相を考察している。 その中にこんなフレーズがある。「手を伸ばしても伸ばしても引き戻しえぬものと、あきらめがつくまで、重い時間がひたすらつづく。忘れていいこと、いけないこと、忘れないといけないことの仕分けがなんとかついて、じわりじわり人生の語りなおしにとりかかれるのは、おそらくはるか先のことになろう」と。 本書はエッセイ集だから、どこから読んでもいいが、まさにオビにあるとおり、〈思考の肺活量〉を高める哲学エッセイ集だ。 |
|
育水のすすめ 地下水の利用と保全/GUPI共生型地下水技術活用研究会(技報堂出版 2013年7月発行)
育水という言葉を知ったとき、はげ山に植林する姿勢が思い浮かびました。以前、ノホホンの会の書感に投稿した「地下水は語る―見えない資源の危機 守田優氏著」にあったように、商売ベースの場合、私水ではなく公水にすべきという考えに同感していた私にとって、関連していたので取り上げてみました。
本文で述べているように、「地下水の利用と環境保全の考え方は、個々には許容できても累計すると、長期的にみると問題になる現象が生じている。以前は地球の資源は無尽蔵であったのが限りのあることが認識されてきた。 地下水を有効利用するには、育水による担保が欠かせない。それを怠ると、自然からしっぺ返しされることになる。 地下水の流動速度が、河川等の地表水の流下速度に比べ、極端に遅いことである。たとえば、日本国内で山地に降った雨が河川を通って海に流出するまでの時間は、数日程度である。一方、山地で地下に浸透した地下水が流動して海に流出するまでの時間となると、早くても十数年、遅ければ数百年、数千年かかる。このように流動時間の長いことが、環境問題に気付<のを遅らせ、効果的対策を講じにくくさせている。」
しかし、著者は17名からなる地下水開発・温泉開発・地質調査・建設コンサルタントなど地下水の取水などに関わってこられている方々で、一般の人がまだ気づかない危機を、ご自分の事業を通じて感じ取られており、本書になったものと理解しました。 開発を行ってきた立場の方々ですから、今までの問題点・水質汚染の問題もわかっており、この先取り返しのつかなくなる前に手を打たなければならない。それが、「使ったら還す」(取水したら還す)という基本になり、今後の育水という事業の必要性をアピールしているものであると理解しました。
地下水は共有資源・共有財産の基本理念については全くの同感ですが、水循環の健全性と持続可能性を維持するための育水を行いながら地下水のめぐみを存分に享受しようという共生思想については、必要以上に行き過ぎた行為は自然のサイクルのなかでは慎むべきという歯止めが必要な気がしました。育水は必要と思いますが、育水をしているからいくら使ってもいいということにはならないと思ったからです。
以下に参考までに本書の目次を添えます。 育水の提唱―序に代えて 発刊にあたってー本書の発行趣旨と構成 1地下水の特徴 12土壌汚染対策法から考える 13流域の共有資源・共有財産 4共生型の地下水利用 15流域規模で考える 16地下水利用と事業による人工涵養 17共生型地下水利用の四つのパターン 5地下水の診断 19シミュレーションとモニタリング 20浸透桝整備による地下水涵養予測 6育水に必要なもの 22地下水人工涵養の技術 23育水技術としての人工涵養 24浄化の方法 25森林環境税の視点から 7環境・防災・エネルギーへの利用 27 ヒートアイランドへの対策 28 防災井戸 29 地中熱の利用 (ジョンレノ・ホツマ 2013年11月15日)
|
|
零の発見―数学の生い立ち/吉田洋一 岩波新書 2013年9月20日第108刷発行 本体700円) 第1刷は1939年11月27日、吉田洋一(1898~1989年)、1923年東京大学理学部数学科卒業、専攻-数学、著書「函数論第2版」(岩波全書)、「歳月」(岩波書店) 訳書ポアンカレ「科学と方法」(岩波文庫)、ポアンカレ「科学の価値」(岩波文庫)
目次 はしがき 改版に際して 再改版に際して 零の発見 アラビア数字の由来 直線を切る 連続の問題
ずっと昔からこの本の存在を知っていて、いつかは読みたいと思って今に至っていたのだが、偶然書店に積まれていたので購入。
カバーには 零の発見 インドにおける零の発見は、人類文化史上に巨大な一歩をしるしたものと言える。その事実及び背景から説き起こし、エジプト、ギリシャ、ローマなどにおける数を書き表すための様々な工夫、そろばんや計算尺の意義にもふれながら、数字と計算法の発達の跡を極めて平明に語った、数の世界への楽しい道案内書。と書かれている。 ところが読んでみて書感を書けるような読後感は無く、途中でも理解に苦しむ箇所に数多く遭遇した。自分の数学の基礎が乏しいことに驚くばかりの「数学の教養を高めよ」と言われたような一冊であった。
言い訳がましくなるが、目次と内容は直接的に一致しておらず、それも難しく感じた原因かもしれない。 例えば「零の発見」はインドだったということは記述があるがアラビア数字の由来とは直接関係ないように、である。 「直線を切る」は数の連続性と、その連続を切った時にその切り口に残る(続いていた)数がどうなるか、という話である。
1.零の発見 6世紀頃インドで数を表示するのに十の記号を用いることで「計算」にも「表記」にも便利なように発明された。ゼロ記号が書物に登場していることから、これが定説になっている。 本書でもこのことには触れていて、7世紀にはアラビアに渡り、その後どういう経路でヨーロッパに伝わったかなどが詳しく示されている。 むしろ(WEBから調べた)下記の文献の方が素直に零のことについて分かりやすく解説されている。
2.直線を切る 独数学者デデキントの数の連続性に関して「直線」(数が無限につながっている)が連続体をなしているというのは、直線を2つに分断したときに、その境の点は1つあって、しかもただ一つしかない、ということをさす。ということを詳しく解説している。
なお、「天地明察」(山勘さんに借りた)の映画版では算木を使って安井算哲が計算する場面が何度も登場するが、それは中国から伝わったとされているが「零の発見」でも、似た方法(砂の上に数字を書く)が紹介されていて、これは8世紀ころから行われていたと紹介されている。ひょっとすると発祥はインドなのかもしれないという空想が湧き楽しかった。 |
エッセイ 2013年11月分 |
冷泉家文庫と稲盛和夫氏
冷泉家は、鎌倉時代の大歌人、藤原定家の子である為家の子、つまり定家の孫にあたる冷泉為相(母は「十六夜日記」の阿仏尼)から始まる公家の名門で、代々歌道で朝廷に仕えてきた。その冷泉家が1981年に「財団法人冷泉家時雨亭文庫」を設立するに至った経緯を、現当主夫人の冷泉貴実子氏がエッセイに書いている。因みに「時雨亭」とは、藤原定家が「小倉百人一首」を編んだとされる京都・小倉山にあった庵の名という。 800年以上にわたって日本文化を継承してきた冷泉家には、定家の写本をはじめ国宝級の古典籍などの文化財が伝来する。貴実子氏の父である為任氏が第一線を退いたのを契機に相続を考えて所蔵品の学術調査を始めたところ、先祖藤原俊成以来の古文書や歌集、現存する唯一の公家住宅など相当な数に及んだ。 そこで、これらの膨大な文化財を保存するための財団法人構想が持ち上がり、貴実子氏は法人化に向けて分厚い書類を抱え、文化庁や京都府庁などを回って奔走したそうである。しかし、財団法人は免税措置を受けることもあり、認可はそう簡単ではない。まず財産が必要である。土地、建物、そして保存する文化財…。それらはすべて為任氏が財団に寄付することで話はまとまった。でも、財団を運営する資金が当時で4億円程度は必要と役所から指導されたという。 貴実子氏によれば、世間からは大金持と思われているが、財産を売れば金にはなってもそれが売れないのだから、4億円どころか100万円の現金もなかったそうだ。そんなことで具体的な資金計画もないまま、新聞には財団の計画が載ることになってしまった。 ところが、朝刊にその記事が載った朝のこと、京都セラミック(現・京セラ)社長の稲盛和夫氏が電話をかけてきて、「冷泉家の快挙に感動しました。私もお手伝いをさせてください」と5000万円の寄付を申し出たのである。稲盛氏とは、貴実子氏のすぐ下の妹の結婚相手が京都セラミックに勤めていた関係で仲人をお願いしたときから付合いがあり、それがきっかけで関西財界の協力を仰ぐことができ、無事に冷泉家時雨亭文庫を設立することができた。その後も貴実子氏は何度か稲盛氏と顔を合わせることがあったが、寄付を誇示することもなく実現を心から喜んでくれたそうである。 そんな稲盛氏のエピソードをもうひとつ。 冷泉家が仲人を頼みにいった際、雑談で稲盛氏の会社が欧米やソ連への輸出で苦労しているという話になった。そこで冷泉為任氏が「どうしてそんなコストの高いところに進出するのですか。私の知人などは東南アジアなど人件費の安いところで儲けていますよ」というと、「いや、そういわれるから安い人件費のところには行きたくないのです。私は日本よりコストの高いところで正々堂々と勝負してみたいのです」と答えたというのである。 「他人の批判は得意、人にケチを付けるのが好きという人で、めったに人様を褒めることがない」と娘が評する父、為任氏がこれには完全に脱帽して、以後、稲盛氏のことを「あれはエライ人や」というのが口癖になり、冷泉家の間でも稲盛氏は「エライ人や」と伝えられているそうだ。 |
「使えない権利」の怪
権利はあるけど行使できない、というのは解せない。常識的に考えれば行使できるのが権利であり、行使できない権利は権利と言えないのではないか。ところが長年にわたって政府と内閣法制局は、わが国の集団的自衛権について、権利はあるが行使できないとしてきた。政治家も学者も、行使できるできないで、なんとも珍妙な蒟蒻問答を繰り返してきた。 使えない権利など権利ではない。ただし使えるのが権利ではあるが、権利だから行使する、かどうかはまた別だと考えるのも常識ではないか。力を持つと使いたくなるのが人間だが、それを抑制するというのも政治や国民の常識だろう。 戦後日本の歴史がそれを実践し、証明している。70年近くも他国と戦争しないできた先進国は日本だけだ。しかも中国をはじめ複数の国から脅しをかけられながらである。その、わが国に脅しをかける国が、わが国の“軍国主義”を警戒し、声高に非難しているのも珍妙だ。 一歩譲って考えて、今後何年か何十年か後に、わが国が再び軍国主義化し、再び侵略主義国家になることがあるのだろうか。このことについて最近、明快に説明してくれたのが北岡伸一氏(国際大学長)の論考「戦前と現代、同一視は不毛」(9・22 読売新聞)だ。ポイントだけ拝借すると、わが国の自衛力強化を論議すると、「いつか来た道」と言い、戦争につながると批判する人がいるが、それは不毛の論議だと北岡氏は言う。 氏は、昭和の戦前期、日本を戦争へと駆り立てた条件を5つ挙げる。第1は、地理的膨張が国家の安全と繁栄につながると考えたこと。第2は、相手(中国)は弱いと判断したこと。第3は、国際社会は無力で制裁されることはないと判断したこと。第4は、軍に対する政治の統制が弱かったこと。第5は、言論の自由がなかったこと、である。 ところが今、第1の条件でいえば、わが国に地理的な膨張志向はない。が、中国は、資源獲得や海洋活動で膨張思考と国威発揚的な動きが活発である。第2の条件では、わが国に比べて圧倒的に中国は軍事力に自信を持っている。第3に、中国は国際社会からの制裁を恐れる様子はなく、しばしば国際法を無視した行動をとっている。第4に、近年の中国は軍に対する政府の統制が弱まりつつある。第5に、中国では、政府に対する批判的言論がかなり難しい。そこで北岡氏は、中国が周辺国を侵略する可能性が高いとは思わない、としながらも、日本が戦争を仕掛ける可能性が皆無であるのに比べれば、中国には相当の誘因がある、と穏やかに指摘する。北岡氏の視点で見ると、今の中国の方が戦前のわが国の姿に似て来ていると言えそうだ。 要するに、わが国が再び軍国主義や侵略国家への「いつか来た道」を歩むことはないということだ。論点を拡大・拡散すると“不毛の論議”まで際限がないが、北岡氏の5条件に絞って言えば、「いつか来た道」派の論客にも、「これで何か問題でも?」と聞きたくなるぐらいに常識的な見方・考え方ではないか。 こうした現実をみれば、中国や北朝鮮がせっせと軍事力の拡充に励んでいるときに、自衛隊はどこまで出かけられるかなどと自縄自縛の「やってはいけないこと」を議論しているのはナンセンスではないか。 使えない権利など権利ではない。日米同盟は中国軍をしっかりと見据えて、使える権利で「やれること」の幅の拡大を目いっぱい考えるべきだ。いざその時に「やるかやらないか」は、国民が選んだ時の政府が決断すべきことであり、新設が考えられている「国家安全保障会議」などが考えるべきことだ。それが民主主義国家の常識ではないか。 |
人間は騙されやすい①
日付を言うほどの大げさな話ではないが、10月7日、私の地元国分寺市の何とかセンターから、「本日、ご近所の方がオレオレ詐欺の電話を受けました」という電話があった。最初はこれも新たなオレオレ詐欺の手口かと思ったが、ご老体の(とは言わなかったが)あなた様もお気をつけて下さいという高齢者世帯向けの親切な電話だった。 たまたまその夜のNHKニュースでオレオレ詐欺の話があった。最近のオレオレ詐欺は「現金手渡し型」になってきているそうで、全体の85パーセントがその手口だという。「振り込め」というのは、そろそろ騙しが効かなくなったうえに、振り込む老人にとっても騙す方にとっても手続きが面倒くさいといったことでもあろう。 それにしても人間は騙されやすい。かく言う私も騙されかけた。10年ほど前、次男からの?オレオレ電話があった。「あ、お父さん」という電話の声に、私は「おう○○か」と息子の名前を上げて受けると、相手は「うん」と答える。こちらから実名で呼びかけるのは禁じ手?だというが、「お父さん」と呼ばれると思わず息子の名前が口に出てしまう。実に呼吸が合っているのだ。 「どうだ、仕事はうまくいっているか」と聞くと、「仕事はまあまあだけど、資金繰りがー」と言う。息子は小さな建設会社を経営している。「仕事がうまくいっているなら結構だ。資金繰りはどこの中小企業でも頭痛のタネだ」と言うと相手は「うん」と応える。 そこから相手にとっては思わぬ展開となる。「それはそうと○○伯母さんが入院したのを知ってるか」「しらない」「三日ほど前に倒れてな。まあお前は忙しいから見舞いに行く必要はないと思うがー」と言いながら、自宅で倒れた様子や入院のいきさつなど説明していたら、「あ、急ぎの電話が入った」と言って電話が切れた。 後日、息子に聞いたら、そんな電話はしていないという。それでやっと“オレオレ”電話だったと気がついた。こちらが絶えず“攻勢”に出たので相手が諦めたのだろう。 それから何年か後、今度は長男からの?オレオレ電話である。「あ、お父さん」「おう、○○か」と、懲りずに同じパターンである。「公衆トイレにカバンを忘れて、すぐ戻ったけど無くなっていた。大事な書類と預かったおカネが入っていた」と声が上ずっている。「ばかだなー、落ち着け。まず近くの交番に盗難届を出せ。それから正直に会社に報告しろ。そんなことをオヤジに相談してもしょうがないだろう」などと説教していたら、「あ、大変だ、また後で」とか言って電話が切れた。これもこちらが“守勢”に回らなかったことが功を奏したということだろう。その夜、近くに住む息子に電話で聞いたら、そんな電話はしていない、それはオレオレ詐欺の典型的な手口だと笑われた。 日頃、オレオレ詐欺事件のニュースに接すると、“馬鹿だなー騙されて”、“なんで気がつかないのかなー”、などと思ったり笑ったりして、自分は騙されないつもりでいるが、こうした私の乏しい?体験からしても、人間は実にあっさりと騙されるのだ。 とりわけ、私のように理屈をこねる男親より情にもろい女親の方が騙されやすい。少なくとも、子どもからの電話は簡単に信用しない、子どもの要求には簡単に応じない、ぐらいの心構えはしておくべきではないか。 人間は騙されやすい② 「人間は騙されやすい①」で、“オレオレ詐欺”に騙されかけた話を書いた。オレオレ詐欺の手口は人間の“情”にくい込むところから始まる。人間の心は“知情意”で構成される。老人は“知恵”と“意思”に関しては老いてますます頑固になるが、“感情”に関しては歳とともに脆くなる。とりわけ身内に関する“情”では老いてますます“たわいなく”なる。さらに子を思う母親となると父親よりその傾向が強く、したがって男親より圧倒的に女親の方が騙されやすいということになる。特に子育て一筋に生きてきた高齢の母親が騙されやすい。それも大の息子の?“オレオレ”に、である。 最近のオレオレ詐欺は“現金手渡し型”になってきているという話も先に紹介した。これまでの主流だった“振り込め方式”は、銀行に行って機械を操作するという、騙す方にとっても騙される方にとっても、特に老人にとって面倒くさい方式だった。それをやめて、「現金を用意しろ」「持ってこい」という直接的な“現金手渡し型”になったというのは、知能犯から原始的な方法に逆戻りした感がある。 オレオレ詐欺ではないが、“原始的”な手口で本当に騙された恥かしい体験がある。 20年ほど前になるが、作業服の実直そうな中年男が訪ねてきて、「向こうの工事現場の屋根から見ていたら、オタクの屋根にへこんだ所やおかしいところがあるので診てあげたい」という。近くで工事をしているご縁だからタダでいいというのでお願いした。 二階の屋根まで長いはしごを伸ばして、「旦那さんも上って見ますか」というので危ないからと断る。職人だけが上って診てまわり、しばらくして下りてきた。瓦を何枚か外してみたら、こんな具合に根太が腐っていたと、いま撮ってきたという恐ろしげなポラロイド写真を見せられた。他にも切妻部分の漆喰が割れているとか指摘され、もし直されるなら近くの工事のついでだから材料費ていどでやってあげましょうかと言う。 で、結局25万円ほどで修理してもらった。ところが、1カ月ほどしたら、工事前までは無かった雨漏りがするようになった。その会社に電話したら通じない。仕方がないので地元の古い屋根屋に頼んだ。「“わたり”にやられましたね」と気の毒がられながら再修理してもらって二度の出費となった。 本当に人間は騙されやすい。動物の中で人間ほど騙されやすい動物はいないのではないか。人間以外の動物にもいろいろ騙しの手口があるが、それは全て食欲か性欲を満たすためのテクニックで、根源的には生存本能や種の保存本能に起因するものだ。人間の場合も欲求の根幹は食欲と性欲だが、その上、他の動物が持っていない色々な欲があるから厄介だ。その最たるものは金銭欲と名誉欲だ。 騙すのは自分の欲を満たすために相手の欲を利用することであり、騙されるのは欲が深いからだ。食欲、性欲、カネ、名誉・地位、それらを求める過剰な欲求で、いわゆる欲の皮が突っ張ってしくじるというのが人間で、悲劇も喜劇もたいていそんなところから始まる。だから仏教では「少欲知足」、わずかなモノで満足せよと教えるが、これがなかなか難しい。たぶん、未来永劫、騙し騙されの悲喜劇が続くのだろう。ヤレヤレ。 (山勘 2013年11月12日) |
日常の挨拶
日頃から、顔見知りの方には顔が会ったら挨拶するというのが、日本人の習慣ではなかったかと思います。昔と生活様式が変わって来ていますが、それにかかわらず挨拶を交わすということは精神生活にも大切だと私は感じています。会った時に気持ち良く挨拶するということは、その後とても気持ちが良いからです。つまらない(些細な)ことかもしれませんが、大切にしたいと思っています。
1.私の住むマンションは460戸(6棟で構成)を超える大きなもので、1つの町の大きさに匹敵します。同じ階にいる中年の男性(45歳?)は独身で親と同居のようですが、この方は挨拶が出来ません。こっちから何度も挨拶を送るのですが、まともな挨拶が返せない。親の顔が見たい(知ってますが)。 親の教育なのでしょうね。こんな状態で仕事が出来るのかしら、と人ごとながら心配です。小学低学年の子供でも、会えば挨拶が出来る子もたくさんいます、同じマンションに。しっかり出来るようになるまで、私が何度でもこちらからストロークを送りましょう。 因みに、ここの居住者は老若男女問わず、挨拶は普通にやっています。1つの町内という感覚に近いです。ところが、定年退職者で(今は天下って民間会社に再雇用されているようだ)挨拶の出来ない方がいます。 EL内で会えば、挨拶すると向こうも返しますが、すれ違い等ではまともな挨拶が出来ません。本人は偉そうな態度でいますが、こういう人を飼っている方は大変ですね(給料だけは支払い、会社に出て来て欲しくないと思うのではないでしょうか)。
2.すれ違いの他人 毎朝、すれ違う他人が二人います。毎日ですからお互いに顔は知っています。そこで実験をはじめました。この二人に向かって、すれ違う寸前に「おはようございます」と挨拶をします。 一人(交通整理が本職みたい)の方(A)は顔を合わせて私が挨拶すると「おはようございます」と言うようになりました。 もう一人の方(B:再雇用されている方のようだ)は、顔が会うとすかさず先方から「おはようございます」と仰います。このようになるまで、私が開始してからたったの3日でした。もう1か月以上それが続いています。お互いに気持ち良い出勤風景と思っていてくれたらいいな、と思っています。 今朝、私が街頭演説に気を取られながら歩いていると、すれ違いざまにBさんは大きな声で「おはようございます!」と挨拶を下さいました。たったこれだけのことですが、お互いに気持ち良い1日の始まりです。
3.ある士業の方 社会的に立派なステータスの士業をなさる方ですが、これがまともな挨拶が出来なかったですね。面と向かえば愛想良く挨拶を自ら送りますが、ちょっと離れているともう挨拶が出来ませんでした。だから、そう言う場面に限り、大きな声で挨拶することにしました。 学生時代から勉強勉強で、友人などとの社会生活に十分に慣れていなかった、孤独な人のように感じました。 今は、もうしっかりと挨拶できるようになりました。やればできるじゃん、って感じです。 |
秘密保全法と子供時代の思い出 政府が成立を急いでいる特定秘密保護法は、運用次第で圧制の道具となる可能性が高い。何であれ一旦システムの支配下に入った人々に逆らう自由はない。追従者のいない反乱は犬死に終わるから、逆らう者が出るのは共鳴者の出現が期待できる間だけだろう。戦争中の日本、今日の北朝鮮、ナチス支配下のドイツ、かつての連合赤軍、オウム真理教、すべて同じ仕組みだ。
成立推進派は「昔のような恣意的な運用をする筈がない」と言っているそうだが、一旦体制ができれば、時と共に締め付けが厳しくなるのはごく当然。官僚が恣意的運用するだけではなく、その体制に慣れた国民が体制強化に参加するのだ。 この拙文を記している狸吉は戦時中まだ国民学校児童であった。終戦も近いある日、当時日本が開発中の誘導弾がコースを外れ、旅館に墜落して消防車が出動した。我々子供らは消防車のサイレンに興奮し、「わーい、火事だ、火事だ!」と道を走り回っていたところ、近くの大人にぐいと肩を掴まれ、「バカ、軍事機密を囃していると憲兵に連れて行かれるぞ!」と叱られた。それまであまり怖いものなど知らずに育った子供らは、「憲兵は怖い」、「見聞きしたことを口にしてはいけない」と頭に叩き込まれた。
今当時を振り返ると、その体制の渦中で自分も知らぬ間に「軍国少年」に育っていた。「鬼畜米英」の国ではなく「神州日本」に生まれたことを本当に有難いと思い、図画の時間に「日本の飛行機が勝っている絵を描きなさい」と言われれば、アメリカの飛行機が燃え落ちる場面を描いて、「絵が上手い子供」と褒められ得意になっていた。
ところが終戦と同時にそれまで鬼畜米英と教えていた先生が、黒板に「親切なアメリカ人」とか「マッカーサー元帥はよい人です」と書くのでショックを受けた。今度は「回れ右!」で、何でも「アメリカ様さま」。それまで教わったことはすべてウソで、アメリカの教えることがすべて正しいとなった。
ことほど左様に、支配者は国民の頭の中身まで入れ替えることさえできる。かつての東独で密告が横行したように、その体制下に長くいると、体制維持に進んで参加するようになる。日本の終戦が敗戦ではなく講和で終わっていたら、狸吉は間違いなく国粋主義者に育ち、「非国民」の摘発に精を出していただろう。
アメリカとの関係で、秘密保全法はどうでも成立させねばならぬのだろうが、一定期限後の公開原則や、公開命令権を持つ外部機関など、強力なブレーキを付けて置かぬと正に「気違いに刃物」となろう。 |